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氷河期ストレージ ~裏切られて死んだ俺は、30日前に戻り無限収納で世界を生き抜く~  作者: 宵白レン


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第44話 Day 30 一ヶ月

寒波が始まって、一ヶ月が経った。


マンションの新体制以降、ここ数日は大きな暴動こそ起きていない。しかし、それは平穏になったという意味ではなく、むしろ住民たちは、この異常な生活そのものに少しずつ慣れ始めていた。


毎朝決まった時間になると一階へ降り、住民代表からその日の食料を受け取る。パックご飯、缶詰、乾麺、水、時には栄養補助食品。その量は日を追うごとに少なくなっていたが、それでもすでに食料が尽きている家庭にとって、共同配給は文字通り命綱だった。


住民代表による配給制度も、完全に公平というわけではない。見回りや配給作業に参加している住民には「活動に必要だから」という理由で少し多めに食料が渡され、子供や高齢者のいる家庭にも多少の優遇がある。その一方で、寒波前からしっかり備蓄していた家庭ほど損をしていた。


自分たちで金を払い、災害に備えて準備していた食料を共同備蓄へ回し、翌日にはその一部が何も準備していなかった家庭へ配られる。当然、不満はあった。それでも制度が続いている理由は単純で、恩恵を受ける人間の方が多かったからだ。


二十八日目には、家宅調査を拒否していた家庭の一つが食料を求めて住民代表のもとを訪れた。父親は自分の分はいらないから、せめて子供の分だけでも欲しいと頭を下げたが、支給は認められなかった。


調査に協力せず、共同備蓄にも食料を出さなかった家庭を例外扱いすれば、最初から協力した住民たちが納得しない。


そう説明されると、多くの住民もその判断を支持した。可哀想だと思う者はいたが、自分たちは出したのに、あの家は出さなかった。それなら仕方ないという考え方が、いつの間にかこのマンションの新しい常識になっていた。



午前七時過ぎ。


蓮はいつものように目を覚ました。


室温は二十二度。暖炉の炎が静かに揺れ、部屋の中だけを見れば一ヶ月前とほとんど何も変わっていないが、カーテンを開ければ現実が分かる。


窓の外は、今日も白かった。


吹雪は以前より多少弱い時間帯もあるものの、完全に止むことはなく、室外温度計は-29.7℃を示している。ここ十日ほど、気温そのものには大きな変化がなく、-27℃、-31℃、-29℃と多少上下しながらも、ほぼ-30℃前後で推移していた。


住民たちは、もうその数字にさえ反応しなくなっている。一ヶ月前なら-10℃でも大ニュースだったというのに、今では-28℃と聞けば、


「今日は少しマシだな」


そんな言葉すら出る。


人間は、どんな異常にも慣れる。


蓮はコーヒーを淹れながら、壁際の電力モニターへ視線を向けた。


マンション全体では昨夜から停電が続いており、この一週間で電力事情はさらに悪化していた。当初は政府や電力会社が発表した時間通りに行われていた計画停電も、今では予定通りに始まり、予定通りに終わる方が珍しい。


二時間の予定が五時間になり、ようやく復旧したと思えば一時間後には再び落ちる。設備故障が重なれば、半日以上停電する地域もあるらしい。


エレベーターも原則停止となり、必要な時だけ管理側が動かしている。高層階に住む者であっても、今では階段を使うしかなかった。


だが、蓮の部屋は違う。


屋上の太陽光設備、大型蓄電池、発電機、それに収納空間には大量の燃料があるため、マンション側の電力が止まっても生活への影響はほとんどない。コーヒーメーカーが止まることもなければ、暖房が消えることもなかった。


蓮は出来上がったコーヒーを手に取り、テレビの電源を入れた。



水道の状況も、かなり悪くなっていた。


完全断水ではなく、低層階では今でも時間帯によって水が出るものの、水圧は明らかに弱く、高層階では蛇口を捻っても一滴も出ない時間が増えている。


そのため、


『今、水出てます!』


という投稿がグループに流れれば、住民たちは一斉にバケツや鍋、浴槽、空のペットボトルへ水を貯め始める。


以前なら蛇口から水が出ることなど、誰も意識しなかった。今では、水が出るというだけで、その日の生活が少し楽になる。


風呂に毎日入る家庭など、もうない。数日に一度、僅かな湯で身体を拭き、髪を洗うのもできるだけ我慢する。洗濯に至っては、ほぼ皆無だった。


ガスも同じだった。供給圧が安定せず、使える時間と使えない時間があるため、寒波初期には防災用品に過ぎなかったカセットコンロが、今では多くの家庭にとって日常の調理器具になっている。


そして最後まで比較的安定していた通信にも、少しずつ異変が出始めていた。


画像が開かない。


メッセージが送信中のまま止まる。


電話が途中で切れ、突然圏外になったかと思えば、しばらくすると戻る。


まだ使える。


だが、誰も「明日も使える」とは思っていなかった。



テレビには、


『寒波発生から一ヶ月』


という文字が表示されていた。


画面には各地の状況が次々と映し出されている。雪に埋もれた住宅街では一階部分が完全に雪の中へ消え、二階の窓から外へ出入りしている家族の姿があった。


市街地では平均で数メートルの積雪が続き、吹き溜まりの激しい場所では五メートルを超え、一部では六メートル近くに達しているという。平屋は屋根付近まで雪に埋まり、一戸建ての一階が完全に使えなくなっている地域も多い。


映像が切り替わる。


自衛隊の雪上車。


その後ろを歩く救助隊。


さらに学校の体育館へ場面が移り、大量の毛布とストーブの周囲へ集まる人々が映し出された。


『寒波発生から一ヶ月となりましたが、現在も全国各地で極めて深刻な状況が続いています。停電、断水、通信障害は広い範囲で拡大しており、一部地域では自治体との連絡そのものが取れない状態となっています。』


その途中で画面が一瞬乱れ、音声が途切れた。


蓮が眉を上げる。


数秒後、映像は戻った。


『政府は電力、水道、通信など生命維持に必要なインフラの復旧を最優先にするとしていますが、道路の寸断、燃料不足、設備故障、人員不足などにより、復旧作業は難航しています。』


画面が変わり、今度は病院の廊下にまで並ぶ患者たちが映し出される。次は救援物資を待つ長い列、その次には雪に埋まった住宅から運び出される人の姿。


アナウンサーの表情は、以前とは比べものにならないほど疲れていた。


『また人的被害についても、現在正確な全容を把握できていません。警察、消防、自治体と連絡の取れない地域が増えており、政府は死者および行方不明者の正確な人数について、現時点で集計が困難であるとしています。』


蓮はコーヒーカップを持ったまま、画面を見つめた。


死者が多い。


それだけではない。


死者を数える仕組みそのものが、壊れ始めている。


テレビでは政府関係者の会見が始まった。


『救援活動は現在も継続しております。国民の皆様には引き続き、不要不急の外出を避け――』


ブツッ。


突然テレビが消え、蓮の部屋の照明も一瞬だけ落ちた。マンション側の電力が切り替わったらしく、数秒後には蓮の部屋だけが蓄電設備へ移行して照明を取り戻したが、テレビはまだ再起動中のままだった。


蓮はリモコンを置いた。


「一ヶ月か」


一ヶ月前、住民たちは政府の言葉を信じていた。


三日。


一週間。


長くても二週間。


そのうち終わる。


救助が来る。


電車も動く。


スーパーも開く。


そんな話をしていた。


今、同じ言葉を信じている人間がどれだけ残っているのか、蓮にも分からなかった。



午前十時。


一階ロビーには、今日も配給を待つ住民たちが並んでいた。


停電のため照明は最低限しか点いておらず、住民たちは厚手の防寒着を着たまま、自分の順番が来るのを待っている。


だが、いつもの時間になっても配給は始まらなかった。


「まだですか?」


「もう十時過ぎてるよ」


「何かあったのかな」


少しずつざわめきが広がり始めた頃、住民代表の一人が長机の前へ出てきた。


その表情を見た何人かの住民が黙る。


明らかに、良い話ではなかった。


「皆さん、少し聞いてください」


ロビーが静かになる。


「今日の配給を始める前に、お伝えしなければならないことがあります」


代表は手元の紙を確認した。


「昨日、共同備蓄の残量を改めて計算しました。現在の配給量を維持した場合……残りは四日程度です」


一瞬、誰も声を出さなかった。


そして、その意味を理解した瞬間、


「……四日?」


誰かが呟き、次の瞬間にはロビー全体へざわめきが広がった。


「ちょっと待ってください!」


「この前あんなに集めましたよね?」


「何で四日しかないんですか!」


「次の救援物資は?」


「いつ来るんですか?」


代表が声を張る。


「落ち着いてください! 現在、管理会社や自治体にも確認しています!」


「いつ来るんですか!」


その問いに、代表はすぐには答えなかった。


それだけで、全員が察した。


「……現時点では、次回の救援物資がいつ届くのか確認できていません」


ロビーの空気が一気に重くなった。


四日。


その後、何を食べるのか。


誰も答えを持っていなかった。



その日の配給量は、急遽さらに減らされた。


昨日まで一日分として配っていた量から二割ほど少なくなり、当然、不満も出た。


「これじゃ足りない」


「子供いるんですよ」


「昨日より少ないじゃないですか」


だが、誰も本気で暴れなかった。


食料そのものがない以上、怒ったところで増えるわけではない。住民たちは小さくなった袋を受け取り、不安を抱えたままゆっくりと自分の部屋へ戻っていった。


しかし午後になると、住民グループでは別の話が始まった。


『確認なんですが、家宅調査を拒否した家庭って、まだ食料を出してないんですよね?』


しばらく返信はなかったが、やがて一人が答える。


『そうだと思います。』


別の住民も続いた。


『こっちは家の中全部見せて、食料まで出したんですけど。』

『拒否した家は何も出してない。』

『それなのに共同備蓄が四日しかないって、おかしくないですか?』


一度火が付くと、流れは早かった。


『最初から全家庭に協力してもらうべきだったんじゃないですか?』

『自分たちだけ食料隠してるってことですよね。』

『今まで配給受け取ってない家なら、まだ食料持ってるんじゃないですか?』

『十三階の家もそうですよね。』

『他にも拒否した部屋あります。』


Day25の時、住民たちは調査を拒否した家庭を「自分勝手」だと責めた。


だが今は、意味が違う。


自分勝手だから腹が立つのではない。


その家にある食料を出させれば、自分たちはもう少し長く食べられる。


そう考え始めていた。



午後一時過ぎ。


ついに蓮の名前が出た。


『そういえば最上階の神崎さんって、ずっとだんまりですよね?』

『最初からほとんどやり取りしてませんよ。』

『家宅調査も拒否してましたよね。』

『じゃあこの一ヶ月、何食べてるんですか?』


蓮はソファに座りながら、そのやり取りを眺めていた。


さらに誰かが書き込む。


『寒波前、神崎さんの部屋ってずっと工事してませんでした?』

『してた。』

『業者かなり来てたよね。』

『玄関も工事してなかった?』

『かなり大掛かりだったと思う。』


そして一人が、


『まさか寒波来るの知ってたとか?』


と書いた。


さすがにすぐに否定が入る。


『それは考えすぎでしょ。』

『でもタイミング良すぎない?』

『家宅調査拒否して、一ヶ月配給なしで普通に生活できてるんですよ?』


そこで流れが止まった。


確かに、そうだった。


食料がないと言っているわけではない。


だが、配給には来ない。


水を求めてもいない。


共同備蓄にも頼らない。


助けを求める連絡さえしてこない。


それでも一ヶ月、普通に生きている。


なら、何か持っている。


そう考える方が自然だった。



住民たちの想像は、そこから少しずつ膨らんでいった。


『最低でも一ヶ月分は備蓄してたってことですよね?』

『まだ余裕あるなら、それ以上でしょ。』

『神崎さん一人暮らしですよね?』

『一人ならかなり余ってるんじゃない?』

『少しくらい出してくれてもいいと思う。』


やがて住民代表から、蓮へ直接メッセージが入った。


『神崎さん。共同備蓄が危機的な状況になっています。以前は家宅調査を拒否された場合、今後の支援対象から外すことで対応しましたが、状況が大きく変わりました。改めて備蓄状況の確認にご協力いただけないでしょうか。』


蓮はメッセージを読むと、迷うことなく返信した。


『お断りします。』


送信から数秒後、住民グループが動いた。


『え?』

『この状況でも?』

『みんな協力してるんですよ。』

『食料持ってるなら出してくださいよ。』

『自分だけ助かればいいんですか?』


蓮はしばらくその流れを眺めていた。


住民代表から、もう一件届く。


『神崎さん。以前とは状況が違います。現在はマンション全体の生命に関わる問題です。』


蓮は返信した。


『家宅調査を拒否した場合、今後の支援対象から除外する。それがそちらから提示された条件だったはずです。』


少しして返事が来る。


『その通りです。』


蓮は続けた。


『私は調査を拒否し、それ以降一度も配給を受け取っていません。救援物資も要求していません。そちらが決めた条件には従っています。何か問題がありますか?』


グループが一瞬、静かになった。


正論だった。


調査を拒否してもいい。


その代わり、助けない。


それを決めたのは住民たち自身だった。


だが、数十秒後。


一人の住民が書いた。


『でも、状況が変わったんですよ。』


そこから次々と反応が付く。


『そうです。』

『今は全員が危ないんです。』

『前とは違います。』

『ルールだって状況に合わせて変えるべきでしょう。』

『命がかかってるんですよ。』


そして最後に、一件。


『神崎さんの食料だからって、今は神崎さん一人だけのものじゃないと思います。』


蓮の指が止まった。


何度かその文章を読み直し、やがて口元が僅かに上がる。


「俺の物じゃない、か」


まだ誰も見ていない。


何があるのか。


どれだけあるのか。


そもそも食料なのかすら確認していない。


それでも、すでに自分たちにも権利があると思い始めている。


蓮はスマートフォンをテーブルへ置いた。


通知音が続く。


一件、三件、五件、十件、二十件と増えていったが、蓮はもう画面を見なかった。


コーヒーを一口飲む。


「……やっと俺の番か」



夕方。


停電はまだ続いており、水道も昼からほとんど出ていない。通信も何度か途切れていたが、それでも住民グループだけは蓮の話で埋まり続けていた。


そして、一件。


今までとは少し違う投稿が流れた。


『明日、神崎さんと直接話した方がいいんじゃないですか?』


すぐに反応が続く。


『賛成です。』

『代表だけじゃなくて、何人か一緒に行った方がいいと思います。』


さらに、


『もうお願いする段階じゃないでしょう。』


その投稿には、多くのリアクションが付いた。



その頃。


蓮は夕食の準備をしていた。


炊きたての米。


鯖の塩焼き。


だし巻き卵。


味噌汁。


漬物。


一ヶ月前なら、どこにでもある普通の夕食だった。


だが今、同じマンションの中では、ステーキやすき焼きよりも、ある意味贅沢な食事になっている。


炊きたての白米を、腹いっぱい食べられる。


それだけでも、もう別世界だった。


蓮は鯖を皿へ乗せながら、監視モニターへ視線を向けた。画面には薄暗い廊下が映っており、マンションのどこかでは、明日何人で蓮のところへ行くのか、そんな話がされている。


だが蓮にとって、問題ではなかった。


「明日か」


茶碗によそった米を一口食べ、ゆっくりと咀嚼する。


「さて」


蓮は小さく笑った。


「何人で来るかな」


────────────────


Day 30


外気温 -29.7℃


電力 △

ガス △

水道 △

通信 ▲


【今日のメモ】


「一ヶ月。まだ世界は動いている。ただ、もう正常には動いていない」


────────────────

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