第20話 Day44 暴動
「――暴れ出しました!」
刑務官の口から飛び出したその言葉に、水城は一瞬だけ息を止めた。
つい先ほどまで、解放予定者の最終確認をしていたばかりだった。手続きは大きな混乱もなく進んでいると報告を受け、あとは一階へ向かい、最後の確認を済ませれば門を開けるだけだったはずだ。それが、ほんのわずかな間に何が起きたというのか。
「暴れ出したって……どういうことです!? 何があったんですか!」
「そ、それが……突然、女の受刑者が騒ぎ始めて……それから周りの連中まで……」
「女の受刑者?」
水城が聞き返すと、刑務官は何か言いにくそうに視線を逸らした。
その反応を見た瞬間、水城の胸の奥に嫌なものが走る。
「何です? 何があったんですか。最初から説明してください」
「……その女が、和田に……その……暴行されたって言い出したんです」
「暴行?」
水城の眉が寄った。
「殴られたということですか?」
「い、いえ……そうじゃなくて……」
刑務官は口ごもり、しばらく答えようとしなかった。
だが、大庭が苛立ったように机を叩いた。
「はっきり言わんか!」
「……和田に、犯されたと」
その瞬間、水城の顔から表情が消えた。
「……何ですって?」
「それだけじゃありません。何人かの受刑者が、夜になると房の中で刑務官から殴られていたって言い出して……それで一気に騒ぎが大きくなりました」
「ちょっと待ってください」
水城は報告している刑務官の顔を見つめた。
「あなたは、それを知っていたんですか?」
「…………」
「知っていたんですか!」
「……はい」
小さな返事だったが、水城は言葉を失った。
数日前から感じていた違和感が、頭の中で一気につながっていく。
食事を減らしても抗議しない受刑者たち。刑務官と目が合った瞬間に視線を逸らした男。怯えと、その奥に隠れていた憎しみ。以前なら怒鳴り声の一つや二つ上がって当然だった状況で、異常なほど静かだった収容区画。
あれは状況を理解して協力していたのではない。
恐れていたのだ。
「なんてことを……!」
水城の拳が震えた。
「そんなことをしたら、暴動が起きるに決まってるでしょう!」
「馬鹿者が!」
今度は大庭が怒鳴った。
机の上にあった書類が震えるほどの声だった。
「余計なことをしおって! クズどもが妙に大人しすぎるから変だとは思っていたが……そんなことをしとったのか!」
「す、すみません……俺たちも和田を止めようとはしたんですが……」
「何を責任転嫁しているんですか!」
水城が振り返った。
「あなたも結局、受刑者に暴力を振るっていたんでしょう!」
刑務官は何も答えなかった。
「違うんですか?」
「……はい、俺も、暴力を振るいました……」
水城は奥歯を噛みしめた。
今すぐにでも問い詰めたかった。誰が、いつから、何人に対して、どれほどのことをしていたのか。なぜ報告しなかったのか。監視を担当していた人間は何をしていたのか。
だが、今はそれどころではない。
「……処分の話は後です。今は暴動を止めます。動ける刑務官を全員集めてください!」
「はい!」
刑務官が返事をしたが、大庭は動かなかった。
「……所長?」
水城が振り返る。
大庭は険しい表情のまま、何かを計算するように黙り込んでいた。
「……くそっ。こんな時に」
「どうしました?」
「今、まともに動ける刑務官は五十人も残っとらん」
その言葉に、水城も口を閉ざした。
寒波が始まってから四十四日。
異常な降雪が本格化する直前、大庭と水城は帰宅可能な職員を早めに退勤させていた。本来であれば、翌日には交代勤務の職員たちが出勤し、通常の勤務体制へ戻るはずだった。
しかし、その翌日には雪と寒さによって道路状況が急速に悪化し、出勤予定だった職員たちは刑務所まで辿り着くことができなくなった。
結果として、寒波が始まった時点で刑務所内に残っていた職員は七十人ほど。それ以降、新たな職員が来ることはなく、水城たちはその七十人だけで受刑者の管理から警備、食事、設備の維持まで、刑務所全体を回し続けてきた。
だが、一か月以上に及ぶ異常な寒さと食料不足、医薬品不足、そして終わりの見えない長時間勤務によって、その七十人さえ少しずつ削られていった。すでに命を落とした者もいれば、病気や衰弱によってまともに勤務できなくなった者もいる。
現在、生き残っている職員は六十人余り。その全員が刑務官というわけではなく、実際に保安業務に当たれる刑務官は五十人にも満たなかった。
一方、今回の避難解放を希望した受刑者は百五十人を超えている。
単純に考えても三倍以上。
しかも、すでに一階に配置されていた刑務官たちが襲われているのなら、状況はさらに悪い。
「……おい」
大庭が低い声で刑務官の一人を呼び、数秒考え込んだあと、顔を上げた。
「……拳銃を使用する」
その言葉に、刑務官の表情が変わった。
「拳銃を……?」
「ああ。使用できる刑務官を集めろ。武装させて一階へ向かわせる」
「ですが……最初から拳銃まで持ち出すんですか?」
「この人数差を見ろ! 初動で迷って管理側まで突破されたら、そこで全滅するだろうが! 収容区画にはまだ百人以上残っとるんだぞ! そいつらまで合流したら、今度こそ手がつけられん!」
大庭の怒声が室内に響いた。
銃を持ち出す。
その意味は分かっている。
今、一階に集まっているのは百五十人を超える受刑者だ。その全員が暴れているとは限らない。しかし、そのうち数十人が本気で刑務官へ襲いかかるだけでも、今の人数では抑え込めない可能性がある。
「……その通りです」
水城は迷った末、大庭の判断を否定しなかった。
「武装すること自体には、私も反対しません。ただし、まずは私が話してみます。まだ交渉できる可能性が残っているかもしれません」
「……好きにしろ」
「では、私は先に現場へ向かいます。所長は武装した刑務官を集めてから来てください」
「ああ。だが無茶はするな。話が通じんと思ったらすぐ下がれ」
「分かっています」
水城は報告に来た刑務官とともに所長室を飛び出した。
◇
その少し前。
一階には、解放を希望した百五十人を超える受刑者たちが集められていた。
すでに本人確認や所持品の返却といった手続きの大部分は終わっている。あとは所長と副所長による最終確認を待ち、その後、順番に外へ出ることになっていた。
前回の避難解放とは違い、大きな歓声はなかった。
誰もが窓の向こうを気にしていた。
分厚いガラスの向こうでは、今日も雪が降っている。
四十四日前には想像もできなかったほどの雪が地面を覆い、遠くに見える建物も白い靄の向こうへ霞んでいた。
それでも、ここに集まった者たちは外へ出ることを選んだ。
刑務所に残っても、食事は以前の半分近くまで減らされた。いつまでこの寒さが続くのかも分からない。
それなら外へ出た方がまだましだと、そう考えた者も多かった。
だが、それだけではなかった。
「……待って」
最初、その声に気づいた者はほとんどいなかった。
受刑者同士が小声で話す音、刑務官が指示を出す声、靴底が床を擦る音。それらに紛れて消えてしまいそうなほど小さな声だった。
「待って!」
今度ははっきりと聞こえた。
何人かが振り返る。
声を上げたのは、一人の女だった。
顔色は悪く、唇も乾いている。痩せた身体を厚い受刑服に包み、その両手は強く握り締められていた。
「おい、勝手に動くな」
近くにいた刑務官が注意するが、女は止まらなかった。
「みんな、聞いて! こいつら……私たちを生かそうと思ってない!」
「聞こえなかったのか。列に戻れ!」
「私……」
女の声が震えた。
それでも、逃げるように逸らしかけた視線をもう一度上げる。
「私、和田に犯された!」
一階の空気が止まった。
「……は?」
「何だって?」
ざわめきが広がり、刑務官の顔色が変わる。
「お前、何を言ってる! いいから戻れ!」
「嘘じゃない!」
女が叫んだ。
「あいつらは、夜になったら私たちの房に来た! 男たちだって殴られてた! そうよね!」
「黙れ!」
刑務官が女へ近づこうとした瞬間、受刑者の中から男の声が飛んだ。
「そうだ! その女が言ってることはマジだ!」
別の場所にいた男が前へ出た。
「俺もやられた! 夜に房へ入ってきて、警棒で何度も殴られた!」
「俺も! あいつら何人も同時にやってきて……好き放題やりやがった!」
さらに別の男が声を上げる。
「腹ばっか狙ってきやがった! 痕が見えなきゃバレねえとか笑ってたぞ!」
ざわめきが一気に大きくなった。
「何だよ、それ……」
「聞いてねえぞ」
「……刑務官がやったのか?」
「一人じゃねえ! あん時、何人もいた!」
「おい! 静かにしろ!」
刑務官が声を張り上げた。
「今は解放の手続き中だ! 勝手な行動をするな!」
しかし、もう誰も先ほどまでのようには従わなかった。
女は周囲の反応に背中を押されたように、さらに声を上げた。
「それだけじゃない!」
視線が再び集まる。
「あの時、和田は言った! 前にここから出ていった人たちは……全員死んだって!」
一瞬、誰もその意味を理解できなかったのか、それまでざわついていた一階が嘘のように静まり返った。
そして次の瞬間、それまでとは比較にならないざわめきが一階を埋めた。
「……は? 全員? ……死んだ?」
「どういうことだよ……」
「前に出た奴らって、確か、三百人近くいただろ?」
「おい! 全員死んだって何だよ!」
「……だから!」
女が窓の向こうを指差した。
「外を見てよ! こんな雪の中に放り出されて、普通に考えて生きられるわけないでしょ!」
何人もの受刑者が窓を見る。
そこにあるのは、どこまでも続く白い世界だった。
「こいつらは知ってたんだよ!」
女の声がさらに大きくなる。
「外に出たら死ぬって……わかってるくせに、解放とか言って私たちを追い出そうとしてる! 自分たちで殺せないから、外に出して勝手に死なせようとしてるだけなんだよ!」
「おい! お前! いい加減に黙れ!」
刑務官が止めようとしたが、もう遅かった。
「……あいつらならやりかねねえ」
誰かが呟いた。
「ああ、そうだ、あいつらのやりそうなこった」
別の声が続く。
「俺たちを平気で殴ってた連中だ。何をしてももう驚きもせんぞ」
「受刑者とはいえ、女にまでそんなことする奴らだ」
「だったら……本当なんじゃねえか?」
「いや……絶対そうだろ」
一つの疑念が、別の疑念を呼んでいく。
「じゃあ、飯まで減らしたのって……?」
「俺たちを弱らせてから……追い出すためじゃねえのか?」
「ふざけんなよ!」
「最初から殺す気だったのか!」
「静かにしろ! まだ確認もできていない話だ!」
刑務官の声は、もう群衆の中へ消えていた。
前方にいた受刑者が一歩出る。
「下がれ!」
刑務官が両手で押し返した。
「触んな!」
受刑者がその腕を振り払う。
別の刑務官が駆け寄り、男の肩を掴んだ。
「おい! 暴れるな!」
「離せこら!」
男が腕を振った瞬間、その拳が刑務官の頬に当たった。
一瞬の出来事だった。
刑務官がよろめき、それを見た周囲の受刑者たちが息を呑む。
殴った本人も、一瞬だけ自分の拳を見た。
これまでなら、それで終わっていたかもしれない。
刑務官を殴ってしまった。
その事実だけで我に返り、次に何が起きるのかを恐れて動けなくなったはずだった。
だが、その日は違った。
「……やっちまえ!」
誰かが叫んだ。
刑務官へ二人、三人と飛びかかる。
「やめろ! 下がれ!」
「うるせえ! もうてめえらの言うことなんか聞くかよ!」
押し合いになった。
刑務官が一人を取り押さえようとした瞬間、その背中へ別の受刑者が体当たりする。倒れたところへ何人もの足が集まり、別の刑務官が助けに入れば、今度はそちらへ人が殺到した。
「やめろ! おい! 離れろ!」
「今まで好き勝手やりやがって!」
「ぶっ殺せ!」
「待て、俺は何もしてない! 痛え! やめろ!」
そんな声さえ、怒号に呑み込まれた。
すべての受刑者が襲いかかっているわけではない。
壁際まで逃げる者もいた。恐怖に顔を引きつらせ、何が起きているのか分からないまま立ち尽くしている者もいる。止めようとする者さえいた。
しかし、百五十人を超える人間が集まった場所で、一部が暴れ始めれば、それだけで秩序は簡単に崩れた。
「おい! 押すんじゃねえ!」
後方でも怒声が上がった。
「こっちだって押されてんだよ!」
「ああん? なめてんのか!」
「やんのか、てめえ!」
肩がぶつかり、胸倉を掴む。
その横では別の男が転び、踏まれそうになって悲鳴を上げた。
「おいこら! どけ!」
「押すなって言ってんだろ!」
「邪魔なんだよ! てめえ!」
今度は受刑者同士でも殴り合いになりかける。
もはや刑務官への怒りだけではない。四十四日間積み重なった空腹、寒さ、恐怖、閉塞感。そのすべてが、出口を失ったまま噴き出そうとしていた。
「バカか、お前ら!」
それまでの怒号を押し退けるような太い声が響いた。
胸倉を掴み合っていた二人が振り返る。
人垣を押し分け、大柄な男が前へ出てきた。
荒木玄吾。
殺人などの重大犯罪こそ犯していないものの、これまで何度も暴力事件を起こし、刑務所に入るのも今回で三度目になる男だった。粗暴で短気、それだけなら珍しい受刑者ではない。しかし荒木には妙な人望があり、以前から受刑者同士で揉め事が起きた時には、いつの間にかその中心に立っていることが多かった。
荒木は胸倉を掴み合っていた二人を睨みつけた。
「今は俺らが身内だろうが! 喧嘩する相手を間違えんじゃねえ!」
「……」
「やるなら後で勝手にやれ! 今、殴る相手はそいつじゃねえだろ!」
荒木が顎をしゃくる。
その先にいたのは刑務官たちだった。
「……そうだな」
「そうだよな」
「今はそっちじゃねえ……」
散らばりかけていた怒りが、再び一つの方向へ集まり始める。
そして、その頃になってようやく一階へ水城が到着した。
◇
角を曲がった瞬間、水城は足を止めた。
想像していたより、はるかに酷かった。
一階の広い空間を埋め尽くすように受刑者たちが集まり、その中心では怒号が飛び交っている。壁際では負傷した刑務官が同僚に支えられ、床に倒れた別の刑務官は顔を庇うように丸まっていた。その周囲を何人もの受刑者が囲み、すでに警棒まで奪われている。
「やめろ!」
水城は走った。
「やめてください!」
だが、誰も止まらない。
倒れた刑務官へ振り下ろされようとしていた足を、近くにいた別の刑務官が身体ごと割って入って止める。次の瞬間にはその刑務官まで殴られ、壁へ押しつけられた。
「話を聞いてください!」
水城が声を張り上げた。
「皆さん、落ち着いて!」
何度目かの呼びかけで、ようやく何人かが振り返った。
「……副所長だ」
誰かが言った。
「水城だ」
その名前が周囲へ伝わっていく。
すべてではない。
それでも、前方にいた何人かが動きを止めた。
寒波が来る以前から、水城は受刑者に対しても態度を変えなかった。規則に反すれば叱る。必要なら処分もする。だが、最初から犯罪者というだけで見下したり、話も聞かずに切り捨てたりすることはなかった。
そのことを覚えている受刑者は少なくなかった。
「……聞いてください」
わずかに怒号が弱まった隙を逃さず、水城は前へ出た。
「和田がやったことは、刑務所側としても決して許されることではありません! 私も今、初めて報告を受けました。事実関係をすべて確認したうえで、必ずしかるべき処分を行います! ですから、今は落ち着いてください!」
「あいつは絶対ぶっ殺す!」
すぐに怒声が返ってきた。
「そうだ! 毎晩毎晩、俺たちを弄びやがって!」
「何が処分だ! 今まで黙ってたくせによ!」
「私は知りませんでした!」
「そんなもん信じられるか!」
和田の名前が出た瞬間、わずかに戻りかけていた静けさが再び崩れ始めた。
水城はそれでも退かなかった。
「和田だけではありません! 暴力に関わった職員については全員調べます! 私が責任を持って――」
「そんなことより!」
群衆の奥から別の声が飛んだ。
「前に解放された奴らが全員死んだって、本当なのか?」
水城の表情が固まった。
「……何?」
「聞こえなかったのか! 前にここから出た奴らだよ!」
「和田が言ったんだろ! 全員死んだって!」
「だったら今回だって、俺たちに死ねって言ってるようなもんだろうが!」
「お前らの方がよっぽど外道じゃねえか!」
水城は女受刑者へ視線を向けた。
彼女がそれを聞かされたのだと、すぐに理解した。
だが、それ以上にまずい。
その話が、すでにこれだけの人数へ広がっている。
「落ち着いてください!」
水城は必死に声を張った。
「前回の解放で、実際に街まで到着した人もいます! 途中で倒れた方がいるのも事実です。ですが、全員が亡くなったという――」
「うるせえ!」
即座に怒鳴り返された。
「もう言い訳なんか聞きたくねえんだよ!」
「てめえらも大概のクズだな!」
「そうだ!」
今度は女の声だった。
「こうやって外を見れば、あたしたちだってもう分かる! 助かるわけがない!」
「飯まで半分にしやがって!」
「弱らせてから追い出すつもりだったんだろが!」
「違います! それは全体のことを考えて!」
「何が違うんだよ!」
一つの声に、別の声が重なる。
そして、その声にまた別の人間が反応する。
疑念が怒りを生み、怒りが別の疑念を事実のように変えていく。水城が一つ否定する間に三つ、四つと新しい怒声が飛び出し、やがて誰が何を言っているのかさえ分からなくなった。
「外に出ることは強制ではありません!」
それでも水城は叫んだ。
「もし残りたい人がいるなら、今からでも戻ることはできます! 誰かを無理やり外へ出すつもりはありません!」
「ああん? ふざけんなよ!」
前方にいた男が水城を指差した。
「戻ってどうすんだよ! また飯を減らされて、こいつらの暴力に耐えろってのか!」
「そうだ!」
「もう俺たちは自由だ! 誰が好き好んであんな房に戻るかよ!」
「戻ったら今度こそ何されるか分かんねえ!」
「和田を出せ!」
「ぶっ殺してやる!」
同じ言葉が何度も繰り返されたが、そこへ別の名前まで混ざり始めた。
「石井もだ! あいつも出せ!」
「あいつも俺を殴りやがった!」
「夜勤の連中、全員連れてこい!」
要求はもう和田一人ではなくなっていた。
「所長もだ!」
その声に、水城が振り返る。
「そうだ! 大庭を出せ!」
「ああ! こうなったのも全部あいつのせいだろ!」
「飯を減らしたのもあいつだろ!」
「俺たちを外に追い出そうとしたのも絶対あいつだ!」
「そうだ! いっつも俺らを見下しやがって!」
「こらあ! 所長を出せ!」
和田への怒り。
暴力に加担した刑務官への怒り。
食事を減らされた怒り。
外へ追い出されるという恐怖。
それらが混ざり合い、最後には刑務所そのものへの怒りへ変わっていく。
「皆さん!」
水城はもう一度叫んだ。
しかし、誰も聞いていなかった。
先ほどまでは、水城の顔を見て動きを止めた者が確かにいた。だが、今は、その者たちまで周囲と一緒になって声を上げている。
「まずこいつらをぶっ殺せ!」
突然、誰かが叫んだ。
「おお! 暴れてやんよ!」
「その後、食堂に行こうぜ! 飯があるんだろ!」
「腹いっぱい食ってやろうぜ!」
「いいな、それ!」
「やれええええっ!」
空気が弾けた。
先頭にいた一人が走り出すし、それを見た二人が続いた。
三人、五人、十人。
後ろにいた者たちまで押されるように前へ動き出し、瞬く間に人の塊が一つの波となった。
「ちょっと! 待ってください!」
水城が叫ぶ。
「止まってください!」
止まらない。
床を蹴る無数の靴音が重なり、建物そのものが震えているようだった。
水城の後ろにいた刑務官たちも警棒へ手を伸ばしたまま動けない。
目の前から押し寄せてくるのは、一人や二人ではない。
何十人もの人間だった。
その後ろにも、さらに大勢がいる。
すべての受刑者が自ら望んで走っているわけではなかったかもしれない。後ろから押されて前へ出てしまった者もいる。恐怖に顔を歪めながら、それでも人の流れから抜け出せない者もいる。
だが、そんなことは正面に立つ水城たちには分からない。
見えるのは、こちらへ押し寄せてくる巨大な人の塊だけだった。
「副所長……!」
後ろから刑務官の震える声が聞こえた。
水城は答えられなかった。
逃げろと命じるべきなのか。
ここで退けば、そのまま管理区域まで突破されるかもしれない。
止めなければならない。
しかし、どうやって。
先頭を走る男の顔が、もうはっきりと見える。
怒りで歪んだ口、血走った目、握り締められた拳、あと数秒もない。
水城はその場から動けなかった。
背後にいる刑務官たちも同じだった。
誰一人として、目の前から押し寄せてくる人の波を止める方法を思いつけない。
その時だった。
バァンッ――!
それまで一階を埋め尽くしていた怒号を、たった一つの音が切り裂いた。
水城の身体が反射的に強張る。
耳を叩くような鋭い破裂音がコンクリートの壁と天井にぶつかり、何重にも反響しながら広いフロアを駆け抜けた。聞き慣れた警棒の音でも、何かが倒れた音でもない。腹の奥まで震わせるようなその音に、押し寄せていた受刑者たちの足が止まり、怒号さえ一瞬にして消えた。
突然訪れた静寂の中、水城の耳には甲高い耳鳴りだけが残った。
ゆっくりと振り返る。
通路の向こうに、一人の男が立っていた。
「いい加減に大人しくしろ!」
大庭だった。
「暴れんじゃねえ!」
その右手には、拳銃が握られていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
いよいよ刑務所最後の戦いが勃発してしまいました。
果たして水城や大庭、受刑者の運命はいかに。
ついに決着の時が近づいて参りました。




