第68話 Day 46 恐怖政治
元々のマンショングループに投稿された名前を見た瞬間、住民たちの反応は早かった。
一ノ瀬美咲。
昨日、2501号室まで押しかけ、神崎蓮から送られてきた写真を住民たちへ見せ、その後は柴田たちをこのマンションへ呼び込んだ女だった。結果として2501号室は突破できず、代わりに共同倉庫を奪われ、人まで死んだ。
そんな一ノ瀬から、突然の投稿が入った。
『明日から配給を再開します』
一瞬だけグループの流れが止まったが、すぐに既読が増え、言葉の意味を理解した住民たちから次々と返信が飛び始めた。
『は?』
『どういうことですか?』
『何であなたが配給を決めるんですか?』
『まず共同倉庫を返してください!』
『人が一人死んでるんですよ!?』
『そもそも今回こうなったの、あなたがあの人たちを連れてきたからでしょう!』
一ノ瀬は、それらの質問には一つも答えなかった。少しして、もう一件のメッセージが投稿される。
『配給方法について説明があります。これまで配給を管理していた住民代表の方は、今から17階まで来てください』
今度はさらに荒れた。
『今から?』
『何で17階なんですか!?』
『そこ、柴田たちが占拠してる階ですよね?』
『何を勝手に決めてるんだ!』
『話し合いなら全員に説明してください!』
メッセージが次々と流れていく中、住民代表の一人が書き込んだ。
『皆さん、落ち着いてください。まず私たち代表が話を聞いてきます。内容は必ずこのグループで共有しますので、今は少し待ってください』
完全に納得した住民などいなかった。それでも、少なくとも配給が再開される可能性がある。その一点だけで、荒れていたグループの流れは少しずつ落ち着いていった。
◇
十七階。
住民代表三人が柴田と一ノ瀬の使っている部屋へ入ると、最初に目に入ったのはテーブルの上に並べられた食料だった。
カップ麺、缶詰、レトルト食品、菓子、飲料水。昨日まで住民全員で少しずつ分けていた共同備蓄の一部が、今ではまるで自分たちの所有物であるかのように無造作に置かれている。
代表の一人が僅かに顔を強張らせたが、何も言わなかった。
部屋の中には柴田、一ノ瀬、三浦、そしてもう一人の仲間がいた。大型ハンマーは柴田のすぐ手の届く場所に立て掛けられている。
「座れば?」
一ノ瀬が軽い調子で言う。
三人は互いに顔を見合わせたあと、向かい側のソファへ腰を下ろした。
最初に口を開いたのは住民代表だった。
「まず、共同倉庫を返していただきたいんですが」
「その話じゃねえよ」
答えたのは三浦だった。
代表たちの視線が三浦へ集まる中、三浦はテーブルの上に紙を一枚置いた。
「明日から配給は再開する」
代表の一人が僅かに息を吐いた。だが、その安堵も一瞬だった。
「ただし、今までと同じやり方じゃねえ」
三浦は紙を代表側へ押した。
「配給量はこっちで決める。倉庫もこのまま俺らが管理する。配給は階ごとに時間を決めて、その時間に受け取りに来てもらう」
「……待ってください」
住民代表が紙へ視線を落とし、そこに書かれている量を確認した瞬間、表情を変えた。
「これだけですか?」
「ああ」
「少なすぎます」
三浦は表情を変えなかった。
「死なねえだろ」
「そういう問題ではありません。家族が多い家庭もありますし、子供や高齢者もいます。これでは――」
「家族で分けろ」
三浦は淡々と遮った。
「次の救援がいつ来るか分からねえんだろ? 今までと同じ量で配って、数日で全部なくなったらどうすんだ」
「だからといって、あなたたちが勝手に量を決める権利はありません」
「権利の話なんかしてねえよ」
代表たちが黙ると、三浦はそのまま続けた。
「嫌なら受け取らなきゃいい。その分、食料が長く持つ。それからルールがある」
三浦は紙の下部を指で叩いた。
「指定された時間以外に来るのは禁止。倉庫に勝手に近づくのも禁止。見張りに手を出すのも禁止」
住民代表の表情がさらに険しくなる。
「配給量に異議がある場合は?」
「文句言う奴には出さない」
「そんな……」
「追加を要求しても同じ」
三浦はそこで一度言葉を切り、柴田を見る。
「それでも無理に倉庫へ入ろうとしたり、こっちに手を出してきたら――」
柴田の口元が上がった。
三浦は代表たちへ視線を戻す。
「昨日みたいになる」
誰のことを言っているのか、説明する必要はなかった。三人とも、今日共同倉庫の前で倒れた男を見ている。
「これは……」
住民代表が絞り出すように言った。
「話し合いではないんですか?」
三浦は僅かに眉を上げた。
「話し合い?」
そして鼻で笑った。
「決まったことを説明するために呼んだんだよ」
◇
代表たちが十七階を離れてから十数分後、元々のマンショングループに住民代表から長い投稿が入った。
明日から配給は再開されること。ただし、配給量はこれまでより大幅に減ること。階ごとに指定された時間に受け取りに来ること。指定時間を守らなければ、その日の配給はないこと。
さらに、共同倉庫への立ち入りは禁止され、配給量に文句を言ったり追加を要求した場合も、その日の食料は渡されない。
そして、倉庫へ強引に入ろうとした場合や、見張りへ手を出した場合については、住民代表自身も文章にすることを躊躇したのか、最後にはこう書かれていた。
『抵抗した場合、何をされるか分かりません。絶対に突発的な行動はしないでください』
当然、グループは再び荒れた。
『少なすぎるでしょう!』
『これ家族四人でどうやって食べるんですか!?』
『私たちの食料ですよ!?』
『何で奪った側に配給量まで決められなきゃならないんだ!』
『ふざけるな!』
『こんなの配給じゃなくて脅迫でしょう!』
『共同倉庫を返せ!』
次々とメッセージが流れていく。
その時だった。
一ノ瀬が再び書き込んだ。
『これ以上文句を言う人は、明日の配給なしにします』
一瞬、流れが鈍った。
そして、もう一件。
『今から名前を記録するので』
それまで数秒おきに更新されていた画面が、完全に止まった。
誰も書かない。
つい数秒前まで「ふざけるな」と怒鳴るように投稿していた者も、「食料を返せ」と繰り返していた者も、一斉に黙った。
◇
だが、柴田たちのいない住民専用グループでは、その直後から逆に書き込みが爆発した。
『何なんだよあの女!』
『完全に脅迫じゃないですか!』
『何で自分たちの食料を貰うために、あいつらの顔色まで窺わなきゃならないんだ!』
『ふざけるな!』
『こんなの絶対おかしい!』
『じゃあどうするんだよ!』
また同じ言葉が返ってくる。
『今から倉庫に行くか?』
誰も答えない。
『全員で行くなら行きます』
『だから、その全員って誰なんですか?』
再び、同じところへ戻った。
皆、怒っている。納得もしていない。それでも、明日になれば食料は出る。少ないとはいえ、何もないよりはマシだった。
やがて住民代表が書き込んだ。
『皆さんの気持ちは分かります。私たちも納得していません。ですが、まずは明日の配給を受け取りましょう。今後どうするかは、それから改めて考えませんか』
すぐには誰も賛成しなかった。反対意見もいくつか流れた。
それでも最後まで、
『明日の配給を受け取らない』
と言う者は、一人も現れなかった。
◇
2501号室。
蓮も、元々のマンショングループに流れてきた一連のやり取りを最初から見ていた。
共同倉庫を奪ったと知った時点では、そのまま自分たちだけで食い潰す程度の連中だと思っていた。だが、実際に始めたことは違う。
倉庫そのものは返さない。食料の管理権も渡さない。それでも住民全体が一気に暴発しないよう、最低限の配給だけは続ける。
大人しく従えば食える。文句を言えば食えない。力ずくで奪おうとすれば、その先には暴力が待っている。
それなら全員を満足させる必要などない。飢え死にするほどには追い詰めず、逆らうより従った方が得だと思わせておけばいい。
七人しかいない側が、何十もの住民を抑えるには合理的な方法だった。
「……恐怖政治か」
蓮はスマートフォンの画面を眺めながら、小さく呟いた。
やっていることの善悪ではない。
機能するかどうか。
少なくとも、今のマンションではまだ機能する。
蓮は僅かに口元を上げた。
「案外、あいつら馬鹿でもないな」
マンション中が不安と怒りで眠れない夜を過ごしている中、蓮だけはスマートフォンを置くと、いつもと変わらない時間に寝室へ向かった。
明日の朝、このマンションには新しい配給制度が始まる。
住民たち自身が決めたものではない。
食料と暴力を握った者が、一方的に決めたルールだった。
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Day 46 夜
電力 ▲
ガス △
水道 △
通信 ▲
降雪 弱
【今日のメモ】
「食わせる側が、ルールを決める。」
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