砂糖菓子の吸血衝動
初心者吸血鬼のお話。
ひどく喉が渇いていた。腹の虫も情けない声をあげていた。さみしい、誰かに会いたい。身体と心の双方が、どうしようもない寂寥感に苛まれていた。
「またか」
ため息混じりに吐き捨てられた台詞。
「……ぁ」
黙々と大量の焼き菓子を頬に詰め込んでいた白髪の少女は振り返り、彼女のすぐ後ろに佇む声の主を見上げた。
黒い髪に片目を隠された青年——ジャンヌと名乗った吸血鬼。呆れ顔で少女を見下ろす彼の瞳は彼女と揃いの苺色だった。
少女——ライルに目線を合わせ華奢な手首を強引に掴んだ彼は、その手に握られた小さな歯形付きの菓子を齧った。ライルの指先についた甘い油脂まで綺麗に舐めとってしまうと、今度はあからさまなため息をついて見せた。
「こんなもので吸血衝動ソレは癒えない。何度言ったら分かる?」
「すみません、まだ、慣れなくて……」
ライルの目蓋に重石がかかる。彼女の暴食はこれが初めてではない。元が人間である彼女はなかなか吸血衝動をそれとして受け入れることができず、見当違いな食事を繰り返していた。毎回、それを見つけたジャンヌが自身の左腕を適当に切りつけ、その傷口から血を飲ませていたのだったが——。
ジャンヌは掴んだままだったライルの手首を無理矢理引っ張り、投げつけるように側にあったソファへと押し倒した。
いきなり何するんですか、そう抗議しようとした口に手袋を外した手が強く押し付けられた。
「……ッ!」
半開きだった唇から覗いていた牙に人差し指の付け根が触れる。彼の意図を悟ったライルは顔を背けもがいたが、そんなことはお構いなしに手の力はどんどん強くなっていく。完全に身動きを封じられた彼女の涙目と、表情を消した彼の冷たい目が合う。
ライルは零した涙で恐怖を訴えるが、
「ダメ。ちゃんと自分の牙で噛んで、覚えて」
……ジャンヌは自身が親愛の情を寄せる者にめっぽう甘い。軽薄な笑みで利己的に人を甘やかす彼がこのような行動に出るのは珍しい。
仏の顔も三度まで、という訳ではないだろう。いやそもそもの話彼は仏と呼ぶには些か以上に意地が悪すぎるのだが……今はそれは横に置いておく。
コホン。
妥協するつもりは一切無い様子のジャンヌだが、眷属の名で強制することはしない。あくまでライル自身に吸血を求めている。
両者はしばらくの間視線で攻防を続けていたが、白旗を振ったのはライルの方だった。
ぎゅっと目を瞑ったまま、おそるおそる押し付けられた手に牙を突き立てる。ぶつり、と鋭利なそれが皮膚を突き破る気味の悪い快感。傷口からゆっくりとにじみ出した赤い血の味に、舌に残っていた砂糖の子供騙しの甘さと、自らの手で彼を傷つけることへの恐怖は簡単に掻き消されてしまった。
彼の血で濡れた牙をゆっくりと引き抜き、あふれ出した血液を舐めとる。仰向けの姿勢で飲み込む苦しさはあったが、反転してそれが彼女の口渇感に拍車をかけた。
……鼻先をくすぐる柔らかな髪の感触にふと顔を上げる。ライルはそこで自分がジャンヌに抱きついていたことに気がついた。
「わ、ぁあ……!す、すみません!」
慌てて距離を取ったライル。脱兎とはまさにこのことである。
首筋の、既に塞がりかけている噛み傷を撫でながら、僅かに紅潮した頬でジャンヌは笑った。
「はは、いやあ俺は一向に構わない。うん。お前から抱き締められるのも血を吸われるのも悪くなかったな!」
両手で顔を覆って項垂れるライル。過度な飢餓状態にあったとはいえ、己の都合で他人を傷つけることを良しとしない彼女。まして相手はジャンヌとなればその罪悪感と羞恥の大きさは想像に難くない。指の隙間から僅かに覗く頬は熟れた苺のごとく鮮やかな紅である。
「それで、血を吸う感覚は分かったか?」
「…………………………………………」
返答のないライルに構うことなく、意地の悪い問いかけは続く。
「……そう言えば前にも聞いたが、なあ、どうだった? 俺の血の味は」
「…………………………………………」
俯いたまま黙秘権を行使し続けるライル。
「意識が飛ぶほど、美味しかった?」
沈黙。その間たっぷり38秒。
「……フレーズ」
「…………………………これまで口にしたものの中で、1番、美味しかったです……」




