第36話 帰る場所
刑務所の電力と水が復旧したことで、蓮が次に手をつけると決めたのは、ここで暮らす人間たちの生活環境だった。
これまでは寒さを凌ぎ、施設そのものを立て直すことが最優先だった。生き延びるだけなら、それでもよかったのかもしれない。しかし、今後この刑務所を長期的な拠点として利用するのであれば、いつまでも最低限の生活を続けさせるわけにはいかない。
蓮が最初に向かったのは、現在、これから皆が寝泊まりする予定の職員寮だった。
元々職員が生活するために使われていたもので、各部屋には最低限の家具が備えつけられている。ただし、もともと古い状態で、さらにこれだけ長期間寒さに晒されてきたこともあって、どの部屋も決して快適とは言い難かった。
古びたベッドに薄いマットレス、簡素な机と椅子、使い込まれた収納棚。壁紙にはところどころ変色が見られ、床にも家具を引きずったような傷が残っている。
それでも暖さえ取れれば、ここに暮らす者たちは、今さら部屋の古さについて不満を口にすることはなかっただろう。
だが、蓮は違った。
どうせ長く暮らすのであれば、少しでも快適な方がいい。何より、必要な物資なら《パンドラ》の中にいくらでも残っているのだ。
「まずはこの部屋からだな」
蓮は水城たちを連れて一室へ入ると、室内を一通り見渡した。
「水城、今使ってる部屋の家具は、全部これと似たようなものか?」
「はい。多少の違いはありますが、基本的には同じです。元々職員用の寮ですので、生活に必要な最低限のものは揃っていますが……」
「そうか。なら、まとめて交換するか」
「……交換、ですか?」
水城が聞き返すより早く、蓮は目の前にある古いベッドへ手を伸ばした。
次の瞬間、ベッドが消えた。
続いて机、椅子、収納棚、古びた寝具まで、部屋にあったものが次々と姿を消していく。何も置かれていない殺風景な空間へと変わっていく様子に、後ろで見ていた面々は思わず顔を見合わせた。
「か、神崎さん……? 何をされているんですか?」
水城が戸惑いながら尋ねると、蓮は何でもないことのように答えた。
「見れば分かるだろ。古いものを片付けてるんだよ」
「それは分かりますが……これでは寝る場所が……」
「だから、今から用意するんだ」
そう言って蓮が再び手を動かすと、何もなかった部屋の中央に、新しいベッドが姿を現した。
それも、これまで使っていたような簡素なものではない。厚みのあるマットレスが載った、しっかりとした造りのベッドだった。続いて柔らかな掛け布団と枕が置かれ、壁際には小型のソファ、窓のそばには新しい机と椅子、さらに収納棚まで現れる。
「……え?」
誰かが間の抜けた声を漏らした。
蓮はそんな反応を気にすることなく、今度は小型の冷蔵庫や電気ケトルなどを取り出していく。机の上には照明器具を置き、床には柔らかなラグを敷いた。さらに、壁際へ小さなテレビを設置すると、最後に室内全体を見渡して頷いた。
「まあ、こんなもんか。必要なものがあれば後で追加すればいい」
つい先ほどまで、古い家具が置かれただけの殺風景な部屋だった。それが今では、街中にある少し洒落たワンルームアパートと見間違えるほどに変わっている。
しかも、電力設備の復旧によって暖房も問題なく使用できる。室内には心地よい暖気が広がり、これまでのように寒さを気にしながら眠る必要もない。
「……これ、本当に私たちが使っていいんですか?」
水城の後ろから、誰かが信じられないといった様子で尋ねた。
「そのために出したんだ。気に入らなければ別のものにするぞ」
「い、いえ! そういう意味じゃありません!」
慌てて首を振るその姿に、周囲から小さな笑い声が漏れた。もっとも、笑っている者たちも目の前の光景が信じられないらしく、柔らかそうなベッドや新品の家具へ何度も視線を向けている。
蓮にしてみれば、これらは以前回収した大量の物資のほんの一部に過ぎない。収納したまま使い道の決まっていない家具や家電もまだ山ほどあるのだから、ここで暮らす十人ほどの生活環境を整える程度なら全く負担にもならなかった。
「じゃあ、ほかの部屋もやるぞ。自分の荷物があれば先にどけておいてくれ」
その一言で、ようやく何が始まったのか理解した面々が一斉に動き出した。
そこからの作業は早かった。
各自が私物を片付けた部屋へ蓮が入り、古い家具を《パンドラ》へ回収する。続いて新しいベッドや寝具、机、椅子、ソファ、必要な家電を配置していく。部屋の広さや使う人間の希望に合わせて多少の違いはつけたものの、基本的にはどの部屋も同じ水準まで整えられていった。
作業が進むにつれて、寮のあちこちから驚きの声が聞こえるようになった。新品のマットレスを指で押して感触を確かめる者もいれば、冷蔵庫の扉を何度も開け閉めする者もいる。皆は何度も蓮に頭を下げ、久世に至ってはまた床に跪き蓮に祈りをささげた。
「ほかに必要なものはないか? 今のうちなら出せるぞ」
問いかけられた面々は互いの顔を見合わせたものの、誰もすぐには答えなかった。これだけのものを用意してもらったばかりなのに、さらに何かを要求するのは気が引けるのだろう。
その沈黙を破ったのは、犬耳のニット帽を被った寺川だった。
「あ、あんな……神崎さん……」
「ん? どうした?」
「その……ラノベとか、もしかして持ってへんかな……?」
「……ラノベ?」
「ライトノベルや。小説なんやけど、漫画みたいな挿絵が入っとるやつで……」
「いや、それくらい知ってる。ちょっと待て……」
蓮は《パンドラ》の中にある物資を思い浮かべた。
確か、以前回収した倉庫の中には、書籍を扱うところもあったはずだ。大量の本を一冊ずつ確認したわけではないが、それっぽいものを探す。
「……ああ、あったな」
そう呟いた次の瞬間、廊下の空いている場所へ書籍の詰まった段ボール箱が次々と現れた。
一箱、二箱、三箱。
蓮が中身を確認したわけではないが、その数はあっという間に増えていった。
「ちょ、ちょっと待ってや! 神崎さん、そんなにあるん!?」
「まだあるぞ。全部出すと邪魔になるから、このくらいでいいか?」
「十分や! 十分すぎるわ!」
寺川は箱の一つを開けると、中に詰まった本を見て目を輝かせた。慌てて別の箱へ手を伸ばし、見覚えのある表紙を見つけるたびに歓声を上げている。
「うわっ、これ続き読みたかったやつや! こっちは新刊まであるやん! えっ、待って、これもあるん!?」
その興奮ぶりは、先ほど新品の家具を見た時以上だった。
蓮は少し呆れながらも、必要な本を選ぶよう伝えた。寺川は何度も礼を言いながら本を抱え、自分の部屋へ運び始める。
ほかの面々にも改めて必要なものがないか確認したが、誰もそれ以上の要求をすることはなく、これだけ生活環境を改善してもらったのだから十分だと、皆が口を揃えた。
蓮としても、無理に何かを押しつけるつもりはない。
「まあ、必要になったら水城に言っておけ。用意できるものなら用意する」
「本当にありがとうございます、神崎さん」
「礼はいい。しっかり働いてくれるなら、生活環境くらいは整えてやる。だから、これからもしっかり働け」
蓮の言葉に、面々は揃って頷いた。
食料を与え、寝床を用意するだけなら簡単だ。しかし、蓮が求めているのは、ただ保護されるだけの人間ではない。それぞれが自分の役割を持ち、この拠点を維持していくために働くことだった。
そのために生活環境を整えるのであれば、決して無駄な投資ではない。
ひとまず寮の改装を終えた蓮は、各自が新しい部屋の整理を始めたのを確認すると、朝霧を連れて建物を出た。
次に向かうのは、刑務所の屋上だった。
◇
刑務所の建物は、外から見ても相当な大きさがある。
その屋上へ上がってみると、周囲の山々を見渡せるほど視界が開けていた。もっとも、長く放置されていたせいで床面には雪が残り、風に飛ばされてきたゴミや、以前から置かれていた使われていない資材なども散乱している。
蓮は朝霧を少し離れた場所へ下がらせると、屋上全体を見渡した。
「まずは片付けるか」
《パンドラ》を発動させると、床に積もっていた雪が次々と消えていく。放置されていたゴミや不要な資材もまとめて回収し、建物の構造物や使用中の設備だけを残して屋上を綺麗にしていく。
作業が終わる頃には、先ほどまで雪に覆われていた場所に、広々としたコンクリートの床面が現れていた。
「……この広さなら十分だな」
蓮は建物の端や周囲の設備との位置関係を確かめながら、設置する場所を決めた。
ここなら外部からも目立ちにくく、周囲の建物によってある程度視線を遮ることもできる。建物の強度についても事前に確認しており、設置するものの重量を考えても問題はないはずだった。
朝霧は蓮が何を始めるのか察しているらしく、少し離れた場所で黙ってその様子を見守っていた。
「頑丈さが気になるが、今は仮だ。今日くらい大丈夫だろ」
蓮が《パンドラ》へ意識を向けた次の瞬間、何もなかった屋上に巨大な建造物が姿を現した。
かつて二人が暮らしていた、あの二十五階の部屋、2501だった。
長い時間をかけて蓮が作り上げた生活空間。そのすべてが、以前と変わらない姿で屋上に設置されている。
朝霧はしばらく言葉もなく、その光景を見つめていた。
あの部屋で過ごした時間は、決して長いというほどのものでもない。それでも、外の世界が凍りつき、人々が次々と命を落としていく中で、彼女にとって2501は唯一安心して眠ることのできる場所だった。
何もかもが失われた世界で、蓮と共に食事をし、言葉を交わし、時には呆れたり笑ったりした場所。
それが今、目の前に聳え立っている。
「よし、入るか」
蓮は設置状態を一通り確認すると、慣れた足取りで玄関へ向かった。しかし、後ろから足音が聞こえてこないことに気づき、途中で振り返った。
「……おい、何してる?」
朝霧は屋上に立ったまま、どこか迷うような表情を浮かべていた。
「……ねえ、蓮」
「ん?」
「下にも、まだ部屋が……あるでしょう?」
「ああ、それがどうした?」
「その……私、まだここに住んでもいいの?」
蓮は一瞬、何を聞かれているのか分からなかった。
朝霧は以前から2501で暮らしていたし、今さら別の部屋へ移る理由もない。何より、彼女が一緒にいることを前提に、蓮はこれまで行動してきたのだ。
「もうお前の部屋もあるんだ。それに、お前は俺の専属医だろ。早く入れ」
それだけ言うと、蓮は返事を待つこともなく玄関へ向かった。
朝霧はその背中を見つめながら、自然と口元が緩んでいることに気づいた。
特別なことを言われたわけではない。蓮にとっては、以前と同じ生活に戻るだけなのだろう。
それなのに、どうしてだろう。
胸の奥が妙に温かく、さっきから心臓の鼓動が少し速い。
朝霧は自分でもよく分からないその感覚を抱えたまま、蓮のあとを追って2501へと入っていった。
◇
それからしばらくして、蓮と朝霧が再び下の職員寮へ顔を出すと、入口で水城が出迎えてくれた。
「神崎さん! ちょうどよかったです。皆さん、もう大喜びで……本当にありがとうございます」
「そうか。気に入ってくれたならよかった」
「気に入るなんてものじゃありませんよ。皆、こんな部屋で暮らせるようになるとは思っていなかったでしょうから」
水城に案内されて廊下を進むと、あちこちの部屋から楽しそうな声が聞こえてきた。
柔らかなベッドに小型のソファ、必要な家電が揃った部屋。何より、暖房によって室内が十分に暖かいことが、彼らにとっては何より嬉しいらしい。
寒波が始まってから、もう何か月も経っている。
その間、彼らがどのような生活を送ってきたのか、蓮も知っている。寒さに震えながら眠り、食料を分け合い、明日生きていられるかどうかさえ分からない日々を過ごしてきたのだ。
そんな彼らにとって、暖かい部屋で柔らかな布団に包まれて眠れることは、蓮が想像している以上に大きな意味を持っているのかもしれない。
廊下の奥まで進んだところで、開け放たれた一室から寺川の声が聞こえてきた。
「うわぁ……これも懐かしいなぁ。あっ、こっちも続き出とったんや!」
覗いてみると、寺川は机の上に大量のライトノベルを並べているところだった。ベッドの上にも数冊積まれており、どうやら本棚へ収める前に、一冊ずつ表紙を確認しているらしい。
「……あっ! 神崎さん!」
蓮に気づいた寺川は、手にしていた本を慌てて机へ置くと、満面の笑みを浮かべた。
「ほんまにありがとうな! うち……もう神崎さんのためやったら何でもできるで……!」
「気に入ってくれたならよかった。明日からはいろいろ情報収集してもらうつもりだから、あまり遅くまで読むなよ」
「そんなん分かってるって! うちも疲れとるしな。今日はちょっと整理するだけにしとくわ」
寺川はそう言いながら、机の端に積まれた別の本の山へ目を向けた。
「あ、でも、あそこのラノベは回収してもええで。うち、読まへんし」
「ん? どれだ?」
「あの隅っこのやつや。あの作者が書くやつはドロドロしすぎてうちに合わんのや」
蓮が指さされた方を見ると、そこには何冊かライトノベルが積み上げられていた。
表紙には色鮮やかなイラストが描かれ、背表紙には同じ作者名が並んでいる。
宵白レン。
どうやら、その作者の作品ばかりがまとめられているらしい。
「そうか……」
蓮が静かに本を再び《パンドラ》へ回収している間、朝霧は隣で黙って二人のやり取りを聞いていた。
寺川が嬉しそうなのは分かる。あれだけ好きな本をもらえたのだから、感謝するのも当然だろう。蓮だって、別に何か特別なことをしたつもりはないはずだ。
それなのに、先ほど寺川が口にした言葉が、なぜか少しだけ引っかかっていた。
別に特別な意味はないとわかっていても、胸の奥に小さな棘が残ったような、何とも言えない感覚がある。
朝霧はその理由を考えかけたものの、廊下から聞こえてきた声によって意識を引き戻された。
どうやら蓮が戻ってきたことに気づいたらしく、各部屋から次々と人が顔を出し始めた。
「神崎さん、本当にありがとうございます! こんなにいいベッドで寝られるなんて、夢みたいです」
「部屋が暖かいだけでもありがたいのに……本当に、何とお礼を言ったらいいのか……」
口々に感謝を伝えてくる面々を前に、蓮は少し困ったような表情を浮かべた。
「別に、そこまで大したことじゃない」
「神崎さんにとってはそうかもしれませんが、私たちにとっては違いますよ」
水城が穏やかに言うと、周囲の者たちも揃って頷いた。
皆、久しぶりにまともな生活を取り戻した喜びからか、どこか表情が明るい。新しい服に着替えた者もいれば、部屋の整理をしていたせいか、額にうっすら汗を浮かべている者もいる。
そんな彼らを見ているうちに、蓮はふと気になることに気づいた。
「……部屋だと目立つな」
「……え?」
水城が首を傾げた。
「何がですか?」
「……臭いだ」
その一言で、廊下の空気が微妙に変わった。
誰かが自分の服へ鼻を近づけ、別の誰かは気まずそうに視線を逸らした。寺川まで自分の袖口を嗅いでから、何とも言えない表情を浮かべている。
寒波が始まって以来、まともに風呂へ入れた者などほとんどいない。水も燃料も貴重だった以上、身体を拭くだけで済ませる日が続いていたのだろう。
今までは部屋そのものが寒く、生活環境も悪かったため、そこまで気にならなかったのかもしれない。しかし、室内が暖かくなり、新品の家具や寝具が揃ったことで、逆に別の問題が目立つようになっていた。
「……まあ、そうですよね」
水城が申し訳なさそうに苦笑した。
「こればかりは、どうにも……」
「いや、責めてるわけじゃない」
蓮は少し考えてから、あっさりと言った。
「……風呂も使えるようにしておくぞ」
「……え? 今なんと?」
「風呂だ。大浴場もあるんだろ?」
「は、はい! ありますが……もう長いこと使っていませんし、設備もどうなっているか……」
「だったら、今から確認すればいい」
蓮は水城に案内を頼み、そのまま大浴場へ向かった。
先ほどまで部屋の話で盛り上がっていた面々も、風呂に入れるかもしれないと聞いて黙っていられなかったらしく、結局ほとんど全員が後ろからついてくることになった。
◇
刑務所の大浴場は、建物の一階にあった。
元々多くの人間が利用することを想定して造られた施設だけあって、脱衣所も洗い場も十分な広さがあり、浴槽も十人程度なら余裕を持って入れる大きさだった。
ただし、その状態は決して良いとは言えなかった。
長期間使用されていなかったせいで床や壁にはよごれがこびりつき、黒ずみも見られる。排水口の周囲には汚れが溜まり、鏡も表面が見えづらくなっていた。設備そのものが大きく壊れている様子はないものの、このまま湯を張って使う気にはなれない状態だった。
「……これは、掃除が大変そうですね」
水城が浴場を見渡しながら呟いたが、蓮は何も答えず、浴槽の縁へ近づいた。
そして、床や壁に付着した汚れへ意識を集中させる。
蓮は床や壁、浴槽に付着した水垢や汚れを次々と収納していく。排水口に溜まっていたゴミも回収し、鏡の表面にこびりついていた白い汚れまで取り除いた。
作業は数分もかからなかった。
先ほどまで長年放置されたような状態だった浴場が、まるで新品のような清潔さを取り戻している。
「……嘘でしょう」
水城が思わず呟いた。
ほかの面々も、目の前で起きたことが信じられない様子だった。床にしゃがみ込んで綺麗になったタイルを確かめる者もいれば、浴槽の縁を指でなぞって驚いている者もいる。
「神崎さん……掃除までできるんですか、その能力……」
「ああ、俺がイメージできるなら収納できる」
蓮はそう答えると、浴場の設備へ視線を向けた。
「じゃあ、水回りを確認してくれ。久世も呼んで、給湯設備が使えるか調べてくれ」
「は、はい! 分かりました! すぐに確認します!」
水城が給排水設備を確認している間に、久世は配管やバルブの状態を確認すると、給湯設備の試運転を始めた。
給湯設備を作動させ、温度を確かめながら試験的に湯を出してみると、やがて湯気を伴った温かい水が流れ始めた。
「で……出ました! お湯ですよ!」
水城が声を上げた。
蓮も蛇口から流れる湯へ手を伸ばし、温度を確かめる。
「ちゃんとお湯が出てるな」
浴槽の給湯や排水、循環設備を一通り確認したところ、大きな不具合は見つからず、それを知った面々の表情が、一斉に明るくなった。
「……本当に、風呂に入れるんですか?」
「ああ。久世が問題ないと言えば、今日からでも使えるだろ」
蓮はそう答えると、今度は《パンドラ》から大量の日用品を取り出し始めた。
シャンプーにコンディショナー、ボディソープ、洗顔料、石鹸、歯ブラシ、歯磨き粉。さらに新品のタオルやバスタオル、ドライヤー、洗面用具まで、生活に必要なものを次々と脱衣所の棚へ並べていく。
種類も数も十分にあり、当面は不足する心配などなさそうだった。
「必要なものは一通り出しておいた。足りなくなったら水城に言ってくれ。あと、風呂は設備の確認が終わってから使うようにな」
「……神崎さん」
水城が何か言いかけたものの、蓮はそれ以上聞くつもりもないらしく、浴場の出口へ向かった。
「じゃあ、俺たちは戻るぞ。あとは頼んだ」
そう言って朝霧を伴い、浴場を出ていく。
残された面々は、綺麗になった大浴場と、棚にずらりと並べられた新品の日用品を前に、しばらく言葉もなく立ち尽くしていた。
つい先ほどまで、まともに風呂へ入れる日が再び来るなど、誰も考えていなかったのだ。
◇
大浴場をあとにした蓮と朝霧は、再び2501へ戻るため、刑務所の廊下を並んで歩いていた。
「……ねえ、蓮」
「ん? なんだ」
「そのうち私も、あの大浴場に入ってみたいわ。久しぶりに足を伸ばしてお湯に浸かりたいもの」
「ああ、そうだな。なら、俺も今度使わせてもらおう」
「……えっ?」
朝霧は一瞬、何かを想像したように言葉を詰まらせた。
蓮は特に気にすることなく歩き続けていたが、その隣で朝霧の頬がわずかに赤くなっていることには気づかなかった。
別に、何かおかしなことを言われたわけではない。
なぜか余計なことまで考えてしまった自分が少し恥ずかしくなり、朝霧は誰にも見られていないことを確かめるように、そっと視線を逸らした。
気づけば、先を歩く蓮との距離が少し開いていた。
朝霧はその背中を見つめると、自然と足を速め、そして、小走りで蓮のあとを追いかけていった。




