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妖しな家族  作者: 奏白いずも
人間編

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18/34

十八、つかの間の再会

 学校に通い始めると同時に桜子は規則正しい生活を心がけている。もう夜型は卒業しようと決めていた。ここでは夜に徘徊する必要はないのだから。

 一日の大半を学校で過ごすことになり、無月と顔を合わせる時間は減っていた。それでも食事は必ず三食共にしている。なんでも、いつ決めたのか宵闇家の家訓らしい。

 慣れた洋食使用の朝食を食べ終えれば、登校するべき時間が迫っていた。

 桜子は玄関まで見送りに訪れた無月へと向き直る。

「行ってまいります」

 最近では、すっかり無月が送りだす立場になっていた。

「ああ、行っておいで。それにしても……。自分で通わせたとはいえ、お前と共に過ごせないのは残念だ」

「……そう」

 以前ならば、いくらでも冷たい視線で流してやったのに。こう何度も繰り返されていると、自分の対応が大人気ないようで自信を失くしてしまう。

 それだけならいい。だが無月の言葉は性質が悪いことに甘い響きを伴っているのだ。共にいたいと乞われるそれは、家族に告げているにもかかわらず、年頃の少女には厄介なものとなる。

(どうして胸がざわつくの……)

 初めは何ともなかった。うんざりしながらも軽くあしらって「行ってまいります」と告げて誤魔化していた。

 意識するようになったのは、いつの頃からだろう。今ではもう……はっきり言って乞われる度に喜びが募る。誤解だと、何度も何度も考察に浸ったが、どうしても結論は同じだった。

「も、もう行きますから!」

 逃げるように桜子は家を飛び出す。

 調子が狂う、どんどん狂わされていく。あからさまに無月を意識しているなんて認めたくない。邪念を振り払うように学校まで全力で走り通した。

 乱されている、惑わされている。きっと無月にはそう言う力があるに違いないのだ。


 到着までの時間は自己新記録だろう。

「はあ、はあっ――」

 荒い呼吸が零れる。誰も見ていないのだから、あんなに必死に走る必要もなかったと後悔した。

『桜子』

「え――」

 振り返るが、そこに人影はない。しばらく立ち尽くしていても、同じ響きの呼び声は聞こえなかった。

 朝、無月に感じていた胸のざわめきとは違う。あの時感じたのは温かさ、けれど桜子の心は冷え切っていた。

(何が――)

 学校へ行かなければ、無理やり足を動かした。そう思うのに、足を進めるたび胸騒ぎは確かなものへと変わる。

 もやもやとした気掛かりが内に渦巻く。声は聞こえないのに、まだ呼ばれているような感覚が消えない。そもそも明確に名を叫ばれているわけではない。遥か遠く――どこかで呼ばれている気がする、という曖昧なものだった。

「桜子、おはよ!」

 元気な声につられて振り向くと今度こそ人が、聡子が手を振っている。

「おはよう……」

 けれど違う、呼んでいたのは彼女ではない。

「どうしたの? 何か心配事?」

「自分でも、よくわからなくて……」

「そうなの? ねえ、心配事といえば火事ですって! 見てよ、あそこ」

 聡子は校舎の向こう側を指差している。

 それを見た瞬間、嫌な予感がした。遠くに煙が上がり、火事を知らせる鐘の音はここまで届いている。

「さすがに距離はあるから、ここは安全だろうけど……」

 それでも聡子は不安げに呟いていた。

「どこが、燃えているの?」

 喉の奥が張り付いているようだった。煙の勢いは衰えない。茫然と見つめている間も早く――と何かが桜子を急かしている。

「あたしも詳しくは知らないけど、少し前から燃え始めたみたい。そうね、大きなお屋敷が燃えているくらいしか――って桜子、どこ行くの!? ねえ、授業始まるわよ!」

 背後で聡子が叫んでいる。けれど理由を告げている時間も惜しかった。


 どうしてそうしているのか、自分でもよくわからない。学校が始まってしまう、遅刻してしまう。それなのに別のどこかへ走り出しているなんて正気を疑う。

 ただ、今すぐあそこへ行かなければならないという使命感に突き動かさるのだ。

(分からないけど、でも……行かなければ後悔する!)


 どこをどう進んでいたのか憶えていない。夢中で煙の方を目指して駆けていただけだ。

 次第に、焦げた臭いが鼻につく。

 いろんな物が燃えている。ああきっと、思い出も一緒に燃えているのだ――

「うそ、でしょう……」

 ようやく辿りつけた、ずっと帰りたかった場所。

 十六年間慣れ親しんだ家、と言っても離れだけだったけれど。それでも、生まれ育った家が燃えていた。

 赤い炎は止まらない。轟々と燃え盛り、屋敷一体を包んでいた。

「そんな……。皆、皆はどこに!?」

 家族はどうしているのだろう。使用人たちも皆、逃げているのだろうか。押し寄せる人垣を掻き分けて、その姿を探した。

 門の前から少し離れたところ。火の子が届かないように離れた場所に、膝をついている着物姿の女性がいた。

 見間違えたりしない。あれは――

「お母様!」

 悠長に喜んでいる場面ではないけれど、ようやく会えた嬉しさは隠しきれなかった。二度と会えないことも覚悟していたのだ、桜子は母である八重の傍らに駆け寄った。

 けれどその人は絶望的な表情で顔を上げる。

「いやあああ! 桜子の幽霊!」

 桜子の姿を確認するや叫ばれた。可愛らしい悲鳴ではなく、割と本気で腹から叫ばれている。しかも幽霊扱い。

「お、お母様?」

 感動の再会と思いきや幽霊扱いに戸惑う。

「怨んでいる? そう、そうにきまっているわ。私を呪いに来たのね!」

 顔面蒼白で念仏を唱え始めた。本格的に脅え始め、使用人たちは「奥さま、落ち着いてください」と必死になだめている。そんな彼らの表情も桜子を窺いながら強張っていた。

 挙句の果てに限界が来たのか、八重が後ろに倒れると使用人たちが慌てて受け止めた。

「お前っ! 本当に、桜子か?」

「楓お兄様!」

 家の裏手から現れたのは兄である楓だが、彼も桜子に対して信じられないと同様の視線を向けていた。だが八重よりは幾分か話が通じそうである。

 いったい他の何に見えるというのだろう。確かに毎日顔を見ていた訳ではないけれど、忘れられるほどの付き合いでもないはずだ。

「桜子以外の何者でもありませんが」

「あ、ああ……。そ、そうだな。足もある、生きているようだ……」

 足を確認されたり軽く頬を叩かれたり、そこまで疑うほど幽霊らしいのだろうか

「……信じ難い。お父様は、お前が死んだと言っていた。誘拐犯に殺されたのだと!」

「……あの、この通り生きておりますが」

「ああっ! そのようだな!」

 桜子は力一杯楓に抱きしめられる。四つ歳の離れた兄は、知らないうちに逞しい男の体をしていた。

「よかった、本当に良かった! 桜子は誘拐されたと聞かされたんだ。犯人に殺されたのだと、私たちは茫然とすることしか出来なかった。あの人が嘘を言うとも思えず、何より動揺が尋常ではなかった。だから私たちはそれが真実なのだと受け入れた。それが、ああっ! こうして生きているなんて――」

「お兄様、心配してくださったの?」

 細い声を上げると楓の腕が解かれた。悲しげな瞳が桜子を見下ろしている。

「妹の死に嘆かない程、私は薄情だと? それほどお前を軽んじていると思われていたのか……」

「そんなつもりはありません!」

「いや、そう思われても仕方ない。窮屈な生活を強いられているお前を、見て見ぬふりしてきたのだから」

「お兄様が気に病むことではありません。ところでお父様は?」

 いくら辺りを見回しても父の姿はない。楓は唇を噛みしめ悔しそうに家を仰ぐばかりだ。

(どうして答えてくれないの? どうして家の方を――)

「お兄様、どういうことです!?」

「あの人は、死ぬつもりだ」

「え――」

 強く殴られたような衝撃を受ける。あんなにも火が燃え盛っているのに――

「どうして助けないのです!? だから、大人しく見捨てたと言うのですか!」

「父様は、ずっと塞ぎこんでいた。理由は知れないが、とにかく自分を責めている様子だった。ずっと思いつめていて……。火事が起きた時、私は共に書斎で話をしている最中だった。瞬く間に屋敷は火にのまれ、直ぐに父様と逃げようとしたんだ。けど、あの人は動いてくれなかった。ここで死ぬと言い出したんだ!」

 桜子は絶句した。どうしてと何度も叫びたくなった。けれどここには、答えてくれる父はいない。

「父様は妙なことを言っていた。これは自分に罰が下ったのだと」

「なっ――」

「私は、ひとまず母様だけでも逃がさなければと思い……」

 楓は悔しそうに俯いた。外へ逃げ出したはいいが、父の元へ戻るのが恐ろしくなったという。

 桜子はもう楓を責めようとはしなかった。火に巻かれれば人は死んでしまう、恐怖は当然のことだ。

「……お兄様、非礼をお詫びします」

「いや、お前は何も悪くない。無力な私が悪いんだ」

「わたくしが、お父様を迎えに参ります」

「お前、分かっているのか? 危険だ、もう火が……」

 すっかり声を荒げる立場が逆転していた。危険だと、楓は必死に説得を続ける。それは父だけでなく自分のことも案じてくれているからこそで、初めての経験に戸惑いながらも桜子の声は穏やかだ。

「承知の上です。けれど、わたくしが死んだと思う以上、お父様は動かないのでしょう? わたくしが行くしかありません」

 そっと楓の手から逃れた。お前が行って何になると反対される覚悟もしていたが、その手は追ってこない。

「……頼む」

 唇を噛みしめた小さな呟きは危うくかき消されそうなほどだった。

「お兄様、心配してくださって嬉しかったです」

 強く頷いて、桜子は敵のように炎を睨む。まさに駆け出そうとした刹那――再び桜子を止めたのは楓ではなかった。

「止めておけ」

 腕を掴んでいるのは無月だった。何故ここにいるのかなんて今はどうでもいい。

「邪魔をしないで!」

 引き離そうともがくが緩む気配はない。

「お前は火の中に飛び込むつもりか? 逆に俺が問いたいものだ。何故助けに行く必要がある。お前を虐げてきた家の者だぞ」

「私は虐げられていたのではありません!」

「同じようなものだ」

 無月は意見を変えず、頭に血の登った桜子を諭そうと冷たい眼差しで告げる。だが、いくら抑揚のない声が届こうと桜子の意志に迷いはなかった。無月から質問に丁寧に答えている暇はない。

「家族を助けるのに理由なんて必要ない!」

 赤い瞳が大きく見開かれた。それほど驚くことを言ったつもりもないのに、予想外の反応に手が緩んでいる。その隙に、桜子は手を振り払い駆けだしていた。


「あんなにも、意志の強い娘だったか?」

 あれは誰だ――

 無論、目の前にいたのは桜子である。けれど瞳に宿った意思は強く、まるで別人のように感じてしまった。不覚にも圧倒され見送ってしまったのだ。

「は、早いですって無月様! ちょっと、ぜえ、はっ……。桜子様が心配なのは分かりますけど、ちょっと、待ってくださいって――」

 息を切らしたコハクが駆けつけたのは、ちょうど桜子が炎へ消えたところだった。切れ切れな呼吸もそっちのけで、コハクは主に言い募る。

「て、無月様! あんた、何やってんですか! 桜子様、行っちゃてるんですけど!」

 何しにここへ来たのかと問い詰める。けれど、いくらコハクが服を引っ張ろうと無月は立ち尽くしているだけだった。

 いくら娘をもらってみても、形を揃えてみても、彼にとって家族とは簡単に理解できるものではないらしい。

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