十三、親子喧嘩の仲直り
まずは一階から。台所――西洋風にはキッチンというらしい。食事を取った場所は大広間、浴場も同じ階にあり広さは申し分なかった。
二階へと移動すると、廊下には同じような扉が乱立している。一目見ただけでも部屋数が多い。
「参考までに、お父様の部屋はどちらに?」
「一番奥にございます。ちなみに、わたくしとコハクは離れにおります。何かございましたら、お呼び立てくださいませ」
窓辺から覗く離れを指差さすと、苧環は何かに気付いたようだ。
「ああ、どうやら無月様が戻られたようですね」
どうしてわかるのか不思議そうにしていると説明が付け加えられる。
「音ですよ。人より聴覚は優れていますからね。共に出迎えましょうか」
「お断りします」
「無月様、喜ばれると思いますよ?」
「あの人を喜ばせたいとは思いません。そっと部屋に戻るので、今のうちに――」
「苧環!」
被せるように鋭い声が響き、間に合わなかったことを悟る。吹き抜けの玄関先からは桜子たちのいる場所がよく見渡せた。
「お帰りなさいませ、無月様」
「苧環、そこを動くなよ」
主に対して申し分ない対応のはずが、無月の態度はあからさまに不機嫌だった。
「はい? かしこまりました」
無月は足早に階段を駆け上がる。そして苧環から桜子を奪い、同じように抱えた。
(今、何が起こったの?)
あまりの素早さに抵抗を忘れていた。一体何がしたいのだこの男は。
「お父様、何をされているのでしょう」
「娘を抱くのは親の務めだろう。コハクもそうだが、俺を差し置いて何を勝手に抱かれている」
「知りません。私に他意はありません、成り行きです。皆さん履物の無いわたくしに気を使ってくださっただけです」
「そういうことか。では苧環を解雇するのはやめておく」
「え、ええっ!? わ、わたくし解雇の危機に瀕していたと!」
その声は震え、本気で動揺しているのが伝わる。
「主より先に娘を抱くとは、いい度胸だろう。主に対する反逆としか思えない」
「い、いえ、めっそうもございません! ですからどうか解雇は、どうかご容赦を!」
足元に取り縋る苧環は、優雅さなんてかなぐり捨てて本気で取り乱していた。
「やめておくと言ったろうが。お前は金が絡むと我を忘れるな……。仕事に戻れ、荷物が多い」
「はっ! かしこまりました」
苧環は伸びて主に礼をすると、駆け足どころか手すりをまたいで飛び降りた。落ちると桜子の方が恐怖していたが、そこは化け猫。実にキレの良い機敏な動きだ。
残された桜子は早々に不満を漏らす。
「で、お父様。この態勢はなんとかならないでしょうか」
「不満なのか?」
「満足か、不満か? 不満意外に何があります。早く下ろしてくださらないと暴れますよ。準備万端です」
ぎゅっと拳を握った。ああ、地面が恋しい。
「コハクや苧環には許しても俺は駄目と? さては、もう反抗期か」
そういう次元の話ではない。だから、そのちょっと不満そうな眼差しはやめていただきたい。
「暴れてもいいでしょうか」
「少し待て、部屋までだ。それくらいなら良いだろう?」
「一秒でも早くお連れ下さい」
実際、桜子の部屋はもう見えている。数歩歩くだけというのに、何故こんなにも長く感じるのだろう。嫌な時間は長いと言うが、本当だ。
桜子はベッドの上に降ろされた。まだ自室という実感は湧いていないし、父親という敬称だけの若い男が部屋に居るのは落ち着かない。しかも傍らに立ち、無言で居座っている。
「あの、そこに居られると非常に落ち着かないのですが」
「少し待て、じきコハクが来る」
反論しようとしたところで、宣言通りコハクがやってきた。
「無月様、お待たせしました!」
箱が歩いているのではないかと思うほど大量の荷物で、コハクは頭の先まで箱に隠れてしまっている。
「コハクちゃん、大丈夫なの?」
「桜子様、ご心配ありがとうございます。僕、これでも力はあるので、へっちゃらです!」
「そこに積んでおけ」
「はーい!」
荷物を下ろして「また直ぐ来ますね!」と出ていってしまう。次に苧環がやってきて、同じように大量の箱を置いた。彼も同じく「往復、行ってまいります」と言葉を残して姿を消す。
「お父様、これは何事でしょう。部屋が箱に占拠されていくのですが」
「全てお前のものだ」
無月は迷うことなく一つの箱を手に取った。軽々と持ち上げられたそれは桜子の足元に置かれる。
「な、なんです!?」
開けられた箱には草履が収まっていた。
「これがないから、他の奴に触れられるのだろう。さあ――」
足元に跪いていた無月は、流れるような動作で桜子の足に触れる。
「な、何を!」
ひんやりした指先が素足に触れている――意識すると顔から火が出そうだった。
「履かせてやろう」
「よ、余計なお世話! わたくし、どれだけ独り立ちの出来ていない女だと思われてます!?」
恥ずかしくなって蹴りあげてやろうかと暴力的なことも考えたのだが、びくともしない。ただ「遠慮するな」と一蹴されて終わる。
触れられていることに嫌悪しているというよりも、こればかりは素直に恥ずかしい。男性に跪かれたことなどなく、ましてや素足に触れられたことなんてあるはずがない。
「似合うぞ」
顔を逸らしていた桜子は、なんとか足元に視線をやった。黒地に赤い鼻緒が鮮やかな代物だ。
「まさか、お父様が選んだもの?」
「無論だ。お前を迎えるにあたって一通りそろえていたのだが、なにせ赤子用のものばかりでな。急遽、揃え直すことになった」
ということは、もしや積まれたあの箱山は……。
いや、ちょっと待て。部屋に備え付けられている箪笥や収納器具に目がいく。もしやと静かにその引き出しを開けたところ、予想通りの品が隙間なく敷き詰められていた。赤子用の着物から靴、帽子、前掛けまで完璧だ。
「これ、わたくしのために?」
使える、使えないはさておき。こんな手間のかかることをやってのけたということだ。
「何を不思議がる? お前のためと言っただろう」
「……信じられません」
(相手は妖。人間を攫って娘にすると惑わす男。でも、戯れでここまでするの? ……まさか本当に、本気で?)
考え込んでいる間にもコハクと苧環はせわしなく往復していた。無月はそれらを監督している。
「一通り生活に必要な物は揃っているはずだ。不便があれば言ってくれ。ああそうだ、大切なことを伝え忘れていたな」
この上、何を言いだされるのかと身構えたところ、案の定と言うべきか。これまた予想外の驚きを与えられることとなる。
「食事の席では怒らせて悪かったな」
「え……」
そういえば喧嘩のような啖呵を切った後だったと、今さらながらに思い出す。
「わたくしが何に怒ったのか、理解していますか?」
「これでも反省している。俺の発言が軽率だった。だから機嫌を直してくれないか。初日からお前と険悪になりたくはない」
どうしてそんな風に言う?
つまり仲良くなりたいという解釈になるわけで、本当に家族になりたいと乞われているような錯覚を与えられる。
「……わたくしも、つい頭に血が上り、幼稚でした。申し訳なく思っています。では、仲直り成立ということで」
家族になるという点については簡単に受け入れられるものではない。けれどこうも素直に頭を下げられては、たった一言で腹を立てていたのが幼稚で馬鹿らしくなる。相手が大人な対応をしているのだから、自分もそれに従おう。この男と仲良しこよしになりたいわけではないけれど。
「安心したよ。親子喧嘩というものは、心臓に悪いな」
「あれは、親子喧嘩だったのでしょうか……」
「初めての親子喧嘩だな」
仮にそうであるならば、喧嘩したというのに無月は嬉しそうだ。心臓に悪いというくせに顔は笑っている。それを指摘したところ「お前と共にしたいことはたくさんあるが、喧嘩は最小限に留めたい」などと穏やかに言ってのけた。
相手は危険な妖で簡単に信じることは出来ない。それなのに、あまりにも嬉しそうにしているから……この言葉を疑うという気持ちが湧いてくれない。
「では、また夕食で会おう」
桜子の葛藤など知るよしもなく、無月は部屋を後にした。
残された桜子は箱の山と格闘する。一箱ずつ中を改めさせてもらったが、履物は草履だけでなく革靴まで用意されている。衣装は着物から袴、洋装までなんでも揃っている徹底ぶりだ。
「こんなに頂いて、よかったのかしら……」
たとえ妖相手でも気が引ける。それに何より、片付けの先は長そうだ。




