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氷河期ストレージ ~裏切られて死んだ俺は、30日前に戻り無限収納で世界を生き抜く~  作者: 宵白レン


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第30話 Day 13 監視

寒波が始まって十三日目。


蓮が目を覚ました時、部屋の中はいつもと何も変わっていなかった。暖炉の炎は静かに揺れ、室温は二十二度に保たれ、蛇口を捻れば水が出る。照明も問題なく点き、外では世界そのものが凍りついているというのに、この部屋だけを見れば十三日前とほとんど同じ日常が続いている。


蓮はコーヒーを淹れてソファへ腰を下ろし、テレビをつけた。


今日も画面には雪に埋もれた住宅地が映っていた。昨日から報道され始めた戸建て住宅の被害は、さらに深刻になっている。


『積雪により孤立した住宅からの救助要請が急増しています。消防、自衛隊、警察による救助活動が続いていますが、すべての要請に対応することは困難な状況です。』


画面には、自衛隊員が雪を掘り進める姿や、二階の窓から救助される老人、屋根の一部が雪の重みで潰れた住宅が次々と映し出された。別の地域では、住民たちが身体にロープを結び、互いを見失わないようにしながら雪の中を移動している。


『また、避難所の収容人数が限界に近づいている地域も増えており、自治体は大型商業施設、ホテル、公共施設などへ新たな避難場所を確保するよう要請しています。』


次に映ったのは大型体育館だった。


床という床に毛布が敷かれ、通路さえほとんど残っていないほど人で埋まっている。


『こちらの避難所では、当初の想定人数を大きく上回る避難者を受け入れています。』


インタビューを受けた男性が、疲れ切った顔で答えた。


「家が雪で潰れそうになって……仕方なく出てきました。でも、ここもいっぱいです。」


隣には妻と小さな子供がいた。


「食事も、一日二回になりました。」


母親はそう言いながら、自分が掛けていた毛布を外し、震えている子供の肩へ掛けた。


「お母さんは?」


「大丈夫。お母さんは寒くないから。」


明らかな嘘だった。


蓮はその光景を黙って見ていた。


――親、か。


蓮にも、かつては両親がいた。二人を亡くしたのはまだ幼い頃だったが、愛されていた記憶は今でも残っている。だからこそ、それを失った後にできた空白も長かった。


誰かに必要とされたかった。


誰かに、自分だけを見てほしかった。


前の人生で一ノ瀬美咲の言葉を信じ続けたのも、利用されていることに気づきながら目を逸らしていたのも、もしかするとその空白を埋めたかったからなのかもしれない。


「……くだらない。」


それが過去の自分へ向けた言葉なのか、一ノ瀬へ向けたものなのか、蓮自身にも分からなかった。


『避難所では食料の不足も深刻になっています。』


テレビから聞こえたアナウンサーの声に、蓮は視線を戻した。


一日三食。


そんな当たり前すら、すでに崩れ始めている。


画面では専門家が避難所の食料不足について説明を続けていたが、蓮はコーヒーを一口飲むと、頭の中を別の方向へ切り替えた。


避難所がいっぱいになる。


ホテルもいっぱいになる。


大型施設もいっぱいになる。


それでも雪の下から、人は次々と出てくる。


行く場所を失った人間が次に探すものは、まだ人がいて、暖かく、生きられそうな場所だろう。


「高い建物だろうな。」


マンション、オフィスビル、病院。まだ明かりが点いていて、人間が暮らしていると分かる場所。


このマンションにも、いずれ外から人が来る。


前世を経験していなくても、その程度は予想できる。自分の家で凍え死ぬくらいなら、人がいる場所を探すのは当然だ。


問題は、その時このマンションの住民たちに、外から来た人間を受け入れる余裕が残っているかどうかだった。


ただ、それはもう少し先の話だ。


今は、中にいる人間だけで十分に問題が起き始めている。



午前九時。


住民グループは、昨日の盗難事件の話で埋まっていた。


『九階の件、その後何か分かりましたか?』

『管理人さん、映像もう一度確認しました?』

『服装とかで誰か分からないんですか?』


管理人が返信する。


『録画映像を再確認しましたが、人物の特定には至っていません。防寒具で顔が隠れており、その後カメラの死角へ入っています。』

『何階の人かくらい分からないんですか?』

『階段方面へ移動しているため、断定できません。』

『じゃあ今後も分からないってこと?』


管理人は少し時間を置いてから返した。


『現状では難しいです。各自で食料、飲料水の管理と戸締まりを徹底してください。』


昨日までなら、それで話は終わったかもしれない。


今日は違った。


『防犯カメラもっと確認した方がいいと思います。』

『他の階にも映ってないんですか?』

『あの時間に廊下に出てた人を確認すれば絞れるんじゃない?』


そして、一件の投稿が入った。


『昨日のその時間、十階の人が階段使ってませんでした?』


グループが止まった。


すぐに返信が付く。


『誰のことですか?』

『名前は出さないですけど、見ました。』

『何でそれが犯人になるんですか?』

『犯人とは言ってません。』

『でもそういう意味に聞こえますけど。』


昨日の事件を境に、住民たちの目は変わっていた。


昨日までなら、廊下を歩いている人間など、ただの隣人に過ぎなかった。


今日は違う。


なぜ、その時間にそこを歩いていたのか。


ただそれだけの行動にも、意味が生まれ始めている。



十階。


一人の男性がスマートフォンを見ながら、明らかに不機嫌そうな顔をしていた。


妻が隣から覗き込む。


「これ、あなたのことじゃない?」


「多分な。」


「昨日階段使ったでしょ。」


「電気止まっててエレベーター動いてなかったんだから、当たり前だろ。」


男は苛立ったようにスマートフォンをテーブルへ置いた。


「七階の知り合いに薬届けただけだよ。」


「グループに書けば?」


「なんで俺が弁明しなきゃいけないんだ。」


「でも変に疑われたら……。」


「知らねえよ。」


自分は何もしていない。


それなのに、廊下を歩いただけで疑われる。


少し前までなら笑って済ませたかもしれないが、今はそう簡単に流せなかった。


男はしばらく黙っていたものの、やがてスマートフォンを手に取り、文章を打ち込んだ。


『昨日その時間に階段を使っていたのは私かもしれませんが、七階の知人へ薬を届けに行っていました。水の件とは関係ありません。』


投稿すると、すぐに返信が来た。


『誰もあなたとは言ってませんよ。』


その文章を見た瞬間、男の表情がさらに険しくなった。


「……ふざけんなよ。」


自分から名乗り出たことで、逆に自分が疑われていることを認めてしまったような気がした。



別の階では、二人の主婦がそれぞれの部屋の前で、小さな声で話していた。


「十階の人、自分から書いてたね。」


「やっぱり気にしてたんじゃない?」


「でも薬届けてたって。」


「本当か分からないじゃん。」


「まあ……そうだけど。」


少し沈黙したあと、一人が続けた。


「昨日さ、十二階の人も階段降りてたよ。」


「え?」


「見た。」


「何時?」


「覚えてないけど夕方。」


「水なくなったの三時くらいじゃなかった?」


「じゃあ違うか。」


こんな会話が、マンションのあちこちで交わされ始めていた。


蓮にはその声までは聞こえない。


だが、監視モニターを見ていれば変化は分かる。


以前なら廊下で顔を合わせた住民同士は、その場で立ち話をしていた。今は相手が近づけば会話を止め、すれ違ったあとに振り返り、自分の部屋へ戻る前に周囲を確認する。


それだけで十分だった。


「完全に意識し始めたな。」


蓮は小さく呟いた。


泥棒が一人いると分かった瞬間、残りの全員が犯人候補になる。


人間というのは、そういうものだった。



昼前。


住民グループへ一枚の写真が投稿された。


写っているのは、廊下に置かれたゴミ袋だった。


『これ誰のですか?』


一瞬、誰も意味を理解できなかった。


投稿者が続ける。


『中にレトルト食品の袋と缶詰の空き缶がかなり入ってます。』

『だから何ですか?』

『備蓄三日以下って申告してる家庭が多いのに、これだけ食べてる家があるってことでしょ?』

『ゴミ漁ったんですか?』

『漁ってません。袋が破れて中身見えてたんです。』

『それ写真撮って載せる必要あります?』

『でも誰かが嘘ついてる証拠じゃない?』

『何で? 前からあったゴミかもしれないじゃん。』

『ゴミ回収止まってからずっと置いてたってこと?』


議論はすぐに広がった。


誰が食べたのか。


どれくらい食べたのか。


いつ食べたのか。


つい数日前までなら、誰も気にしなかった他人の食事にまで、今は意味が生まれている。


管理人がすぐに書き込んだ。


『皆様、各家庭のゴミや私物を確認したり撮影したりする行為は控えてください。不要なトラブルにつながります。』

『すみません。』


写真は削除された。


だが、もう遅かった。


すでに百人近い人間が見ており、その中の何人かは「あのゴミはどの階だったのか」と記憶している。



午後。


管理室では、管理人が住民から寄せられたメッセージを一件ずつ確認していた。


盗難、備蓄、水、食料、廊下、ゴミ。


誰が何を持っているのか。


誰がいつどこを歩いていたのか。


ここ数日で、管理人の仕事は完全に変わっていた。


以前なら設備や清掃、業者対応、住民からの一般的な問い合わせが中心だった。


今は、住民同士の仲裁が最も多い。


「俺、警察じゃねえんだけどな……。」


管理人は額を押さえた。


その時、住民グループに新しい投稿が入った。


『すみません。食料が今日でほぼなくなります。予備の救援物資を少し分けていただけませんか?』


管理人は画面を見る。


1102号室。


一人暮らしで、以前から食料が少ないと申告していた部屋だった。


管理人は予備物資へ目を向ける。


まだ残っている。


だが、多くはない。


次の救援がいつ来るかも分からない。


一人へ渡せば、次も来る。


それが分かっている。


しばらく考えてから返信した。


『状況を確認しますので、個別に管理室までご連絡ください。』


数分後、男が管理室へやって来た。


頬が少し痩せている。


「すみません。」


「どれくらい残ってます?」


「今日の夜までです。」


「本当に?」


管理人が思わず聞いた。


男が顔を上げる。


「……本当です。」


「いや、すみません。」


口にしてから、管理人自身が気づいた。


もう、自分も疑っている。


この男は本当に食料がないのか。


隠している物はないのか。


少なく申告しているのではないか。


以前なら、そんなことは考えなかった。


管理人は少し迷ったあと、パックご飯二つとレトルト食品一つを取り出した。


「これで二日くらい何とかしてください。」


男の顔が明るくなる。


「ありがとうございます。」


「次がいつ来るか分からないので、本当に節約してください。」


「はい。」


男は何度も頭を下げて帰っていった。


管理人はその背中を見送ったあと、予備物資へ視線を向けた。


減った。


当然だ。


困っている住民へ配ったのだから、正しい使い方だった。


それでも胸の中に、小さな感情が生まれた。


また減った。


自分の中にそんな感情が生まれたことに気づき、管理人は少しだけ驚いた。



夕方。


1102号室の男が食料を受け取ったことは、すぐに住民の間へ広がった。


本人が住民グループへ感謝を書いたからだ。


『管理人さん、先ほどはありがとうございました。助かりました。』


善意からの投稿だった。


しかし、すぐに別の住民が反応する。


『予備物資って個別にもらえるんですか?』


管理人が返信する。


『緊急性が高いと判断した場合に限り、最低限の物資をお渡ししています。』

『判断基準は?』

『備蓄状況などを確認して判断します。』

『じゃあ「食料ない」って言えば貰えるってこと?』


管理人の手が止まった。


『そのような意味ではありません。』

『でも自己申告ですよね?』


また、そこへ戻る。


自己申告。


嘘。


公平。


管理人はしばらく画面を見つめた。


このままでは、誰かへ食料を渡すたびに揉める。


渡さなくても揉める。


誰がどれだけ持っているのか分からないのに、自分だけが誰へ渡し、誰へ渡さないのかを決めなければならない。


管理人は椅子へ深く座り込んだ。


「……無理だろ、これ。」


そしてその時、初めて一つの考えが浮かんだ。


各家庭の食料を、一度まとめてしまえばいいのではないか。


誰が何を持っているか分からないから疑う。


誰かが隠していると思うから、不公平だと感じる。


なら、一度全部集めてしまえばいい。


世帯人数に合わせて分け、子供や高齢者、持病のある者には必要に応じて追加する。


そうすれば、少なくとも表面上は公平になる。


管理人はしばらくその考えを追ったあと、自分で首を振った。


「いや……。」


各家庭へ食料を全部出せと言ったところで、素直に応じる人間がどれだけいるのか。


おそらく揉める。


だが、今のままでもいずれ揉める。


管理人は答えを出さなかった。


ただ、その考えだけは、頭から消えなかった。



夜。


蓮はステーキを焼いていた。


厚い肉をフライパンへ置くと、ジュッという音とともに香ばしい匂いが立ち上る。


今、この匂いが廊下へ漏れれば、少し面倒なことになるだろう。


要塞化の際に換気や気密性もかなり強化してあるため、実際には外へ漏れる心配はほとんどない。


それでも蓮は、少しだけ面白く感じた。


以前なら、食事の匂いなど誰も気にしなかった。


今なら、焼いた肉の匂い一つで、人間の目が変わる。


蓮は焼き上がった肉を皿へ移し、赤ワインを注いだ。


スマートフォンを見る。


今日の住民グループは、昨日まで以上に疲れていた。


誰かを疑う。


疑われる。


疑ったことを謝る。


謝ったあとも、心のどこかでは疑い続ける。


誰も得をしていないのに、止めることができない。


蓮は肉を一口食べた。


「そろそろ管理人も考える頃か。」


今の状態では、物資を管理している人間に判断が集中する。


誰へ渡すのか。


誰には渡さないのか。


誰を優先するのか。


何を基準にするのか。


その負担から逃れようとすれば、人間が思いつく方法はだいたい同じだ。


全部まとめて、ルールで管理する。


蓮はワインを一口飲んだ。


前世でもそうだった。


最初は、みんなで助け合おうとする。


次に、公平に分けようとする。


その次には、全部集めて管理しようとする。


そして最後には、出さない人間の方がおかしいと言い始める。


蓮はスマートフォンを伏せた。


今夜はまだ、誰もそんなことを口にしていない。


だが、その言葉が出るまで、もうそれほど時間はかからないだろう。


────────────────


Day 13


外気温 -30℃前後


積雪 六メートル超


電力 ▲

ガス ▲

水道 ▲

通信 ○


【今日のメモ】


「疑いは、嘘を暴くためではなく、次の嘘を生むために広がっていく。」


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