第17話 Day35 壊れ始めるもの
輸送隊の二人がすべてを話し終えたあと、所長室にはしばらく重い沈黙が残っていた。
二人とも疲れ切っていた。仲間が目の前で殺され、自分たちも辛うじて逃げ延びてきたばかりなのだから当然だった。
「もうこんな時間です。一度、食堂へ行きましょう。温かいものを用意させますので、少しでも食べてください」
水城がそう声をかけたが、運転手の男は力なく首を横に振った。
「……すみません。今は、とても食べる気になれません」
「……分かりました。では、休憩室でしばらくお休みになってください。まずは身体を休めましょう」
水城が近くにいた職員へ目を向けると、その職員は二人を連れて所長室を出ていった。
扉が閉じる。
「……大変なことになりましたね」
「ああ……」
大庭は短く答えると、すぐに机の電話へ手を伸ばした。
奪われた二台の車両が山を下ったというのなら、その先にある町へ向かっている可能性が高い。大庭は山下の町へ連絡を入れ、刑務所で行った緊急解放のこと、解放された受刑者の一部が輸送隊を襲撃したこと、そして二台の車両を奪って山を下ったことを伝えた。
「はい。……ええ。二台です。現在、そちらへ向かっている可能性があります」
受話器の向こうから、相手の怒鳴るような声が漏れてくる。
「ええ、ええ。おっしゃる通りです。お気持ちは分かります。ですが、こちらも緊急事態につき、やむを得ない判断を……」
さらに何かを言われたのか、大庭の表情が険しくなった。
「ですから、それについてはこちらの判断に責任が――」
そこで電話が切れた。
大庭はしばらく受話器を見つめたあと、ゆっくりと元の場所へ戻した。
「……どうでしたか」
水城はそう尋ねたものの、大庭の顔を見ると、すぐに小さく息を吐いた。
「いえ……なんとなく想像はつきます」
「凶悪犯が町に向かってるとなりゃ、一大事だからな」
大庭は椅子の背にもたれながら、疲れたように額を押さえた。
「それに、町の方もすでに治安が相当まずいらしい。警察も手いっぱいで、ほとんど機能していない状態だそうだ。町のあちこちで揉め事も起きて、治安そのものがかなり悪くなってるらしい」
「じゃあ……どうしたら……」
「一応、町の方でもできる限り人を集めて、自衛団を作って警戒に当たるそうだ。こっちから伝えられることは全部伝えた。奪われた車の特徴も、乗っている連中がここの受刑者だってこともな」
「そうですか……」
それ以上、刑務所側にできることはなかった。
水城は閉じたままの扉へ視線を向けたあと、小さく呟いた。
「……無事であればいいのですが……」
「…………」
大庭も、それ以上は何も言わなかった。
翌朝。
昨夜はほとんど食事を取れなかった輸送隊の人も、この日は職員たちと一緒に朝食を口にした。表情はまだ暗く、会話もほとんどなかったが、少なくとも前日よりは落ち着きを取り戻していた。
朝食を終えると、二人は残った車両に乗り込み、刑務所をあとにした。
その姿を見送ったあと、大庭は再び山下の町へ電話をかけた。
昨日の警告が間に合ったのか。奪われた二台の車両はどうなったのか。そして、受刑者たちは町へ現れたのか。
電話を終えた大庭の表情を見た瞬間、水城は何かが起きたことを察した。
「……何があったんですか?」
大庭はすぐには答えなかった。
やがて椅子へ深く腰を下ろすと、重い声で話し始めた。
「昨日、俺たちが電話したあと、そう時間を置かずに二台が町へ入ったらしい」
「そんなに早く……?」
「ああ。町の方でも連絡を受けてから人を集めて、入口を塞ぐ準備を始めたそうだ。だが、間に合わなかった。あいつらはそのまま町の中まで入り込んだ」
町へ入った受刑者たちは、民家や商店を次々と襲った。最初に狙われたのは、まともな防寒具を持っていなかった彼らにとって何より必要だった衣類で、厚手の上着だけでなく、靴や手袋、帽子まで使えそうなものを片っ端から奪っていった。その後は工具や金属製の器具など、武器として使えそうなものにも手を出し始め、日が暮れる頃には工場や倉庫が集まる一帯へ姿を消したという。
警察もまったく動いていなかったわけではない。しかし、町ではすでに食料や燃料を巡る揉め事や窃盗、住民同士の争いが各所で発生しており、限られた警察官だけではそのすべてに対応できるような状態ではなかった。夜のうちに受刑者たちの行方を探す余裕もなく、結局、そのまま朝を迎えることになった。
そして翌朝、男たちは再び姿を現した。
「……まだ終わってなかったんですか?」
「ああ。今朝、町に残っていた救援物資の輸送車を襲った」
政府から送られてきた支援物資は刑務所だけのものではなく、大半は山下の町へ運び込まれていた。そこにはまだ物資を積んだ車両も残されており、受刑者たちはそこを狙った。
すでに防寒具を手に入れ、工具などで武装した二十人近い男たちが一斉に襲いかかり、さらに一台の車両を奪おうとしたところで、数人の警察官が現場へ駆けつけたという。
「警察が来たなら……」
「人数が違いすぎた。それに、あいつらは警察を見ても逃げなかった」
警察官が制止しても男たちは武器を捨てず、それどころか、そのまま警察官へ向かっていった。やがて銃声が響き、一人が死亡し、数人が負傷したが、それでも残った男たちは止まらなかったという。仲間が倒れても構わず距離を詰め、人数で押し潰すように襲いかかった結果、現場へ駆けつけた警察官たちは全員殺され、その警察官たちが所持していた拳銃まで奪われた。
「拳銃まで……」
「ああ。そのあと町に残っていた物資を車へ積めるだけ積んで、奪った車両と一緒に町を出ていったそうだ」
「どこへ向かったんです?」
「分からん」
大庭はそれだけ答えた。
町へ入った時には毛布や棒、石程度しか持っていなかった男たちが、一晩でまともな防寒具と武器を手に入れ、さらに翌朝には車両と物資、それに拳銃まで持って町を離れた。どこへ向かったのかは、誰にも分からなかった。
「……くそが!」
突然、大庭が拳を机へ叩きつけた。鈍い音が所長室に響き、水城は何も言えないまま、その姿を見つめた。
「あのクズども……俺が思っていた以上にクズだった」
「落ち着いてください、所長。今回はあまりにもタイミングが悪すぎました。輸送隊が来ることが分かったのは解放したあとですし、その後も連絡がつかなかった。いくつもの不運が重なった結果です……」
「それでも、死んだ警官や市民の命は戻ってこない」
再び、大庭の拳が机を叩いた。
「完全に俺の責任だ」
「所長……」
それ以上、水城には何も言えなかった。
その声には、いつもの大庭にある覇気も、人を押さえつけるような重圧もなかった。
――水城の声が途切れ、隣で黙って話を聞いていた朝霧が、何かを思い出したように口を開く。
「そういえば、ちょうどその頃だったと思いますけど……救援物資を運んでいた車両が襲われたっていうニュースが流れていましたよね。もしかして、ここのことだったんですか?」
「おそらく、その事件も含まれていたと思います。ただ、あの頃は日本全国で同じようなことが起きていたはずです」
「その解放した囚人どもは、その後どうなった」
蓮が尋ねると、水城は少しだけ考えてから答えた。
「一部はその後、再び町へ戻ってきたようです。そこで市民との間にかなり激しい争いが起きたと聞いていますが、最終的には自衛団や、暴徒化した市民との衝突で亡くなっています」
「……一部?」
「ええ。鬼頭を含め、大勢の受刑者はその後、姿を現していません。町を離れてからどこへ向かったのかも分からず……少なくとも、私たちが把握している限りでは、今も行方は分かっていません」
「そうか」
鬼頭という男が今どこにいるのかは気になったが、今の俺たちには関係のない話だった。
「で、刑務所はそのあとどうなった。食料は一応補給されたわけだし、備蓄と合わせれば結構な量があっただろ」
「はい。その後、もうここに支援物資が届くことは一度もありませんでしたが、その頃はまだ少し余裕がありました。解放によって受刑者の数も大きく減っていましたから、食料についてはすぐに尽きるような状況ではありませんでした」
そこで水城は一度言葉を切った。
「問題は、別のところで起きました」
「別のところ? なんだそれは」
水城は少しだけ視線を落とすと、再び当時のことを語り始めた。
それから二週間ほどは、少なくとも刑務所全体を揺るがすような大きな問題は起きなかった。
もちろん、何事もなく平穏に過ぎたわけではない。
最初の解放で三百人以上が外へ出たことは、残った受刑者たちの間にもすぐに広まっている。収容区画を見回るたび、房の中からは「俺も出してくれ!」「次はいつなんだ!」といった声が飛び交い、中には房扉を叩きながら解放を求める者もいた。
それは一日や二日のことではなく、翌日も、その翌日も、見回りに行けば同じような声が上がり、受刑者たちは次の解放がいつ行われるのかを毎日のように職員へ問い続けていた。
しかし、あの事件以降、大庭所長が再び門を開くことはなかった。
当初は状況を見ながら今後も希望者の解放を続ける予定だったが、輸送隊が襲われ、さらに町で警察官や市民にまで犠牲者が出たことで、その方針は完全に取りやめた。それどころか、残った受刑者たちが新たな問題を起こさないよう、収容区画の管理は以前にも増して厳しくなり、房扉の開閉から受刑者の移動に至るまで、徹底した管理が続けられた。
そうして迎えた、三十五日目。
予想を遥かに超えて続く寒波は、人間だけでなく刑務所の設備まで確実に蝕んでいた。暖房設備は一か月以上ほとんど休むことなく稼働を続け、外部から供給される電力も日に日に不安定になっていた。電力が不足するたびに施設内の非常用発電機を動かして補っていたが、それも本来想定されていた使い方を遥かに超えて酷使されていた。
その日も、前触れなく廊下を照らしていた照明が一斉に消えた。
「……またかよ」
近くにいた職員が、暗くなった天井を見上げて苛立った声を漏らす。最初の頃であれば、停電が起きるだけで職員たちにも緊張が走っていたが、この頃には短時間の電力停止そのものが珍しいことではなくなっていた。
「おい! 久世、発電機動かしてこい!」
「分かりました」
呼ばれた久世はすぐに工具を手に取り、職員とともに設備室へ向かった。この二週間、電気や機械設備に問題が起きるたびに久世は駆り出され、いつの間にか設備関係で何かあれば、職員たちも真っ先に彼の名前を呼ぶようになっていた。
しばらくして非常用発電機が動き始め、消えていた廊下の照明が戻った。
しかし、その日の問題はそれだけでは終わらなかった。電力が復旧したにもかかわらず、いくつかの収容区画では暖房が戻らなかったのだ。
久世は刑務所の設備担当者とともに故障した箇所を調べ、比較的軽いものについては、すでに使用していない区画から部品を取り外して応急処置を施した。それで復旧した設備もあったが、すべてが同じように直せるわけではなかった。
「ここは無理です」
しばらく設備を調べていた久世が、内部を覗き込んだままそう言った。
「一部は直せます。でも、これは部品そのものを交換しないと無理です。今あるもので代用できる箇所でもありません」
受刑者である久世一人の判断だけで決めるわけにもいかず、刑務所の設備担当者も改めて故障箇所を確認した。しかし、しばらく調べた末に出した結論は同じだった。
「……ああ、久世の言う通りです。これは今ある機材や部品では直せません。交換部品が必要です」
「他の区画から持ってくることはできませんか?」
水城が尋ねると、設備担当者は首を横に振った。
「同じ部品を使っている設備はあります。ただ、そこから外せば今度はそっちの暖房が使えなくなります。それに、発電機の方もかなり厳しいです。今すぐ止まるとは言いませんが、このまま同じ使い方を続けられる保証はありません」
結局、その日のうちに直せたのは一部だけだった。それまでも暖房設備には何度か不具合が起き、そのたびに設備担当者や久世が応急処置を施してどうにか使い続けていたが、一か月以上続いた異常な低温と連続稼働によって、施設全体をこれまでと同じ状態で維持すること自体が難しくなっていたのだ。
報告を聞いた大庭の判断は早かった。
「なら、収容区画を一つにまとめる」
「一つに……?」
「男も女もだ。暖房が生きている収容エリアへ全員移す」
「男性受刑者と女性受刑者を、同じエリアにですか?」
「ああ」
「さすがに、それは――」
そこまで言いかけて、水城は口を閉じた。
平時であれば、簡単に認められるような運用ではない。まして当時は長引く寒波や食事の削減によって、受刑者たちの不満もかなり溜まっていた。男女を同じ収容エリアへ集めれば、それまでにはなかった問題が起きる可能性も十分にある。
だが、暖房が止まった区画へ受刑者を残しておくことなどできない。限られた電力と残された設備で、これまで通り男女それぞれの収容区画を維持することも、もうできなくなっていた。
「……いえ。今は、それしかありません」
水城がそう答えると、大庭は少し意外そうにその顔を見た。
「……反対しないんだな」
「今は全員を生存させることが最優先です。もう、そんなことを言っていられる状況ではありません」
「ああ、そうだな」
大庭は短く頷き、それ以上何も言わなかった。
それからの動きは早かった。方針が決まると、すぐに各職員へ指示が出され、暖房がまだ正常に動いている収容エリアへの移動が始まった。すでに三百人以上が解放されていたため空いている房には余裕があり、男性と女性が同じ房へ入るわけではない。使用する房を男女で明確に分け、可能な限り間に空き房を設けたうえで、職員を配置することになった。
それでも、問題が起きたのは最初の女性受刑者たちが廊下へ入ってきた直後だった。
「おいおい、マジかよ!」
「女までこっちに来んのか!」
それまで房の中で不満そうにしていた男たちが一斉に立ち上がり、廊下を歩いてくる女性たちを見るために房扉の方へ集まってきた。口笛を吹く者、扉を叩いて囃し立てる者、さらには露骨に下品な野次を飛ばす者まで現れ、瞬く間に収容区画全体が騒がしくなっていった。
「姉ちゃん、こっち来いよ!」
「おい、何号室だ!?」
「静かにしろ! 全員、扉から離れろ!」
付き添っていた職員が怒鳴っても、一度興奮した男たちは簡単には収まらなかった。むしろ職員の声に面白がるような笑いまで起こり、騒ぎを聞きつけた別の房からも男たちが次々と扉の近くへ寄ってきた。
当然、女性受刑者たちも平静ではいられなかった。
「おい、大丈夫なんだろうな? あいつら、こっちには絶対入ってこれないんだよね?」
「入れません。男性と女性の房はもちろん分かれています」
「本当だろうな? 絶対に開かないんだな?」
「大丈夫です。男性受刑者が女性側へ入ることはありません。そのために看守も配置します」
そう説明しても、女性たちの表情から不安が消えることはなかった。すぐ近くから聞こえてくる男たちの野次や房扉を叩く音を聞けば無理もない。中には「こんなところで寝られるわけないだろ」と訴える者もいたが、元の区画ではすでに暖房を維持できず、戻すという選択肢も残されていなかった。
しかし、物理的に接触させないことはできても、同じ場所にいるという事実までは変えられない。
その日の夜、消灯時間を過ぎて廊下の照明が落とされると、むしろ昼間より男たちの声がよく響くようになった。
「おい、お姉ちゃんよお! 夜は寂しくないか? 一緒にいいことしたいよなあ? ぎゃははは!」
暗い廊下の向こうから笑い声が上がると、別の房からもすぐに声が続いた。
「おい、声だけでもいいから感じさせてくれ! こっちはもうビンビンだぜ!」
「誰か返事しろよ! 聞こえてんだろ!」
「うるさいぞ! 消灯時間はとっくに過ぎてる! 静かにしろ!」
巡回していた看守が声を張り上げると、その場では一度静かになった。しかし看守の足音が遠ざかれば、数分もしないうちに別の房からまた声が飛び始める。
食事は何度も削減され、職員たちも以前のような量を食べられなくなっていた。人手不足の中で続く長時間勤務に加え、いつ終わるとも分からない寒波への不安、そして今度は男女を同じ場所へ集めたことで、夜になっても繰り返される受刑者たちの野次や笑い声に付き合わされる。
精神的な余裕を失っていたのは、受刑者だけではなかった。
「おーい! 姉ちゃん、まだ起きてんだろ?」
「いい加減にしろ!」
何度目かの野次が飛んだところで、巡回していた一人の看守が怒鳴った。
一度は静かになったものの、少しすると同じ房から再び笑い声が聞こえてきた。
「なんだよ、うるせえな! こっちは房から出てねえだろ!」
その言葉を聞いた瞬間、看守の足が止まった。
「……今、なんて言った?」
隣を歩いていた同僚が看守の顔を見たが、返事はなかった。看守は房の前で一度足を止めると、すぐには鍵を開けず、近くにいた職員へ声をかけた。
「おい。二人こっち来てくれ」
「どうした?」
「ここの馬鹿が、何度言っても分からねえらしい」
呼ばれた二人がやってくると、看守は警棒を手にして房の前へ戻った。中には騒いでいた男だけでなく、同じ房に収容されている受刑者が何人もいる。さすがに一人で扉を開けるような真似はせず、他の看守たちを両脇に立たせてから鍵を回した。
「全員、奥へ下がれ!」
「なんだよ。もう静かにしてるだろ」
「いいから下がれ! お前らじゃない。さっき騒いでた奴、出てこい」
指名された男の表情から笑みが消えた。
「は? なんで俺が出るんだよ」
「聞こえなかったのか。出ろ」
「嫌だね。俺は何も――」
「出せ」
看守がそう告げると、待機していた二人が房へ入り、抵抗する男の腕を掴んだ。
「おい! 離せよ! 何すんだ!」
男は身体を捩って抵抗したが、複数の看守に囲まれていてはどうにもならない。そのまま房の外まで引き出され、背後で扉が閉められた。
「なんだよ! 俺が何したってんだよ! ちょっと声出しただけだろ!」
「何度静かにしろと言った?」
「だからもう黙ってただろ! それに房から出ても――」
「黙れ!」
看守が警棒を振った。
「ぐっ――!」
鈍い音とともに男の身体が崩れ、廊下へ膝をつく。
「次また騒いだら、同じだからな!」
「お、おい……」
隣にいた同僚が、さすがに戸惑ったように声をかけた。
「ちょっとやりすぎじゃないか?」
看守はすぐには答えなかった。
手にした警棒へ視線を落とし、それから床にうずくまっている男を見る。荒くなっていた呼吸が少しずつ落ち着いていく中、その口元に一瞬だけ暗い笑みが浮かんだ。
「……大丈夫だよ。今、監視室にいるのは俺らの組だけだ。わざわざ後から映像を確認する奴なんていねえよ」
「でも……」
「それに、こんな時に誰が気にするんだよ」
看守は警棒の先を軽く下げながら、男を見下ろした。
「むしろ一人二人減った方が、食わせる飯も減ってみんな喜ぶだろ」
「……それもそうだな」
「結構スカッとするぞ?」
看守はそう言うと、手にしていた警棒を同僚の方へ差し出した。
「お前も一人やってみるか?」
同僚は差し出された警棒と、床にうずくまる男を交互に見た。
「……ああ。正直、もうこんな生活は気が狂いそうだ」
そして警棒を受け取る。
「ちょっと発散するか」
次に選ばれたのは、少し前まで別の房から野次を飛ばしていた男だった。
「おい。立て」
「は? なんだよ」
「お前もさっき騒いでただろ」
「騒いでねえよ! 俺は――」
再び、房扉の鍵が開いた。
それからしばらくして、先ほどまであれほど騒がしかった収容区画は、嘘のように静まり返っていた。誰も声を上げず、誰も房扉を叩こうとはしない。
ただその代わりに、どこかの房から聞こえてくる男の叫び声だけが、静まり返った収容区画の隅々まで響いていた。




