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氷河期ストレージ ~雪が止んだ日、世界は再び動き始めた~  作者: 宵白レン
第一章

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第87話 Day 60 役にたつこと

朝霧は玄関まで歩いていくと、扉を開ける前にドアスコープを覗いた。


廊下には数人の住民が立っていた。その中には以前診察したことのある顔もあり、朝霧は一瞬だけ眉を寄せたものの、誰かの具合が悪くなったのだろうと思い、扉越しに声をかけた。


「どうしました? 誰か具合が悪いんですか?」


返事はすぐにはなかった。


廊下にいる住民たちは互いに顔を見合わせ、やがて一人の女が口を開いた。


「先生、ちょっと確認したいことがあるんです」


「確認?」


「前に主人を診てもらった時のことなんですけど……先生、最初は薬がないって言いましたよね?」


朝霧は少し考え、すぐにその時のことを思い出した。


「ああ……はい」


「でも、そのあと部屋に戻って薬を持ってきましたよね?」


「持ってきましたけど、それがどうかしました?」


女はすぐには答えず、後ろにいる住民たちへ一度視線を向けてから、再び扉へ向き直った。


「あの薬、先生が自分で持ってたものだったんですよね?」


「……そうです」


「他にも持ってるんですか?」


その質問で、朝霧にもようやく住民たちが何をしに来たのか分かった。


「もうほとんど残ってません」


「ほとんどって、少しはあるんですよね?」


「ありますけど、薬ですよ?」


朝霧の声に戸惑いが混じった。


「体調を崩した人が出た時のために残してあるものです。それに私自身が必要になる可能性もありますから、全部使ってしまうわけにはいきません」


女の後ろにいた男がそこで口を挟んだ。


「食料は?」


朝霧は一瞬、言葉の意味が分からなかった。


「……食料?」


「先生も持ってるんじゃないですか?」


「何を言ってるんですか?」


「昨日、代表たちの部屋からかなり出てきましたよね。今日も高橋の部屋から出てきた。先生も前は代表たちと一緒に動いてたじゃないですか」


「だから私も隠してるって言いたいんですか?」


朝霧の声が少し低くなった。


廊下にいる住民たちは黙った。


朝霧はその沈黙だけで十分だった。


「……帰ってください」


「先生、確認するだけなんです」


「お断りします」


「何もないなら見せてもらっても――」


「嫌だと言ってるんです」


朝霧ははっきりと言い切った。


「ここは私の部屋です。皆さんに中を調べられる理由なんてありません」


住民たちの間に短い沈黙が流れた。


少し前までなら、それで終わっていたかもしれない。


朝霧は寒波が始まってから何人もの住民を診察し、怪我人の手当てもしてきた。夜中に呼ばれても断らず、薬が足りなくなってからも必要な人間には自分の持っているものまで使っている。


そのことを知っている住民も、この場にはいた。


しかし、昨日からこのマンションでは、別の考え方が当たり前になり始めていた。


何もないなら見せればいい。


隠すということは、何か持っているということだ。


最初は代表だった。


次は高橋だった。


そして、どちらの部屋からも実際に食料が出てきた。


「先生、本当に確認するだけですから」


「帰ってください」


「だったら何で見せられないんです?」


「私の部屋だからです!」


朝霧が珍しく声を荒らげた。


その瞬間、廊下にいる住民たちの表情が変わった。


怒ったから怪しい。


拒絶するから怪しい。


一度疑い始めた人間にとって、朝霧が何をしても、そのすべてが疑いを補強する材料になっていた。


「……やっぱ何かあるんじゃないのか?」


誰かが呟いた。


「ちょっと待ってください。何を――」


朝霧が言い終えるより早く、玄関扉へ大きな衝撃が走った。


ドンッ!


朝霧は驚いて扉から離れた。


「やめてください!」


ドンッ!


二度目の衝撃で扉全体が大きく揺れる。


「何してるんですか! やめて!」


「確認するだけだって言ってるでしょ!」


「開けてください、先生!」


「開けません! 帰ってください!」


しかし、住民たちは止まらなかった。


昨日は代表たちの部屋へ押しかけ、今日は高橋の部屋にも押しかけた。


そのどちらでも食料が大量に見つかっており、入った住民はそれを自分のものにしている。


それなら、自分たちだって――


何度目かの衝撃で鍵の周辺が大きく歪み、朝霧が慌てて扉から離れた直後、玄関扉が勢いよく開いた。


「きゃっ!」


朝霧は後ろへよろめき、壁へ手をついた。


数人の住民が室内へ入ってくる。


「出ていってください!」


「何もなきゃすぐ帰りますから」


「勝手に入らないで!」


朝霧が一人の腕を掴んだが、男はその手を振り払った。


「先生、邪魔しないでくれ」


「邪魔って……ここ、私の家ですよ!」


それでも住民たちは止まらず、棚や収納を次々と開け始めた。


朝霧は何度もやめるよう訴えたが、一人を止めようとすれば別の人間が違う場所を探し始める。キッチンの収納が開けられ、クローゼットの中身が引っ張り出され、ベッドの下まで確認されていった。


ところが、しばらく探しても、住民たちが期待していたようなものは出てこなかった。


「……ないな」


一人が呟いた。


別の男もキッチンの棚を確認しながら眉を寄せる。


「こっちもほとんど何もない」


見つかったのは、わずかな保存食と飲料水、それに朝霧が自分用として残していた最低限の食料だけだった。


昨日の旧代表たちとは比べものにならない。


高橋の部屋から見つかった量よりもはるかに少ない。


住民たちの動きが少しずつ止まった。


朝霧は荒らされた部屋の中央に立ち、何も言わず彼らを見ていた。


その視線に気づいた女が、気まずそうに目を逸らした。


「……本当に、なかったんですね」


朝霧は答えなかった。


別の男が小さく息を吐く。


「悪かった、先生。昨日からあんなことばっかりだったから……」


「もう帰ってください」


朝霧の声には、先ほどまでの怒りさえなかった。


住民たちもそれ以上何も言えず、一人、また一人と玄関へ向かおうとした。


その時だった。


一人の男が、床に落ちていた小さな箱を拾い上げた。


住民たちが収納を探した際、奥に置かれていたものが他の荷物と一緒に落ちたらしい。


「……これ」


朝霧の表情が変わった。


男が箱を開ける。


中には、まだいくつかの薬が残っていた。


「この薬……」


先ほどまで気まずそうにしていた住民たちの足が止まった。


「それは食料じゃありません」


朝霧はすぐに男へ近づいた。


「返してください」


「これ、解熱剤ですよね?」


「あなたには関係ありません。返して」


朝霧が箱へ手を伸ばしたが、男は反射的にそれを自分の胸元へ引いた。


「待てよ。これだけあるなら、少しくらいいいだろ」


「よくありません」


「先生、薬なんてまた柴田たちからもらえるんじゃないですか?」


「もらえません!」


朝霧は強い口調で否定した。


「これは私が以前から持っていたものです。もうほとんど残ってないんです。返してください」


「でも先生が持ってても、誰かが病気になった時に使うんですよね?」


「だから必要なんです!」


「だったら同じじゃないですか」


朝霧の動きが止まった。


「……何が同じなんですか?」


「誰かが使うんだったら、先生が持ってても俺らが持ってても同じだろ」


「同じなわけないでしょう!」


朝霧は思わず声を荒らげた。


「薬は何でも飲めばいいものじゃありません! 症状も量も確認しないで勝手に使ったら危険なんです。返してください!」


しかし、その言葉を聞いても男は薬箱を離さなかった。


むしろ、そのやり取りを見ていた別の住民が、床に置かれていた朝霧のわずかな保存食へ視線を向けた。


「……先生」


朝霧が振り返る。


男の手には、朝霧が自分のために残していた食料が握られていた。


「それも置いていってください」


「先生には悪いけど……俺ら、本当に食うものないんだよ」


「私だってありません」


「でも先生は医者だろ」


「それが何なんですか?」


「田村先生みたいに、柴田たちから食料もらえるんじゃないのか?」


朝霧は何も言えなかった。


男は少しだけ目を逸らした。


「俺らには、今食うものもないんだ」


「……」


「悪く思わないでくれ……」


その言葉とともに、男は食料を自分のポケットへ入れた。


それを見た別の住民も動いた。


最初に薬箱を見つけた男が薬を持ったまま玄関へ向かい、他の住民も残っていたわずかな食料や使えそうなものへ手を伸ばし始める。


「待って……」


朝霧の声はもう大きくなかった。


「それは……私の……」


誰も止まらなかった。


「すみません……こっちも本当に限界なんです……」


最後に誰かがそう言った。


やがて住民たちは部屋から出ていった。


壊れた玄関扉だけが、完全には閉まらないままわずかに開いていた。


朝霧はその場に立ち尽くしていた。


部屋の中には引っ張り出された衣類や私物が散らばり、収納の扉は開け放たれ、薬箱も、自分のために残していたわずかな食料もなくなっている。


しばらく朝霧は動かなかった。


怒鳴ることも、追いかけることもなかった。


やがて身体から力が抜けるように壁際へ座り込み、そのまま両膝を抱えた。


「……先生なら、何とかなる……」


先ほど言われた言葉が、頭の中に残っていた。


似たような言葉を、朝霧は以前にも何度も聞いていた。


寒波が来るよりもずっと前。


まだ病院で救急医として働いていた頃にも。


『朝霧先生、悪いんだけど今日の当直、代わってもらえない?』


突然そう声をかけられた日のことを思い出した。


『今日ですか? 私、昨日も遅かったんですが……』


『分かってる、分かってる。でも朝霧先生なら若いし大丈夫でしょ。それに他の先生からも評判いいから、こういう時ほんと助かるんだよ』


困った顔で頼まれれば、最後には断れなかった。


『……分かりました』


そんなことは一度だけではなかった。


急な当直の穴埋め、時間外の対応、他の医師が面倒がった患者家族への説明。何かあるたびに「朝霧先生なら大丈夫」「朝霧先生はこういうの得意だから」と言われ、そのたびに朝霧は引き受けてきた。


ある日には、別の医師から患者家族への説明を頼まれたこともあった。


『朝霧先生、悪いけどこの家族への説明お願いしていい?』


『先生の患者ですよね?』


『そうなんだけどさ、さっきから結構揉めてて。朝霧先生の方がこういうの上手いじゃん。患者さんからも好かれてるし』


結局、朝霧はその家族のところへ向かった。


治療そのものに問題があったわけではない。それでも家族は不安と苛立ちを朝霧へぶつけ、同じ質問を何度も繰り返した。


朝霧はそのたびに頭を下げ、できる限り丁寧に説明した。


ようやく終わって戻った頃には、頼んできた医師の姿はもうなく、机の上に缶コーヒーと短いメモだけが置かれていた。


『助かった! ありがとう!』


朝霧はそれを見て、苦笑した。


それでもよかった。


誰かの役に立てたのなら、それでいいと思っていた。


救急には、もっと辛いこともあった。


どれだけ最善を尽くしても、助けられない患者はいる。


深夜に運ばれてきた患者へ何時間も処置を続け、それでも亡くなってしまったあと、家族から責められたこともあった。


『なんで助けてくれなかったんですか!』


朝霧は何も言い返さなかった。


大切な家族を亡くしたばかりなのだから仕方がない。


悲しいのだから。


苦しいのだから。


誰かにぶつけなければ耐えられないのだから。


そう自分に言い聞かせてきた。


寒波が始まってからも同じだった。


自分だって寒かった。


自分だって腹が減っていた。


自分だって、この先どうなるのか怖かった。


それでも具合が悪いと言われれば部屋まで行った。


夜中でも起きた。


残り少ない薬も渡した。


今日、自分の部屋へ押しかけてきた女の夫にもそうした。


あの時も薬は貴重だった。


それでも目の前で苦しんでいる人間がいたから、なんとかしたかったから神崎にまでお願いした。


その結果が、これだった。


朝霧はゆっくりと顔を上げ、荒らされた部屋を見た。


「……私、何してたんだろ」


自分でも驚くほど、小さな声だった。


今まで助けた人間の中には、本当に感謝してくれた人もいる。


全員が今の住民たちのような人間ではない。


そんなことは朝霧自身が一番よく分かっていた。


それでも今は、その記憶を思い出しても何も感じなかった。


「人を助けるって……何なんだろ」


誰も答えない。


「役に立つって……何?」


ずっと、それでいいと思っていた。


自分が少し我慢すれば誰かが助かる、自分が少し疲れれば誰かが休める。


自分の持っているものを渡せば誰かが生きられるのなら、自分がやればいい。


そう思って生きてきた。


けれど、自分が何も持っていなくなった時はどうなるのだろう。


自分が苦しくなった時は?


自分が助けてほしい時は?


朝霧は膝を抱える腕に、ゆっくりと力を込めた。


「……じゃあ」


声が震えた。


「……私は?」


その問いに答える人間は、どこにもいなかった。


朝霧はそのまま膝へ顔を埋めた。


これまで何度も他人へ向けてきた「大丈夫」という言葉を、今の自分へ向けてくれる人間だけは、そこにはいなかった。


◇


その頃、柴田たちのいる部屋では別の問題が起きていた。


仲間の一人が廊下で荷物を運んでいる途中に足を滑らせ、階段の手すりへ腹部を強く打ちつけていた。


最初は本人も「少し痛いだけだ」と笑っていたため、周囲も大した怪我ではないと思っていたが、時間が経つにつれて腹痛は強くなり、顔色も次第に悪くなっていた。


田村は男の腹部を触診しながら何度か頷いたあと、それほど深刻そうな表情も見せずに身体を起こした。


「おそらく打撲でしょう。今のところ意識もしっかりしていますし、少し安静にして様子を見れば大丈夫だと思います」


「マジか? 結構痛えんだけど」


「強く打ってますからね。あとから痛みが強くなることもあります」


最初は剛たちもその説明を信じていた。


しかし、それから一時間ほど経った頃には、男の状態は明らかに悪化していた。顔色は青白くなり、額には汗が浮かび、腹を抱えたまま横になっている。


「おい、田村」


剛が苛立った声を出した。


「こいつ、さっきより悪くなってんぞ」


田村は慌てて男のそばへしゃがみ込み、再び腹部へ触れた。


「ええ……まあ、打撲の場合はあとから痛みが強くなることもありますから」


「本当に打撲なんだろうな?」


「おそらくは……」


「おそらく?」


剛の眉が動いた。


「さっき大丈夫って言ってただろ」


「大丈夫とは……その、絶対に問題がないという意味ではなくてですね」


その時、横になっていた男が突然身体を起こした。


「うっ……!」


口元を押さえた直後、その場へ吐いた。


剛たちの表情が変わった。


「おい!」


「大丈夫か!」


男は返事もできず、再び身体を丸めるようにして腹を押さえた。


剛がゆっくり田村を見る。


「……これのどこが大丈夫なんだよ」


「いや、吐き気が出ることも……」


「さっきからそればっかじゃねえか!」


田村の表情に焦りが浮かんだ。


「こういう場合は、本来なら詳しい検査をして……」


「じゃあ検査しろよ」


「ここには設備がありません」


「だったらどうすんだよ!」


「それは……安静にして、状態を見ながら……」


「また様子見かよ!」


剛が怒鳴った。


少し離れた場所でそのやり取りを見ていた三浦が、そこで初めて口を開いた。


「おい」


「……はい」


「お前、さっきから様子見ろとか、検査しねえと分からねえとか、それしか言ってねえぞ」


「いや、ですから、こういう症状は設備がない場所では診断が難しくて……」


「診察して何も分かんねえのか?」


「そういう意味ではありません」


「じゃあ何が分かった?」


田村の口が止まった。


三浦は横になって苦しんでいる男を指した。


「こいつの腹ん中で何が起きてる?」


「それは……」


「打撲なんだろ?」


「おそらく……」


「まだそれかよ」


三浦の声は大きくなかったが、その方が田村には恐ろしく感じられた。


田村の額に汗が滲んだ。


「腹部を強く打っているので、内部に何らかの損傷がある可能性も……」


「何らかって何だよ」


剛が睨みつける。


「それを調べるために検査が必要なんです」


「だから検査できねえんだろ!」


「そうですけど……」


「じゃあ今ここで、お前に何ができんだ?」


田村は答えられなかった。


「……安静にして、状態を見ながら……」


「それでこいつがもっと悪くなったら?」


「その場合は、本来なら病院へ搬送して……」


三浦の目が細くなった。


「病院に行けねえから、お前がいるんだろ」


田村は何も言えなかった。


三浦はしばらくその顔を見ていたが、やがて低い声で言った。


「……てめえ、ヤブ医者じゃねえだろうな」


その言葉を聞いた瞬間、田村の表情が明らかに変わった。


「ち、違いますよ!」


田村は慌てて声を上げた。


「私は本当に医者です! 医師免許もあります!」


「免許の話なんかしてねえよ」


三浦は冷たく返した。


「お前、医者として使いもんになんのかって聞いてんだ」


「私は医者です!」


「だったら何で何もできねえんだよ」


剛が吐き捨てるように言った。


田村は完全に追い詰められていた。


「私は……普段、こんな重そうな患者を診ることはほとんどないんです」


「は?」


剛の表情が変わる。


田村は自分の立場が危うくなっていることを理解したのか、必死になって説明を続けた。


「小さな診療所をやっていて、普段来るのは風邪とか発熱とか、軽い腹痛とか、そういう簡単な内科の患者がほとんどで……少しでも症状が重そうだったり、詳しい検査が必要そうな場合は、大きな病院へ行ってもらってたんです」


剛はしばらく田村を見つめていた。


「あぁん?」


「ですから、大きな病院へ……」


「お前は診ねえの?」


「診ないというわけじゃありません! ただ、設備の整った病院で診てもらった方が確実なので……」


三浦が呆れたように口を挟んだ。


「つまり、ちょっとひどそうな患者は全部よそへ投げてたってことか」


「違います! 医療では適切な病院へ紹介するのも――」


「じゃあお前、こういう奴をまともに診たことあんのか?」


剛が男を指した。


田村は口を開いたものの、すぐには答えなかった。


「まったくないというわけでは……」


「あるのか、ねえのか」


「……ほとんど、ありません」


その瞬間、剛の拳が田村の顔へ飛んだ。


「ぐっ!」


田村の身体が床へ倒れた。


「てめえ、ふざけんな!」


「待ってください! 私は本当に医者です!」


「そんなこと聞いてねえんだよ!」


剛は倒れた田村の胸倉を掴み、そのまま身体を引き起こした。


「今まで医者面して飯もらって、いざって時は病院行けしか言えねえのかよ!」


「専門外の患者を診る方が無理があるんです!」


「じゃあ今こいつどうすんだよ!」


田村は答えられなかった。


剛がもう一度拳を振り上げようとしたところで、三浦がその腕を止めた。


「剛、もういい」


「こいつ今まで何だったんだよ!」


「殴って腕が良くなるわけじゃねえ。時間の無駄だ」


剛はしばらく田村を睨みつけていたが、やがて胸倉から手を離した。


田村はその場へ崩れるように座り込み、殴られた頬を押さえた。


三浦はもう田村を見ていなかった。


腹を抱え、苦しそうに呼吸をしている男へ視線を向けたまま、何かを考えていた。


「……医者なら、もう一人いる」


剛が顔を上げた。


「……あのべっぴんか?」


「ああ」


三浦は立ち上がった。


「……俺が連れてくる」


そう言うと、そのまま部屋を出た。


────────────────


Day 60


電力 ▲

ガス ▲

水道 ▲

通信 △

降雪 微弱


生存確認者 88人


【今日のメモ】


「与え続けた者から、最後に奪うものは何だろう。」


────────────────

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