第32話 通話
『お前も……なんか力が……あるんじゃないか?』
電話越しに投げかけられた言葉に、蓮は僅かに目を細めた。
いつかまた聞かれるかもしれないとは思っていた。以前にも何かを尋ねかけて、結局そのまま言葉を飲み込んだことがある。あの時から引っかかっていたのだろう。
「……バカなこと言うな。なんでそう思うんだ?」
『お前……寒波が来る前、俺に言ったよな……』
その一言で、蓮は黒崎が何を言おうとしているのか察した。何も言わず、あの日、自分が黒崎へ電話をかけた時のことが頭に浮かぶ。
――確かな情報筋から連絡が入った。近いうちに、日本を襲う異常な寒波が来るらしい。
未来から戻ってきたなどと言えるはずもなく、黒崎に寒波への備えをさせるために咄嗟についた嘘だった。
『あの時は、お前の顧客の誰かが政府と繋がりがあって、その情報をお前にも教えたんじゃないかって思ってた……実際に寒波が来てからは生きるのに必死で、そのことを考える余裕もなかった』
「……それで?」
『……俺を入隊させてくれた上官が、この寒波のことも調べてる。でも政府は前もって情報を知ってるどころか、今も原因が全く分かっていない……だから……』
蓮は黙って聞いていた。
「なるほどな。俺が嘘ついてるって思ったわけだ」
『いや……そういう意味じゃ……お前に言われてから俺も備蓄を増やして、実際助かってるし、感謝してるくらいだ……ただ……』
「気にすんな。言いたいことがあるなら、はっきり言え」
しばらくして、黒崎の声が聞こえてくる。
『俺にさ……急にこんな力が芽生えたろ……だから、もしかしたらお前にも何かあるのかなって……本音を言うとさ、自分だけだと、正直怖いんだ……』
その言葉を聞いて、蓮は小さく息を吐いた。
自分の身体に突然、これまでの常識では説明できない変化が起きた。もし自分以外にも同じような人間がいるのなら、それだけでも少しは安心できる。黒崎が聞きたかったのは、おそらくそういうことなのかもしれない。
蓮は一度頭の中で言葉を整理してから、ゆっくりと口を開いた。
「なあ、今から言うことは馬鹿馬鹿しいかもしれん。信じるかはお前次第だ。それでも聞くか?」
『ああ……構わない。いや、聞かせてくれないか』
「偶然だったんだ……」
『え……? 偶然?』
「ああ。一ノ瀬は覚えてるか?」
『もちろんだ。あいつがなんか関係あるのか?』
「ちょうどあの頃に振られてな……」
『……それでか。昔あんなに俺にあいつの話ばっかしてたのに、急に何も言わなくなって、俺も気にしてたんだ。聞きにくいから俺の方からは切り出さなかったけど』
言われて思い出したが、以前は事あるごとに一ノ瀬の話を黒崎に相談していたことを思い出し、蓮は僅かに苦笑した。
「ああ。それであの頃ちょっと病んでな……引きこもってネットばかり見てた。某Tubeなんかもいろいろ見てて、いくつか気になる動画を見たんだ」
『……は? まあ、お前がどれだけあいつを好きだったかは知ってる。俺がいくら止めてもお前聞かなかったし、振られてどれだけショックを受けたかは想像できるけど……動画ってなんだよ』
「馬鹿馬鹿しいのは俺にも分かってる。見た内容は世界崩壊に関するものだった。まもなく世界は終わる、みたいな内容だな」
『おいおい、そんな動画は腐るほどあるだろ。予言だの世界崩壊だの……お前、昔から都市伝説が好きだったのは知ってるけど……そんなふざけた動画を見たから俺に言ったとか言うんじゃないだろうな?』
「もちろんそれだけじゃない。俺も最初、ただの気分転換で見てただけだ。自分でも馬鹿馬鹿しいと思いながらな。ただ……」
『……なんだよ』
「あの動画を見た後、夢を見たんだ。ものすごく……リアルな夢をな」
『おいおい、夢ってお前……今度は何を言い出すんだよ』
「あの動画で言ってた世界崩壊と……雪の夢だ」
『そんなのたまたまだろ……俺だって世紀末だのなんだのって、そういう動画は見たことあるぞ』
「ああ。もちろんそれだけじゃ俺も信じない。ただ、あの時見た夢があまりにもリアルでな。しかも、その夢の中で……俺は死んだ」
『死んだってお前……ただの夢だろ?』
「ああ、夢だな。でも、とにかくリアルだったんだ。あの動画で言ってたような内容が、ほぼそのまま現実になってた」
『それでも夢だろ……お前がそれで信じるとは……』
当然の反応だった。
以前の自分なら、同じ話を聞かされれば黒崎と同じことを言っただろう。
「馬鹿げてるのは俺もそう思う。何回も言うけど、それほどリアルな夢だった。それに、夢に出ていた株の銘柄もあってな。買ったら本当に上がってた」
『株って……お前、もともと金融会社に勤めてたから、たまたま偶然だろ……?』
「かもな。今思えば、やっぱり振られたショックで精神的に参ってたんだと思う。でもな、偶然が重なれば無視もできなくなる。少しヤケになっていたところもあったと思う。だから別に外れたら外れたでよかったし、万が一に備えてお前にも連絡した」
『さすがにそれは……じゃあ、その夢で雪以外にも何か見てないのか? 原因とかは?』
「俺が見た夢では、俺もすぐ死んだからな。寒波が来るぐらいしか分からなかった」
『その夢って……今でも見るのか?』
「いや、その一回きりだ。それ以降はそんな夢を見ていない。だから、やっぱり偶然だったと思う。あいにく、お前みたいな力は残念ながら俺にはない。ちょっと羨ましいぐらいだ」
『羨ましいって……そんないいもんじゃ……じゃあ、その動画ってどんな内容だったんだ?』
「俺が見たのは別に一つだけじゃない。寒波到来だの終末世界だの文明崩壊とかだったな」
『……お前、そんな根拠もない動画見て俺に備蓄しろって言ってきたのかよ』
「だろ? そんな理由で言ってもお前信じないと思ったから、あの時はそう言ったんだ」
『おいおい……外れたらどうするつもりだったんだよ』
「外れるに越したことはないだろ。それに外れたら、焼肉奢るって話だったろ」
『そうだったな……あの頃はまだ、そんなバカなことが言える余裕があったんだな』
「……そうだな」
ほんの数か月前の話だった。それなのに、今となっては随分と昔の出来事のように感じる。あの頃は、雪が降るか降らないかを話しながら、外れたら焼肉を奢るなどと笑っていられた。
今では二人とも、まるで違う場所にいる。
蓮は雪の消えた刑務所を眺めながら、話を戻した。
「でも、お前にその変な力が発生してるなら、あんな動画を作るやつも、バカにはできんかもな」
『え? まさか……予言とか言うんじゃないだろうな』
「昔からノストラダムスとか騒がれてきただろ。予言なんて遥か昔から伝承はあるし。それに、お前のその力だって本来ならあり得ないもんだろ? 世界がこうなってしまった以上、もう何もかも無視はできないと思うぞ」
『確かにな……』
黒崎は少し考えるように間を置いてから続けた。
『上官も言ってたけど、この寒波の原因が分からないから、政府の超常現象を研究する機関まで今後は調査チームに入れるって言ってたな』
蓮はその言葉を聞きながら、表情を僅かに引き締めた。
以前なら、その存在を聞いたところで鼻で笑っていたかもしれない。だが、パンドラという常識では説明できない力を自分自身が持ち、黒崎の身体にも異化が起きている。
「以前なら笑ってたかもしれないけど、今はもう馬鹿にはできんな」
『そうだな……悪い、変なことを聞いた。俺も自分がこうなってしまって不安だったのかもしれない……』
「気にすんな。気持ちは分かる」
『ありがとな……お前と話せて、少し気が楽になった』
その声は、電話をかけてきた直後よりも幾分軽くなっているように聞こえた。
それならそれでいい。
蓮がそう思ったところで、黒崎が何かを思い出したように声を上げた。
『あ、そうだ。お前が言ってたその動画は某Tubeなんだろ? なんてチャンネルだ?』
一瞬だけ、蓮の言葉が止まった。
「ああ、気にすんな。チャンネルは……たっくースタジオとコヤッキーTVだ……」
『そっか。機会があったら俺も見てみる』
それから二人は、もう少しだけ他愛のない話をした。久しぶりに交わす親友との会話だった。
やがて通話を終えると、蓮は耳からスマートフォンを離し、暗くなった画面をしばらく見つめていた。
以前なら、黒崎とこんな話をする日が来るなど想像すらしなかっただろう。
常識では説明できない力が、今度は黒崎にも現れた。それが何を意味するのか、まだ答えは出ない。
「……ごめんなさい。盗み聞きするつもりはなかったんだけど……」
すぐ近くから聞こえた声に顔を上げると、少し離れたところに朝霧が立っていた。雪を取り除いた刑務所の敷地には冷たい風が吹き抜け、彼女の長い黒髪を揺らしている。電話に集中していたせいで、いつからそこにいたのかまったく気づかなかった。
「ああ、そうだ。いろいろあってな、電話に集中してた」
「……珍しいわね。何かあったの?」
蓮はスマートフォンをポケットへしまいながら、先ほど黒崎との会話を簡単に説明した。
一通り聞き終えた朝霧は、冷たい風に乱された髪を耳へかけながら、何とも言えない表情で蓮を見る。
「動画って……ちょっと無理があるんじゃない……?」
「ああ、自分でもこれで全部信じてもらえるとは思ってない。ただ、事実と嘘を交えてるから無視もできない。それに偶然にも、あれらの動画が言ってることがいくつか今起きてるしな」
世界規模の異常気象に文明の崩壊、そして今度は黒崎の身体にまで常識では説明できない変化が起きている。平和だった頃なら一笑に付されていたような話でも、今となってはすべてが荒唐無稽だとは言い切れない。
むしろ黒崎自身があり得ない現象の当事者になった今だからこそ、多少無理のある話でも完全には否定できないはずだった。
「……黒崎さんにも本当のことは言えないんだね」
「今はな……政府側の動きも考えもまだはっきりと分からないから、今すべてを伝えるのは危険だ。それに、あの電話も盗聴されてないとも言い切れんし、全部を話すわけにもいかなかった」
「盗聴? なんでそんなことを? あなた、まだ政府からマークされてるわけじゃないんでしょ?」
「俺じゃない。黒崎の方だ。あんな力に目覚めたら、今はどんな監視をされても不思議じゃないだろ」
蓮が警戒しているのは、黒崎本人ではない。黒崎が今いる場所と、その周囲にいる人間だった。
本人はまだ自分の身に起きた変化すら理解できていないようだが、人間離れした身体能力をすでに多くの人の前で見せてしまっている。そんな黒崎の異常がいつまでも見過ごされるとは思えなかった。
「なるほどね……可能性はあるわね」
朝霧も納得したように小さく頷き、それから蓮と同じように周囲へ目を向けた。
少し前まで一面を覆っていた雪は《パンドラ》によって取り除かれ、灰色の地面が久しぶりに姿を現している。まだ拠点として完成したとは到底言えないものの、少なくとも以前のマンションより人目から離れ、簡単には近づけない場所にいる。
「結果論だけど、ここに来てよかったのかもしれないわね……」
「ああ。まだまだやることは多いがな」
政府が今後どこまで寒波の原因を追い、その過程で何を見つけるのかは分からない。だから、外部から簡単に侵入されず、万が一発見されたとしても自分たちだけで対処できる拠点へ変えていく必要がある。
そこまで考えたところで、蓮はふと何かを思い出した。
「それと、寺川はまだあの部屋にいるのか?」
「知らないわよ……」
それまで普通に話していた朝霧の返事が、なぜか少しだけ素っ気なくなる。蓮が何事かと横を見ると、朝霧は刑務所の方を眺めたまま、独り言のような小さな声で続けた。
「随分、彼女に熱心ね。昨日も帽子まであげて……」
「ん? なんだ?」
「別に……何でもないわよ」
聞き返した途端、朝霧はそれ以上話すつもりはないとでもいうように顔を逸らした。蓮にはその態度の意味が分からなかったが、本人が何でもないと言うなら追及するほどのことでもない。
「彼女にまた何か用なの……?」
「ああ。さっそく天才ハッカーとやらに働いてもらう」
「え? 何する気よ……」
不思議そうにこちらを見る朝霧を横目に、蓮は再び刑務所へ視線を戻した。
冷たい風が二人の間を吹き抜ける中、蓮は目の前にそびえる刑務所へ向かって歩きだし、静かに言った。
「俺の過去を……消してもらおうじゃないか」




