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氷河期ストレージ ~裏切られて死んだ俺は、30日前に戻り無限収納で世界を生き抜く~  作者: 宵白レン


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第43話 Day 26 多数派

午前九時を過ぎた頃から、一階ロビーには住民たちが集まり始めていた。


昨日行われた各家庭の備蓄調査によって、米、缶詰、レトルト食品、水、乾麺など、それなりの量が共同備蓄として集められている。調査に協力した住民の多くは、自分の家から何かしらの食料を持ち出されたことに不満を抱いていたが、住民代表が約束した「翌日から公平に配る」という言葉を信じ、今日は朝から配給が始まるのを待っていた。


午前十時。


長机の向こうには住民代表六人が並び、その後ろには昨日集められた食料が種類ごとに整理されていた。以前の配給とは違い、今回は全世帯へ同じ袋を渡すわけではなく、昨日確認した各家庭の備蓄量や世帯人数をもとに、それぞれ異なる量を渡す方式になっている。


住民代表の一人が、事前に作成した一覧表を確認した。


「703号室。一名世帯ですね」


「はい」


「昨日の調査では、ご自宅の備蓄はほぼないということでしたので、こちらになります」


渡された袋には、パックご飯、缶詰、レトルト食品、乾麺、それに水が入っていた。


受け取った女性は中身を確認すると、思わず顔を緩めた。


「こんなにもらえるんですか?」


「一日分と、少し予備です。できるだけ節約してください」


「ありがとうございます。本当に助かります」


女性は何度も頭を下げた。


その後ろに並んでいた老人も袋を受け取ると目を潤ませ、震えるような声で言った。


「昨日はもう、食べる物がほとんどなくてね……」


「何かあれば必ず言ってください」


「ありがとう。本当にありがとう」


列の中からも、少しずつ安堵の声が漏れ始めた。


昨日まで食料がほとんどなかった家庭にとって、今回の制度は明らかに救いだった。自分たちの家にはもう何もなくても、マンション全体で食料を集めたことで今日も食べることができる。


彼らからすれば、この仕組みは間違いなく公平だった。



だが、全員が同じように感じていたわけではない。


昨日、米三キロや缶詰を提供した四人家族の番が来た。


代表が世帯番号を確認し、袋を一つ差し出す。


「こちらです」


夫は受け取った袋へ目を落とし、そのまま眉を寄せた。


「……これだけですか?」


「四人世帯ですので、他のご家庭より多めになっています」


男は袋を開けた。


確かに一人暮らしの家庭よりは多い。


だが、昨日自分の家から持っていかれた量とは比較にならなかった。


「昨日、うち米三キロ出しましたよね」


「はい。記録しています」


「缶詰も五個。レトルトも四つ」


「確認しています」


男は袋を持ち上げた。


「それで今日返ってくるのが、これ?」


周囲の住民たちがこちらを見る中、代表は声を荒らげることなく説明した。


「昨日お預かりした物資を、そのまま各家庭へ返却する制度ではありません。備蓄の少ない世帯や、子供、高齢者のいる家庭なども含め、必要性に応じて配っています」


「それじゃ、うちが損するだけじゃないですか」


「そういう考え方ではなく――」


「いや、そうでしょう」


男の声が少し大きくなる。


「自分たちで金出して、ちゃんと備えてたんですよ。それを昨日持っていかれて、今まで何も準備してなかった家に配ってるんでしょう?」


列の中から声が飛んだ。


「準備できなかった家庭だってあるでしょう」


男が振り返る。


「だからって何でうちが責任取るんですか?」


今度は別の女性が口を挟んだ。


「でも、食べ物がない人に死ねって言うんですか?」


「そんなこと言ってない!」


「同じじゃないですか」


「同じじゃないだろ!」


少しずつ声が大きくなっていく。


だが、ここで以前とは違うことが起きた。


男に同調する者より、制度を支持する人間の方が明らかに多かった。


「昨日まで食べる物なかった家もあるんだから、仕方ないんじゃないですか」


「全員で生きるためでしょう」


「あなたの家はまだ多少残ってるんですよね?」


「うちは昨日、全部見せましたよ」


「そうですよ。今は協力するしかないでしょう」


男は周囲を見回した。


自分の意見に頷いている人間もいる。昨日、自分と同じように多くの食料を出した家庭や、もともとかなり備蓄していた家庭の表情には、確かに同じ不満が滲んでいた。


だが、その人数は少ない。


逆に、昨日までほとんど食料がなかった家庭は多く、今回の制度によって利益を得る人間の方が圧倒的に多かった。


住民代表が静かに言った。


「全員が完全に納得できる制度なんて、今の状況では作れません」


男を見る。


「でも、できるだけ多くの人が生きられる方法を選ぶしかないんです」


男はしばらく何も言わなかった。


やがて袋を強く握ったまま列を離れる。


納得したわけではない。


ただ、これ以上何を言っても多数派には勝てない。


それが分かっただけだった。



昼前には、配給の大半が終了した。


住民グループには、久しぶりに感謝の言葉が並んでいた。


『今日の配給、本当に助かりました。』

『昨日まで食料がほぼなかったのでありがたいです。』

『代表の皆さんありがとうございます。』

『この方法なら争いも減ると思います。』

『これからも続けてほしいです。』


もちろん、その中に不満も混じっている。


『昨日大量に提供した家庭への配慮が少なすぎると思います。』

『提供量も考慮するべきでは?』

『今の制度では備蓄していた人だけ損します。』


だが、反応は少なかった。


一件の不満が流れても、その後には五件、十件と感謝の投稿が続き、不満を訴える側の声は次第に流れの中へ埋もれていく。


そして、ある住民が書き込んだ。


『全員が満足するのは無理ですよ。今は多数が生き残ることを考えるべきだと思います。』


その投稿には多くのリアクションが付いた。


蓮はその文章を見ながら、昼食のスープを口へ運んだ。


「多数ね」


制度そのものには、ある程度の合理性がある。


食料が余っている家庭から集め、食料がない家庭へ配る。全体として見れば、生存できる人数は増えるかもしれない。


問題は、そのために損をする少数側に選択権がないことだった。


昨日までは、


「協力してください」


だった。


今日からは、


「多数がそう決めました」


に変わっている。


蓮はスマートフォンを置いた。


「まあ、俺には関係ないけどな」


当然、蓮の部屋には誰も入っていない。


支援対象からも外されている。


住民グループでは、自分勝手だの、協調性がないだのと何度も名前を出されているが、蓮にはどうでもよかった。


食料も、水も、燃料も、誰かに配ってもらう必要などない。


それより蓮には、少し気になることがあった。


黒崎恒一。


そろそろ、あちらも相当荒れている頃だろう。


そう思った直後、まるでタイミングを合わせたようにスマートフォンが震えた。


表示された名前は、黒崎恒一。



「もしもし」


『蓮?』


「生きてるか?」


電話の向こうで黒崎が笑った。


『第一声それかよ。生きてるよ』


蓮も僅かに笑う。


「そっちはどうだ?」


少しの間、黒崎は答えなかった。


蓮はある程度覚悟していた。


小さな一般的なマンション。


高級住宅ほど設備も良くない。


住民の備蓄量も少ない。


とっくに奪い合いが始まっていてもおかしくない。


だが、黒崎から返ってきた答えは、少し意外なものだった。


『……思ってたより、何とかなってる』


「何?」


『もちろんきついぞ。食い物も減ってるし、暖房も制限してる。でも、まだみんなで何とかしてる』


蓮の眉が少し上がった。


「揉めてないのか?」


『全くってわけじゃないけどな』


黒崎は少し笑った。


『うち、小さいマンションだからさ。二十数世帯しかないし、昔から住んでる人も多いんだよ』


一階の老人。


隣の夫婦。


上の階の子供。


誰がどこに住んでいるのか、だいたい皆知っている。


誰かの暖房が止まれば別の部屋へ呼び、一人暮らしの老人には毎日誰かが声を掛ける。米を持っている家庭、缶詰を持っている家庭、カセットボンベを多めに持っている家庭が、それぞれ少しずつ出し合っているという。


『昨日なんか、三階の婆ちゃんが米もうないって言ったら、四つの家から少しずつ集まったんだぞ』


「……へえ」


蓮は本当に少し意外だった。


黒崎が続ける。


『管理人のおっちゃんも昔から住んでる人だから、誰がどういう家庭なのか知ってるしさ。みんな顔見知りだから、さすがに奪ったりとかは……今のところない』


蓮はしばらく黙った。


前世でも、すべての場所が同じ速度で壊れたわけではない。


人口、建物、備蓄、住民同士の関係。


その違いだけで、崩壊する速度は大きく変わった。


黒崎のマンションは設備では劣る。


だが、人間関係が強かった。


今はそれが、防壁になっている。


「恒一」


『ん?』


「だからって油断するな」


黒崎が黙る。


蓮は続けた。


「今助け合えてるのは、まだ全員が少しずつ出せる物を持ってるからだ」


『……』


「一軒が出せなくなる。二軒目もなくなる。最後に、持ってる家が数軒だけになった時、同じことができる保証はない」


黒崎の声が少し低くなる。


『分かってるよ』


「それと」


蓮は念を押した。


「お前が人に何か渡す時も、持ってる量は絶対に言うな」


『でもさ――』


「助けるなとは言ってない」


蓮は遮る。


「助けたことと、お前がまだ食料を持ってることを、広めるなって言ってる」


電話の向こうが静かになった。


やがて、黒崎が答えた。


『……分かった』


「本当に危なくなったら連絡しろ」


『ああ』


電話が切れる。


蓮はしばらくスマートフォンを眺めていた。


予想外だった。


小さく設備の弱いマンションの方が、今のところ人間らしさを残している。


「面白いもんだな」


建物の値段と、そこに住む人間の強さは、必ずしも同じではなかった。



その頃。


一ノ瀬美咲のマンションでは、全く別の問題が起き始めていた。


「おい」


八階の廊下で、柴田剛が足を止めた。


正面には六人ほどの男が立っている。


見たことのある顔もいた。


以前、剛たちが食料を奪った部屋の住民、その友人、同じ階の男たち。


そして彼らの手には、鉄パイプやバール、工具などが握られていた。


「何だよ」


剛が笑う。


だが、相手は誰も笑わなかった。


「これ以上、こっちの階に来るな」


剛の後ろには、いつもの仲間が四人いる。


以前なら人数だけで相手が引いた。


今日は違った。


「は?」


「聞こえなかったか?」


先頭の男が一歩前へ出る。


「次、誰かの部屋に入ったら」


手にした鉄パイプを持ち上げる。


「こっちもやる」


廊下が静かになった。


剛の仲間の一人が、小声で言う。


「……今日はやめとくか」


剛が振り返る。


「ビビってんのか?」


「相手六人だぞ」


「こっち五人だろ」


「そういう問題じゃねえよ」


以前とは違う。


剛たちが強盗を繰り返したことで、住民側も学んだ。


一人で待っていれば襲われる。


なら、こちらも集まればいい。


剛は舌打ちした。


「チッ」


結局、その日は引いた。



美咲の部屋へ戻った剛は、苛立ったように上着をソファへ投げた。


「今日はなし」


美咲が顔を上げる。


「え?」


「向こうも固まり始めやがった」


「食べ物は?」


「ない」


その一言で、美咲の表情が変わった。


「何も?」


「うるせえな」


剛が苛立ったように答える。


「明日別の階行く」


美咲はテーブルへ視線を落とした。


残っている食料は昨日より少ない。


もちろん今日明日で尽きるほどではないが、今までのように剛が毎日新しい食料を持って帰ってくる保証はなくなり始めていた。


(……役に立たなくなってきてるじゃん)


そう思っても、口には出さない。


「大丈夫?」


表面上は心配そうに聞く。


「ああ」


「無理しないでね」


優しい声。


その裏で頭に浮かんでいたのは、別の男だった。



夜。


美咲はベッドの上でスマートフォンを開いた。


蓮とのトーク画面には、昨日送られてきた写真がまだ残っている。


ステーキ。


赤ワイン。


暖炉。


パン。


美咲は写真を拡大した。


何度見ても腹が立つ。


そして、何度見ても羨ましい。


少し考えてから、メッセージを送った。


『蓮くん、今日は何食べてるの?笑』


送信。


数分後、返信が来た。


『今日はこれ。』


写真が届く。


美咲が開いた。


「……」


テーブルの中央には大きな鍋が置かれ、その周囲には薄く切られた霜降り肉、長ネギ、焼き豆腐、春菊、椎茸、しらたきが並んでいる。


艶のある割り下の中では肉が煮え、その横には生卵と白いご飯。


ワインではなく、今日は冷酒まで置かれていた。


美咲の目がゆっくり細くなる。


続けてメッセージが届いた。


『節約中だから、ご飯は一杯まで。』


「…………」


美咲は自分のテーブルを見る。


夕食は白米を少し。


缶詰。


乾いたクラッカー。


今日は剛が何も持って帰ってこなかったため、昨日より明らかに質素だった。


もう一度写真を見る。


霜降り肉。


生卵。


湯気。


白米。


冷酒。


「……何なの、こいつ」


内心では、怒りが湧いた。


なんで自分はこんな物を食べていて、こいつはすき焼きなのか。


しかも、


「ご飯は一杯まで」


だという。


だが、美咲が送った返信はまるで違った。


『えー!!! すき焼き!?』

『何それめちゃくちゃ羨ましいんだけど!』

『私も食べたい!泣』


そして少し間を置く。


『ねえ、本当に私そっち行っちゃダメ?笑』


送信。


美咲は画面を見つめた。


今度は以前より少し踏み込んだ。


数分後。


蓮から返信が来た。


『今はやめた方がいい。』


美咲の表情が一瞬曇る。


だが、すぐに次のメッセージが届いた。


『外、本当に危ないから。今出るのは無理だよ。』

『吹雪が少し弱まった時なら、その時また考えよう。』


美咲の目が止まった。


もう一度読む。


今はやめた方がいい。


つまり、永遠に駄目とは言っていない。


吹雪が弱まったら。


その時なら。


美咲の口元が、ゆっくり緩んだ。


「……やっぱり」


蓮は自分を拒絶しているわけではない。


危ないから、今は来るなと言っているだけ。


美咲はそう解釈した。


『分かった! 蓮くんがそう言うなら我慢する笑』

『吹雪弱くなったら絶対ね?』


送信。



蓮は、すき焼きの鍋から肉を一枚取り出していた。


スマートフォンが震える。


『吹雪弱くなったら絶対ね?』


蓮はその文字を見て、少し笑った。


約束はしていない。


来ていいとも言っていない。


その時また考える。


そう言っただけだ。


だが、美咲は自分に都合よく受け取った。


それでいい。


むしろ、そのために書いた。


蓮は生卵に肉を潜らせ、口へ運ぶ。


柔らかい肉の脂と甘辛い割り下が口の中へ広がった。


「うまいな」


そして、スマートフォンへ返信する。


『うん。今は絶対出るなよ。』


送信。


美咲からすぐにハートのリアクションが付いた。


蓮はそれを見ても何も言わず、次の肉を鍋へ入れた。


今はまだ来るな。


もっと今の生活に嫌気が差せばいい。


もっと剛への不満を溜めればいい。


もっと、あの写真の食事を欲しがればいい。


そして、ここへ来れば助かる。


そう確信した時に、自分から来ればいい。


────────────────


Day 26


電力 ▲

ガス ▲

水道 ▲

通信 ○


【今日のメモ】


「同じ二十六日目でも、守る者、奪う者、選ぶ者がいた」


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