↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷河期ストレージ ~雪が止んだ日、世界は再び動き始めた~  作者: 宵白レン
第二章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
118/176

第3話 生きるための努力

 市場を離れてから、二人の間にしばらく会話はなかった。


 背後から聞こえていた人々の声や物々交換の喧騒も、歩みを進めるにつれて少しずつ遠ざかっていく。やがて聞こえるのは雪を踏み締める二人分の足音だけになり、朝霧はその音を聞きながら、何度か隣を歩く蓮へ視線を向けていた。


 何かを言おうとしていることには、蓮も気づいていた。


 それでも蓮から声をかけることはなく、朝霧が自分から口を開くまで黙って歩き続ける。


「……さっきは、ごめんなさい」


 ようやく聞こえてきた言葉に、蓮は何も答えなかった。


 朝霧も返事を求めていたわけではないのだろう。前を向いたまま少しだけ唇を噛むと、考えていたことを一つずつ確かめるように言葉を続けた。


「頭では分かってるの。あの子に食料を与えたことは、あの子を救ったことにはならない。今日を乗り切れたとしても、明日になればまた食べるものが必要になるし、何の解決にもなってない」


「そうだな」


「それに……後から出てきたのが子供たちだったからよかったものの、もし武器を持った大人たちだったら、私たちだって今頃無事じゃなかったかもしれない」


「かもしれんな」


 蓮の返事は淡々としていた。


 責めるわけでも、慰めるわけでもない。それがかえって気になったのか、朝霧は少しだけ歩調を緩めて蓮の横顔を見る。


「……あなたは怒らないの?」


「お前を連れてきた時点で、そういうところも想定のうちだ」


「……そう」


 朝霧は視線を落とした。


「ごめんなさい」


「謝らなくてもいい。ただ、以前はモニターの中で見てきたから、どこか遠い世界のように感じてたのかもしれないが、今は違う」


 そこで蓮は一度言葉を止めた。


 続きを待っている彼女へ、蓮は静かに告げた。


「いい加減、現実を見ろ」


 朝霧は何も言わなかった。


「死ぬぞ」


「……分かってる」


 小さな返事だった。


 けれど、その声にはどこか苦しそうな響きが混じっていた。


「別に悪人になれとは言わない。俺みたいになれとも言ってない。ただ、自分を保つための偽善はやめろ」


 朝霧の足がわずかに止まりかけた。


 一瞬、反射的に何かを言い返そうとして唇が動く。


 そんなことはない。


 おそらく最初に浮かんだのは、その言葉だった。


 けれど朝霧は声にしなかった。開きかけた唇を閉じると、そのまま数歩歩き、やがて自嘲するように小さく息を吐いた。


「……偽善」


 自分に向けて確かめるように、その言葉を繰り返す。


「確かに……そうかもしれないわね」


 今度は蓮が朝霧を見る番だった。


 予想していた反応とは少し違ったのかもしれない。朝霧なら否定すると思っていた。少なくとも、これまでの彼女であれば、もっと何かを言い返してきたはずだった。


 だが、朝霧は俯いたままだった。


「自分でも分かってるの。たぶん、ずっと前から……」


 白い息が口元からこぼれ、冷たい空気の中へ消えていく。


「それに私だって……人殺しなのよ」


 蓮の眉がわずかに動いた。


 何を言っているのか分からなかったわけではない。ただ、朝霧の口からその言葉が出てくるとは思っていなかった。


「マンションにいた人たちと、何も変わらない。自分では違うつもりでいただけで……結局、私も同じなのよ」


「……何の話だ?」


「あの日のこと」


 朝霧は立ち止まり、蓮も数歩先で足を止めて振り返る。


「三浦よ」


 その名前を聞いて、蓮はようやく朝霧が何を言おうとしているのか理解した。


 あの日、蓮は気を失った三浦を窓の開いた非常通路へ放置した。


 そのままにしておけば、極寒の中で長く生きていられるはずもない。蓮は最後の選択を朝霧に決めさせた。


 救うのか、それとも、そのままにしておくのか。


 そして朝霧は――救わないことを選んだ。


「私が三浦を救わないと決めた時点で、彼を殺したことと変わらない」


「いや、三浦は――」


「いいえ」


 蓮の言葉を、朝霧が初めて遮った。


「殺したのは私よ」


 先ほどまで俯いていた朝霧は、今度は真っ直ぐに蓮を見ていた。


「あの時点で彼はもう死んでいたのと同じだった。私が手を差し伸べなければ助からないって分かってた。それでも私は助けなかった。自分で決めたのよ」


 蓮はしばらく何も言わなかった。


 あの時、朝霧に選択させたことを後悔しているわけではない。三浦が何をしたのかも、その結果どうなったのかも、蓮の中ではすでに終わった話だった。


 だが、朝霧にとっては違ったらしい。


「……そうか。どう思うかはお前の勝手だ」


「ええ。そうね」


 朝霧は笑おうとした。


 だが、口元に浮かんだものは笑顔にはならなかった。


「本当に最低ね……」


「……」


「人をもう殺めておいて、ずっと善人ヅラして……目の前に自分より不幸な人がいたら少し手を差し伸べて、それで誰かを救ったつもりになってる」


 言葉にするたびに、それまで目を逸らしていたものが形になっていく。


 医者だから。


 困っている人を見捨てられないから。


 目の前で苦しんでいる人がいたから。


 その一つ一つが嘘だったわけではない。


 けれど、その行動のどこかに、自分だけは最後までまともな人間でいたいという気持ちがなかったと言い切れるのか。


 マンションで人々が食料を奪い合い、互いを疑い、暴力を振るう姿を見ながら、自分は彼らとは違うと思っていなかったか。


 そして今もまた、目の前に現れた子供へ食料を渡すことで、自分の中に残っている何かを縋っていたのではないか。


「本当……最低ね……私」


 最後の言葉は、途中から声にならなかった。


 朝霧は慌てて顔を伏せたが、頬を伝った涙までは隠せなかった。手袋をした手で目元を拭い、何でもないように歩き出そうとするものの、呼吸がうまく整わないのか、その場から動けずにいる。


 蓮はそんな朝霧を黙って見ていた。


 慰める言葉など出てこない。


 そもそも、今の朝霧が慰めてほしいのかどうかも分からなかった。


 だから何も言わず、朝霧の呼吸が少しずつ落ち着いていくのを待った。


 やがて朝霧がもう一度目元を拭い、ゆっくりと息を吐いたところで、蓮はようやく口を開いた。


「俺は一回死んだ」


 朝霧が顔を上げる。


「一度死んで、また同じ世界をやり直した。だから最初から、この世界がどうなるのかを知っていたし、そのための準備もできた。人を信用した結果どうなるかも、嫌というほど分かってた」


 蓮はそこで少しだけ視線を逸らし、雪に覆われた街の向こうへ目を向けた。


「けど、お前は違う。お前は今を生きてる。何も知らないまま寒波に巻き込まれて、その中で百日近く生きてきただけだ。だから今すぐ全部をお前に求めること自体、そもそも無理のある話だ」


「……そう」


 朝霧はしばらく蓮を見ていた。


「私が邪魔になった?」


「ああ、邪魔だな」


「……」


 あまりにも迷いのない返事だった。


 朝霧が思わず口を開くが、その言葉が出てくるより早く、蓮は続けた。


「だから、早く変われとは言わん。ただ、もう少し今の世界を真っ直ぐ見ろ」


 朝霧は口を閉じた。


 蓮が何を言っているのか、その意味を考えるようにじっと彼を見る。


 以前の蓮なら、足手まといになる人間をわざわざ自分の隣に置いておこうとはしなかっただろう。相手が現実を受け入れるまで待つことも、その人間が変わる可能性に付き合うことも、今の蓮にとって合理的な行動とは言い難い。


 それでも蓮は、朝霧が邪魔だとはっきり言いながら、置いていくとは言わなかった。


 変われと命令するのでもなく、ただ今の世界を見ろと言った。


 それが優しさなのか、それとも別の何かなのかは、蓮自身にも分かっていなかった。


 ただ、朝霧と同じ部屋で過ごした日々の中で、蓮の中にも以前とは違う何かが生まれていたのかもしれない。


 朝霧はしばらく黙り、そして、やがて小さく頷いた。


「……うん」


 たった一言。


 だが、それが単なる返事ではないことくらいは、蓮にも感じ取ることができた。


 そして、朝霧は背負っていたリュックを一度地面へ下ろし、そのまま肩紐を持ち上げると、なぜか今度は背中ではなく胸側へ回し、両腕で大事そうに抱え込む。


 蓮はその様子を数秒眺めていたが、さすがに意味が分からなかった。


「……何してんだ、お前」


「このリュックは絶対守ってみせる……」


「……いや、そういうのは別に」


 本人は至って真剣なのだろう。


 先ほど危うく子供たちに奪われかけたリュックを、今度こそ何があっても守ろうとしているらしい。


 胸の前で抱え込んだまま険しい顔をしている朝霧の姿は、少なくとも蓮が言った「今の世界を真っ直ぐ見ろ」に対する答えとしては、どこか方向がずれている気がした。


 それが妙におかしく見えた。


 あの日、部屋の中で朝霧に言われるまま無理やり作った笑顔とは違う。


 ほんの一瞬だけ、蓮の口元に自然な笑みが浮かんでいた。


 ◇


 それから二人はさらに街を離れ、人の姿が完全に見えなくなったところで再び車を取り出した。


 市場の近くでは歩いて移動する人間を何人も見かけたが、そこから数キロも離れると急激に人影は減っていった。建物そのものは途切れていないものの、道路沿いの店はほとんどが閉まり、割れたガラスや雪に埋もれた看板だけが寒波以前の街の姿をかろうじて残している。


 道路の状態も場所によって大きく違った。


 誰かが何度も通っている場所では雪が踏み固められ、車一台ならどうにか進める程度の道ができている。その一方で、一本脇道へ入れば百日近く積もった雪がそのまま残り、道路と歩道の境界すら分からない場所も珍しくなかった。


 蓮はそうした場所を避けながら、比較的走りやすい道路を選んで北へ向かった。


 車内ではほとんど会話はなく、朝霧は窓の外を流れていく街を見つめている。

 

 市場で見た光景や、子供たちのこと、そして先ほど交わした会話をそれぞれが自分の中で整理しているかのように、静かな時間だけが流れていった。


 さらに走り続けると、集合住宅や商業施設が姿を消し、代わりに低い建物や広い駐車場、平地が目立つようになる。道路を歩く人間の姿もなくなり、見渡す限り動いているのは二人が乗っている車だけだった。


 そんな場所まで来たところで、蓮が突然速度を落とした。


「どうしたの?」


 朝霧が尋ねる間にも車は路肩へ寄り、そのまま停止した。


 エンジンを切った蓮は何も説明せずにドアを開ける。


「ちょっとな」


「ちょっとって……」


 蓮が外へ出たため、朝霧も少し迷ってから助手席のドアを開けた。


 外へ出た瞬間、冷たい風が頬を撫でる。


 以前ほどではないとはいえ、気温は依然として氷点下十度前後まで下がっている。厚手の防寒具がなければ長時間歩き回ることなど考えられない寒さだった。


「どうしたのよ、急に?」


「試したいことがある」


 蓮は道路脇へ歩いていった。


 そこには除雪されないまま積み上がった大量の雪が残っている。百日近く降り続いた雪は、自重や気温の変化によって何度も圧縮と凍結を繰り返し、表面だけを見ても降ったばかりの柔らかな雪とは明らかに違っていた。


 蓮はその前まで行くとしゃがみ込み、雪の表面へ右手を当てる。


 次の瞬間――。


 ゴゴゴゴォォ――。


「え……?」


 朝霧の目の前で、大量の雪が消え始めた。


 蓮を中心として周囲の雪が一気に崩れ、まるで見えない巨大な穴へ吸い込まれていくように次々と姿を消していく。雪面が大きく抉れ、その下に隠れていたガードレールや凍りついた地面までもが久しぶりに外気へ晒された。


 それはほんの数秒で終わった。


 先ほどまで蓮の周囲を覆っていた大量の雪が、半径十メートルほどの範囲だけ綺麗に消えている。


 朝霧はその光景を見回した。


「……相変わらず、何度見てもすごいわね」


 だが、蓮は満足そうな顔をしていなかった。


 むしろ消えた雪と、その先にまだ残っている雪の境目を見ながら、わずかに眉を寄せている。


「ここでも駄目か……」


「え? 何が?」


 朝霧は周囲を見回した。


「こんなに大量に収納したのよ? 十分すごいと思うけど……」


「量の話じゃない」


 蓮は立ち上がり、雪が消えた境界まで歩いていった。


「《パンドラ》は基本的に俺から十メートル以内にあるものを収納する力だ。ただし、連なっているものなら必ずしもその限りじゃない」


「連なっているもの?」


「ああ。俺が一つのものとして認識できて、それが途中で途切れていないなら、十メートルを超えていても収納できる」


 朝霧は蓮の説明を聞きながら、目の前に広がっている雪原を見る。


「だったら、この雪も全部繋がってるんじゃない?」


「俺もそう思ってた」


 蓮は足元の雪を軽く蹴った。


「だからマンションを出る前にも一度試した。だが結果は同じだ。雪だけは十メートル程度のところで止まる」


「どうしてなの?」


「分からん」


 あまりにもあっさりとした答えに、朝霧は少しだけ首を傾げた。


「何か理由があるのかしら」


「さあな。俺が雪を一つのものとして認識できてないのか……今のところはさっぱりだ」


「気にならないの?」


「今すぐ答えが出る話でもない。それに俺は雪かきをしたいわけでもないしな」


「じゃあ、どうして急に雪なんて収納したの?」


「補給だ」


「……補給?」


 朝霧の視線が、雪の消えた場所から蓮へ戻った。


「ああ。この前結構使ったからな」


「使った?」


 朝霧が聞き返したが、蓮はそれについて詳しく説明しようとはしなかった。


 代わりに、先ほど《パンドラ》へ収納した雪があった場所へ視線を向ける。


「雪といっても、これは降ったばかりの軽い雪じゃない。百日近く積もって圧縮され、その間に凍結も繰り返してる。見た目以上に重い。この量なら相当な質量になる」


「相当って、どのくらい?」


 蓮は少し考えた。


「正確に測ったわけじゃないが、今ので百トン近くはあるんじゃないか」


「……百トン?」


 朝霧は思わず聞き返した。


 もう一度、雪が消えた場所を見る。


 確かに広い範囲ではある。しかし、つい先ほどまで道路脇に積もっていただけの雪が百トン近いと言われても、すぐには実感できない。


「そんなにあるの?」


「雪の密度次第だから正確な数字じゃない。ただ、これだけ圧縮された雪ならそれくらいあってもおかしくない」


「……物騒な言い方ね」


 朝霧は蓮を見る。


「そんなもの、何に使うわけ?」


「さあな。念のためだ」


「念のために百トンの雪を持ち歩く人、初めて見たわ」


 朝霧が呆れたように息を吐いた。


 蓮はそれ以上説明することなく車へ戻り、朝霧もその後を追う。再びエンジンがかかり、車は北へ向かって走り始めた。


 それから数分ほど経った頃だった。


 助手席で外を眺めていた朝霧が、ふと妙なことに気づいた。


 運転している蓮が、片手をハンドルから離し、窓の方へ向けたまま、しばらくその姿勢を続けている。


「……ねえ」


「なんだ?」


「さっきから何してるの?」


「雪を収納してる」


「……え? ずっとやってたの?」


「ああ。やっぱり使い勝手がよさそうだからな」


 朝霧は蓮が手を向けている方向へ顔を向けた。


「あ……」


 そこでようやく異変に気づいた。


 道路脇には長い間積み上がったままの雪が、車の横を通過するのとほぼ同時に消えていた。


 正確には、車を中心とした一定の範囲だけが次々と削り取られている。


 車が前へ進むたびに道路脇の雪が消える。


 まるで巨大な消しゴムを道路脇へ押し当てたまま車を走らせ、積雪だけを延々と削り取っているようだった。


 朝霧はしばらく無言でその光景を眺めたあと、ゆっくり蓮へ顔を戻した。


「……さっき百トン近く収納したばかりよね?」


「あって困るものじゃない」


「だからって、走りながら集める?」


「まとめて収納できないなら、移動しながら収納すればいい」


「そういう問題なのかしら……」


 車はその間にも走り続けている。


 当然、それに合わせて《パンドラ》へ収納される雪の量も増え続けていた。


 百トンどころではない。


 このまま何キロも続ければ、一体どれほどの量になるのか朝霧には想像もつかなかった。


「……いつまでやるつもり?」


「飽きるまでだ」


「あっそう……」


 朝霧はもう一度窓の外を見ると相変わらず雪は消え続けていた。


「本当、時々呆れを通り越して言葉が見つからないわ」


「そこは、生きるために努力してると言ってくれ」


 蓮は前を見たまま答えたが、その言葉だけは先ほどまでの冗談めいたやり取りとは少し違って聞こえた。


 生きるため。


 蓮がこれまでやってきたことは、突き詰めればすべてそこへ繋がっている。


 一度死んだからこそ、もう二度と同じ結末を迎えないために準備をした。食料を集め、物資を集め、部屋を要塞へ変え、使えるものなら何でも《パンドラ》へ収納してきた。


 そして今は、道路脇に積もっている雪まで集めている。


 やっていることだけを見れば呆れるしかない。


 だが、蓮にとってはそれすらも、生きるためにできることの一つなのだろう。


 朝霧は小さく息を吐くと、それ以上何も言わず、再び窓の外へ視線を向けた。


 ◇


 それからさらに車を走らせていると、周囲の景色は完全に郊外のものへと変わっていった。


 建物と建物の間隔は広くなり、道路沿いには倉庫や小さな工場、資材置き場のような場所が点在している。寒波が訪れる以前なら多くのトラックや乗用車が行き交っていたのだろうが、今では動いている車を見かけること自体が珍しい。


 だからこそ、蓮は前方に見えてきた光景にすぐ違和感を覚えた。


「……なんだ、あれ」


 朝霧も前を見る。


 数百メートルほど先に道路を塞ぐように、何台もの車が横向きに置かれていた。


 大型トラックが二台。その隙間を埋めるように乗用車や軽トラックが並べられ、道路の両端には金属製の柵や資材らしきものまで積み上げられている。


 事故ではない。


 明らかに、人の手によって作られた障害物だった。


「……通れないわね」


 蓮は無言で速度を落とした。


 近づくにつれて、周囲の様子も見えてくる。


 道路脇には何台もの車が放置されていたが、これまで見てきた雪に埋もれただけの車とは違う。


 タイヤがなくなっているものや、ボンネットを開けられたまま内部の部品を抜かれているもの、ドアそのものが外されている車まである。


 さらに、その近くには中身を荒らされたバッグや衣類、割れた収納ケースなどが雪の上へ散乱していた。


 朝霧の表情が変わる。


「これってまさか……」


「止まるぞ」


 蓮はバリケードから十分に距離を取った場所で車を止めた。


 すると、それを待っていたかのように人影が現れた。


 一人。


 二人。


 道路脇の建物やトラックの陰から、次々と男たちが姿を見せる。


 十人を超えている。


 年齢も服装もばらばらだったが、全員に共通しているのは、こちらを歓迎するために出てきたわけではないということだった。


「……待ち伏せ?」


「だろうな」


 蓮はエンジンを切らなかった。


 男たちのうち数人が、こちらへ向かって歩いてくる。


 その中の一人が車の前方まで来ると、片手を上げた。


「そこで止まれ!」


「もう止まってるけどな」


 蓮の呟きに、朝霧が横から視線を向ける。


「今それ言う必要ある?」


「ないな」


 男は当然その会話までは聞こえていない。


 車から数メートル離れたところで足を止めると、運転席にいる蓮へ向かって声を張り上げた。


「この先に行きたいなら通行料だ!」


 朝霧が目を瞬いた。


「……通行料?」


「国道って、いつからあの人たちのものになったの?」


「さあな」


 蓮は周囲を見ると正面だけではない。


 バックミラーには、いつの間にか後方にも数人の男が出てきて地面に何かを設置しているのが映っていた。


 完全に囲まれている。


「何を払えばいいんだ?」


 蓮が窓を少しだけ開けて尋ねる。


 男が笑った。


「食い物! 燃料! 薬! 使えるもんなら何でもいい! 持ってるもん出せ!」


 その声に合わせるように、周囲の男たちから笑い声が上がった。


 どうやら交渉というより、最初から奪うことを前提にしているらしい。


 朝霧は何も言わなかった。


 ただ、先ほど市場の外で出会った子供たちを見るときとは明らかに違う目で、窓の外にいる男たちを見ている。


「車も置いてけ!」


 別の男が叫ぶ。


「その車ならまだ使えそうだ! 荷物と車置いてけば、お前らは通してやるよ!」


 男たちがさらに近づいてくる。


 そのうちの一人が助手席にいる朝霧の姿に気づいた。


「おい、女もいるぞ!」


「マジかよ!」


 その瞬間、男たちの視線が一斉に朝霧へ向いた。


 朝霧の身体がわずかに強張る。


 防寒着に包まれているとはいえ、性別くらいは分かる。


「じゃあ女も置いてけ!」


「そしたら車くらい返してやるかもしれねえぞ!」


 下卑た笑い声が響く中、朝霧は何も言わない。


「聞くだけ無駄だと思うが、一応聞いておくか」


 蓮は窓をもう少しだけ開け、外にいる男たちへ声を投げた。


「何も渡さないと言ったら?」


「決まってんだろ! お前を殺して車も女も荷物も全部もらう!」


 男が笑いながら答えると、周囲からも同じような笑い声が上がった。その反応を見た蓮は「だろうな」と小さく息を吐き、窓を閉めるとそのまま運転席のドアを開けた。


「ちょっと、降りるの?」


「このままじゃ通れないからな」


「……分かったわ」


 朝霧もリュックを抱えて助手席から降りると、蓮の隣に立った。それを降参したと勘違いしたのか、男たちは機嫌をよくして二人へ近づいてくる。


「最初からそうしてりゃいいんだよ。車の鍵と荷物を置いて、女はこっちへ来い。そうすりゃお前だけは行かせてやる」


「断る」


 蓮が即答すると、男の笑みが消えた。


「……あ?」


 先ほどまで笑っていた周囲の男たちも、ようやく蓮に従う意思がないことを理解したらしい。手にしていた武器を構えながら距離を詰め始めるが、それでも蓮は逃げるどころか、彼らを眺めたまま動こうとしなかった。


「だったら力ずくで――」


 男が言い終えるより先に、蓮が右手を上げた。


 その動きを見た瞬間、朝霧には蓮が何をしようとしているのか分かった。


「まさか――」


 朝霧が呟いた直後。


 蓮が手を振った。


 ドォォォォォォン――!


 凄まじい音とともに、目の前の景色が白く染まった。


 何もなかったはずの空間へ、突如として大量の雪が現れた。


 男たちの怒鳴り声も、笑い声も、一瞬で轟音に呑み込まれる。巨大な白い塊が道路を埋め尽くし、バリケードの手前にいた男たちの姿も、その周囲にいた人影も、次の瞬間には見えなくなっていた。


 地面がわずかに揺れた。


 圧縮されていた雪が一気に広がり、道路の上を白い波となって押し進む。


 朝霧は反射的に顔を腕で覆った。


 冷たい雪煙が二人のところまで吹きつけ、視界が真っ白になる。


 それでも、ほんの十数秒もすれば周囲は静かになった。


「……」


 朝霧がゆっくりと腕を下ろす。


 先ほどまで十数人の男たちが立っていた場所には、巨大な雪の山ができていた。


 道路そのものが消えている。


 バリケードとして置かれていた車の一部だけが雪の中から覗き、それ以外は何も見えない。


「……本当に使った」


 朝霧が呟いた。


「そのために補給したんだからな」


「念のためって言ってなかった?」


「念のためが必要になっただけだ」


「……そう」


 蓮は周囲を確認する。


 後方に回っていた男たちは、目の前で起きたことを理解できていないのか、その場から動こうとしなかった。


 先ほどまで獲物を見るように二人を囲んでいた顔から、完全に血の気が引いている。


 蓮がそちらへ顔を向ける。


 それだけで、後方に残っていた男たちの表情から血の気が引いた。


「う、うわぁぁぁっ!」


 一人が叫び声を上げて逃げ出すと、それにつられるように残った男たちも背を向けた。


 だが、蓮はその場から動かなかった。


 ただ、逃げていく男たちを見ながら、もう一度右手を上げる。


「悪いな。見られた以上、帰すわけにはいかない」


 朝霧はその言葉を聞いても、止めなかった。


 直後、逃げていた男たちの進行方向にも大量の雪が現れた。


 ドォォォォォン――!


 再び響いた轟音とともに白い塊が道路脇を覆い、先ほどまで聞こえていた男たちの叫び声も、その中へ呑み込まれていく。


 やがて辺りに静けさが戻ると、蓮は周囲をゆっくりと見渡した。先ほどまで十数人いた男たちの姿は、もうどこにも見当たらない。


「……これで全員か」


 確認を終えた蓮は、何事もなかったように車へ戻ろうとする。


 その背中を、朝霧は黙って見つめていたが、すぐに胸元のリュックを抱え直すと、先に歩き始めた蓮の後を追った。


「行くぞ」


「……ええ」


 二人は車へ戻った。


 蓮はもう一度周囲に動く者が残っていないことを確認すると、再び右手を前へ向けた。


 道路を埋め尽くしていた大量の雪が、一瞬にして《パンドラ》へと消える。


 つい先ほどまで塞がれていた道路が再び姿を現し、その先には男たちが作ったバリケードだけが残されていた。


「……回収するのね」


「せっかく集めたからな」


 蓮は当然のように答えると、邪魔になっている車や資材もまとめて《パンドラ》へ収納した。


 それまで道路を封鎖していたものが綺麗に消え、前方には何事もなかったかのように一本の道が続いていた。

 

 車が再び走り始めてからしばらくして、蓮の方から口を開いた。


「今回はもう、ひどいとか言わないんだな」


 少し間をおいて、朝霧はゆっくりと蓮へ顔を向けた。


「……それが、生きるためなんでしょう?」


 蓮は一瞬だけ朝霧を見る。


「そうだ」


 それだけだった。


 朝霧もそれ以上は何も言わず、二人を乗せた車は再び分屯地へ向かって走り始めた。


 しばらくすると、道路脇の雪が車の進行に合わせて再び次々と消え始める。


「……まだ集めるの?」


「あって困るものじゃないからな」


「そう……」


 朝霧は呆れたように息を吐くと、シートへ背中を預けた。


 その横で蓮は雪を収納し続けながら、車をさらに北へと走らせた。

ご覧いただきありがとうございます!

少しでも「面白い」「続きが気になる」と思ったら、評価(☆☆☆☆☆)やブックマークで応援していただけると嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
 正しい「念の為」を久々に見た。
盗賊退治!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。