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氷河期ストレージ ~裏切られて死んだ俺は、30日前に戻り無限収納で世界を生き抜く~  作者: 宵白レン


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第59話 Day45 ベランダの向こう

「まずベランダ見せろ」


柴田剛がそう言った瞬間、周囲に集まっていた住民たちは、すぐにはその意味を理解できなかった。


「……ベランダ?」


誰かが聞き返すと、柴田は2501号室の扉から視線を外し、そのまま隣の部屋へ顔を向けた。


「そうだよ。玄関が開かねえなら、外から入ればいいだろ」


あまりにも当然のことのように言う。


その一言で、ようやく柴田が何を考えているのか理解したのだろう。一人の住民が顔を引きつらせながら、廊下の先にある窓へ目を向けた。


「いや、ここ二十五階ですよ?」


「だから?」


「だからって……危ないでしょう」


柴田は鼻で笑うと、何でもないことのように2501号室の隣を指差した。


「危ねえから何だよ。それより、ここ誰の部屋だ?」


誰もすぐには答えなかった。


自分には関係のない話だと思っていた者たちも、その質問の意味だけは理解していた。数秒の沈黙が続いたあと、一人の住民が小さな声で答える。


「……2502です」


その瞬間、少し離れた場所に立っていた中年夫婦の表情が変わった。


「うちです」


夫が警戒するように答えると、柴田は迷うことなく言った。


「ちょうどいい。入れてくれ」


「え?」


「ベランダ借りる」


夫は一瞬呆気に取られたあと、すぐに首を横へ振った。


「待ってください。何でうちが?」


「隣だから」


「そういう問題じゃないでしょう」


妻も不安そうに夫の腕を掴んでいた。


夫は柴田を見る。


その後ろには大型ハンマーやバール、電動工具の入ったケースが並び、ロープまで用意されている。さらに、その周囲にはこのマンションの住民たちが大勢集まっていた。


「ベランダから神崎さんの部屋へ行くつもりなんですか?」


「そうだ」


「無理ですよ。危険です。それに……」


夫はそこで言葉を切り、周囲にいる住民たちへ視線を向けた。


「うちは関係ないでしょう」


その言葉を聞いた瞬間、何人かが気まずそうに視線を逸らした。


確かに、その通りだった。


2502号室の夫婦は何もしていない。神崎蓮と揉めたわけでもなければ、一ノ瀬美咲と関係があるわけでもない。


ただ、2501号室の隣に住んでいる。


それだけだった。



「関係ない?」


柴田が聞き返す。


「はい。神崎さんと話があるなら、神崎さんと話してください。うちを巻き込まないでください」


夫は今度こそ、はっきりと言った。


だが柴田は、まるでその理屈が理解できないとでも言いたげな顔をした。


「お前さ、今このマンション食料ねえんだろ?」


一歩、夫との距離を詰める。


「それとこれは――」


「神崎の部屋にはある。それも大量にな」


夫の言葉を途中で遮ると、柴田はそのまま周囲を見回した。


「ここにいる連中も欲しい。違うか?」


誰も答えなかった。


だが、否定する者もいなかった。


その沈黙を見て、夫の表情が強張っていく。


「皆さん……本気ですか?」


やはり返事はない。


夫は信じられないものを見るように、これまで何度も顔を合わせてきた住民たちを一人ずつ見た。


「昨日まで、他人の家に勝手に入るのは禁止だって言ってたじゃないですか」


しばらくして、一人の住民が小さな声で答えた。


「状況が違うんです」


「何が違うんですか?」


「神崎さんは……これだけ持ってるんですよ」


別の住民が2501号室を見ながら言う。


夫は眉を寄せた。


「だから?」


「皆、困ってるんです」


その言葉を聞いた夫は、しばらく何も言えなかった。


皆が困っているのだから、少しくらい協力するべき。持っている者が出すべき。それを拒否する方がおかしい。


つい最近まで、このマンションの中で何度も繰り返されてきた理屈だった。


その時の夫にとっては、自分へ直接関係する話ではなかった。だから止めることもしなかった。


そして今、まったく同じ理屈が、自分たちへ向けられていた。



「開けていただけませんか」


ついには住民代表の一人まで口を開いた。


2502号室の夫が振り返る。


「あなたまで?」


「ベランダを確認するだけです」


「確認?」


夫は思わず乾いた笑いを漏らした。


「この人たち、さっきまで隣の扉を大型ハンマーで壊そうとしてたんですよ。それのどこが確認なんですか?」


代表は答えられなかった。


その沈黙を見て、柴田が苛立ったように口を挟む。


「もういいだろ。開けろ」


「嫌です」


夫は即答した。


その瞬間、廊下の空気が止まった。


柴田の眉がわずかに動く。その横で、三浦直人が2502号室の玄関扉へ目を向けた。


2501号室とは違う。


どこにでもある普通のマンションの玄関扉で、錠前も特別なものではない。


三浦は何も言わなかった。


ただ、扉を見た。


それだけだった。


だが、その視線が何を意味しているのか、夫にもすぐに分かった。


顔色が変わる。


「……まさか」


三浦は答えない。


代わりに、柴田が笑った。


「ほら。壊される前に開けた方がいいんじゃねえか?」


妻が夫の腕を強く掴んだ。


「あなた……」


夫は何も言えなかった。


自分たちの家だ。本来なら、誰を入れるかは自分たちが決める。嫌だと言えば、それで終わるはずだった。


だが、目の前にはつい先ほどまで他人の家の玄関を大型ハンマーで破壊しようとしていた男たちがいる。そして、その後ろには大勢の住民がいる。


誰も止めようとしない。


誰も「やりすぎだ」とは言わない。


むしろ、自分たち夫婦が扉を開けるのを待っている。


長い沈黙のあと、夫は歯を食いしばりながら玄関の鍵を開けた。


「……ベランダを見るだけですよ」


柴田が笑う。


「ああ」


「家の物には触らないでください」


「分かったよ」


もちろん、その約束を保証するものなど、どこにもなかった。



2502号室の扉が開くと、柴田たちは当然のように中へ入っていった。


夫婦は壁際に立ったまま、不安そうにその光景を見ている。普段なら家族しか歩かないリビングを、見知らぬ男たちが大型ハンマーやバールを持ったまま横切り、床には工具箱やロープまで広げられていった。


さらに、様子を見ようと住民たちまで次々と部屋へ入ってくる。


妻が小さな声を漏らした。


「こんなの……」


夫は何も答えなかった。


止められない。


ここは自分たちの家なのに、誰を入れるのかさえ自分たちで決められない。それまで他人に向けられていた理不尽が、ほんの少し向きを変えただけで、自分たちの生活へ入り込んできた。


柴田はそんな夫婦を気にも留めず、リビングを横切ってベランダの窓を開けた。


瞬間、冷たい風が一気に室内へ吹き込んでくる。


「寒っ」


二十五階から見下ろす眼下には、雪に埋もれた街が広がっていた。道路も建物も、放置された車もすべてが白く覆われ、地上にあるものはこの高さから見れば玩具のように小さく見える。


後ろから覗き込んだ住民の一人が、すぐに身体を引いた。


「……無理だろ」


「何が?」


柴田が振り返る。


「落ちたら終わりですよ」


「落ちなきゃいい」


「簡単に言うなよ……」


柴田は気にも留めず、隣にある2501号室のベランダへ視線を向けた。


距離そのものは、それほど遠くない。地上なら簡単に越えられそうな距離に見える。


だが、ここは二十五階だ。


足元には雪が付着し、風も吹いている。一歩踏み外せば、それで終わる。



三浦もベランダへ出てきた。


「どうだ?」


柴田が聞く。


三浦は隣との位置関係を確認し、手すりや壁、足を掛けられそうな場所を順番に見ていった。


「行けなくはねえ。ただし、落ちたら死ぬ。風もあるし、足場も雪で滑る」


「だから?」


三浦は呆れたように柴田を見る。


「お前、本当に怖くねえのな」


柴田は笑った。


「今さらだろ」


これまで何軒もの部屋へ押し入り、食料を奪ってきた。抵抗する人間を殴り、泣いて頼まれても無視してきた。


他人の家へ侵入することにも、物を奪うことにも、もう躊躇はない。二十五階のベランダを渡ることも、柴田にとっては危険が一つ増えただけだった。


「ロープ」


仲間から受け取ると、柴田たちは簡単な命綱を作り始めた。


その様子を見ている住民たちは、誰一人として前へ出ようとしない。


「本当に行くのかよ……」


誰かが呟いた。


柴田が振り返る。


「お前も来るか?」


男はすぐに首を横へ振った。


「いや……」


「じゃあ黙って見てろ」



最初に渡ったのは、柴田の仲間の一人だった。


ベランダの端へ立ち、手すりを掴む。靴底で何度も足場を確かめてから、慎重に身体を外へ出したところで強い風が吹きつけ、男の身体が大きく揺れた。


「っ!」


後ろで見ていた住民たちから思わず声が上がる。


「危ない!」


だが男は止まらなかった。


ロープを掴み、身体をできるだけ壁へ寄せながら、一歩ずつ横へ移動していく。


ほんの数十秒だった。


だが、見ている者には異様に長く感じられた。


やがて男の足が2501号室側のベランダへ届き、慎重に身体を移して最後に手すりを越えた。


「……よし! 行けるぞ!」


その声を聞いた柴田の顔に笑みが浮かぶ。


「ほらな」


続いてもう一人が渡り、柴田自身もロープを握って2501号室側へ身体を移していく。


住民たちは息を呑みながら、その様子を見守っていた。


誰も彼らを止めようとはしなかった。


むしろ時間が経つにつれ、恐怖とは別の感情が膨らんでいく。


もしかしたら、今度こそ2501号室へ入れるのではないか。


神崎蓮が隠している物資を手に入れられるのではないか。


その期待が、少しずつ恐怖を上回り始めていた。



2501号室側へ移った柴田たちは、大きな窓の前へ集まった。


だが室内の様子は見えない。厚い遮光カーテンが隙間なく閉じられている。


「チッ。中まで見えねえな」


柴田は窓へ手を触れた。


遠目には普通の大きなガラス窓にしか見えなかったが、近づいて確認すると明らかに厚い。


後から渡ってきた三浦も、ガラスと窓枠を確認する。


「……こっちもやってやがるな」


「またかよ」


「窓まで普通じゃねえ」


柴田が苛立ったように眉を寄せる。


「ガラスだろ。割ればいい」


仲間の一人が小型のハンマーを取り出した。


「こんなの玄関より楽だろ」


大きく振りかぶり、そのままガラスへ叩きつける。


ガンッ!!


鈍い音が響き、男の腕へ強烈な衝撃が返ってきた。


「っ……!」


思わず手を引き、ガラスを見る。


「……は?」


何も起きていない。


ヒビどころか、目立った傷すら見当たらなかった。


男は信じられないようにガラスを見つめ、もう一度ハンマーを振り下ろした。


ガンッ!!


さらにもう一度。


ガンッ!!


結果は変わらなかった。


「何だよ、これ……」


三浦が近づき、ガラスへ顔を寄せる。


「合わせガラスどころじゃねえな」


「何だよ」


「かなり厚い多層構造だ。防弾仕様か、それに近いもんだと思う」


柴田が顔をしかめた。


「防弾?」


「ああ。しかもガラスだけじゃない。窓枠まで補強されてる」


三浦は表面を何度か軽く叩きながら、周囲の構造まで確認した。


「外から侵入されることを前提に作ってやがる」


その言葉を聞いた柴田は、大型ハンマーを受け取った。


「だったら、これならどうだ」


狭いベランダで足元を確かめ、身体を安定させる。そして大きく振りかぶった。


ドガンッ!!


激しい衝撃音が響き、反動で柴田の両腕が痺れた。


それでも、ガラスにはヒビ一つ入らない。


「……クソ」


もう一度。


ドガンッ!!


結果は同じだった。


三浦が首を横へ振る。


「無駄だ。その程度じゃどうにもならねえ」


「うるせえ」


柴田が再び大型ハンマーを構えた。


その時だった。



2501号室。


ガンッ!


ソファへ座っていた蓮は、ベランダ側から響いてきた音へ視線だけを向けた。


少し前から監視カメラで、柴田たちが2502号室へ押し入り、そこからベランダを伝ってこちらへ移ってきたことには気づいていた。


ガンッ!


また音が響く。


今度は先ほどより大きい。


蓮は慌てることもなく、手にしていたコーヒーカップを口元へ運んだ。


「……ご苦労なこった」


ゆっくりと一口飲む。


立ち上がって窓を確認する必要すらない。


寒波が来る前、外部から侵入される可能性のある場所には徹底的に手を入れた。玄関だけではなく、壁も、床も、窓も、ベランダも含めて、この部屋そのものを外から簡単には破れないよう作り替えてある。


あの特殊ガラスが、大型ハンマー程度でどうにかなる代物ではないことを、蓮自身が一番よく知っている。


再び鈍い衝撃音が響いたところで、蓮はテーブルへ手を伸ばした。


そこに置かれていたのは、自動カーテンを操作するための小さなリモコンだった。


口元にわずかな笑みを浮かべ、ボタンを押す。


ウィーン――。



突然、目の前のカーテンが動き始めた。


「……あ?」


柴田たちの手が止まる。


遮光カーテンがゆっくりと左右へ開いていき、それまで完全に隠されていた室内の光景が少しずつ露わになった。


誰も、すぐには動かなかった。


暖かな照明に照らされた広いリビング。


大きなソファ。


壁一面の本棚。


そして、その奥では暖炉の炎が赤々と燃えている。


その暖炉の前に、神崎蓮はいた。


薄手の部屋着姿でソファへ腰掛け、片手には湯気の立つコーヒーカップを持っている。


ガラス一枚を隔てた外では、柴田たちが厚い防寒着を着込み、二十五階の冷たい風に晒されている。その目の前で、蓮は暖かな部屋のソファに座り、何事もないようにコーヒーを飲んでいた。


誰も言葉を発しなかった。


だが、柴田たちの視線はすぐに蓮以外のものへ吸い寄せられていった。


ソファ前のテーブルには、籠いっぱいの果物が置かれている。リンゴにミカン、ブドウ。その隣には、チョコレートやクッキーまで無造作に置かれていた。


さらに奥のダイニングテーブルには一枚の皿が残されており、そこには分厚いステーキが載っている。半分ほど食べたところなのだろう。切り分けられた肉の横には付け合わせの野菜が添えられ、ナイフとフォークまでそのまま置かれていた。


「……嘘だろ」


誰かが呟いた。


写真では見た。


一ノ瀬から話も聞いた。


それでも、画面越しの情報と自分の目の前にある光景とでは、まるで意味が違った。


自分たちは毎日のように他人の部屋へ押し入り、カップ麺や缶詰、水を探し回っている。腹を満たすためなら、誰かを殴ることさえ珍しくなくなった。


それなのに、ガラス一枚向こうでは、この男が暖炉の前で過ごしている。


厚切りのステーキを食べ、果物や菓子を好きなだけ置き、温かいコーヒーを飲んでいる。


まるで、この世界で何も起きていないかのように。


「……てめえ」


柴田の頬が引きつった。


その時、ガラス越しに蓮と目が合った。


だが、蓮は何も言わない。


怒りもしない。


警告もしない。


立ち上がることすらしなかった。


ただ、必死になって窓を破ろうとしていた柴田たちを眺めながら、ゆっくりとコーヒーを一口飲んだ。


その態度が、何よりも柴田を苛立たせた。


「……何だ、その顔」


もちろん、厚いガラスの向こうにいる蓮には聞こえていない。


それでも柴田は、歯を食いしばりながら呟いた。


「舐めやがって」


その時、蓮が再びリモコンを持ち上げた。


カチッ。


ウィーン――。


「……あ?」


今度はカーテンが閉じ始める。


「おい!」


柴田がガラスへ近づいた。


「待て!」


だが蓮は動かない。


徐々に暖炉が隠れ、果物や菓子が見えなくなり、ダイニングテーブルに残されていたステーキもゆっくりと視界から消えていく。


そして最後に、ソファへ座ったままコーヒーを飲んでいる蓮の姿まで遮られた。


カーテンが完全に閉じる。


柴田は数秒間、何も言わなかった。


次の瞬間。


「ふざけやがって!!」


ドガンッ!!


大型ハンマーがガラスへ叩き込まれた。


「開けろ!!」


ドガンッ!!


「てめえ!!」


ドガンッ!!


先ほどまでとは勢いがまるで違った。


もう単純に侵入するためだけではない。


怒りと嫉妬、そして抑えきれない欲が、柴田たちを突き動かしていた。


あの向こうへ行けば暖かい。


食べ物がある。


酒もある。


まともな生活がある。


自分たちがとうの昔に失ったものが、ガラス一枚の向こうにはすべて残っている。


それを自分の目で見てしまった。


仲間たちも加わり、ハンマーだけではなくバールまで持ち出して、ガラスや窓枠へ何度も叩きつける。


ガンッ!


ドガンッ!


それでも、ガラスは割れなかった。


ヒビすら入らない。


一分、五分、十分と続けるうちに、やがて打撃音の間隔が少しずつ長くなっていった。


「はぁ……はぁ……」


一人が壁へ手をつき、別の男は息を切らしながらその場にしゃがみ込んだ。


柴田も肩で荒く息をしている。大型ハンマーを握っている腕は震え、防寒着の内側には汗まで滲んでいた。


だが、二十五階を吹き抜ける冷たい風は止まらない。


熱くなった身体から容赦なく体温を奪っていく。


そして目の前の特殊ガラスには、目立った損傷すらなかった。


三浦が荒い呼吸を整えながら言った。


「……もう無理だ。このまま続けても、こっちが先に倒れるぞ」


柴田は答えなかった。


しばらく、閉ざされたカーテンの向こうを睨み続ける。


もう中は見えない。


それでも、先ほどの光景が頭から離れなかった。


暖炉。


果物。


菓子。


厚切りのステーキ。


そして、自分たちを眺めながら悠然とコーヒーを飲んでいた神崎蓮。


柴田は歯を食いしばった。


「……クソが」


大型ハンマーを肩へ担ぐ。


結局、何一つ壊すことができないまま、柴田たちは2502号室へ戻るしかなかった。



室内へ戻った男たちは、しばらく誰も喋らなかった。


手は痺れ、腕は重い。長時間冷たい風に晒され続けた身体も、すぐには温まらない。


一人がその場に座り込み、力なく呟いた。


「無理だろ……あれ」


別の男も壁にもたれながら、荒い呼吸を整える。


「玄関も駄目。ベランダも駄目……どうなってんだよ、あの部屋」


三浦は工具箱を床へ置いた。


「普通の家じゃねえよ。玄関も窓も、最初から侵入されることを前提に作ってやがる」


誰も反論しなかった。


柴田だけが、部屋の中央に立ったまま黙っていた。


苛立ちと疲労。それ以上に、先ほど自分の目で見た光景が頭から離れない。


暖かな部屋。


食料。


酒。


そして、神崎蓮。


柴田はゆっくりと顔を上げた。


視線の先には、一枚の壁がある。


2502号室と2501号室を隔てている壁。


その向こうには、さっき見たものがすべてある。


柴田はしばらくその壁を見つめたあと、ゆっくり近づいていった。


そして、拳で軽く叩く。


コン。


もう一度。


コン。


それを見た2502号室の夫の表情が変わった。


「……何をしてるんですか?」


柴田は答えない。


だが、三浦には分かった。


柴田が何を考えているのか。


「おい」


三浦が声を掛ける。


それでも柴田は壁から目を離さなかった。


「この向こう、2501だよな?」


近くにいた住民が、嫌な予感を覚えながら答える。


「……そうです」


その瞬間、2502号室の夫が慌てて前へ出た。


「待ってください」


柴田が振り返る。


「何だ」


「それは、うちの壁ですよ」


「知ってる」


夫の顔が引きつった。


「知ってるって……何をするつもりなんですか?」


柴田は答える代わりに、床へ置かれていた大型ハンマーへ視線を落とした。


夫も、その視線を追った。


そして何をするつもりなのか理解した瞬間、顔色が変わる。


「やめてください」


柴田は大型ハンマーを拾い上げた。


「ちょっと待て!」


夫が慌てて前へ出る。


「さっき約束したでしょう! ベランダを見るだけだって!」


「ああ」


「じゃあ――」


「見た」


柴田はそれだけ答えた。


夫は言葉を失った。


柴田は大型ハンマーを肩へ担ぎ、目の前の壁へ視線を戻す。


玄関は駄目だった。


窓も駄目だった。


だが、まだ壁がある。


「玄関が駄目」


柴田は壁を軽く蹴った。


「ベランダも駄目」


そして、ゆっくりと口元を上げる。


「だったら――」


大型ハンマーを両手で握った。


「ここ抜けばいいだろ」


────────────────


Day 45


電力 △

ガス △

水道 △

通信 ▲

降雪 弱


【今日のメモ】


「自分のものを壊されて、ようやくルールを思い出す。」


────────────────

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― 新着の感想 ―
最後のメモが皮肉すぎて笑った。もうマンション倒壊させるしかないぞ!
主人公からしたらこれ以上の娯楽はないな……
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