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氷河期ストレージ ~雪が止んだ日、世界は再び動き始めた~  作者: 宵白レン
第二章

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番外編 専属医のお仕事

「あ、知らない天井だ……」


 目を開けて、最初にそう思った。


 頭が重い。身体には鉛でも詰め込まれたような倦怠感があり、喉は焼けるように痛い。鼻も詰まっているらしく、呼吸をするだけでも妙に苦しかった。


「あ! 起きた? レン!」


 声のした方へ顔を向ける。


「……朝霧?」


「ちょっと、どうしたのよ? すごい熱だったから寝ぼけてるの?」


「あ、ああ……そうかもしれん。ここは?」


「もう、2501に決まってるじゃない。ちょっと本当に大丈夫?」


 朝霧は呆れたように言ったあと、すぐに表情を変えた。


「まだ熱があるかもしれないわね。ちょっと待ってて」


 そう言って部屋を出た朝霧は、すぐに診察器具を持って戻ってきた。


 体温を測り、喉を診て、呼吸の状態を確認する。さっきまでの呆れ顔が嘘のように、その表情は真剣そのものだった。


「んー……まだ熱がかなり高いわね。症状を見る限り、おそらく――」


 俺は黙って朝霧の言葉を待った。


「ウイルスによる急性上気道感染症ね」


「……インフルエンザか」


「そうよ。熱に喉の痛み、倦怠感もかなり強い。薬は出すけど、今日は絶対に安静。水分もしっかり取って。熱が下がってもすぐに動いちゃダメよ」


「どれくらいかかる?」


「今の状態なら、あと二日くらいは覚悟した方がいいわね」


「二日か……」


 思ったより長い。


「それと、こういう時こそ栄養のあるものを食べた方がいいわ」


「それなら……何か出そう」


 こういう時に食べられそうなものならいくらでもある。何を取り出そうかと考えていると、朝霧がすぐに首を横に振った。


「ダメよ。あなたが収納してるの、ほとんどお店の料理じゃない。脂っこいものとか味の濃いものは、今は余計に身体へ負担がかかるわよ」


「それなら――」


 雑炊もある。


 そう言いかけたところで、朝霧が立ち上がった。


「私がお粥作ってあげるわ」


「……え?」


「材料なら冷蔵庫にあるもので十分だから、あなたはこのまま寝てて」


「お、おい……」


 止めなければ。


 そう思ったのに、喉がやられているせいで声がうまく出ない。


「ゆっくり寝てて。すぐできるから」


 朝霧はそう言い残し、寝室から出ていった。


 ……まあ。


 お粥なら、さすがに問題ないだろう。


 米を水で煮込むだけのお手軽料理だ。せいぜい卵か、消化によさそうな具材を少し入れる程度。


 いくら朝霧でも、失敗のしようがない。


 それに、あいつの料理の練習にもうってつけだろう……


 そして俺は諦めて目を閉じた。


 少しだけ休むつもりだった。


 ◇


「……ん」


 気づけば眠っていたらしい。


 どれくらい寝ていたのか、自分でも分からない。


 ただ――。


「…………なんだ?」


 鼻が動いた。


 さっきまで詰まっていたはずの鼻が、なぜか通っている。


 いや、通ったというより、無理やり何かにこじ開けられたような感覚だった。


 何かが鼻腔の奥へ突き刺さってくる。


 薬のようでもあり、食べ物のようでもある。


 これまで嗅いだことのない、複雑怪奇な匂いだった。


「…………」


 俺は黙って天井を見つめ、嫌な予感がする。


 ものすごく嫌な予感がする。


 そして、やがて廊下から足音が近づいてきた。


「あれ? 起きたの? さっき見にきた時は寝てたのに」


 来た。


「ジャジャーン! できたわよ!」


 満面の笑みを浮かべた朝霧が、お盆を持って入ってきた。


 その上には湯気を立てる一つの器。


 俺はそれを見た。


「…………」


 もう一度見た。


「……朝霧」


「ん? なに?」


「これは……なんだ?」


「何言ってるの。お粥よ?」


「…………」


 俺が知っているお粥とは違う。


 卵や刻んだネギらしきものまでは分かる。


 問題は、そのお粥がドス黒いオレンジ色になっていることと、中央から堂々と顔を出している、細長い根のような物体だった。


「……これ、なんだ?」


「朝鮮人参よ」


「は?」


「漢方にも使われるくらいだし、こういう時にはちょうどいいと思って」


「こんなのあったか?」


「あったじゃない。前に薬の話をした時に蓮が出してくれたじゃん」


「え? そうだったか……?」


「もう、やっぱり熱のせいね」


 朝霧は呆れたように息を吐くと、器を俺の前へ置いた。


「ほら、早く食べて、食べたらまたすぐ寝ていいから」


「……ああ」


 まあ、確かに身体には良さそうだ。


 見た目は少々不安だが、朝霧は医者だ。少なくとも身体に悪いものを病人へ食わせるはずはない。


 俺は匙を手に取った。


「……朝霧」


「なに?」


「これ、本当に食べないとダメか?」


「当たり前じゃない。病人なんだから、ちゃんと栄養を取らないと」


「いや、でも……」


「大丈夫よ。ちゃんと味見はしてあるから」


 朝霧は自信満々に胸を張った。


「料理は愛情。食事は根性。きっと栄養満タンよ」


「…………」


 ん?


 今の言葉……。


 どこかで聞いたような……。


「どうしたの?」


「いや……なんでもない」


 なんだろう。


 妙な既視感がある。


 つい最近、まったく同じ言葉を目にしたような気がするのだが……。


 ……気のせい、か?


「ほら、冷めちゃうわよ」


「……ああ」


 俺は覚悟を決め、匙ですくったお粥を口へ運んだ。


「――――っ!?」


 最初に襲ってきたのは、強烈な甘さだった。


 その直後、朝鮮人参の独特な苦味が追いかけてくる。


 さらに何かの辛味が割り込み、最後に酸味が容赦なく舌を刺した。


 味の津波だった。


 しかも一つとして調和していない。それぞれが好き勝手に押し寄せ、病気で弱りきった俺の味覚と身体を蹂躙していく。


「…………っ」


「どう?」


「……何を入れた」


「え? 栄養をしっかりつけてもらおうと思って朝鮮人参いれたでしょ?」


「ああ……そうだな」


「でもそれじゃ苦いと思って、隠し味に蜂蜜を入れたの。さらに風邪に効く生姜、さらに味気ないと思ったから梅干しもいれたわ」


 返事をする余裕などなかった。


 これはまずい。このままでは命に関わる気がする。


 本能がそう告げていた。


 俺は震える右手を前へ突き出し収納――


「…………」


 できかった。


 さらにもう一度、収納。


「…………?」


 なぜだ。


 いくら右手を伸ばしても、いくら収納しようとしても、目の前のお粥らしからぬ物体が消えない。


「あ! また《パンドラ》に収納しようとしてる!」


 朝霧が俺の右手を見て声を上げた。


「今回はダメよ! これは本当に身体にいいの! 全部食べてもらうわ!」


「いや……」


「ダメよ。食べなさい」


「…………」


 朝霧の声が一つ低くなり、表情もどこか怖い。


 もう、逃げられない。


 だが……まあ。


 自分のために、苦手な料理をせっかくここまで作ってくれたんだ。


 ここは――。


 俺は食った。


 食って、食って、食い続けた。


 襲いかかってくる味の津波に耐え、何度も止まりそうになる手を動かし、必死に喉の奥へ流し込む。


 死力を尽くして――。


 最後まで、食べきった。


「…………」


 直後だった。


 身体から力が抜けていく。


 視界がぼやけ、朝霧の顔が遠ざかっていく。


 意識が、どんどん深いところへ沈んでいく。


「え? ちょっと! どうしたの!?」


 朝霧が慌てて俺の身体を支えた。


「ねえ、しっかりして! レン!?」


 ――その瞬間。


 俺は、すべてを思い出した。


 そうだった。


 俺は……レン。


 神崎蓮じゃない。


 ――宵白レン。


 ……どうりで《パンドラ》が使えないわけだ。


 そして同時に、もう一つ思い出した。


 昨日、俺はあとがきに体調を崩したことを告げた。


 すると、大勢の読者が心配してくれた。


『体調には気を付けて下さい』

『お大事にしてください』

『お体に無理のない範囲で』

『ご自愛ください』

『体調が早くよくなることを祈っています』

『無理せずお大事にー…』

『無理は絶対にしちゃイカンとです!』

『ゆっくりと休んでください』

『健康を1番でお願いします』

『por favor recupérate sin preocuparte demasiado』


 など、お見舞いの言葉が溢れていた。


 嬉しかった。本当に嬉しかった。


 それこそ、涙が出そうなくらいに。


 ――だが。


 その中に、奴は現れた。

 

 田村先生を呼ぶのはいい。何か悪意のようなものは感じたが彼も立派な医者だ。


 ――だが。


『朝霧先生にお粥とか作ってもらって下さい』

『料理は愛情です。食事は根性です。きっと栄養満タンです』


 …………。


 おい。


 高熱を出してる俺に、なんてことをしてくれたんだ。


 見舞いじゃなかった。


 奴は――俺を殺しに来てた。


「もう……料理のために死ぬのは、ごめんだ……」


 読者を信じ、薬を飲み、寝起きの高熱の中でも作品を書き続けた。


 その結果が、これだった。


「次があるなら……今度は……」


 薄れていく意識の中で、レンは最後に一つだけ願った。


「星と……フォローを……」


 その言葉を最後に――。


 宵白レンの意識は、完全に闇へ沈んだ。

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ww
嫌あああぁぁ!しっかりしてえぇぇぇぇえ!
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