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ライトブルーの喪失

ジャンヌとライルの最初のお話。ライル側。エピローグはストロベリーソーダの方に入れました。


  白い息を吐きながら、少女は暗がりの道を急いでいた。今日という日に限って講義が長引くなんて、不幸体質も絶好調のようだ。

 予約どころか閉店時間もとうに過ぎているにもかかわらず、店を開けてくれていた菓子店のオーナーには感謝しかない。次に来店するときは商品を買い占めるつもりで行こう。少女は静かに誓いを立てた。

 今日は最愛の母の誕生日だ。一年で一番大切な日。今年のプレゼントは喜んでもらえるだろうか? 母の笑顔を想像しながら、少女は意気揚々とドアを開けた。


 ——しかし、そんな幸せな想像はすぐに打ち壊された。

 冷たい床の上で血を流す母の姿。

 何が起こっているのか、理解できなかった。


「母さんッ!! いやだ、うそ、お願い、起きてください……!」

 12月の気温のよりもずっと冷たくなった頬に触れて、ようやく頭が思考を再開した。

どうすればいい?手当ては?もう手遅れ?人を呼ぶべきか?そもそもなぜ?どうしてこんなことになった?いったい誰が——

「ああ、久しいな。予想通り、良い娘に育ったじゃないか。」

 溢れ出した疑問に答えるようにかけられた声に、少女は凍りついた。

 聞きなれない声。それなのに、その声の主が何者なのかすぐにわかった。

 私が生まれたと同時に姿を消したと聞かされていた、私の、実の父親だ。


「なんだ、せっかくの再会に挨拶も無しか? まぁ良い。お前達に用があったんだが——」

 こちらの様子などお構いなしに語られた顛末をまとめると、つまりこういうことらしい。父は仕事で大きな失敗をしてしまい、所属する組織に多額の借金をした。返済の期限が迫るが、金は全く用意できていない。そこで妻子を売ることを思いつき、この家に足を運んだ。

「あぁ、その女はお前を守るとか何とか喚いて抵抗したからな。仕方ない。お前は大人しくしていろよ?」


 母の白い首に似合わない真っ黒なナイフをそっと引き抜くと、少しだけ血が溢れた。致死の魔術でもかかっていたのだろうか。血の流れた跡のあるその傷以外、母の体は綺麗なままだった。


 *


 ——そこから先、何を考えて、どう動いたのか、彼女はよく覚えていない。

 ただ、何度もナイフを振り下ろしたせいでひどく痛む両腕と手のひら。

 それでもなお沸き上がり続ける、眼下の肉塊への怒りと殺意。

 はっきりしているのはそれだけだった。

「……?」

 振り上げた腕が動かない。思わず振り返った少女の眼前に、黒い髪の見慣れない青年が笑みを浮かべていた。

「……あなたは、いったい……」

 絞り出した疑問は至極真っ当なもの。不自然に開け放たれた玄関と明かりに誘われたただの野次馬なら、悲鳴を上げ、軍警を呼ぶだろう。しかし目の前の彼は、血に濡れたこの状況を楽しんでいる様子すらうかがわせる。とてもではないが常人とは思えなかった。

 彼は笑みを崩すことなく答えた。

「あぁ、驚かせてすまない。偶然近くを通ったんだが、血の匂いが気になってな。勝手に様子を覗きに来たんだ。」

 不法侵入の件も謝ろう。そう付け足すと、少女の手からナイフを抜き取った。

「興味本位で来てみたが大正解だな! 見つけてしまったからには放って置くわけにはいかない。お前、これからどうするつもりだ?」

 どうするつもりだ、などと急に言われても、答えられる訳がない。つい先刻まで感情に任せて刃を振るっていたのだ。後先など考えているはずがないのは自明の理だ。

 沈黙するしかない少女。その反応を半ば予想していた彼は至極楽しそうに口を開いた。

「あてが無いのなら俺と一緒に来るといい。目の前の憐れな人間を見捨てることなどできないからな!」

 続けて彼は言う。

「もしくは軍警に全て任せるという手もある……が、この状況……。この街の軍警は優秀だからな。気を病んだ娘による一家心中、娘は呵責に耐えきれず自ら死罪を志願。それで片付けられるだろうな。……どうする?」

 そんなこと急に言われても、分からない。

少女は血に濡れた自らの手を見つめた。思慮を試みても、頭が働かない。ただ分からない、分からない、その5文字だけが彼女の中を駆け巡っていた。

 困惑する少女をしばらく見守っていた青年は、先程までの楽しそうな雰囲気を消して静かな声で諭した。

「言い方を変えるか、そうだな……」

 彼は少女の母を一瞥し——

「お前の母の望みを叶えたいなら、俺の手を取れ」

 そう言って手袋を外し、少女に手を差し出した。

「母さん……の……」

 小さく呟いた少女は僅かな逡巡の後、青年の手に弱々しく触れた。

 満足気な笑みを浮かべた彼は少女の手を強引に取り、指を絡ませた。

「俺はジャンヌ。察しの通り人間じゃない。吸血鬼だ。お前は?」

「……ライル。ライル・フォートリエです」

 急に身体を引き寄せられたことに驚きながら、少女は小さく名乗った。

「はは、うん。よし。ライルか。」

 ジャンヌが心底楽しそうに、牙を剥いて笑った。

 吐息のかかる距離でストロベリーソーダの瞳が綺羅と輝く。その光景を最後に、ライルの意識は途絶えた。


 *


「……っ。あれ、ここは……?」

 見知らぬ天井。普段使っていたものより一つ大きいサイズのベッドの上、少女は目を覚ました。鉛のような身体を起こし、昨晩の記憶をゆっくりと反芻する。

(そうだ、私は……!)

 全て思い出した彼女はよろけながら立ち上がり、彼を探すためドアノブに手をかけた。


 幸いにも、目当ての人物はすぐに見つかった。部屋を出てすぐの階段を降りて周囲を見回すと、両手にコーヒーカップを持った彼とちょうど目が合った。

 少女に気がついた彼は嬉しそうに笑った。

「おはよう、ライル。ちょうど様子を見に行くところだったんだ」

 そう言うと彼―ジャンヌと名乗った吸血鬼の青年は、少女——ライルに椅子を勧めた。

 促されるまま着席し、カップを受け取る。しばしの沈黙。口火を切ったのは、ライルの方だった。

「あの、昨日は、あれからどうなったんですか? あなたは一体何者なんですか? どうして私を助けたんですか?」

 次々と飛び出す質問。彼はコーヒーを一口飲んでから、ゆったりと答えた。

「まぁ落ち着いてくれ。順番に説明する。まず、昨晩のことだが、朝方になって軍警が視察に来てな。強盗による殺人、娘は行方不明で片付けられている。」

 娘が見つかれば口裏を合わせるよう誘導するそうだ。彼はそう付け足して言った。

 あの状況を強盗の仕業の一言で片付けるのかと、軍警の仕事の粗さに彼女は絶句した。彼らの事なかれ主義、隠蔽体質は噂に聞いていたが、まさかここまでとは。

「で、俺の話だな。改めて自己紹介しようか。ジャンヌ・ソレイユ。極々善良な吸血鬼だ。自慢ではないがそこそこ権力のある血筋でな。軍の情報もそこら辺の濫用で仕入れさせて貰った」

「そ、そうなんですね……」

 濃いピンク色の目を細めて続ける。

「お前を助けた理由だが、うん。それは簡単だ。——お前に惚れたからだな。救いたい。共に過ごしたいと思ってしまった」

 二度目の絶句。急に真剣な声で告白されたライルは頬を紅潮させ、彼から目を逸らした。

「話すべきことはこんなところか。これからだが、気持ちの整理がつくまでここにいるといい。……俺としては、このままここで暮らしてもらいたいがな!」

 軽い口調に戻して彼は笑う。——正直、まだ混乱しているのは事実だ。わざと考えないようにしていたが、記憶が首をもたげる度に強烈な吐き気が襲ってくる。最愛の母の死、自身が犯した罪。すぐに受け止められるほど少女は強くない。だが、本当に彼を信用して良いのだろうか?紅い瞳の奥に、どこか獰猛な影を感じていたのもまた事実だ。

 ——ふと、彼を見る。目が合うと彼は子供のように、ふにゃりと優しく笑った。

 この笑顔に、甘えてしまいたいと思った。

「…ありがとうございます。お言葉に甘えて、しばらくの間お邪魔させていただきたいです。あっ、私にできることがあれば、何でも言ってください!」

「うん。良かった。あの部屋をそのまま自室にしてくれ。この家の物も自由に使ってくれて構わないからな。」

 はい。とライルは小さく頷いた。

 すっかり冷めてしまったコーヒーを一口飲む。酸化した苦みが舌に残った。——もう一つだけ、聞きたいことがあった。もしかしたらうやむやにしていた方が幸せかもしれない。そう思いながらも彼女は尋ねてしまった。

「ところで私の身体、やけに綺麗なんですが……。それに、この服も…」

 そう、彼女の身体には返り血の一滴も無く。身を包むのは見たこともないネグリジェだった。

 ジャンヌは笑顔を貼り付けたまま硬直し、深呼吸をしてから口を開いた。

「………すまん!!!!」

 俯いてしまったライルの表情は見えない。が、真っ赤な耳とうなじは彼女の心情を察するには十分すぎた。

「いえ、いいんです、むしろ、お礼を言うべきですよね……」

 震える声を絞り出す。

 ジャンヌは必死で彼女にかける言葉を探したが見つからず、二人は揃ってうろたえるしかなかった。


 *


 ライルがジャンヌのもとに身を寄せてから数ヶ月がたった。生活を共にするうち、彼について幾つか判明したことがある。


 一つ、ジャンヌの性格について。彼は“極々善良な吸血鬼”などではない。ライルの目から見た彼は生粋の快楽主義者だった。刹那的な性格で他人を顧みない。基本的にやりたいことしかしないが、享楽のためには労をいとわない。そしてそれを可能にするだけの力を持っている上に、どういう訳か言動から悪意を感じさせないのだから(タチ)が悪い。


 二つ、彼の語っていた“権力のある血筋”について。ライルがジャンヌから聞かされた話はこうだった。


 ——昔、吸血鬼には王がいた。今でこそ個体によって大きな能力差は無くなった彼らだが、かつては違っていた。周囲とは異なった強い力を持つ者たちが集い、交わり、その血をより濃いものとし、恐怖による支配をもって王政を築いた。そしてその王家の血族、いわゆる貴族たちの末席に座していたのが、ジャンヌの祖先だった。彼らに与えられた使命は世の平定を乱す不埒者の断罪。つまり彼らは処刑人であった。

 王による統治はうまくいっていた。——虐政に耐えかねた民が反旗を翻すまでは。

 王はすぐに彼らの処刑を命じたが、そもそもこの叛乱を企てた張本人は処刑人の一族であった。当時の当主は王の首を落とし、夜明けの光をもって荼毘に付した。王は強い力を有する代償に、銀と太陽に弱点を持っていた。特に太陽は致命的で、日光にさらされた頭部はたちまちに燃え尽き、灰となって崩れ落ちた。

 王族の支配から解放された吸血鬼たちは、彼らに自由を与えた処刑人の一族をソレイユの名で呼んだ。——王家の犬として容赦なく同族を狩った過去と、黎明の中で悪王に引導を渡した姿に畏敬と僅かな皮肉をこめて。


 三つ、彼の仕事について。先に述べたように、ジャンヌの家にはそれなりの権力がある。彼の一族には、王を打倒しただけでなく、混乱の中にあった吸血鬼たちの一時的な主導者として働いていた功績がある。その名残で、現在も吸血鬼や関連する種族の秩序の守護に一役買っており、それによってそこそこ大きな力を得ていた。ジャンヌもソレイユの血族の一員として、与えられる仕事をこなしていた。


 彼女の話に戻そう。与えられた時間の中で熟考を重ねた彼女は、己の身の振りの思案と感情に決着をつけた。大事な話がある、そう切り出した彼女は導き出した答えをジャンヌに伝えた。

「…私は、あの街には帰らないことにしました。帰っても、母はもういない。私には、あそこで生きる意味がないんです」

 泣きそうな声で彼女は続ける。

「ただ、一つだけ、やりたいことが見つかりました。あなたにお礼がしたい。傲慢な自己満足であることはわかっています。それでも、あの夜私を救ってくれた恩に報いたいんです」

 どのような形になるかはまだ見当もつきませんが——彼女の言葉を、目を輝かせた彼が遮った。

「だったら! このまま一生俺と添い遂げてくれ! 前にも言ったが、ライル、俺はお前が欲しいんだ。恩返しがしたいというのならそれが一番の方法だぞ!」

 急に詰め寄られ、両手をしっかりと握られたライル。目を白黒させる彼女に構わず、ジャンヌは嬉しそうに続けた。

「手持ち無沙汰を感じるなら、知り合いの店を紹介しよう! 丁度人手が欲しいと言っていたしな。気のいい店主だ。きっと気に入るぞ!」

 怒涛の勢いで語る彼に気おされながら、彼女は何とか口を開いた。

「そ、そうですか。ジャンヌが望むなら、その通りにします。…添い遂げる、というのは少し言い換えさせていただきたいですが」

 少し困った笑顔でライルは答えると、彼の手を優しく握り返したのだった。


 *


 ある夜、ライルはジャンヌと待ち合わせをしていた。彼の言っていた“知り合いの店”に、面接に行くためだ。彼からライルを紹介された店主は、申し出を快く受け入れてくれた。一度顔を見たいという店主に会いに店に行くため、彼女はジャンヌが仕事を終えてくるのを待っていた。月が出ているとはいえ、申し訳程度のランタンが置かれただけの街道は昼間とは別の場所に思えるほど暗く不気味だった。

(仕事、大変なんでしょうか……)

 時間になっても現れないジャンヌを少し心配しながらも、まあ彼のことだから仕方ないか。と、手元の時計から顔を上げた。


 ——その瞬間。背後から伸びる何者かの大きな手がライルの口を塞いだ。


 突然のことに混乱した彼女は必死でもがいたが、両腕も拘束され身動きが取れない。口を塞いでいた手が彼女の顎を掴み、グイ、と無理矢理持ち上げた。睨み付ける形で顔をあげると、こちらの顔を覗き込んできたその男と目が合った。

「オイ、そいつがフォートリエの娘で間違いねえのか」

 遠くから響いた声に、目の前の男が答えた。

「ああ。違いねえ。特徴は一致している。それに奴に良く似た匂いがする」

 ——フォートリエの娘。その言葉の意味を悟ったライルは瞳にあの夜と同じ色を浮かべた。

「まァそうおっかない顔しなさんな。嬢ちゃん、あんたちょっとした有名人だぜ? あんたの父親、まっさか担保にした娘に殺される羽目になるなんてなア!」

間抜けにも限度があるだろ、と男は笑う。

「嬢ちゃんに恨みは無いんだがよ、契約は契約だからな。すまんね。」

 男は吐き捨てるとその凶爪で少女の細い首を搔き切った。傷口から溢れた真っ赤な血が気管と喉を満たし、呼吸どころか悲鳴をあげることすら叶わない。彼女はなすすべなく男の足元に崩れ落ちた。

「よし、おいお前ら、予定通り首は装飾品に、下はバラして——」

 仲間に呼びかけたと思しき男の声を遠くに聞きながら、途絶えつつある意識の中でライルは亡き母と吸血鬼の青年に謝罪した。

(ごめんなさい。結局私は、誰の望みも叶えられなかった)

 ここで、悲壮な運命を背負った少女の物語は幕を閉じるはずだった。——舞い降りた一匹の蝙蝠が、男の延髄を撃ち抜かなければ。


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