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氷河期ストレージ ~裏切られて死んだ俺は、30日前に戻り無限収納で世界を生き抜く~  作者: 宵白レン


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第51話 Day 40 二人の医者

翌朝。


住民グループに、住民代表から一件の投稿が入った。


『昨日の2501号室での件について、住民代表からお願いがあります。今後、2501号室への集団での訪問、および本人の許可なく室内へ立ち入ろうとする行為は控えてください』


すぐに反応が付いた。


『じゃあ神崎さんの件はもう終わりなんですか?』


『あれだけ物資持ってる可能性があるのに?』


『薬だって持ってるんですよね?』


だが、昨日までとは違い、代表側に賛同する声もあった。


『昨日はさすがにやりすぎだったと思います』


『扉を壊そうとしたのはまずいですよ』


『神崎さんのことより、今ある食料をどうするか考えないと』


そして。


『次の救援物資、本当にまだ連絡ないんですよね?』


その一言で、グループの流れが止まった。


今、一番大きな問題はそこだった。



午前十時。


一階ロビーには、多くの住民が集まっていた。


長机の向こうには住民代表六人。その後ろには、共同備蓄として管理されている食料が並べられている。


米。


乾麺。


レトルト食品。


缶詰。


飲料水。


四日前に届いた救援物資によって、一度は増えた。


だが、マンション全体へ毎日配っていれば当然減る。


並べられた物資は、以前より明らかに少なくなっていた。


住民代表の一人が、手元の紙を確認する。


「昨日の夜、もう一度すべての備蓄を確認しました。次回の救援物資がいつ到着するのか、現時点では分かっていません。そのため、今日から配給量をさらに減らします」


すぐに声が上がった。


「またですか?」


「昨日も減らしたでしょう?」


「これ以上減らされたら足りないですよ」


代表も予想していたのだろう。


「分かっています。ただ、次の救援物資がいつ来るか分からない以上、今ある物をできるだけ長く持たせるしかありません」


「どれくらい減るんですか?」


「原則として成人は一日二食を基準にします。子供、高齢者、体調を崩している方については、状況を見ながら優先します」


その瞬間、別の場所から声が上がった。


「ちょっと待ってください。何で子供と老人だけ優先なんですか?」


四十代ほどの男だった。


周囲の視線が集まると、男は慌てたように続ける。


「いや、子供にやるなって言ってるんじゃないですよ。でも俺たちだって毎日階段を上り下りして、水を運んだりしてるんです。大人だけ食事を減らして、身体が動かなくなったらどうするんですか?」


今度は女性が反論した。


「子供は仕方ないでしょう」


「だから、やるなとは言ってないだろ」


「じゃあ何が言いたいんですか?」


「大人だけ一律で減らすのがおかしいって言ってるんです」


それをきっかけに、他の住民たちも口を開き始めた。


「一人暮らしと家族世帯でも違いますよね?」


「高齢者だって食べる量は若い人より少ないでしょう」


「病人を優先するって、誰が病人か決めるんですか?」


「落ち着いてください!」


代表が声を上げると、ざわめきが少し収まった。


「全員が納得できる方法がないことは分かっています。ただ、このまま今までと同じ量を配れば、次の救援物資が来る前に共同備蓄が尽きる可能性があります」


「じゃあ、あと何日持つんです?」


代表は一瞬黙った。


そして。


「……今までと同じ量なら、一週間程度です」


ロビーが静まり返った。


一週間。


思っていたより短い。


「ただし、今日から配給を減らせば、二週間程度を目標にできます」


「二週間後には救援物資が来るんですよね?」


「それは……分かりません」


誰も何も言わなかった。


二週間持たせても、その先には十五日目が来る。



食料だけではない。


生活に必要な物は、どれも少しずつ減っていた。


特に問題になっていたのが、医薬品だった。


「解熱鎮痛剤については、残りがかなり少なくなっています。風邪薬、胃腸薬についても同様です」


代表が一覧表を確認する。


「今後は必要性を確認した上で、優先順位をつけて配布したいと思います」


その言葉に、一人の女性が顔を上げた。


昨日、子供が熱を出しているとグループへ書き込んでいた母親だった。


「必要性って何ですか?」


「症状や年齢などを確認して――」


「誰が確認するんですか?」


代表が言葉に詰まる。


「それは……」


「風邪なのか、もっと重い病気なのか、分かるんですか?」


当然、代表たちは医療の専門家ではない。


薬の数を数えることはできても、誰に何を、どれだけ使うべきなのかを正確に判断することはできなかった。


その時だった。


「それなら」


男の声がした。


「私が診ましょう」


住民たちが一斉に振り返った。


人混みの中から、一人の男が前へ出てくる。


五十歳前後。


眼鏡を掛けた、少し恰幅のいい男だった。


「え?」


代表が男を見る。


男は軽く咳払いをした。


「医師です。田村といいます」


一瞬、ロビーが静まり、すぐに声が上がった。


「お医者さんなんですか!?」


「本当に?」


「先生が住んでたんですか?」


田村は少しだけ満足そうな表情を浮かべた。


「ええ。近くの診療所で長年診療しています」


先ほどの母親が、すぐに近づいた。


「先生! うちの子、昨日から熱が下がらなくて……」


「分かりました。後で診ましょう」


「ありがとうございます!」


女性は何度も頭を下げた。


周囲からも安堵の声が漏れる。


「よかった……」


「医者がいるなら安心だな」


「薬のことも先生に判断してもらえばいいじゃないですか」


「そうですね」


昨日まで、誰も田村が医師であることなど気にしていなかった。


だが、病院へ行けない。薬も足りない。救急車も期待できない。


そんな状況になった瞬間、医師という肩書きの価値が一気に変わった。


住民代表も、ほっとしたように言った。


「田村先生。お願いできますか?」


「もちろん、できる限り協力しますよ」


田村は頷いた。


だが、すぐに続ける。


「ただし、一つだけ確認しておきたいことがあります」


「何でしょう?」


「私も人間です」


代表が首を傾げる。


田村は周囲を見渡した。


「毎日何人もの住民を診察して、その上で水運びや共同作業にも参加しろというのは、さすがに無理があります」


「それは……」


「私が倒れれば、困るのは皆さんでしょう?」


反論する者はいなかった。


正論だった。


「ですから、医療活動を担当する代わりに、共同作業については免除していただきたい。それから食事についても、多少は優先していただけると助かります」


一瞬、ロビーがざわついた。


だが、すぐに誰かが言った。


「それくらい仕方ないんじゃない?」


「先生が倒れたら困るし」


「医者は一人しかいないんだから」


「そうですよ。食事くらい少し多くてもいいでしょう」


田村の口元が、僅かに緩んだ。


「もちろん、特別扱いしてほしいと言っているわけではありません。ただ、医療を続けるために必要な配慮をお願いしているだけです」


「分かりました」


代表が頷く。


「具体的なことは代表で相談します」


「お願いします」


話がまとまりかけた。


その時。


「……あの」


小さな声がした。


ほとんどの人間には聞こえなかった。


「……すみません」


もう一度。


今度は何人かが振り返った。


ロビーの端に、一人の女性が立っていた。


年齢は二十代後半ほど。


長い黒髪に、化粧気のほとんどない顔。厚手の服を着ていても分かるほど細身で、周囲から見ても目立つほど整った顔立ちをしている。


だが本人は、人々の視線を避けるように僅かに俯いていた。


「何ですか?」


代表が聞く。


女性は一瞬口を閉じた。


十数人の視線が自分へ向いている。


それだけで言葉が出にくくなる。


それでも。


「……私も」


小さく息を吸った。


「私も、医師です」


「え?」


住民たちが顔を見合わせる。


田村も女性を見る。


「君が?」


「……はい」


「お名前は?」


「朝霧……詩織です」


朝霧詩織。


田村は上から下まで彼女を見る。


若い。


あまりにも若く見える。


「何科?」


「救急科です」


「救急?」


田村の眉が僅かに動いた。


「どこの病院?」


詩織は一瞬だけ間を置いた。


「……東都中央医療センターです」


今度こそ、田村の表情が止まった。


この地域では、誰でも一度くらい名前を聞いたことがある。


国内でも有数の大規模総合病院。


とりわけ救命救急の分野では有名で、重症患者の受け入れも多い地域の中核病院だった。


住民の一人が驚く。


「え、あそこ?」


「すごい病院じゃないですか」


「朝霧さん、そこで働いてるんですか?」


詩織は視線を集められ、僅かに身体を固くした。


「……はい」


それだけだった。


自慢するわけでもなければ、自分の経歴を説明するわけでもない。


愛想よく笑うことすらなかった。


田村はそんな詩織を数秒見つめた。


「なるほど」


小さく頷く。


「東都中央医療センターの救急か」


「……はい」


「何年目?」


「六年目です」


「まだ六年か」


その言い方に、詩織が僅かに目を上げる。


田村は笑った。


「いや、悪い意味じゃないよ。優秀なんだろう。ああいう大きな病院は設備もスタッフも揃ってるし、勉強できる環境としては素晴らしいからね」


「……はい」


「ただ」


田村が周囲を見た。


「今は病院じゃない」


詩織は黙っている。


「検査機器もない。十分な薬もない。看護師もいない。こういう場所では教科書通りにはいかないんだ」


そして、自分の胸を軽く叩く。


「こういう時は、長年の経験がものを言う」


詩織は何も言わなかった。


「まあ、医者が二人いるなら心強い」


田村は笑う。


「朝霧先生には、私の補助をお願いしよう」


「……」


詩織が田村を見る。


何か言おうとしたようにも見えた。


だが、数秒後。


「……分かりました」


それだけ答えた。


住民たちも、特に疑問には思わなかった。


田村は五十歳前後で、長年患者を診てきたという。堂々としており、説明も分かりやすい。


対して朝霧詩織は若い。


声も小さく、愛想もない。自分から何かを説明することもない。


大きな病院で働いているらしいが、今この場所で頼りになりそうなのは、どう見ても田村の方だった。


「田村先生、よろしくお願いします」


「お願いします」


「朝霧先生もお願いしますね」


詩織は小さく頭を下げた。


「……はい」



昼。


新しい基準で配給が始まった。


受け取った袋は、昨日までより明らかに軽かった。


「……これだけ?」


「今日から新しい基準です」


「昨日よりかなり少ないじゃないですか」


「申し訳ありません」


別の家庭でも同じだった。


「うち四人ですよ?」


「世帯人数は考慮しています」


「これで?」


「今は節約してください」


袋を受け取った住民たちは、自分の中身を確認したあと、今度は他人の袋を見る。


「あっちの方が多くない?」


「子供いるからでしょう」


「うちだって三人家族なんだけど」


「病人優先って言ってたじゃないですか」


「あの家、本当に病人いるの?」


小さな不満が、あちこちから聞こえてくる。


それでも、誰も奪わない。


誰も暴れない。


今日もまだ、全員に食料が渡っている。


だから、秩序もまだ残っていた。



午後。


田村は早速、一階共同スペースの一角で体調を崩している住民たちを診ていた。


「喉を見せて」


「あー……」


「はい。もういいですよ」


次。


「いつから咳が?」


「三日くらい前です」


「熱は?」


「昨日は三十八度くらい……」


「分かりました」


住民たちは田村の前に列を作った。


その横で詩織はほとんど喋らず、診察を手伝っていた。


体温。


症状。


薬の残数。


一つずつ確認していく。


時折、田村の診察を見ながら何か言いたそうな表情をすることはあった。


だが、口には出さない。


「次の方」


田村が呼ぶ。


住民が前へ出る。


「先生、お願いします」


「はいはい」


その光景を少し離れた場所から見ていた住民が言った。


「田村先生いてくれて本当によかったね」


「ほんと。医者がいるだけで安心感が全然違う」


「もう一人の人も医者なんでしょう?」


「あの若い人?」


「そう」


女性が詩織を見る。


「でも、ほとんど何もしてなくない?」


「田村先生の手伝いじゃない?」


「まあ若いからね」


「大きな病院って、逆に自分一人で診ること少ないんじゃない?」


「そうかも」


詩織には聞こえていた。


だが、何も言わなかった。


ただ手元の紙へ、次の患者の症状を書き込んだ。



2501号室。


蓮は昼食を食べながら、住民グループを眺めていた。


今日は収納していた中華を出した。


チャーハン。


海鮮炒め。


フカヒレスープ。


それに、デザートの杏仁豆腐。


画面には田村についての投稿が続いている。


『田村先生に診てもらいました。ありがとうございました』


『風邪薬も出してもらえました』


『先生がいてくれて本当に助かります』


そして、少し下。


『もう一人、若い女医さんもいるみたいですね』


蓮の指が止まった。


「医者?」


投稿を開く。


『朝霧さん。救急の先生らしいです』


『かなり大きな病院で働いてるみたい』


『でも今は田村先生の補助してますよ』


蓮はしばらく画面を見た。


田村。


朝霧。


医師が二人。


「……へえ、医者か」


蓮はそれ以上何も言わず、スマートフォンを置いた。



夜。


一階の共同スペースでは、今日最後の診察が終わっていた。


「今日はこれくらいにしましょう」


田村が立ち上がる。


「先生、本当にありがとうございました」


「助かりました」


「明日もお願いできますか?」


「もちろんです」


田村は笑顔で答えた。


その少し後ろで、詩織は一人、使用した物を片付けていた。


誰も彼女には話しかけない。


しばらくして片付けを終えた詩織も立ち上がり、一人でエレベーターホールへ向かった。


もちろん、エレベーターは動いていない。


階段の扉を開ける。


その時。


後ろから声を掛けられた。


「朝霧先生」


詩織が振り返る。


田村だった。


「はい……」


田村は笑っていた。


「明日からも、今日みたいな感じで頼むよ」


「……はい」


「勝手に診断したり、患者に余計なこと言ったりしないでね」


詩織が僅かに眉を動かした。


「でも……患者さんの状態によっては――」


「朝霧先生」


田村の声が少しだけ低くなる。


「こういう時は指揮系統を一本にした方がいい」


「……」


「分かるよね?」


詩織は数秒、田村を見つめた。


そして視線を落とす。


「……分かりました」


「うん。じゃあ明日もよろしく」


田村は満足そうに去っていった。


一人残った詩織は、その背中を見つめていた。


やがて何も言わず、階段の扉を開けた。



その夜。


一つの部屋で、子供が眠っていた。


昨日から続いている熱は、まだ下がっていない。


母親が額のタオルを交換する。


「大丈夫だからね」


子供は苦しそうに呼吸していた。


田村からもらった薬は、すでに飲ませた。


だから母親は信じていた。


明日には少し良くなる。


だが、深夜。


眠っていた子供の身体に、小さな異変が起き始めていた。


────────────────


Day 40 


電力 ▲

ガス ▲

水道 △

通信 ○


【今日のメモ】


「人は不安になるほど、自信のある声を信じたくなる。」


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