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ストロベリーソーダの落掌

ライルとジャンヌの最初のお話。ジャンヌ側。


  夜の街、家屋の屋根を足場に、飛ぶように走る青年が一人。

「今の今まで放置していたくせに、こんな時間になって閉店だからと追い出すか? あの猫め……泊める気がないなら日没前に起こせよな……!」

 現状とそれを作り出した相手に悪態をついてはいるが、本来ならばむしろ彼は夜行性である。

 夜の支配者、不死者の王などの二つ名を持つ存在——吸血鬼。

 暗闇に弱点を持たない彼が、不機嫌な顔で道を急ぐ理由。それは十二月の寒さと、店を追い出されたことへの反感。

 まあ本来なら店側も閉店時間ギリギリに追い出すようなことはしないのだが——。全ては彼の日頃の行いによるところ。つまりは自業自得であった。


 ——ふと、足を止める。冬の空気の冷たい香りの中に、血の匂いが混ざっていた。

 根っからの快楽主義者である彼は、好奇心の赴くままその匂いを辿った。


 ここは人間たちの自治区である都市の外れの街。人類の約半数がこの巨大な都市で暮らしている。悪鬼羅刹がうごめくこの世界で、人は正しく葦であった。

 己を守る力も獲物を狩る牙も爪も持たぬ脆弱な人間は、生存のために叡智を求めた。科学と魔術の研究に死力を注ぎ、その高い社会性もって群れを作り、この閉ざされた楽園を作り上げた。

 もちろん、都市の外に住まう人間や他種族との交流を断絶しているわけではない。志願すれば誰でも内外を自由に行き来することができるし、許可を得た他種族たちが都市内に訪れることも少なくない。彼のように勝手に入ってくる奴もたまにいる。


 *


 辿り着いた場所は、平和であるはずの街に似合わない鮮烈な赤で彩られていた。

 開け放たれた玄関から勝手に中に入る。足音を殺し、少女と思しき人影に近づく。

 長い白髪の先を赤く染めた少女は、既に熱を失ったソレに、何度も何度も、刃を振り下ろしていた。

 青年は部屋の中をぐるりと見回した。ソファに横たわる白髪の女は、さしずめ少女の母といったところだろう。そしてその首に致命傷を与えたのはおそらく、少女の手にある黒いナイフ。ならば2人を殺したのはこの少女か——否。死体の状態が違いすぎる。白雪の姫を彷彿とさせる姿の女、かろうじて人型であることがわかるソレ。同一の感情をもって刃を振るわれたとは思いがたい。

 で、あれば。目の前の少女は、ソレに母を殺された。そしてその仇を討ち、この鮮血の舞台を作り上げた。大方、そんなところだろう。

 青年は少女に近づき、華奢な腕が振り上げられると同時に掴み動きを止めた。見つけてしまった以上、放ってはおけない。面倒だが軍警に連れて行くかと——。

 力なく振り返った少女の瞳。驚きの色に変わる1秒前、眼下の死体に向けられていたであろう色。

 人工的なまでに鮮やかなライトブルー。今にも溢れ出しそうな怒り、悲しみ、憎悪を称えた水面のような瞳に、彼は心を奪われた。

 笑みが張り付いたままの青年は、はっと我に帰り、少女に声をかけた。どさくさで奪い取ったナイフには見覚えがあったが、今はそんなことどうでもいい。

 ——有り体に言えば、一目惚れ。激情に揺れた瞳を己に向けさせたい。彼女の心から血の一滴に至るまで、全てを手に入れたい。傍目から見れば歪んだ征服欲、彼に言わせれば純粋な愛情。今の彼にとって、その熱よりも優先すべきことなど存在しなかった。


 彼は少しの嘘を混ぜながら、自らのもとに来るよう少女に誘いをかけた。


「もしくは軍警に全て任せるという手もある……が、この状況……。この街の軍警は優秀だからな。気を病んだ娘による一家心中、娘は呵責に耐えきれず自ら死罪を志願。それで片付けられるだろうな。……どうする?」

 少女に選択肢を与えているようで、実際は連れて帰る気満々である。

 困惑する少女の様子は見ていて飽きないが、あまり悠長にもしていられない。彼のような野次馬がいつ現れないとも限らない。

 何か決定打になるものは……。ふと思い出した様に彼はソファに目を向けると、すぐに少女に向き直った。

「お前の母の望みを叶えたいなら、俺の手を取れ」

 そう告げながら、手袋を外した手を少女に差し出した。

 先程までとは明らかに違う少女の反応。戸惑いは残るものの、彼女は確かに彼の手を受け入れた。

 彼女の手が自らの手に触れた瞬間、彼はその手に指を絡ませ、強く握った。——まるで、もう何があろうと離しはしないと言うかのように。

 満足気な笑みを浮かべた青年は、少女の身体を抱き寄せ、勝利宣言さながらに名乗りをあげた。

「俺はジャンヌ。察しの通り人間じゃない。吸血鬼だ。お前は?」

「……ライル。ライル・フォートリエです」

 彼女の名を呼び、唇が触れる一瞬手前の距離で目を合わせる。意識が途絶えたことを確認し、両腕で抱き抱える。

 再び走り出した彼の足取りは、先程とは打って変わり軽やかだ。思わぬ拾い物をしたと鼻歌を歌う青年の手の中、月明かりに少女の髪は煌めいていた。


 *


 コーヒーを淹れる。いつもは一人分だが今日は二人分。硬いコーヒー豆がすり潰されていく感触を愉しみながら、昨晩の事件を思い出す。

 言わずもがな、ジャンヌの自宅は人間の自治区外にある。彼は少女を連れ帰った後、再びあの場所を訪れていた。

 夜が明ける頃になってようやく顔を出した軍警には話をつけてある。ここで起こったことの顛末と彼女の身柄について。面倒事が嫌いな彼らは金と権力の奴隷だ。唯一の目撃者であり、ソレイユの名を持つジャンヌの証言と提案に一切の異論を唱えることなく、いっそ清々しいほどの手際で事件に蓋をしてしまった。

 ジャンヌが軍警から手に入れた情報もある。一つ、現場に残された二名の死体のうち、損傷が著しい方―つまるところ少女によって殺害された者は、彼女の父親であること。二つ、その父親は十数年前から捜索依頼が出されていたが、自治区外に拠点を持つ組織に所属しており、拘束は困難とされていたこと。

 少女から奪い取った黒いナイフ。既視感のあったそれは武器の密売組織で取り扱われる定番商品だった。柄同様に黒く光る刃には、粗悪ではあるが致死と防遏の魔術が編み込まれている。肉体に突き刺さった刃は、触れた部分から死を与えていくと同時に血液を吸い取り外部へ吐出す。最低限の裂傷のみで命を奪い、鮮度を保つことのできるそれは幻獣の密猟などに重宝されている。——ちなみに、その特性から“ヴァンパイアナイフ”という俗称を持つが、吸血鬼たちは非公認である。

(おそらく、父親が所属していた組織というのはこの武器の密売組織だろう)

ジャンヌの予想は当たっていた。


 件の少女。彼女は今、彼の自室のすぐ隣の客室に寝かせている。そろそろ強制的に奪った意識が回復する頃だ。様子を見に行こうと、二つのカップを手にした彼は階段に向かった。すると彼女——ライルと名乗った少女が、不安そうな顔で手すりに寄りかかっていた。無事に目覚めた彼女の姿に安堵した彼は喜色を隠すことなく、挨拶もそこそこに同席を求めた。

 両手をふさいでいたカップを片方、ライルに渡した。両手に包まれた黒い水面をただ見つめ続ける白髪の少女。

 ジャンヌは目を細め、湯気の上がるカップを顔に近づけた。

「あの、昨日は、あれからどうなったんですか? あなたは一体何者なんですか? どうして私を助けたんですか?」

 ライルは意を決した様子で水色の瞳をこちらに向け、堰を切ったように次々と疑問を投げつけた。

 コーヒーを一口飲んでから、彼女とは対照的に落ち着いた様子で口を開く。返答に虚偽は混ぜない。しかし全ては語らない。晒せる範囲内で本音を明かす。浮かべる表情は感情のままに。

 ライルの質問に全て答え終えると、再び沈黙が二人を包んだ。ふいに顔を上げた彼女と視線が交わった。ジャンヌがふにゃりと優しい笑みを投げかけると、彼女はその瞳に安堵とも決意ともつかない色を浮かべた。

「……ありがとうございます。お言葉に甘えて、しばらくの間お邪魔させていただきたいです。あっ、私にできることがあれば、何でも言ってください!」

「うん。良かった。あの部屋をそのまま自室にしてくれ。この家の物も自由に使ってくれて構わないからな。」

 嬉しそうに笑うジャンヌだが、彼女がこう答えるよう誘導したのは彼自身だ。——選択肢を与え、自分で判断したかのように思わせるから(タチ)が悪い。

 話はこれで終わり。空になったカップを片付けるために席を立とうとするジャンヌを、ためらいがちな様子で発せられた声が引き留めた。

「ところで私の身体、やけに綺麗なんですが……。それに、この服も……」

 ピシリ——と、そんな擬音が聞こえてきそうなほど分かりやすく硬直したジャンヌ。完全に失念していた。昨夜連れ帰った彼女は返り血に濡れ、そのまま寝かせておくには気が引ける状態だった。服を脱がせ、汚れを丁寧に拭き取り、来客用の寝間着を着せた。断りもなく素肌を晒させたことに呵責を感じなかったわけではないが、如何せん彼は吸血鬼である。新雪の肌の下に流れる血潮を指先に感じながらも、必死に誘惑に抗ったのだ。むしろ褒めて欲しいくらいである。

 だが、そんな事情は目の前にいる年頃の娘の知ったことではない。観念した彼は呼吸を整え、勢い良く謝罪した。

「いえ、いいんです、むしろ、お礼を言うべきですよね…。」

 羞恥が滲む声で発せられた予想外の返答。平手を覚悟していたジャンヌは彼女の様子に目を白黒させた。必死でこの場を乗り切る言葉を探す彼であったが、ついに最適解を見つけることはかなわなかった。


 *


 ジャンヌがライルと出会ってから数ヶ月がたったある日、彼は大事な話があると彼女に呼び出された。

「…私は、あの街には帰らないことにしました。帰っても、母はもういない。私には、あそこで生きる意味がないんです」

「ただ、一つだけ、やりたいことが見つかりました。あなたにお礼がしたい。傲慢な自己満足であることはわかっています。それでも、あの夜私を救ってくれた恩に報いたいんです」

 ライルがまだ話し終わらないうちに、ジャンヌは口を開いた。

「だったら! このまま一生俺と添い遂げてくれ! 前にも言ったが、ライル、俺はお前が欲しいんだ。恩返しがしたいというのならそれが一番の方法だぞ!」

「手持ち無沙汰を感じるなら、知り合いの店を紹介しよう! 丁度人手が欲しいと言っていたしな。気のいい店主だ。きっと気に入るぞ!」

 嬉しさを満面に称え、今までで一番の笑顔で答える。

「そ、そうですか。ジャンヌが望むなら、その通りにします。……添い遂げる、というのは少し言い換えさせていただきたいですが」

 握りしめた彼女の両手から優しく返された力に、支配欲が満たされるのを感じていた。共に過ごしていくうち、二人はお互いについて理解を深めていった。吸血鬼と人間では少なからず価値観に相違がある。その上で自分とともにあることを選んでくれたのだ。それが嬉しくて仕方なかった。

 ジャンヌは新しいおもちゃを見つけた少年のように上機嫌だった。これからは彼女の血も、心も、思うままに楽しめる。——飽きたら食い殺してしまえばいい。享楽的な彼は、完全に彼女を手に入れたことにただ心を躍らせていた。


 *


 ある夜、ジャンヌは家屋の上を全力疾走していた。デジャヴである。というのも、彼はライルと待ち合わせをしていた。以前彼女に話した店の店主に会いに行くためだ。店の閉店時間は遅く、彼が仕事から帰る予定時刻の丁度半刻後だった。先に街で待つように彼女に伝えてあった。——だというのに、なぜ今日に限ってギリギリで新しい仕事が舞い込むのか。基本的に運のいい彼には珍しいハプニングだった。

 無情にも進む秒針を睨み、街道に降りる。道を急ぐ彼の前に人影が飛び出した。

「……っ! おい! 人にみられた! どうするんだ!?」

「見られたんなら殺しちまえ! この際一人も二人も変わらねえよ!」

 随分と物騒なことを言ってくれる。ジャンヌはごく普通に入ってきてしまったが、よく見ると人除けの魔術が張ってあったようだ。銃口を向ける二人組であったが、相手が悪かった。ジャンヌは引き金が引かれるより早く二人の背後に回り、適当に殴った。いい感じに失神してくれた二人から奪い取った黒い拳銃をしげしげと見た。

(黒い銃身、貧弱な結界……。そしてこの男の言動、まるで俺以外にも殺す対象がいるかのような……まさか……!)

 嫌な予感がした。彼は踵を返し、結界の中を走り出した。


 *


 覚えのある血の匂い。近づくほど鮮明になるそれと、血の海に沈むよく知った少女。一呼吸で距離を詰めたジャンヌ。彼は少女の傍らに佇む男のうなじに銃口を当て、一切のためらいなく引き金を引いた。乾いた音が響き、空になった薬莢が月光を反射しながら宙を舞う。訳も分からぬまま絶命した男の身体を蹴り飛ばし、少女のもとへ跪く。比喩抜きに首の皮一枚の彼女に触れたとき、ドクン、と心臓が激しく脈を打った。

 これほどまでの焦燥に駆られたことは今まであっただろうか。彼女を拾ったのはほんの気まぐれ。言うなれば、命の重さを知らぬ少年少女が捨て猫を拾う感覚となんら変わりない。彼女への好意に偽りはないが、飽きればそれまで、そう高を括っていたのもまた事実だった。

 ——だというのに。今、彼を支配しているのは紛れもない恐怖心。彼女の死が、彼女を失うことが、どうしようもなくこわかった。

 虚ろに開かれた水色の目には光は無い。だが、一つだけ。助ける方法があることを彼は知っていた。定番はやはり首筋なのだが、如何せん裂傷が激しすぎる。視線を移した彼は、赤黒く染まったブラウスを引き裂き下着をずらした。露わになった左胸。その柔らかい肌に牙を突き立てる。血液を吸い上げると同時に、自らの力を少女に流し込む。

 数分間、たっぷりと時間をかけてその行為を終えた彼はゆらりと立ち上がった。あの夜と同じように少女を抱き上げ、暗闇の中に溶け込んでいった。


 *


 ライルが再び目を覚ましたのは、今ではもう見慣れたあの部屋だった。身体を起こすと、彼女の傍ら、ベッドにもたれかかって眠るジャンヌが目に入った。彼女はハッとして自分の首に触れたが、何ともない。

「……ん。あぁ、良かった。目が覚めたんだな」

 あくびを噛み殺しながらジャンヌが目と口を開いた。

「あ……ジャンヌ。ええと、すみません。ひとまず水を貰ってもいいですか?なんだかすごく喉が渇いて……」

 混乱しながら要望を伝えた彼女に、彼は静かな声で答えた。

「そうしてやりたいところなんだが、その渇きはおそらく、水では癒えない。」

「……え。それは、どういう…」

 更に混乱する彼女。彼は順を追って全て語った。——ライルが襲われ、一週間眠っていたこと。犯人は父親の属していた組織の者で、取り立てを命じられていたこと。その組織はジャンヌがこの一週間のうちに壊滅させたこと。そして、致命傷を負った彼女をどのように救ったのかということ。

 ジャンヌは手鏡を差し出した。ライルは手鏡を受け取ると、怪訝な表情で覗き込んだ。鏡の中の少女の瞳は、鮮やかなストロベリーソーダだった。ポカンと情けなく開いた唇の隙間から、二本の鋭い牙が覗いている。彼に促されるまま左胸に視線を移すとそこには、苺の花と荊を模った刺青のような印が浮かんでいた。——ジャンヌは、ライルを己の眷属とすることでその命を繋いだのだ。

 瀕死だった彼女は存在の塗替えと治癒に膨大な時間が必要だった。一週間もの間眠り続けていたのはそのためである。そして今日、吸血鬼として目覚めた彼女を襲った喉の渇きは、吸血衝動によるものだった。

 意外にも落ち着いた様子で彼女は口を開いた。

「……私は、私の命は、あの夜あなたに救われた時からずっと、あなたのものです。ですから、あなたがそれをどうしようと、嫌がるわけはありません。あぁ、むしろ少し嬉しいくらいです。あなたと同じ色が、心地良いんです、ジャンヌ」

 紅色の瞳を細め、花のように微笑んだ吸血鬼の少女。

 ——同じ色が心地良い。そう告げられたジャンヌは改めて変容したライルを見つめた。白い髪と肌に映える華やかな瞳。苺のように愛らしい唇からこぼれる牙。胸の所有印。その全てが、彼女が自らの眷属であることを強く意識させてくる。言いようのない興奮。愛おしさが溢れて止まらなかったが、ふと思い出したように口を開いた。

「そうだ、喉が渇いていたんだったな」

「あ、はい……って、え、ちょっと待っ……ンゥ……ッ!」

 ジャンヌは舌を噛み、口内を自身の血で満たす。そのままライルの唇を奪い、口移しの要領で血を飲ませた。

 跳ね上がる心臓。彼女は驚きと緊張で身体を強張らせた。こじ開けられた口に彼の血が流れ込む。思わず飲み込んだ彼女は、急速に渇きが癒えていくのを感じた。不思議な感覚だったが、決して不快ではなかった。


「……っふ……はぁ……!」

 かなりの時間口を塞がれ、窒息寸前だったライルは酸素を取り込もうと目一杯に息を吸った。その様子を涼しい顔で見ていたジャンヌは笑いながら言った。

「うん。初めての血の味はどうだった?これからはライルも血が欲しくなったらいつでも言ってくれ」

「……できればこの方法は二度と取らないでほしいですけどね」

 耳まで紅潮させたライルは怨嗟を込めた声でそう吐き捨てたのだった。


 さて、二人が今の関係になるまでのお話はここまで。この後は面白おかしく、終わらない日常を紡いでいくでしょう。


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