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氷河期ストレージ ~雪が止んだ日、世界は再び動き始めた~  作者: 宵白レン
第二章

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第16話 Day21 自由の行き先

 正門が閉じてからしばらくして、水城は所長室へ戻った。


 最後の一人が門の向こうへ消えるまで見届けていたせいか、部屋へ戻ってきても、まだあの光景が頭から離れなかった。


「……本当に、受刑者たち出て行ってしまいましたね。あれだけ寒いのに……」


 机に向かっていた大庭が顔を上げた。


「今のあいつらには、外へ出ることしか頭にないんだろうな」


 大庭はそう言って椅子の背へ身体を預けた。


「門を出れば自由になれる。好きなところへ行ける。そんなことしか考えてない。外がどうなってるのか、自分の足でどこまで行けるのかなんて、ろくに考えちゃいない」


 水城は窓の向こうへ目を向けた。


 ここから正門は見えない。それでも、つい先ほどまで三百人を超える受刑者たちが並んでいた光景を思い出すことはできた。


「下の町に連絡しなくて、本当によろしいんでしょうか……」


「必要ない」


 大庭は即答した。


「ですが、三百人以上ですよ。もしいきなり大勢が――」


「辿り着ければ、だろ」


 水城の言葉を遮り、大庭が窓の外へ目を向けた。


「この寒さだ。道路は雪でまともに歩けん。まともな防寒着もなく、作業着と毛布だけで町まで歩ける奴がいるわけないだろ」


「それでも、何人かは辿り着くかもしれません……」


「だからって町に何て言うんだ。今から三百人以上の受刑者がそちらへ向かうかもしれません、面倒を見てやってくださいとでも頼むのか?」


「そういう意味では……」


「向こうだって自分たちが生きるので精一杯だ。こんな状況でそんな連絡を入れれば、余計な混乱を起こすだけだろ」


 水城は何も言えなかった。


 大庭は机の上に置かれていた書類へ目を戻した。


「それより、こっちのことを考えろ」


「こっち……ですか?」


「三百人以上減ったんだ。食料の減り方も相当変わる」


 水城もそこでようやく、施設の中へ意識を戻した。


「田所のところへ行ってこい。残った受刑者と職員の人数を出し直して、非常備蓄がどれだけ持つのか計算しろ。余裕があるなら今の食事を少し増やしていい」


「分かりました……」


「数字が出たらすぐに報告しろ」


「はい」


 水城は所長室を出た。


 そのまま厨房へ向かおうとした水城だったが、途中で足を止めた。


 その前に現在の収容状況も見ておいた方がいい。そう考え、近くにいた職員を一人連れて収容区画へ向かった。


 中へ入って最初に感じたのは、静かになったということだった。


 朝までは多くの受刑者が収容されていた房が、あちこちで空になっている。それまで六人が入っていた房に二人しか残っていない場所もあれば、全員が解放を希望して完全に無人になった房もあった。


「……ここまで減ったか」


 水城は廊下を進みながら、一つ一つの房を確認していった。


 刑務所全体から見れば、三百人以上という数字が大きいことは分かっていた。しかし、実際に空いた房が並んでいるのを見ると、その変化は数字以上に大きく感じられた。


「残っている人数を区画ごとにもう一度出してください」


「はい」


「空いた房へ散らばったままにせず、可能な範囲でまとめます」


 同行していた職員が水城を見る。


「また移すんですか?」


「ええ。これだけ空いているなら、使わなくていい区画が作れるはずです。暖房を入れる場所をさらに減らせますし、照明や換気設備も含めて電力の消費を抑えられます」


「ああ……なるほど」


 食料だけではなかった。


 人数が減れば、必要になるものも減る。


 暖房を維持しなければならない区画が減り、電力を節約できる。食事を運ぶ回数も減る。限られた職員を、それまでより狭い範囲へ集中させることもできる。


 大庭の判断を完全に正しかったと思うことはできない。


 それなのに、結果だけを見れば、施設の状況は確実に改善していた。


「副所長!」


 突然、房の中から声が飛んできた。


「あいつらどうなったんだ!?」


「本当に出してもらえたのかよ!」


 別の房からも声が上がる。


「俺もやっぱり出たい!」


「また機会はあんのか!?」


「次はいつだよ!」


 次々と飛んでくる声に、水城は足を止めた。


 残った受刑者たちは、今朝出ていった者たちがその後どうなったのか知らない。


 ただ、門が開き、三百人以上が外へ出ていったことだけは知っている。


 彼らからすれば、あの者たちは自由になったのだ。


 それ自体は間違っていないのかもしれない。


 もう房の扉に閉じ込められることもなければ、決められた時間に起き、決められた場所だけを移動する必要もない。どこへ行くのも自分の意思で決められる。


 だが、その自由が彼らの望んでいた自由なのかは、また別の話だった。


 外は氷点下三十度近い。


 道路は雪に埋まり、町まで無事に辿り着ける保証すらない。


「解放については、状況を見ながら改めて判断します。それまでは指示に従ってください」


 水城はそれだけ答えると、再び歩き出した。



 女性区画まで一通り確認したあと、水城は厨房へ向かった。


 そこでも、朝までとは明らかな違いがあった。


 昼食の準備はすでに始まっていたが、調理台に並べられている食材の量が少ない。配給量をさらに減らしたわけではない。用意しなければならない食事の数そのものが、大幅に減ったのだ。


 田所は厨房奥の保管庫にいた。


「田所さん」


「ああ、副所長」


 田所が記録表から顔を上げた。


「所長から、もう一度備蓄を計算するよう言われました。今残っている人数で、あと何日持つのか確認したいんです」


「ちょうど俺もやってたところです」


 田所は手元の記録表を水城へ見せた。


「今朝出ていった分を引いて、残った受刑者と職員、それから厨房や医務の分まで入れて計算し直してます。まだ細かいところは詰めてませんが……かなり変わりますよ」


「どれくらいですか?」


「最初に非常備蓄を確認した時、七百人近い受刑者を抱えたまま、普通の量を三食出せば一週間程度と見てましたよね」


「ええ」


「でも、今は受刑者だけで三百人以上減った。それに、もう普通の量は出してません。今の配給量を維持して、使える食材を無駄なく回せば……」


 田所は計算機を叩き直し、数字を確認した。


「十八、いや二十日くらいはいけると思います」


「二十日ですか……」


「もちろん、二十日分の食事がきっちり揃ってるって意味じゃありません。先になくなるものもありますし、栄養の偏りも出る。ただ、とにかく腹に入れるものを切らさないって話なら、そのくらいまでは持たせられると思います」


「それでも……一週間と二十日では全然違いますね」


「違いますね。それに人数が減ったなら、調理に使う水も燃料も今までより少なくて済みます。厨房としては正直、かなり助かります」


 また同じだった。


 収容区画では電力。


 厨房では食料と水と燃料。


 三百人以上を外へ出した効果が、施設の至るところに現れ始めていた。


「二十日というのは、今の配給量を続けた場合ですよね」


「そうです。ただ、あくまで今あるものだけで計算した場合です。途中で何か入ってくれば当然延びますし、逆に保存状態の悪いものが見つかれば短くなる。だから所長に報告するなら、『二十日前後』にしておいてください」


「分かりました」


 水城は田所から記録を受け取り、その足で所長室へ戻った。


「失礼します」


「ああ。どうだった」


「残っている受刑者と職員の人数、それから現在の非常備蓄を田所さんと確認しました。まだ食材ごとの細かな調整は必要ですが、今の配給量を維持した場合、二十日前後は持たせられるだろうとのことです」


「二十日か」


「はい。それから収容区画も確認しました。残った受刑者をさらに集約すれば、使用しない区画を増やせます。暖房や照明を止められる範囲も広がるので、電力についても――」


 その時、机の上の電話が鳴った。


 大庭が受話器を取る。


「はい、大庭です」


 水城は話を止め、そのまま待つ。


「はい。いつもお世話になっております。……はい」


 大庭の口調が変わった。


 明らかに外部の、それも立場が上の相手と話す時のものだった。


「……本当ですか!」


 突然大きくなった声に、水城も顔を上げる。


「はい! ありがとうございます。本当に助かります。いえ、こちらは異常ありません。施設の運営も継続できています」


 大庭は何度か相槌を打ちながら、慌ててメモを取っていく。


「分かりました。はい、こちらでも受け入れの準備をしておきます。本当にありがとうございます。よろしくお願いいたします」


 受話器を置いた大庭の顔には、ここ数日ほとんど見たことのなかった安堵が浮かんでいた。


「……どうされたんですか?」


「政府からだ」


「政府……ですか?」


「ああ。正確にはここの上部からだ。今、政府の支援物資の輸送隊が山下の町で活動中らしい」


「支援物資……?」


「食料に医薬品、防寒具、それから燃料もあるそうだ。当然ほとんどは町へ回すものだが、向こうへの配給を終えたあと、残った物資の一部をこっちにも回してくれることになった」


「本当ですか!?」


「ああ。何度も要請を出した甲斐があった」


 大庭はメモへ目を落とした。


「四台をこっちに回してくれるらしい。食料だけでも入ればかなり違う。さっき二十日前後と言ったな?」


「はい。現在の備蓄だけなら――」


 そこで水城の声が止まった。


 下の町。


 そこへ向かっている輸送隊。


 そして今朝、この刑務所から出ていった三百人を超える受刑者たち。


「……所長」


 大庭が顔を上げた。


 ほんの数秒、二人とも何も言わなかった。


 この刑務所から山下の町へ続く道は、一本しかない。


「それなら……今日解放した受刑者たちと遭遇するんじゃ……」


 大庭の表情から安堵が消えた。


「すぐ電話しろ!」


「え?」


「今の輸送隊だ! すぐに連絡しろ! 途中で受刑者を見つけても不用意に止まるなと伝えろ!」


「は、はい!」


 大庭からメモを受け取った水城は、そこに書かれていた番号へ電話をかけた。


 繋がらない。


「……駄目です」


「もう一度だ」


 二度目も繋がらなかった。


 三度目、四度目、五度目。


「くそっ! こんな時に……!」


 大庭が苛立たしげに机を叩いた。


「多分ですが……もう山に入っているんだと思います。もともとあの辺りは電波が悪いですし、今の天候なら余計に繋がりにくくなっているのかもしれません」


「何度かけても同じか」


「はい。今から時間を置きながら試します」


「ああ。繋がったら、今朝ここから三百人以上を解放したことを必ず伝えろ」


「分かりました」


 その後も何度か電話をかけたが、結局一度も繋がらず、水城は待つしかなかった。


 それから数時間が経った頃、所長室の内線が鳴った。


「どうした」


『所長、監視室です。正門前に車両が来ています』


「輸送隊か!?」


『はい。支援物資の輸送車両です。ただ……』


「どうした」


『予定していた車両より二台少ないようです。それと、車体にかなり傷があります。何かにぶつかったような跡もあります』


 大庭の表情が変わった。


「乗ってる人間は?」


『確認できる範囲では無事です。ただ、運転手も同乗している方も、かなり動揺しているように見えます』


「すぐに中へ入れろ!」


『はい!』


 大庭は受話器を置くと立ち上がった。


「水城、行くぞ」


「はい!」


 二人が正門へ着いた時には、すでに門が開かれ、職員の誘導を受けながら輸送車両が施設内へ入ってきていた。


 水城が最初に見たのは荷台ではなかった。


 車体だった。


 側面には大きな擦過痕が走り、何か硬い物を何度も叩きつけられたような凹みが残っている。窓にも傷があり、車体の一部には何かと接触したらしい跡まであった。


 車が停まり、運転席の扉が開いた。


 降りてきた男の顔を見た瞬間、水城は足を速めた。


 顔色が悪かった。


 長時間雪道を運転した疲労だけではない。男は地面へ降りても落ち着かない様子で周囲を確認し、反対側から降りてきた職員も、ようやく安全な場所へ着いたことを確かめるように大きく息を吐いた。


「お疲れ様です。大丈夫ですか!? 何があったんですか!」


「あの……途中で――」


「馬鹿野郎! こんなところで話すな」


 後ろから来た大庭が遮った。


「え?」


「この寒さだ。話を聞くなら中だ。まず案内しろ」


「あ……はい! すみません。では、こちらへ」


 水城は運転手たちを庁舎内へ案内した。


 所長室へ戻ると、職員が温かい茶を用意したが、運転手たちはなかなか口をつけなかった。


 一人は両手を膝の上に置いたまま俯き、その指は暖房の効いた室内へ入ってからも小さく震えていた。もう一人も湯呑みを前にしたまま、何度も浅い呼吸を繰り返している。


 大庭は二人が少し落ち着くのを待ってから、向かいへ腰を下ろした。


「……何があったんです?」


 運転手がゆっくり顔を上げた。


「支援物資をこちらへ運んでいる途中で……襲われました」


 水城の身体が強張った。


「あの人たち……ここの受刑者ですよね?」


 大庭は答えなかった。


「なんで受刑者が、あそこにいたんですか……?」


 所長室が静まり返る。


 大庭が何も言わないため、水城が代わりに口を開いた。


「……今日、この緊急事態に対応するため、災害時の避難及び解放を適用しました」


「なんですか、それは……」


「災害によって施設内で避難させることが困難になった場合などに、一定の条件のもとで被収容者を一時的に解放できる規定です。今朝、希望した受刑者を――」


「なんで事前に言ってくれなかったんですか!」


 突然大きくなった声に、水城の言葉が止まった。


「こっちは何も知らなかったんですよ! 途中でいきなり大勢の人が出てきて……服だってみんなバラバラだった。刑務所の服なんか着てないし、毛布を巻いてる人も大勢いた。だから前を走ってた二台は、ここの職員が町へ避難してるんだと思ったんです!」


 運転手の呼吸が少しずつ荒くなっていく。


「向こうも助けてくれって叫んでました。あんな雪の中で大勢の人間が歩いてるんですよ。事情を知らなきゃ、止まるでしょう……。それで前の二台が停まって、降りて事情を聞きに行ったんです。そしたら……」


 男の声が震えた。


「いきなり襲われました」


「……その、どうなったかは……分かりますか?」


 水城が尋ねると、男はしばらく答えなかった。


 やがて小さく頷いた。


「多分……死んだと思います」


 水城の顔から血の気が引いた。


「こっちの車にも来ました。窓を叩いて、ドアを開けようとして……車を奪うつもりだったんだと思います。だから俺たちは、そのままアクセルを踏んで……」


「本当に……なんて言ったらいいか。お詫びの言葉もありません」


 水城は慌てて携帯電話を取り出した。


「ただ、何度も電話したんです。輸送隊がこちらへ向かっていると聞いてすぐに、受刑者を解放したことを伝えようとして……でも繋がらなくて……」


 発信履歴を開き、同じ番号へ何度も電話をかけた記録を運転手へ見せる。


「本当です。何度もかけました。こちらも何とか連絡を取ろうと――」


「それでも、もっと事前に連絡できたでしょう……!」


 運転手は携帯電話を見ることもなく言った。


「今日解放するって決めた時点で、下の町なり自治体なりに知らせてくれていれば、こっちにも情報が入ったかもしれない。最初から受刑者だと分かっていれば、あんなところで車を止めたりしなかった! こんなことには……!」


「それについては俺の責任だ」


 大庭が言葉を遮り、運転手が大庭を見る。


「解放を決めたのは俺だ。町への連絡が遅れたことも確かだ。こっちも食料が尽きかけて、施設を維持できるかどうかのギリギリの状態で動きが遅れた。それに、今日そちらが来ることも俺たちは知らされていなかった」


「それでも下の町や自治体には伝えるべきでしょう!」


「ああ。それは本当にすまなかった」


 その声には、いつもの大庭にある人を押さえつけるような重圧がなかった。


「この雪が去ったあと、今回の判断について責任を問われるならいくらでも受ける。だが今は、ここで言い合っても死んだ人間は戻らん。それより、何が起きたのかをもう少し詳しく教えてくれ」


 運転手はまだ何か言いたそうだったが、やがて大きく息を吐いた。


 これ以上ここで責任を追及しても埒が明かないと思ったのだろう。ようやく目の前の湯呑みへ手を伸ばしたが、茶を飲むことはせず、冷え切った両手で包み込んだ。


「……最初に見つけた時は、二十人くらいだったと思います」


 先ほどまでとは違い、その声は低かった。


「道路の端を歩いてました。こっちの車に気づいたら、みんな大きく手を振り始めて……『助けてくれ!』『止まってくれ!』って叫んでた。着てる服は本当にバラバラで、ほとんどの人が毛布を身体に巻いてました」


 運転手はそこで一度目を閉じた。


「先頭の車が速度を落としました。それから少し広くなってるところに寄せて、二台目もその後ろに停まったんです。俺たちは後ろの方だったから、そのまま少し離れたところで停まりました」


「それからは……?」


「前の二台から運転手と同行の職員が降りました。向こうからも何人か近づいてきて……最初は普通だったんです」


 運転手の手が、湯呑みを強く握った。


「本当に、普通に話していて、別に揉めてるようにも見えなかったんです」


 水城も大庭も黙って聞いていた。


「それが……急に」


 運転手の喉が動いた。


「男が持ってた木の棒を振り上げたんです」


 振り下ろされた棒が、話しかけていた職員の側頭部をまともに捉えて、鈍い音が、雪に覆われた山道へ響いた。


 何が起きたのか理解する暇もなかったのだという。


 一撃を受けた男は身体から力が抜けたように膝を折り、そのまま雪の上へ倒れた。


「最初は……反応が追いつかず、転んだようにも見えたんです」


 運転手の声が掠れた。


「でも、すぐに頭の下から赤いものが広がって……」


 そして、倒れた男へ、別の受刑者たちが駆け寄った。


 助けるためではなく、両手には、大きな石が握られていた。


「やめろ!」


 誰かが叫んだ。


 その声とほとんど同時に、石が振り下ろされた。


 一度。


 男の頭が雪へ沈んだ。


 もう一度。


 白かった雪へ赤いものが飛び散った。


 それでも止まらなかった。


「やめろ! 何してる!」


 前の車から降りていた別の職員が駆け寄ろうとした。


 その瞬間、周囲にいた受刑者たちが一斉に動いた。


 それまで助けを求めていた者たちだった。


 震えながら毛布を巻きつけ、手を振り、「助けてくれ」と叫んでいた人間たちが、突然、棒や石を手にして運転手や職員へ襲いかかった。


「うわっ――!」


 また一人が背後から棒で殴られた。


 振り返るより先に二発目が肩へ入り、身体が傾いたところへ別の男が体当たりする。雪の中へ倒れたところへ何人もの足が集まり、蹴りが腹や背中へ次々と入った。


 別の職員は車へ戻ろうとした。


 だが、数歩も進めなかった。


 投げられた石が後頭部に当たり、前のめりに倒れる。起き上がろうと雪へ手をついたところへ一人が追いつき、手にしていた棒を振り下ろした。


「お願いだ……、待ってくれ!」


 誰かが叫んでいた。


「食料なら渡す! だから――」


 最後まで言葉は続かなかった。


 運転手はそこで話すのをやめた。


 所長室には暖房の音だけが残った。


「……あまりにも突然でした」


 男は俯いたまま続けた。


「誰も動けませんでした。こっちも、まさか襲われるなんて思ってなかった。何が起きてるのか分かった時には……もう、前にいた人たちはみんな倒れてました」


 水城は何も言えなかった。


「車のライトが点いたままだったんです」


 運転手は震える息を吐いた。


「ライトが雪を照らしてて……その中でみんな倒れてました。白かった雪が、あちこち赤くなってました」


 隣に座っていたもう一人が顔を伏せた。


「それで、俺たちの方にも寄ってきました」


 何人もの受刑者が顔を上げ、少し離れた場所に停まっている車両へ視線を向けた。


 中に人が残っている人に気づいたのか、それまで倒れた職員たちを囲んでいた者の何人かが、今度はこちらへ向かって一斉に走り出した。


 直後、窓へ何かがぶつかり、激しい音に身体が竦む。


 目を凝らすと、それが石だと分かった。


「おい!開けろ!」


「止まれ! こら!」


「車をよこせ!」


 男たちが車体を叩く。


 棒がドアへ何度も振り下ろされ、鈍い音が車内へ響いた。別の男はドアノブを何度も引き、開かないと分かると窓へ石を叩きつけた。


「車を出せ!」


 助手席から叫び声が上がり、運転手はアクセルを踏み込んだ。


 だが、前方には停車した二台の車両があり、雪の積もった道幅も広くない。


「ぶつかる!」


「いいから行け!」


 選んでいる余裕はなかった。


 ハンドルを切り、前方の車両の脇へ強引に車体をねじ込む。


 次の瞬間、大きな衝撃が走った。


 車体同士が擦れ、耳を塞ぎたくなるような金属音が響く。それでもアクセルを緩めなかった。


 窓の外では受刑者たちが何か叫びながら追ってくる。


 石が飛び、側面に当たる。


 さらにもう一つ。


 後方から棒のようなものまで投げつけられた。


 それだけではなかった。


 道を進む先にも、刑務所から出てきた受刑者たちがいた。突然走ってくる車両に驚いて道を空ける者もいたが、先ほどの集団に呼応するように石を拾って投げる者もいる。


 止まれば殺される。


 それだけを考えて、雪の積もった山道を走り続けた。


「……それで、ここまで来ました」


 運転手が話し終えると、水城は長く息を吐いた。


 そこで、一つの違和感に気づいた。


「あのう……さっき、最初にいたのは約二十人と言いましたよね?」


「……はい」


「ここからは、三百人ほど解放されています。他の受刑者たちは見ませんでしたか?」


 運転手の表情が変わった。


「……見ました」


「どこでですか?」


「もっと刑務所寄りの道です」


「……その人たちは、どうしてたんですか?」


 運転手はすぐには答えなかった。


 視線を落とし、しばらく黙ってから口を開く。


「……死んでました」


 水城の表情が強張った。


「道端に何人も倒れてました。雪の上にも、少し埋もれかけてる人がいて……誰も動いてませんでした」


「……寒さに耐えきれず、そこで倒れたんでしょうか」


 水城の脳裏に、門を出ていった受刑者たちの姿が浮かんだ。この寒さの中を雪に足を取られながら歩き続ければ、途中で体力を失って動けなくなったとしても不思議ではない。


「いや、多分違うな……」


 大庭が低い声で言った。


「え?」


「あのクズどもの仕業だろ」


 水城が大庭を見ると、運転手もゆっくりと頷いた。


「……おそらく、そうだと思います」


「どういうことですか?」


「倒れていた人たちは、みんな頭や身体から血を流していました。転んだとか、寒さで倒れたとか、そういう傷には見えませんでした。それに……」


「……それに?」


 運転手は一度言葉を詰まらせた。


「みんな、服を脱がされていました」


「服を……?」


「はい。上着だけじゃありません。靴も、毛布も……使えそうなものはほとんど持っていかれていました」


 運転手は目を伏せた。


「遺体は、ほとんど裸でした。男も……女も」


「・・・あのクズどもめ!」


 大庭が吐き捨てるように言った。


「なんてことを……」


 水城は言葉を失った。


 同じ場所から解放され、同じ道を歩き始めた者たちだった。


 それが門を出てから半日も経たないうちに、弱った者から襲われ、服を奪われ、靴を奪われ、毛布まで奪われて雪の中へ捨てられていた。


 だが、水城はそこで、まだ聞いていないことがあると気づいた。


「いや、あのう……では、同僚の方たちが襲われたあとはどうなったんです?」


 それまでほとんど口を開いていなかった、もう一人の職員がゆっくりと顔を上げた。


「俺たちは一番後ろを走っていました」


 水城がそちらを見る。


「逃げる時も、バックミラーでずっと見てました」


 大庭も水城も何も言わなかった。


 二人とも、その先の言葉を待った。


「俺たちを追ってきた奴らも、途中で諦めて前の車に戻っていきました。それから……あいつら、車を少し調べてたんです」


「車を?」


「はい。運転席を覗いたり、後ろを開けたりしてました。多分、何が積まれてるのか確認してたんだと思います」


 男は一度息を吐いた。


「あとは、乗せられるだけ人を乗せてました。一部は後ろの貨物庫にも乗り込んで……」


 水城の表情が変わった。


 大庭も黙ったまま、わずかに身を乗り出す。


 職員は二人を見た。


「車の向きを変えて、山の下へ向かいました」

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― 新着の感想 ―
あーあ、アホ所長のせいで⋯ヽ(´ー`)ノ 水城はみずしろ、みずき、すいじょう どれだろ
生存力高めというか本性現したというか
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