第35夜 覚悟
――地下。
黒いバイクの前に、蓮は立っていた。
「……ノワール」
その名を、もう一度呟く。
階段の上から、相馬の声が聞こえた。
「蓮」
蓮が振り返る。
相馬は階段の途中で足を止めていた。
「お前が決めることだ」
「……」
「俺自身も、お前にどうしてほしいのか分からない」
相馬は静かに続けた。
「ノワールナイトとして、もう一度戦ってほしいのか。それとも、このまま引退して安全に暮らしてほしいのか……」
相馬は視線を落とした。
「本音を言えば、このまま安全に暮らしてほしい」
蓮は黙って聞いていた。
「だが……今のお前には、前のような気力が感じられない」
相馬は蓮を見つめた。
「本当は戦いたいんじゃないか?」
「……」
「悪と戦う。ノワールナイトとして……父親みたいに」
蓮の手が、わずかに動いた。
父の姿が脳裏をよぎる。
正義を貫き、最後まで人を守ろうとした男。
そして、自分の目の前からいなくなった父。
「……俺は」
蓮は言葉を止めた。
戦い続ければ、また大切なものを失うかもしれない。
それでも、悪を見過ごすことはできるのか。
答えは、まだ出なかった。
――その時。
工場の上から、テレビの音声が聞こえてきた。
『速報です。影都市内の銀行で、武装した複数の犯人による強盗事件が発生しました』
蓮と相馬が顔を上げる。
『犯人たちは銃を所持しており、警察が現場に急行しています。付近の住民は、決して近づかないでください』
相馬と蓮は階段を上がり、テレビの音量を上げる。
画面には、銀行の防犯カメラに記録された映像が映し出されていた。
犯人たちは無駄のない動きで行員や警備員を制圧し、周囲を警戒していた。
『犯人たちは、まるで訓練を受けたかのような動きを見せています』
蓮は画面を見つめていた。
「……あの身のこなし」
かつて戦った敵の姿が、脳裏をよぎる。
「おそらく……RAVENの部隊だろう」
相馬が蓮を見る。
「RAVENだと?」
「ああ。あの動きは、ただの強盗のものじゃない」
蓮は画面から目を離さなかった。
「今まで目立った行動をしていなかったが……なぜ今さら動き出した?」
三年間、鳴りを潜めていたRAVEN。
それが今になって、銀行強盗という形で姿を現した。
蓮は拳を握りしめた。
「……何か企んでいるのか」
さらに画面には、銀行の前に集まる警察車両と、逃げ惑う人々の姿が映し出されていた。
『犯人たちは現在も逃走中です。警察は周辺の警戒を強めています』
蓮は画面を見つめていた。
拳を握る。
かつてなら、迷うことなく現場へ向かっていた。
だが、今は違う。
自分はもう、ノワールナイトではない。
「……行かないのか?」
相馬が尋ねた。
蓮は答えなかった。
「いや……悪い。今のは忘れてくれ」
相馬はテレビに視線を戻した。
「お前が決めることだからな」
沈黙が流れた。
やがて、蓮は踵を返し、地下へと下りていった。
相馬は振り返った。
「蓮……?」
蓮は黒いバイクの前で足を止めた。
車体に手を置く。
そして、静かに呟いた。
「……一時的だ」
相馬は黙って見つめていた。
「今度こそRAVENを倒す。それまで、ノワールナイトとして戦う」
蓮は顔を上げた。
その視線には、かつての強さが戻っていた。
「それが終われば……完全に引退するよ」
相馬は、わずかに口元を緩めた。
「ああ……」
蓮はバイクにまたがった。
エンジンが唸りを上げる。
三年間、止まっていた時間が動き始める。
黒い騎士が、再び影都へと走り出す。




