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氷河期ストレージ ~裏切られて死んだ俺は、30日前に戻り無限収納で世界を生き抜く~  作者: 宵白レン


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第36話 Day 19 扉の向こう

朝。


前日の騒動が嘘だったかのように、マンションは静まり返っていた。


管理人による救援物資の持ち出しが発覚し、ロビーではついに住民同士の殴り合いまで起きた。管理人は共同備蓄の管理から外され、今日からは四人の住民代表が食料を管理することになっている。


午前八時過ぎ、新しい管理体制になって初めての在庫報告が住民グループへ投稿された。


『昨日、管理人宅から返却された物資を含め、共同備蓄の数量を再確認しました。今後は毎朝、残量を公開します』


その下には、米、缶詰、レトルト食品、飲料水などの残量が簡潔に記載されている。以前のように細かな内訳について議論する住民はほとんどおらず、皆が知りたいことは一つだけだった。


『これ、あと何日分ですか?』


少し間を置いて、住民代表から返事が入る。


『現在の人数と配給量で計算した場合、四日前後です。配給量を減らせば、もう少し延ばせる可能性があります』


それを最後に、しばらく誰も書き込まなかった。


管理人が持ち出していた物資は戻ってきた。それでも共同備蓄は、あと四日前後しか持たない。


昨日までは管理人を責めればよかった。食料が足りないのも、配給量が少ないのも、あの男が自分の家族のために物資を抜いていたからだと考えることができた。


だが、その管理人を外して数字をすべて公開した結果、もっと単純で、もっと救いのない現実だけが残った。


食料そのものが足りない。


誰が管理しても、それだけは変わらなかった。


蓮は朝食を取りながら住民グループを眺め、コーヒーを一口飲んだ。


「四日か」


もちろん、自分には関係のない数字だ。収納空間には、もはや一人では一生かかっても食べ切れないほどの物資が眠っている。


だが、マンションの住民たちにとっては違う。たった四日という数字だけが、今の彼らに残された余裕だった。


その時、マンション一階のエントランスからインターホンの呼び出し音が鳴った。



管理室にいた管理人が顔を上げた。


昨日の件があっても、設備管理や外部からの連絡対応まで外されたわけではない。管理人は席を立ち、エントランスのモニターへ向かった。


「……誰だ?」


画面の向こうは吹雪で白く霞んでおり、最初に見えたのは一人の男だった。頭から厚手のフードを被り、顔の半分以上をマフラーで覆っている。防寒着には大量の雪が付着し、肩で大きく息をしていた。


男がインターホンへ顔を近づける。


『すみません! 誰かいますか!』


管理人は通話ボタンを押した。


「どちら様ですか?」


『近くに住んでる者です! お願いします、少しだけ中に入れてもらえませんか!』


管理人の眉が寄った。


「近く?」


『戸建ての住宅街です! もう家にいられないんです!』


男が後ろを振り返ったところで、管理人は初めて気付いた。


一人ではない。


吹雪の向こうから、ゆっくりと人影が現れた。二人、三人、五人と増えていき、さらにその後ろからも人が続き、最終的にエントランス前へ集まったのは十五人ほどだった。


男だけではなく、女性も老人もいる。


そして、その中には子供もいた。



情報はすぐに住民グループへ流れた。


『現在、近隣住民と思われる方々がマンション前に来ています』

『十五名前後です』

『自宅で生活を続けられなくなったため、一時的に避難させてほしいとのことです』


住民たちの反応は早かった。


『入れてあげた方がいいんじゃないですか?』

『外に子供いますよね?』

『こんな寒さで外にいたら死んじゃいますよ』

『ロビーや地下駐車場だけでも使ってもらえば?』


昨日、管理人の不正を責め、食料の分け方で揉めていた住民たち。それでも、目の前に助けを求めている人間が現れれば、最初に出てきたのは善意だった。


特に監視モニターに映っている小さな女の子を見た瞬間、ロビーへ降りてきた女性が心配そうに言った。


「子供くらい入れてあげようよ」


隣にいた男も頷く。


「さすがにこれは放っておけないだろ」


住民代表たちも一階へ集まり始めた。その間もエントランスの向こうでは、男が何度もインターホンへ話しかけている。


『お願いします! 少し休ませてもらうだけでもいいんです!』

『家がもう駄目なんです! 一階は完全に雪に埋まって、屋根までおかしくなってる!』

『避難所にも行きました! でも、もういっぱいで入れなかったんです!』


男の横では妻らしき女性が女の子を抱き締めており、その子はほとんど動かず、寒さに耐えるように母親の胸へ顔を埋めていた。


「開けましょう」


住民代表の女性がそう言ったが、その時、後ろから別の声がした。


「待ってください」


全員が振り返る。声を上げたのは四十代ほどの男だった。


「入れた後、どうするんです?」


女性代表が眉を寄せる。


「どうするって……」


「食料ですよ」


その一言で周囲が静かになった。


男はエントランスの向こうにいる十五人を見ながら続ける。


「今朝、共同備蓄はあと四日って発表されましたよね。十五人増えたら、どうなるんですか?」


「でも、だからって外に――」


「寝る場所は?」


男は言葉を重ねた。


「ロビーに寝てもらうんですか? 暖房は? 水は? トイレは? 食事は一日何回?」


一つずつ現実的な問題が並べられていく。


「それに、一度入れたら、明日出ていってくださいなんて言えないでしょう」


誰もすぐには反論できなかった。



再びインターホンが鳴った。外にいる男だった。


『お願いします!』


その声がロビーに響く。


『何でもします! 掃除でも荷物運びでも何でもします! 食べ物も少しでいい!』


必死だった。演技ではなく、本当に生きるために頼んでいることは誰の目にも明らかだった。


『子供だけでもいい!』


男が叫ぶ。


『俺たちはいいから! この子だけでも中に入れてください!』


女の子の母親が夫の腕を掴み、その姿を見たロビーの住民の何人かが目を逸らした。


「……子供だけなら」


誰かが呟く。


「子供だけでも入れてあげたら?」


しかし別の男が首を振った。


「親と引き離すのか?」


「じゃあ家族三人だけ」


「だったら、あっちの老人は?」


視線の先には、避難民の中に腰の曲がった老人が立っていた。


「老人も入れる?」


「じゃあ女性は?」


「結局全員になるだろ」


声は少しずつ大きくなっていった。


「十五人くらい何とかなるでしょ!」


「その十五人分の食料を誰が出すんだよ!」


「人が死ぬかもしれないんですよ!」


「こっちだって食料なくなったら死ぬんだよ!」


最後の言葉で、ロビーが静まり返った。


誰もそれ以上すぐには言えなかった。


十九日前なら、答えは簡単だったかもしれない。十五人くらい、一晩くらいなら何とかなる。困った時はお互い様で、警察や消防へ連絡すればいい。自治体が何とかしてくれるし、食料ならコンビニへ行けば買える。


だが、今は違う。


自分たちにも、あと四日しかない。



蓮も自室の監視モニターで、その様子を見ていた。


マンション前に集まった人間たちと、ロビーに集まる住民たち。エントランスのガラス一枚を挟んで、二つの集団が向かい合っている。


蓮はしばらく何も言わず、やがて小さく呟いた。


「来たか」


こうなることは分かっていた。


戸建て住宅は雪に埋まり、古い建物では暖房も維持できない。避難所にも収容できる人数には限界があり、そこへ入れなかった人間は次の場所を探すことになる。


電気がある。暖房がある。まだ人が生活している。


そんな建物へ。


問題は今日の十五人ではない。


「一度開けたら、次も来る」


蓮は画面を見つめた。


今日十五人を助け、その情報が広まれば、次は二十人、三十人、百人と増えていく可能性がある。その時になって「もう無理です」と言えるのか。


蓮は答えを知っていた。


だからこそ何も言わず、住民たちがどんな選択をするのかを見ていた。



結局、住民代表だけでは決められなかった。


午後一時、住民グループで緊急の意思確認が行われた。外部避難者十五名前後をマンション内へ一時的に受け入れるか、各世帯から一票を投じて決める。


最初は賛成が多かった。


子供がいる。老人もいる。目の前で困っている。


その事実を前にすれば、人間は簡単には反対を押せない。


だが、時間が経つにつれて反対が増えていった。


『食料の保証ができません』

『受け入れるなら、食事はどうするんですか?』

『共同備蓄から出すなら反対です』

『自分たちで食料を持っているなら賛成します』

『あの人たち、荷物ほとんど持ってないですよ』

『十五人で終わる保証ありますか?』


そして結果が出た。


受け入れ反対。


僅差だった。


誰も喜ばなかった。



住民代表の男がインターホンの前へ立った。


何度か口を開こうとしてはやめ、しばらくガラスの向こうにいる人々を見つめたあと、ようやく通話ボタンを押した。


「……すみません。こちらも食料と水に余裕がありません。住民で話し合った結果……受け入れることはできません」


外の男が顔を上げた。


数秒間、何も言わなかった。まるで今聞いた言葉の意味を理解できなかったように、暖かなロビーの中に立つ住民たちを見つめている。


『……え?』


「申し訳ありません」


『待ってください』


男がガラスへ近づいた。


『本当に少しでいいんです』


「……」


『床でいい! 廊下でもいい! 食べ物も少しでいいから!』


男の声が震える。


『お願いします! 子供がいるんです!』


男は必死にガラスを叩いた。


『お願いします! 開けてください!』


女の子は母親に抱かれたまま、暖房の効いたロビーに立つ住民たちを見ていた。その中には何人もの大人がいるのに、誰一人として女の子と目を合わせようとはしなかった。


やがて父親はガラスから手を離し、何かを言おうとしたものの結局口には出さなかった。


彼らは再び吹雪の中へ歩き始め、一人、また一人と白い世界へ姿を消していく。


最後まで見えていたのは、女の子を抱いた母親の背中だった。


それも数十秒後には、雪の中へ完全に消えた。



夕方になっても、マンションには異様なほど重い空気が残っていた。グループチャットにもほとんど投稿がなく、昼間の投票について積極的に話そうとする者はいない。


しばらくして、一人が書き込んだ。


『仕方なかったと思います』


しかし、反応は付かなかった。


別の住民が、


『避難所に入れるといいですね』


と書いたが、それにも誰も返信しなかった。


皆、分かっていた。


「仕方なかった」と言えば少しは楽になる。


だが、自分たちは今日初めて、助けを求める人間に対して扉を開けなかった。その事実だけは消えない。



午後十一時過ぎ。


ロビーに降りてきた住民が、エントランスの外へ目を向けたところで足を止めた。


「……あれ?」


雪の向こう、壁際に黒いものが見えた。最初は雪の塊かと思ったが、よく見ると形がおかしい。


人だった。


昼間、マンションへ来た避難民の一人。四十代か五十代くらいの男で、集団の後ろの方にいてほとんど喋っていなかった人物だった。


その男が、壁にもたれるように座っている。


「ちょっと……」


住民はガラスへ近づいたが、男は動かない。


「誰か来て!」


声を聞いた住民たちが次々とロビーへ降りてきて、管理人も住民代表も集まった。


「あの人……昼間の人ですよね?」


「そうだ」


「戻ってきたの?」


「いつからいるんだ?」


誰にも分からなかった。


男の肩にはかなり雪が積もっている。


「インターホン鳴らしてないの?」


管理人が首を振る。


「聞いてない」


「じゃあ……」


誰かがその先を言えずに口を閉じた。


住民代表の一人がエントランスのガラスを強く叩く。


「すみません! 聞こえますか!」


反応はない。


もう一度強く叩いたが、それでも男は動かず、ロビーに集まった住民たちから少しずつ声が消えていった。


「確認した方がいい」


「でも外は……」


「このままにするの?」


「消防に連絡は?」


「繋がるか分からない」


数分間、誰も決められなかった。


結局、完全防寒装備を持っていた住民二人が腰にロープを巻き、外へ出ることになった。


扉が開いた瞬間、猛烈な風と雪がロビーへ吹き込む。


「早く閉めろ!」


二人が外へ出るとすぐに扉が閉められ、残った住民たちは全員、ガラス越しにその様子を見守った。


一人が男の肩へ触れ、軽く揺らす。反応がないため、今度は強く揺らしたが、それでも身体は動かなかった。


もう一人がしゃがみ込み、男の首元へ手を当てる。


数秒だった。


だが、ロビーから見ている者たちにはひどく長く感じられた。


やがて、その住民が顔を上げ、ガラス越しにこちらを見ている住民たちへ視線を向けると、何も言わずにゆっくりと首を横に振った。


誰かが小さく息を呑み、女性の一人が口元を押さえた。


「……嘘」


誰もその言葉に答えなかった。



男の遺体は、すぐには建物の中へ入れられなかった。


警察にも消防にも連絡を入れたが、すぐに来られる状況ではない。結局、遺体は風雪を避けられる場所へ移され、簡易的にシートを掛けることしかできなかった。


作業が終わると、住民たちは一人また一人と自分の部屋へ戻っていった。誰もほとんど喋らず、エレベーターを待つ間も互いの顔を見ようとしなかった。


昼間、あの男は生きていた。


同じ場所に立ち、こちらを見ていた。


そして、自分たちは扉を開けなかった。


もちろん、誰も殺していない。マンションの住民に男を助ける義務があったわけでもないし、受け入れていれば共同備蓄はさらに早くなくなっていた。次に何十人来るかも分からない以上、判断そのものは間違っていなかったのかもしれない。


それでも結果として、人が一人死んだ。


その事実だけは、どんな理屈を並べても消えなかった。



住民グループは完全に沈黙していた。昼間まで食料の量、配給、公平、そんな話で埋め尽くされていた場所に、誰も何も書かない。


三十分ほどして、一件だけ投稿された。


『昼間、入れてあげればよかったんでしょうか』


誰も答えなかった。


十分後、別の住民が書いた。


『でも、全員受け入れていたら私たちの食料もなくなります』


それにも返事はなく、再び沈黙だけが続いた。


正しい答えを持っている者など、一人もいなかった。



蓮は監視室で、エントランスの映像を見ていた。


壁際にはシートを掛けられた人影があり、その前を通る住民は必ず一度だけ視線を向け、そこに何があるのか確認すると、すぐに目を逸らしていく。


蓮もしばらく何も言わなかった。


前世ではもっと酷いものを見た。飢えた人間も、凍死した人間も、食料を奪われた人間もいた。助けを求めても誰にも助けてもらえず、そのまま動かなくなった人間だって見てきた。


だから驚きはしない。


だが、慣れることもなかった。


「……始まったな」


蓮は静かに呟いた。


今日までこのマンションの住民たちは死を知っていた。ニュースでは毎日死者数が増え、ネットにも悲惨な映像が流れている。


それでも、どこか遠い場所の出来事だった。


自分の家ではない。


自分のマンションではない。


自分の目の前ではない。


だから、まだ現実との間に距離を置くことができた。


今日、それが初めてエントランスの扉一枚向こうまで来た。


しかも、昼間には確かに生きていた人間だった。


蓮はモニターから視線を外した。


明日から住民たちは食料を見る目を変える。


缶詰一個、パックご飯一つ、水一本。それがなくなった先に何が待っているのか、もう想像する必要はない。


全員が見てしまったからだ。


────────────────


Day 19


電力 ▲

ガス ▲

水道 ▲

通信 ○


【今日のメモ】


「扉一枚の向こうで、人が死んだ」


────────────────

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