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氷河期ストレージ ~裏切られて死んだ俺は、30日前に戻り無限収納で世界を生き抜く~  作者: 宵白レン


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48/70

第47話 Day 36 選んだ先

寒波が始まってから、一ヶ月と六日が過ぎた。


三日前に届いた救援物資によって、蓮のマンションには一時的な余裕が戻っていた。もちろん以前の生活に戻ったわけではなく、配給される食料は最低限で、水や電力にも依然として制限があり、次の救援物資がいつ届くのかも分からない。


それでも、共同備蓄が底を突く寸前だった数日前と比べれば、住民たちの表情には僅かな余裕が戻っている。


そして余裕が戻れば、人間はまた別のことを気にし始める。


住民グループでは、相変わらず蓮への悪口が続いていた。


『あの神崎、今頃後悔してるでしょうね。』

『自分で協力を拒否したんだから当然でしょ。』

『次の救援物資も絶対渡さないでほしい。』

『あれだけ好き勝手したんだから、自分の備蓄で最後まで何とかすればいいですよ。』


三日前まで「食料を持っているなら出させろ」と騒いでいた人間たちが、救援物資が届いた途端に「絶対に分けてやるな」と盛り上がっている。


蓮は朝食を食べながら、そのやり取りを眺めていた。


「元気になったな」


それ以上の感想はなかった。


救援物資が一度届いただけで、昨日まで他人の食料を奪おうとしていた人間たちが、今日は他人へ食料を渡さないことに優越感を覚えている。


蓮にとっては、どうでもいい話だった。



同じ日の朝。


黒崎恒一のマンションでは、別の問題が限界を迎えようとしていた。


「ねえ、今日、蓮は何食べてるの?」


佐藤愛がスマートフォンを眺めながら、何気ない調子で聞いた。


黒崎はカセットコンロの上に置いた鍋を見ながら、僅かに眉を動かす。


「知らねえよ」


「聞いてよ」


「何で俺が聞くんだよ」


「いいじゃん。ちょっと聞くだけでしょ?」


黒崎は返事をせず、鍋の中をかき混ぜた。


まただ。


ここ三日、ほとんど毎日この調子だった。


一度、蓮の昼食の写真を見てから、愛はやたらと蓮の生活を気にするようになった。昨日は何を食べた、一昨日は何を食べた、まだ食材はあるのか、肉も食べているのか。


最初は適当に答えていた黒崎も、さすがにうんざりしていた。


今日の朝食は、ご飯とインスタントの味噌汁、それに同じマンションの住民から分けてもらった海苔が少し。


今の状況なら十分すぎる食事だった。


ところが愛は、テーブルに並んだ食事を見るなり露骨に嫌そうな顔をした。


「……またこれ?」


黒崎は無視した。


「ねえ、蓮に聞いてよ」


「自分で聞け」


「昨日は焼き魚だったじゃん。今日は何食べてるか気になる」


黒崎の手が止まった。


数秒黙ったあと、ゆっくり振り返る。


「……いい加減にしろよ」


愛が顔を上げた。


「何?」


「何で毎日毎日、蓮の飯の話ばっかりなんだよ。そんなに気になるなら自分で聞けよ!」


突然声を荒らげた黒崎に、愛の表情も険しくなった。


「何で怒るの?」


「怒るだろ。一ヶ月ずっと食い物用意して、水確保して、寒くならないようにして、こっちは毎日必死なんだぞ。それなのに、お前が気にしてるのは蓮が何食ってるかだけかよ!」


「私だって我慢してるじゃん!」


「何を我慢してんだよ!」


「毎日こんなの食べてるじゃん!」


愛はテーブルを指した。


「レトルトとかインスタントとか、もう本当に嫌なの! 蓮は普通のご飯食べてるのに、何で私たちは毎日こんなのなの?」


黒崎はしばらく何も言えなかった。


やがて、乾いた笑いが漏れる。


「……お前、マジで言ってんの?」


「何が?」


「外で何人死んでると思ってんだよ。うちのマンションだって、みんな少ない食料を分けながら何とかやってるんだぞ。俺たちは毎日飯食えてる。ストーブだって使えてる。水だってある。それで何が不満なんだよ!」


「だから何!? もっとちゃんと準備してたら、こんな生活しなくて済んだんじゃないの!?」


「だから一ヶ月以上先のことまで分かるわけねえだろ!」


「でも蓮はできてるじゃん!」


また、蓮だった。


黒崎の顔から怒りが消え、代わりに疲れたような表情が浮かんだ。


「……もういい」


「何、その言い方」


「飯食えよ」


「いらない」


「じゃあ好きにしろ」


その一言で、愛の中でも何かが切れた。


「分かった。もう出ていく!」


「は?」


愛は勢いよく寝室へ向かった。


だが、感情的になっているからといって、何の装備もせずに外へ飛び出したわけではない。


この一ヶ月、愛も一度も外へ出なかったわけではなかった。救援物資の受け取りを手伝ったこともあれば、黒崎と一緒に短時間だけ外へ出たこともある。


外の寒さがどれほど危険なのかは、愛なりに理解していた。


厚手のインナーの上から防寒着を重ね、さらにスキーウェアを着込む。冬用のブーツを履き、手袋を重ね、ネックウォーマーで鼻まで覆う。


最後にゴーグルを手に取ったところで、黒崎が慌てて立ち上がった。


「おい、本当に出て行く気か?」


「もうここにいたくない」


「いい加減しろ! 外に出るってどこに行くんだよ!」


「うるさい! 関係ないでしょ!」


「愛!」


愛はゴーグルを装着すると、玄関を開けた。


幸い、今日はここ数日の中では雪が弱かった。


降っていないわけではないし、風もある。それでも視界を完全に奪うような吹雪ではなく、外を移動するならまだマシな時間帯だった。


愛はそのまま部屋を出た。



黒崎もすぐに防寒着を着込み、愛を追った。


マンションの外へ出ると、愛はすでに除雪された通路を歩いていた。


この道は近隣へ救援物資を運ぶ主要ルートの一つで、雪上車や除雪車が何度も通っている。道路全体が使えるわけではないが、車が走れる程度の幅は確保されていた。


その両側には、人間の身長を遥かに超える雪の壁が続いている。


「愛!」


黒崎は追いつくと、その腕を掴んだ。


「戻れ!」


「離して!」


「今日は雪が弱いだけだ! いつ風が強くなるか分かんねえんだぞ!」


「だから何!?」


「だから喧嘩したくらいで外を歩き回るなって言ってんだよ!」


「うるさい!」


愛は黒崎の手を振り払おうとした。


「もうあんたといたくない!」


「今そんな話してる場合じゃねえだろ!」


「そういうところが嫌なの!」


「は?」


「何にもできないくせに偉そうにしないでよ!」


黒崎の動きが止まった。


だが、愛は止まらない。


「蓮はちゃんと準備してるじゃん! 普通のご飯だって食べてる! それなのに、あんたは毎日レトルトとインスタント! 何の役にも立たないじゃん!」


雪が静かに二人の間を流れていく。


黒崎は、ただ愛を見ていた。


そして愛は、最後の一言を吐いた。


「……能無し」


その瞬間、黒崎の手から力が抜けた。


「……勝手にしろ」


それだけ言って、黒崎は踵を返した。


愛も振り返らなかった。



部屋へ戻った黒崎は、玄関の前でしばらく動けなかった。


テーブルには二人分の朝食が残っており、愛の分にはほとんど手が付けられていない。


黒崎は椅子へ腰を下ろした。


「……何なんだよ」


この一ヶ月、自分なりにやってきた。


寒波が始まる前、蓮に言われてできる限り食料を買った。水も用意した。カセットボンベ、防寒具、薬。


寒波が始まってからは住民たちと協力し、重い水を運び、愛が寒くないように暖房の時間まで考えた。自分の食事を減らして、愛に回したことだってある。


それでも返ってきた言葉は、


能無し。


役立たず。


黒崎は両手で顔を覆った。


腹が立つ。


それでも、心配だった。


「……どうせすぐ戻ってくるだろ」


外を少し歩けば頭も冷える。


寒くなれば、意地を張っている場合ではないことにも気付くだろう。


十分もすれば戻ってくる。


そう思っていた。



だが、愛は戻るつもりなどなかった。


除雪された通路を、足早に進んでいく。


蓮のマンションは近い。同じ生活圏と言っていいほどの距離で、しかも今歩いている道をそのまま進めば着く。


最初の数分は、怒りの方が強かった。


(もう知らない)


(あんな奴)


蓮なら、自分を入れてくれる。


一人暮らし。


高級マンション。


豪華な食事。


そして、昔から女に弱い。


一ノ瀬美咲に都合よく使われていたことも、愛は知っている。


(私だって美咲に負けてないし)


自分から頼れば、むしろ喜ぶのではないか。


料理をしてあげる。


掃除もする。


一人より、女がいた方がいいに決まっている。


そんなことを考えながら歩いていたが、五分も過ぎる頃には、黒崎への怒りより外の寒さの方が気になり始めた。


防寒装備を整えていても、外が快適になるわけではない。ゴーグルの向こうでは雪が舞い、両側には高い雪の壁が続いている。


愛はさらに歩く速度を上げた。


雪上車や作業員が何度も通った跡が残っているため、新雪を掻き分けて進む必要がないのがせめてもの救いだった。


黙々と歩き続け、途中で一度だけ後ろを振り返る。


黒崎のマンションは、もう見えにくくなっていた。


(……今さら戻るのも馬鹿みたい)


しかも、ここまで来れば蓮のマンションへ向かった方が近い。


愛は再び前を向いた。


(もう少し)


そして十五分ほど経った頃、雪の向こうに大きな建物が見えてきた。


「……あった」


愛の顔に、笑みが戻った。



高級マンションのエントランスへ近づく。


愛は幸運だったのかもしれない。


ちょうど電力が供給されている時間帯で、しかも住民がマンション前の除雪作業をしていたため、自動ドアはロックされていなかった。


愛が当然のように中へ入ったことで、作業をしていた住民も特に気に留めなかった。


自動ドアの向こうには照明が点き、広いエントランスが明るく照らされている。


中へ入った瞬間、暖かい空気が愛の身体を包んだ。


「……暖かい」


思わず声が漏れる。


外とは別世界だった。


高い天井に、広いロビー。


大きなソファと石張りの床。


明るい間接照明。


寒波前なら、ただの高級マンションのエントランスだった。


だが、雪の中を十五分歩いてきた愛には、まるで高級ホテルのように見えた。


(やっぱり全然違う)


黒崎のマンションとは何もかも違う。


そして愛の中では、勝手な確信が強くなっていった。


(ここなら普通に暮らせるんだ)


蓮だけではない。


ここに住んでいる人間は、みんな自分たちとは違う生活をしている。


そう思った。


そこで思い出す。


蓮は最上階に住んでいる。


「……何号室だろ」


愛はそこまでは知らなかった。


スマートフォンを取り出し、蓮へメッセージを送る。


『蓮って何号室だっけ?』


数分後。


返信が来た。


『2501。』


愛の口元が緩んだ。


蓮は、まだ何も知らない。



ピンポーン。


突然鳴ったインターホンに、蓮はリビングのモニターへ視線を向けた。


そして、目を疑った。


「……は?」


画面に映っているのは、佐藤愛だった。


スキーウェア姿で、ゴーグルを頭へ上げ、髪にはまだ雪が残っている。


蓮は数秒、本当に何も言えなかった。


通話ボタンを押す。


「……何でここにいる」


愛が笑った。


「来ちゃった」


「来ちゃったじゃねえよ」


蓮の表情が険しくなる。


「恒一は?」


愛の笑顔が少し消えた。


「知らない」


「何があった」


「喧嘩した」


「それで?」


「もうあいつとは無理」


蓮は眉間を押さえた。


訳が分からなかった。


「そこで待ってろ」


蓮はスマートフォンを取り出し、黒崎へ電話を掛けた。


数回の呼び出し音のあと、黒崎が出る。


『……蓮?』


「恒一」


『何だ?』


「愛が俺の部屋の前にいる」


電話の向こうが静かになった。


『……は?』


「今、俺の玄関前」


再び沈黙。


やがて、黒崎が慌てたように聞いた。


『マジか!? あいつ外歩いたのか? 大丈夫なのか!?』


「生きてる。普通に喋ってる」


『……そうか』


黒崎が安堵したように息を吐いた。


それを聞いて、蓮は少し目を細める。


「恒一」


『ん?』


「お前、こんな女を一ヶ月以上守ってきたのか?」


黒崎は答えなかった。


蓮はスマートフォンを手元へ置いたまま、インターホンの通話ボタンをもう一度押した。


「愛」


『何?』


「恒一が何したんだ」


愛は、黒崎が電話越しに聞いていることを知らない。


『何って、何もしてくれないよ。毎日インスタントばっかりだし、何か言ったら今は仕方ないとか、外ではもっと大変とか、そればっか』


電話の向こうで、黒崎は黙っていた。


愛はさらに続ける。


『本当に頼りないんだよ。蓮の方が全然ちゃんとしてるじゃん』


「恒一だって必死にお前を守ってきただろ」


『全然だよ』


そして愛は、まるで当然のように続けた。


『それより、私さ、ここに居させてくれない?』


「何で?」


『一人なんでしょ? だったらいいじゃん。私、邪魔しないよ。掃除もするし、料理もするし』


少し間を置き、愛の声が甘くなる。


『それ以外のことだって……何でもするよ』


蓮の顔から表情が消えた。


電話の向こうからも、何も聞こえない。


「恒一」


蓮が静かに呼ぶ。


『……ああ』


声が、さっきまでと違っていた。


「聞いたな」


『……聞いた』


蓮は少し黙ってから尋ねた。


「迎えに来るか?」


長い沈黙があった。


そして。


『いや』


黒崎が答えた。


『もういい』


「……」


『勝手にしろ』


通話が切れた。



そんなことも知らず、愛はまだ扉の前で自分を売り込んでいた。


『ねえ、蓮。本当に私、何でもするって。料理だって作れるし、掃除もする。洗濯もするよ。一人より二人の方が楽しいでしょ?』


「愛」


『ん?』


声が少し弾んだ。


蓮は冷たく言った。


「お前みたいな女、死んでもごめんだ」


『……え?』


ブツッ。


通話を切った。



ピンポーン。


蓮は無視した。


少しして、もう一度インターホンが鳴る。


それも無視する。


三度目も同じだった。


今度はスマートフォンが震え始める。


『ちょっと待って!』


『どういう意味?』


『蓮?』


『冗談でしょ?』


『開けてよ。』


『蓮!!』


次々とメッセージが届く。


蓮は一つも開かなかった。


しばらくするとインターホンも鳴らなくなり、監視モニターを見ると、愛の姿はもう扉の前から消えていた。



愛はエントランスへ戻っていた。


明るく暖かいロビーのソファへ腰を下ろし、苛立ったようにゴーグルを外す。


「何なのよ……」


蓮にも腹が立つ。


黒崎にも腹が立つ。


全員、自分のことを分かってくれない。


そんなことを考えているうちに、黒崎のことを思い出した。


(……もういい。迎えに来させればいいか)


どうせ、あいつなら来る。


さっきだって自分を追いかけてきた。


愛はスマートフォンを開き、当然のようにメッセージを送った。


『今蓮のマンションにいる。もういいから迎えに来て。』


数分後、返信が来た。


『知るか。』


愛の眉が動く。


続けて、


『もうお前とは別れる。』


「……は?」


愛の顔が歪んだ。


すぐに指を動かす。


『何それ?』


『あんたが勝手にキレたんでしょ?』


『こっちは寒い中にいるんだけど。』


『本当に最低。』


『だからあんたは何やってもダメなんだよ。』


最後に、


『もう二度と連絡してこないで!』


送信。


愛はスマートフォンを握ったまま、鼻で笑った。


「何様なのよ」


その時だった。


何気なく顔を上げた愛の目に、エントランスの壁に貼られた一枚の紙が入った。


【災害時住民連絡グループ】


その下には、大きなQRコードが印刷されている。


寒波発生後、住民同士で情報を共有するために臨時で作られたグループだった。緊急時に少しでも参加しやすいよう承認制にはなっておらず、QRコードを読み取ればそのまま参加できる。


愛はしばらくその紙を見つめた。


そして、スマートフォンを持ち上げる。


「……別に」


蓮じゃなくてもいい。


ここは高級マンションだ。


この暖かいエントランス。


この豪華な内装。


蓮があれだけの食事をしているのなら、他の住民だって似たような生活をしているに違いない。


愛はQRコードを読み取った。


グループへ参加し、そのまま参加者一覧を開く。


男らしい名前。


男性の写真。


一人。


二人。


三人。


愛は何人かへ個別にメッセージを送り始めた。


『突然すみません。今、一階のエントランスにいます。』


『帰る場所がなくて困ってます。』


『少しだけ一緒に居させてもらえませんか?』


最初の一人からは返事がない。


次。


その次。


愛は写真フォルダを開いた。


寒波前に撮った、自分が一番綺麗に見える写真。その中から身体のラインが出る服装のものを選び、メッセージへ添付する。


『家事もできます。料理もします。』


そして、


『何でも言うこと聞きます。』


送信。


数分もしないうちに、スマートフォンが鳴った。


『今、一階?』


愛の顔が明るくなる。


『はい!』


すぐに返信が来た。


『俺一人だから、来てもいいよ。』


愛は小さく笑った。


「ほら」


やっぱり。


自分ならどうにでもなる。



数分後。


一人の男がエントランスへ降りてきた。


三十代後半くらいだろうか。


愛を見るなり、一瞬だけ視線を止める。


「メッセージくれた子?」


「はい」


「こんなところで何してたの?」


愛は簡単に事情を説明した。


彼氏と喧嘩して家を出た。


このマンションに住んでいる知り合いを頼ってきたが、部屋へ入れてもらえなかった。


「知り合い?」


「神崎蓮」


男の表情が変わった。


「神崎?」


「知ってるんですか?」


「知ってるも何も、今このマンションで一番嫌われてる奴だよ」


「え?」


愛は初めて聞いた。


男は歩きながら話す。


「共同備蓄にも協力しない。部屋の確認も拒否。救援物資だって支援対象から外されてる」


「……物資も?」


「ああ。完全に孤立してる」


愛は思わず足を止めそうになった。


救援物資をもらっていない。


それなのに、


焼き魚。


豚汁。


すき焼き。


ステーキ。


(じゃあ……)


頭の中で、また勝手な想像が膨らんでいく。


(他の住民は、どれだけ持ってるの……?)


期待を膨らませながら、愛は男について部屋へ入った。


男は扉を閉めると、愛を見る。


「ここに置いてやってもいいけど」


「うん」


「メッセージに書いてたよな」


「何を?」


「何でも言うこと聞くって」


愛は少し黙った。


ここで断れば、また一人になる。


蓮には拒絶された。


黒崎にも戻れない。


でも、この男なら。


きっと蓮以上にいい生活をしているはず。


そう思った。


「……うん」


愛は答えた。


男はその返答を聞いて笑みを浮かべると、愛を寝室へ案内した。



しばらく後。


愛はソファに座っていた。


男へ声を掛ける。


「ねえ、お腹空いた」


「ん?」


「何か食べさせて」


男は面倒そうに立ち上がると、棚を開けた。


少し探し、缶詰を一つ取り出す。


そして愛へ放り投げた。


「ほら」


愛の膝へ落ちたのは、


ツナ缶。


一個。


「……は?」


愛は缶詰と男を交互に見た。


「これだけ?」


「何が?」


「ご飯」


「そうだけど」


「もっとマシなのないの?」


男が眉を寄せる。


「あるわけねえだろ」


「え?」


「今どんな状況だと思ってんだよ」


愛は言葉を失った。


「でも……ここ、高級マンションでしょ?」


男は呆れたように笑った。


「高級マンションなら食料湧いてくんのかよ」


「……」


「嫌なら食わなくていい」


愛はしばらく缶詰を見ていた。


そして立ち上がった。


「もういい」


「は?」


「帰る」


「おい」


愛はすぐに着替え、そのまま部屋を出た。


男は追いかけなかった。


閉まった扉を見て、鼻で笑う。


それだけだった。



愛は再び住民グループを開いた。


きっと、たまたまハズレを引いただけ。


そう自分に言い聞かせ、今度は別の男へメッセージを送る。


ただし、今度は先に確認した。


『食べ物ありますか?』


少しして、


『あるよ。』


『何があります?』


『カップ麺と缶詰。あと乾パン。』


愛は返信をやめた。


次。


また次。


そして、別の男から返事が来る。


『うちは温かいものくらいなら食べられるよ。』


愛の指が止まった。


『行っていいですか?』


『いいよ。』



今度の男は、四十代くらいだった。


愛を見るなり、嬉しそうに部屋へ招き入れる。


「寒かっただろ」


「うん」


愛は中へ入った。


だが、すぐに違和感を覚えた。


「……寒い」


部屋の中なのに、明らかに空気が冷たい。


男は当然のように答えた。


「さっき電気止まったからな」


「え?」


「供給時間終わったんだろ」


愛が男を見る。


「電気……止まるの?」


「そりゃ止まるだろ」


「ここって、ずっと使えるんじゃないの?」


男が本気で呆れた顔をした。


「は?」


愛は何も言えない。


「何を今さら? この辺全部制限されてるだろ。ここだけ特別なわけないだろ」


愛はゆっくり部屋を見回した。


高そうな家具。


大きなテレビ。


立派なキッチン。


広いリビング。


確かに、元は豊かな暮らしをしていたのだろう。


だが今はテレビも点かず、暖房も止まっている。部屋の中は少しずつ冷え始めていた。


「ご飯は?」


愛が聞いた。


「さっき温めといた」


男がテーブルを指す。


カップ麺。


それに、小さな缶詰。


愛は動かなかった。


黒崎のところより、全然悪い。


温かいカップ麺がある。


それだけで、この男は十分だと思っている。


その瞬間、愛の頭の中で何かが崩れた。


エントランスが暖かかった。


照明が点いていた。


豪華だった。


だから、このマンションならみんな豊かな生活をしていると思った。


違った。


たまたま、自分が到着した時間に電気が来ていただけだった。


ここも同じなのだ。


食料はない。


電気は止まる。


暖房も止まる。


水だって自由には使えない。


そして、ようやく気付く。


蓮だけが違ったんだ。


「……」


愛は椅子へ座った。


急に何も考えられなくなった。


男がそんな愛の隣へ座る。


「なあ」


愛は顔を上げない。


「寒いしさ」


男が少し笑った。


「二人であったまろうぜ」


愛は何も答えなかった。


怒りもしない。


立ち上がりもしない。


ただ、頭の中が真っ白だった。


そしてなぜか、黒崎の顔が浮かんだ。


『愛、飯できたぞ。』


毎朝、そう言っていた。


『水減ってきたから、俺取ってくる。』


重い容器を持って、階段を往復していた。


『寒くないか?』


夜になると、何度も確認してくれた。


レトルトカレー。


インスタントのスープ。


缶詰のフルーツ。


自分が嫌だと言った食事。


でも。


毎日食べられた。


腹いっぱいになるまで。


暖房が止まれば、黒崎が石油ストーブをつけてくれた。


食料だって、自分の分を減らして愛へ回したことがあった。


それなのに、自分は言った。


能無し。


役立たず。


何にもできない。


愛の目から、一筋の涙が落ちた。


「……あれ?」


自分でも、なぜ泣いているのか最初は分からなかった。


もう一筋、頬を伝う。


男が愛を見る。


「何、泣いてんの?」


愛は答えなかった。


自分は、もっといい生活を選んだつもりだった。


もっと頼れる男のところへ行こうと思った。


蓮が駄目なら、別の男。


自分なら、いくらでも選べる。


そう思っていた。


違った。


選んだんじゃない。


自分から捨てたんだ。


毎日食べられる場所を。


暖かく眠れる場所を。


何の見返りも求めず、自分を心配してくれる人を。


そして、あれだけ馬鹿にしていた男が、この一ヶ月どれほど自分を守っていたのか。


ようやく分かった。


遅すぎた。


愛は両手で顔を覆った。


声は出なかった。


ただ、涙だけが止まらなかった。


男はそんな愛の状態を見ても、下品な笑みを浮かべながら服を脱ぎ始めた。


────────────────


Day 36


電力 △

ガス △

水道 △

通信 ▲


【今日のメモ】


「失ってから初めて、それが贅沢だったと気付く。」


────────────────

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― 新着の感想 ―
愛ちゃん、どうなっちゃうんだこれ、流石に彼氏は来ないよなぁ
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