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氷河期ストレージ ~雪が止んだ日、世界は再び動き始めた~  作者: 宵白レン
第二章

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第41話 ないなら

「なんだ? 何かおかしなことを言ったか? 国がやってるなら、俺たちもやっていいだろ」


「いや……そういうことじゃなくて、さっきの話の後で、随分いきなりだね……」


 朝霧は呆れたように蓮を見つめた。つい先ほどまで、政府の保護地区で起きた民間人の虐殺や、政府内部の対立について話していたのだ。それが突然、家畜を飼いたいと言い出したのだから、話についていけないのも無理はなかった。


 しかし、蓮は朝霧の反応を気にした様子もなく、淡々と答えた。


「政府同士の問題なんてどうでもいい。大変なのはどこも同じだ。それに、いつか民間人に手を出すかもしれないというのは考えていた。他の国なんかではよくある話だしな。こっちから関わるつもりもなければ、手を差し出す気もない。なら、俺たちはここを強化することに集中すればいい」


「そういうところ、本当に変わらないね……」


 朝霧は小さく息をついた。蓮の言い分が理解できないわけではない。それでも、あれほど凄惨な出来事を知った直後に、こんな話へすぐに切り替えられる蓮の割り切りには、毎度のことながら呆れるしかなった。


「それで寺川、黒崎の方はどうなってる?」


「そっちはまだや。今は政府の監視対策を優先しとったからな。これから調べるつもりやで」


「分かった。第三号保護地区と、他の主要な政府施設の動きも引き続き見ておいてくれ。それから、政府が俺やこの刑務所について調べ始めたら、できるだけ早く知らせてほしい。必要なら調査を妨害してくれ」


「了解や。向こうにこっちの情報を簡単に渡すつもりはないから、そこは安心してええで」


 寺川は自信ありげに答えると、ふと思い出したように蓮を見た。


「そんで……神崎さん、さっき言うた家畜って、何する気なん? こんな状況で、もう残っとる気がせえへんのやけど……とっくに死んどるか、食われとるやろ」


「ああ、いたとしても、こんな状況じゃ譲る馬鹿はいないだろうな」


「じゃあ……どうするつもりなん?」


「いないなら、産めばいいだろ」


「……は?」


 寺川の口が半開きになった。隣にいた朝霧も、何を言われたのか分からないといった顔で蓮を見ている。


「いやいや、神崎さん。産めって……何もおらんのに、どうやって産ませるん?」


「俺もできる保証はない。とりあえず、詳しそうな山下のところに行くか」


 蓮が椅子から立ち上がると、寺川も慌てて席を離れた。


「なあなあ、うちも行ってええ? めっちゃ気になるんやけど!」


「お前には仕事があるだろ」


「そこを何とか! ちょっとだけやから! 戻ったらちゃんと続きやるから! なあ!」


 寺川は腰を曲げて両手を胸の前で合わせると、その手をすりすりと擦り合わせながら蓮を見上げた。頭につけた犬耳まで小刻みに揺れ、まるで餌をねだる子犬のような姿になっている。先ほどまで難解な情報を次々と解析していた天才ハッカーとは、とても同一人物には見えなかった。


 蓮はそんな寺川をしばらく見つめた後、小さくため息をついた。


「好きにしろ。その後はちゃんと情報収集しろよ」


「よっしゃ! 分かっとるって! なんか面白そうやねんもん!」


 寺川は嬉しそうに顔を輝かせた。


 もともと好奇心が強い彼女のことだ。ここで駄目だと言ったところで、何をするつもりなのか気になって仕事が手につかなくなるかもしれない。それなら少しくらい付き合わせても構わないだろうと、蓮は判断した。


 そんな二人のやり取りを見ていた朝霧は、先ほどまでの重苦しい気持ちが少し和らいだのか、思わずくすっと笑みをこぼした。


 こうして三人は情報管制室を出て、山下が作業している体育館へと向かった。


 体育館では、山下が床に白いテープを貼り、栽培区画を分ける作業を進めていた。広い床にはいくつもの四角い区画が描かれ始めており、通路の幅や栽培棚を置く位置も考えながら、慎重に配置を決めているようだった。


 三人に気づいた山下は、手にしていたテープを置いて立ち上がる。


「神崎さん、どうされましたか? 今はまだここの区画を分けているところです。午後になったらお呼びする予定でした」


「ああ……その作業は続けてくれ。終わったら知らせてくれれば、次に必要なものを渡していく。ここに来たのは、ちょっとした別の相談だ」


「別の……相談ですか? 一体なんでしょう?」


「お前、実家は農家なんだろ? 農業以外に、家畜のことも分かったりするのか?」


「え? 家畜ですか? ええ、うちの田舎では複合経営が一般的でしたから、家畜を飼っている農家も多かったですよ。うちは野菜も栽培していましたが、鶏も飼っていましたね。当時はうちの卵もなかなか人気があったんですよ」


 昔の暮らしを思い出したのか、山下の表情がふと和らいだ。先ほどまで作業に集中していた時とは違い、その顔にはどこか懐かしそうな笑みが浮かんでいる。長年農業に携わってきた彼にとって、畑や家畜の世話に追われていた日々は、今でも大切な思い出なのだろう。


「なら、ちょうどよかった。この刑務所で鶏を飼うことはできるか?」


 山下は少し考えてから、体育館の中を見渡した。


「え? 鶏ですか? ……まあ、この環境ですから、整えさえすれば飼育することは可能だと思います。場所もありますし、餌や水、温度管理の問題を解決できれば……。ただ、肝心の鶏をどうやって手に入れるかですね。これだけ寒い日が続いていますから、外で生き残っている鶏がいるとは考えにくいですし……」


「鶏って、卵があれば孵化するのか?」


「え? ああ、いえ。普通に売られている卵では孵化しませんよ。あれは無精卵ですから」


「いや、寒波前にいろいろ高級食材も集めていてな。地鶏の有精卵というのも大量に買っていたんだ。それはどうだ?」


「えええっ!? そんなもんまで買うてるん!?」


 寺川が突然大声を上げ、慌てて自分の口を両手で覆った。蓮はそんな寺川を一瞥しただけで、再び山下へ視線を戻す。


「有精卵ですか……それなら話は変わってきますね」


 山下は顎に手を当て、考え込むように続けた。


「鶏の卵は、適切な温度と湿度を保てば、およそ二十一日で孵化します。ただ、有精卵なら何でもいいというわけではありません。時間が経ちすぎた卵は孵化率が落ちますし、保存状態も重要なんです。普通なら十日以上経ったものは厳しくなってきますから……」


 そこまで説明したところで、山下は何かに気づいたように顔を上げた。


「……って、あれ?」


「……そんな卵が俺の《パンドラ》には大量にある。状態も購入した時のままだ。どうだ、これならできるか?」


「なるほど! そういうことですか!」


 山下の表情が一気に明るくなった。


「それなら十分に可能性があります! もちろん、食用として販売されていた有精卵がすべて孵化するとは限りませんが、可能性は大きいですよ!」


「そうか。なら、試してみる価値はありそうだな」


「もちろんです! それに、鶏を飼えるようになれば、今進めている野菜作りにも役立ちます。実は農業と養鶏は、非常に相性がいいんですよ」


「相性がいい……? あ、肥料ね! 昔、テレビで有機栽培を紹介する番組を見たことがあるわ」


 朝霧の言葉に、山下は嬉しそうに頷いた。


「ええ、その通りですよ! うちの実家でもやっていましたから、効果は抜群ですよ! 鶏の糞は、きちんと発酵させて堆肥にすれば、野菜を育てるための肥料として使えるんです」


「なるほどな。卵が採れるだけじゃなく、農業にも使えるわけか」


「そういうことです。もちろん、もし繁殖までできるようになれば、長期的には大きな助けになると思います」


「じゃあ、実際に見てもらった方が早いな」


 蓮は右手を差し出すと、《パンドラ》から三つの卵を取り出した。手のひらに並んだ卵を見て、山下が驚いたように目を見開く。


「どうだ、これで分かるか?」


 山下は卵を一つ受け取り、殻の表面を確認した。向きを変えながら慎重に観察していたが、やがて顔を上げる。


「いい卵ですね。神崎さん、ライトはお持ちですか?」


「ライト? 何に使うんだ?」


「あ、はい。卵の状態を確認したいんですよ」


「なるほど。ちょっと待ってろ」


 蓮は《パンドラ》から小型のライトを取り出し、山下に手渡した。山下は礼を言って受け取ると、三つの卵を一つずつ手に取り、殻にライトを密着させるようにして光を当てた。角度を変えながら内部を透かし、時折、殻の表面にも目を凝らしている。


 蓮たちが見守る中、山下は時間をかけて三つの卵を確認すると、ようやく顔を上げた。


「まだ血管は見えませんね……。まあ、温め始める前ですから、当然といえば当然ですが。殻にも目立った異常はありませんし、可能性は十分にありますよ!」


「つまり、孵化させられるかもしれないってことか?」


「ええ! もちろん、実際に温めてみないことには分かりませんが、試してみる価値はあります!」


「なら、どうすればいい?」


「孵化させるには、温度や湿度を管理する必要があります。専用の孵卵器があれば一番いいんですが……」


「孵卵器か……。そういえば、物資を集めていた時、ペット用品もあったからな。ついでに全部まとめて回収していた。その中に確か孵卵器もあったはずだ」


「えっ!? 孵卵器まであるんですか?」


「ああ、これだと思うが……見てくれ」


 蓮は少し記憶をたどってから、《パンドラ》から一台の装置を取り出し、体育館の床に置いた。透明な蓋のついた箱型の機械で、内部には卵を並べるためのトレーが備えられている。元の箱に収まったままの製品で、蓮自身も詳しい使い方までは知らなかった。


 山下はすぐに装置へ近づくと、箱に記載された仕様と説明書に目を通し、何度か頷いたかと思うと、突然、興奮した声を上げた。


「これです! これですよ! これなら問題ありません!」


 先ほどまで慎重に卵を調べていた山下が、まるで別人のように目を輝かせていた。説明書を握ったまま、蓮と装置を交互に見比べ、興奮を抑えきれない様子で言葉を続ける。


「神崎さん! こんな状況ですから、もし一羽でも孵化させることができたら……とんでもないことですよ! 貴重なんてものじゃありません! 今の日本に、生きた鶏がどれほど残っているかも分からないんですから!」


「なら、とりあえず試してみてくれ」


 蓮はそう言うと、《パンドラ》からさらに二十個ほどの有精卵を取り出し、続けて先ほどと同じ孵卵器をもう一台体育館の床に並べた。


「これも必要なら使ってくれ」


 山下は目の前に増えた卵と孵卵器を見つめ、しばらく言葉を失っていた。


「まさか、こんな世界になってから、また卵を孵化させることになるとは夢にも思いませんでした……。結果はまだ分かりませんが、抜かりなくやってみます!」


 山下は嬉しそうにそう答えると、目の前に並んだ卵を一つ手に取った。両手で包み込むように持ち上げ、しばらく眺めてから、割れないよう慎重に元の場所へ戻す。その表情には、先ほどまで農作業の準備をしていた時とはまた違う、生き生きとした明るさが浮かんでいた。


「ああ、駄目なら駄目でいい。お前の仕事はあくまで農業がメインだからな。そっちを疎かにする必要はないぞ」


「ええ、分かっています。そちらもお任せください!」


 山下は力強く頷くと、再び卵へと視線を向けた。今度は孵卵器の説明書を手に取り、必要な準備を確かめ始めている。その様子を見届けた蓮たちは体育館を後にし、寺川も名残惜しそうにしながら、本来の仕事が待つ情報管制室へと戻っていった。


 朝霧と二人になり、廊下を歩いていると、隣から感心したような声が聞こえてきた。


「本当、蓮の《パンドラ》には何でもあるのね。まるで魔法みたい」


「まあ、寺川じゃないけど、この力そのものが魔法みたいなもんだからな……」


「……また、寺川さんのこと言って……」


 朝霧が小さく呟いたため、蓮にはうまく聞き取れなかった。


「ん? 何か言ったか?」


「別に……何でもない!」


 朝霧は少しだけ歩調を速めると、蓮を置いて先へ進んでいった。突然の態度の変化に、蓮は不思議そうに首を傾げる。


 何か気に障ることでも言っただろうか。そう考えてみたものの、思い当たることは何もなかった。

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます!


 重たい話が続いたので、本話は息抜きも兼ねて少しほのぼの回にさせていただきました。作者は以前インコの卵を孵化させたことがあるんですが、命の神秘さに感動したのを今でも覚えています。

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― 新着の感想 ―
生きてるモノも収納できる!そうパンドラならね!
飯マズだから厳しいよね(T ^ T)
 最悪、蓮さえ生きていればパンドラ内に人間を避難させることも可能?  内部では時間停止状態っぽいから擬似ウラシマ効果で加齢もない?  重病者や緊急手術が必要な者も環境が整うまで保護できるかも?  なん…
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