第3夜 見て見ぬふり
朝。
満員電車。
黒崎蓮は吊り革につかまりながら窓の外を見ていた。
今日もいつも通りの朝。
会社へ向かう人々。
スマホを見ている人。
眠そうな人。
誰もが自分の生活を生きている。
蓮は小さく息を吐いた。
昨夜も遅かった。
ノワールナイトとして動いたあと、そのまま数時間だけ眠って出勤している。
当然眠い。
だが慣れていた。
「おはようございます。」
会社へ到着すると同僚たちが挨拶してくる。
「おう、おはよう。」
「黒崎さん、昨日も残業ですか?」
「まあな。」
「働きすぎですよ。」
蓮は苦笑した。
まさか夜は悪人を追い回しているとは言えない。
昼の顔は普通の会社員。
それが黒崎蓮だった。
昼休み。
営業先へ向かう途中。
蓮はコンビニで弁当を買い、公園のベンチへ座った。
穏やかな昼下がり。
子供たちが遊んでいる。
母親たちが話している。
何気ない光景。
だが蓮はこういう時間が嫌いではなかった。
守りたいと思うのは、こういう日常だ。
その時だった。
スマホからニュースが流れる。
『昨夜未明、暴力団関係者数名が病院へ搬送されました。』
『警察は事件との関連を調べています。』
蓮は苦笑する。
自分の仕事だった。
当然ニュースではノワールナイトの名前は出ない。
だがネットでは騒がれている。
黒い羽。
謎の男。
都市伝説。
好き勝手言われている。
蓮はスマホを閉じた。
「別に有名になりたいわけじゃないんだけどな。」
誰にも聞こえないよう呟く。
夕方。
仕事を終えた帰り道。
駅前は多くの人で賑わっていた。
学生。
会社員。
買い物帰りの主婦。
誰もが足早に通り過ぎていく。
その時。
「だから待てって言ってんだろ!」
怒鳴り声が響いた。
蓮は振り返る。
女子高生が三人の男に囲まれていた。
制服姿。
まだ十六、七歳くらい。
男たちは明らかに柄が悪い。
女子高生は怯えている。
「やめてください。」
「いいから遊ぼうぜ。」
「断ってんじゃん。」
「調子乗るなよ。」
周囲の人々は見て見ぬふりをしていた。
誰も止めない。
誰も助けない。
足を止める者すらいない。
蓮は立ち止まった。
そして心の中で舌打ちする。
面倒なことになる。
今なら警察を呼べる。
誰かが通報するかもしれない。
関わらない方がいい。
そう思った。
だが。
頭の中に声が響く。
『子供は守れ。』
父の声だった。
蓮は目を閉じる。
そしてため息を吐いた。
「……やっぱ無理か。」
ゆっくり歩き出す。
男たちの前へ立った。
「その辺にしとけ。」
三人が振り返る。
「は?」
「なんだお前。」
蓮は女子高生を見る。
「大丈夫か?」
少女は小さく頷いた。
男の一人が肩を掴む。
「ヒーロー気取りか?」
蓮はその手を見る。
そして笑う。
「違う。」
「ただの会社員だ。」
次の瞬間。
男の手首を捻る。
「ぎゃあああ!」
悲鳴。
男が膝をついた。
残り二人が驚く。
「なっ!?」
「お前!」
蓮は静かに言う。
「警察呼ぶぞ。」
男たちは顔を見合わせる。
そして舌打ちした。
「覚えてろ。」
「行くぞ。」
三人は逃げていった。
女子高生は何度も頭を下げる。
「ありがとうございました!」
「気にするな。」
「でも……。」
「早く帰れ。」
少女は頷いた。
そして走り去っていく。
蓮はその背中を見送った。
父ならどうしただろう。
きっと同じことをした。
そう思った。
その頃。
路地裏。
逃げた男たちは息を切らしていた。
「くそ!」
「何なんだあいつ!」
「ただの会社員じゃねぇぞ!」
その時。
奥から声がした。
「失敗したのか。」
男たちが振り返る。
黒い服。
サングラス。
無表情な男。
三人は慌てて頭を下げる。
「すみません!」
男は冷たい声で言う。
「最近、黒い羽の噂が広がっている。」
「上は気にしている。」
「見つけろ。」
「ノワールナイトを。」
男たちは顔を見合わせた。
「黒い羽?」
「本当にいるんですか?」
男は答えない。
ただ言う。
「探せ。」
夜。
相馬モータース。
地下工房。
蓮はサンドバッグを叩いていた。
ドン!
ドン!
ドン!
相馬が呆れたように言う。
「仕事帰りに運動とは元気だな。」
「ストレス発散。」
「嘘つけ。」
蓮は笑う。
「少しな。」
相馬は缶コーヒーを投げる。
蓮が受け取る。
「ありがと。」
「今日は何があった。」
「女子高生助けた。」
相馬は吹き出した。
「昼の顔でか?」
「ああ。」
「馬鹿か。」
「仕方ないだろ。」
「恒一そっくりだ。」
蓮は苦笑した。
その時だった。
地下工房のモニターが反応する。
ピッ。
情報収集用の端末。
ニュースでは扱われない裏情報が流れる。
相馬の表情が変わる。
「蓮。」
「ん?」
「仕事だ。」
画面には写真。
昼間の男たち。
そして倉庫の住所。
「何だこれ。」
相馬は答える。
「未成年を使った売春斡旋。」
蓮の目が変わる。
「確定か。」
「ああ。」
沈黙。
そして蓮は立ち上がる。
壁へ向かう。
黒いスーツ。
黒いマスク。
黒いコート。
ノワールナイト。
相馬は静かに言った。
「ほどほどにな。」
蓮は笑う。
「善処する。」
「その台詞は信用できん。」
数分後。
夜の街。
黒いコートが風になびく。
ノワールナイトは倉庫を見上げていた。
中には十人ほど。
見張りもいる。
蓮は小さく呟く。
「さて。」
黒い羽を指に挟む。
「仕事の時間だ。」
次の瞬間。
ノワールナイトの姿が夜の闇へ消えた。
その頃。
遠く離れたビルの屋上。
双眼鏡を持った男がいた。
視線の先には黒い影。
男は通信機を耳へ当てる。
「こちら監視班。」
『報告しろ。』
「発見しました。」
沈黙。
男はゆっくり続ける。
「黒い羽です。」
通信の向こうで誰かが笑った。
『そうか。』
『ようやく見つけたか。』
男は再び双眼鏡を覗く。
夜の街を駆ける黒い騎士。
ノワールナイト。
そして。
闇もまた、彼を見つけ始めていた。
おまけ①「呼び名」
相馬モータース地下工房。
完成したナイトスーツ。
黒いマスク。
黒い装甲。
相馬はそれを静かに見つめていた。
「……そういや。」
「お前の父親は、ノワールと名乗っていたな。」
蓮はスーツを見る。
「ノワール……。」
少し考える。
「じゃあ俺は……」
相馬が嫌な予感をする。
「ノワールジュニアだ。」
数秒の沈黙。
「……やめとけ。」
「なんでだよ。」
「弱そうだ。」
「即答!?」
相馬はため息をつく。
「子供向けヒーローみたいになる。」
「いや、名前だけなら分かりやすいだろ。」
「分かりやすさより大事なものがある。」
相馬は黒いマスクを見る。
そして言った。
「ノワールナイト。」
蓮が振り返る。
「……。」
「夜に現れる黒い騎士。」
「悪くないだろ。」
蓮は少し笑った。
「……確かに。」
「ノワールナイトでいこう。」
「決定だ。」
「勝手に決めるなよ。」
数週間後。
相馬モータース地下工房。
相馬は新聞を机に置いた。
「おい。」
「お前の記事が出ているぞ。」
蓮が新聞を見る。
そこには大きく書かれていた。
『謎の黒い騎士、ノワールナイト』
蓮は少し満足そうに頷く。
「……悪くないな。」
相馬は別のページを見る。
「ただ。」
「一部では別の名前で呼ばれているらしい。」
蓮の動きが止まる。
「……。」
相馬は静かに言った。
「ノワールジュニア。」
蓮は目を逸らす。
「……。」
「お前、自分で名乗っているだろ。」
「……。」
「敵に向かって。」
「……。」
蓮は小さく呟く。
「響きは悪くないと思ったんだ。」
相馬はため息をつく。
「お前な……恒一が聞いたら笑うぞ。」
「いや、ジュニアの方がかっこいいかなって……。」
「正直、ダサいな。」
「……。」
「だったら最初からノワールナイトでいい。」
蓮は黙る。
「……分かったよ。」
相馬は少し笑う。
「……安心した。」
「俺はノワールナイトの方が似合っていると思う。」
蓮は苦笑した。
「最初からそう言えよ。」
「最初から言ってるだろ。」




