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氷河期ストレージ ~雪が止んだ日、世界は再び動き始めた~  作者: 宵白レン
第一章

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第103話 Day 67  格差

 朝の配給が始まって間もなく、柴田たちが使っている部屋に何人かの男がやってきた。どちらもここ数日、水の確保を担当している住民だった。


 水道が止まってからというもの、マンションでは雪を集め、それを溶かして生活用水に回している。雪を運び、鍋や容器を使って溶かし、各階へ分けていく作業は当然一日では終わらず毎日継続している。人数が多いだけに必要な量も多く、今では食料以上に人手を取られる仕事の一つになっていた。


「柴田さん、ちょっといいですか」


 声をかけた男は、昨日、配給の場で「俺たちが水作ってるんだろ」と口にしていた住民だった。


「あ? なんだよ」


「俺たちの食料、もう少し増やしてもらえませんか。別に倍くれって言ってるわけじゃないんです。ただ、毎日これだけ水作って、各階まで運んで、それで他の奴らと同じってのは……さすがにおかしいと思うんですよ」


 柴田は面倒そうに男を見たが、すぐには追い返さなかった。水が止まった今、彼らがやっている仕事が必要なのは柴田にも分かっている。実際、昨日までは不満を口にするだけだった男たちも、今日は二人揃ってここまで要求しに来ていた。


「まあ、そりゃ確かに――」


「無理だよ」


 横から口を挟んだのは一ノ瀬だった。


 柴田が振り返ると、一ノ瀬は床に置かれた段ボールの中を確認しながら、残っている食品を数えていた。今、彼女もようやく食料がどれほど危うい状態なのかを理解し始めている。


「なんでだよ。こいつらが言ってることも当然だろ」


「だからって食料が増えるわけじゃないでしょ。もうこれしかないんだから、この人たちの分を増やすなら、その分、誰かのを減らさなきゃ無理だよ」


 一ノ瀬が段ボールを指さすと、二人の男もその中へ目を向けた。少なくなったレトルト食品や缶詰、乾麺が詰められている。当然他の食料は保管庫内にあると分かるが、目の前の段ボールに残されたわずかな食料を見れば、反論することもできなかった。


 少しの沈黙のあと、一人が言った。


「……だったら、働いてない奴らの分を減らせばいいんじゃないですか」


 一ノ瀬が顔を上げた。


「働いてない人?」


「いるでしょ。何もしないで部屋にいる奴ら。昨日だって年寄りと病人は半分にしたんですよね? だったら同じじゃないですか。俺らは毎日働いてるんだから、その分くらい多くてもいいでしょう」


「そうっすよ。それに女の人とか、ほとんど水作りとか雪かきに来てないじゃないですか。こっちは朝からずっとやってるんですよ」


 その言葉に、一ノ瀬はすぐには答えなかった。


 もちろん、女性の全員が何もしていないわけではない。掃除をする者もいれば、子供の面倒を見ている者もいる。怪我人や体調を崩した家族を世話している者もいた。


 しかし、水を確保する側からすれば、それらは自分たちと同じ仕事には見えない。蛇口を捻っても一滴も出ない今、自分たちが作業を止めれば、マンション全体が困る。その事実が、昨日まではただの不満だったものを、今日は要求へと変えていた。


「……分かった。ちょっと待って」


 一ノ瀬はスマートフォンを手に取った。


 しばらくして、マンション全体のグループチャットに新しい通知が表示された。


『本日から、食料の配給について一部変更します』


『現在、食料の残量がかなり少なくなっています。そのため、水の確保などマンションの生活維持に必要な作業をしている方への配給を優先します』


『高齢者、病気などで作業ができない方に加え、現在作業に参加していない方についても、配給量を減らします』


 通知が流れてから一分もしないうちに、返信が続いた。


『ちょっと待ってください。作業してないって誰が決めるんですか?』

『私、子供がいるんですけど。子供置いて水作りに行けってことですか?』

『掃除とか怪我人の世話してる人もいるでしょ。それ、仕事じゃないんですか?』

『女性は減らすって聞いたんですけど本当ですか?』

『昨日は老人と病人だけだったじゃないですか』


 数十秒で画面が埋まっていく。


 だが、それを読んでいた水作りの男が、すぐに返信した。


『だったら自分たちで水作ってください』


 別の男も続く。


『こっちは毎日何時間もやってるんです。文句言うだけなら誰でもできます』


『そこまで不満なら、反対してる人のところには水を分けなくてもいいんじゃないですか? 自分たちで雪溶かせばいいでしょ』


 それまで勢いよく流れていた返信が、一瞬止まった。


 水は必要だった。食料なら一食抜くこともできる。だが、水はそうはいかない。雪なら外にいくらでもあるとはいえ、それを大量に集めて溶かし、各家庭で必要な量を毎日確保するとなれば話は別だった。水を作っている住民たちは、それを自分たちでも理解していた。


 やがて、別の住民が書き込んだ。


『あまり言いたくないですけど、自分勝手すぎませんか』


 それに対する返信はすぐだった。


『昨日だって働けない人の食料を減らすのに賛成したじゃないですか』


 再び、チャットが止まった。


 昨日、高齢者や病人の配給を半分にする案が出た時、多くの住民は賛成した。自分の食料が減るよりはよかったからだ。その判断が一日後、自分たちのところまで広がってくるとは思っていなかった。


『私は昨日、賛成してません』

『じゃあどうすればいいんですか? 食料がないのは事実ですよね』

『働いてる人と働いてない人が同じなのもおかしいと思います』

『女だからって一括りにするのは違うでしょ』

『じゃあ水作り来ればいいだろ』


 また少しずつ言葉が荒くなっていく。


 その流れを見計らったように、一ノ瀬が書き込んだ。


『皆さんの気持ちはよく分かります。食料が減って、不安なのはみんな同じです』


『でも、今は誰かを責めても何も変わりません。水を作ってくれている方たちも、みんなのために毎日頑張ってくれています』


『政府からの配給が復活するまでです。それまで、ここは皆で協力しましょう』


『大変なのはみんな同じです。一緒に頑張りましょう』


 それで全員が納得したわけではなかった。


 しかし、反対したところで食料が増えるわけでもなく、水を作る者たちとの関係まで悪化させれば、今度は飲み水に困る。何より、昨日は自分たち自身が高齢者と病人の配給を減らすことを認めている。その事実が、多くの住民から強く反対する言葉を奪っていた。


 しばらくすると、グループチャットから新しい書き込みはほとんどなくなった。


 一ノ瀬は画面を確認すると、小さく息を吐いた。


「ほら、収まったじゃん」


「最初からそう言っときゃいいんだよ」


 柴田はそう言って、もう興味を失ったようにスマートフォンを放り出した。


 誰も納得してはいなかった。


 ただ、黙っただけだった。


◇


 地下百メートル近くに朝も夜もない。


 それでも第七号の生活は、地上にいた頃と同じように時間で区切られていた。照明は時間帯によって明るさが変わり、起床、食事、勤務、休憩にも一定の周期がある。黒崎も数日過ごすうちに、時計を確認しなくても施設の空気でおおよその時間が分かるようになってきていた。


 今日も午前の仕事は物資の搬送だった。


 黒崎は先輩と二人で台車を押しながら、巨大な物流区画から一般居住区へ続く通路を歩いていく。台車には飲料用の容器や日用品、それに区画ごとに仕分けされた食品が積まれていた。


「先輩、ここって今、何人くらいいるんです?」


「さあな。正確な数字は知らん。毎日入ってくるし、D区もここだけじゃなくて別の区画もあるしな。職員でも全体を把握してるのは一部じゃないか?」


「それもそうか……」


 黒崎は台車を押しながら周囲を見回した。毎日かなりの人数が新しく入ってくる。それでも食事は出る。水も止まらない。暖房も動いている。自分たちが地上で一日分の食料をどうするか悩んでいた頃、この地下ではそれとは桁の違う量の物資が動き続けていた。


「こんなに生活が保障されてるなら、自分から出ていきたいって人はいないんでしょうね」


「いや? 普通にいるぞ」


「え?」


 思ってもいなかった答えに、黒崎は先輩の横顔を見た。


「家族が外で見つかったとか、知り合いから連絡が来たとか。そういう奴は出ていくな。ここは刑務所じゃないんだから、本人が出たいって言えば出られる」


「……外、まだマイナス三十度ですよ?」


「だから職員も一回ぐらいは引き止める。外の状況も説明するし、本当に出るのか何度も確認される。それでも家族が生きてるって分かったら、行く奴は行くだろ。俺がもし同じような状況なら……どうするかは分からんな」


 先輩は少し考えてから肩をすくめた。


「ほかにも地下生活そのものが駄目な奴がいる。窓はない、空も見えない、外に出ることもほとんどない。安全だって頭では分かってても、ずっと地下にいるのが耐えられないって人間もいるんだよ」


「それは……まあ、分からなくもないですけど」


「あとは、前の生活を引きずってる奴だな」


「前の生活?」


「外じゃバリバリのエリートだった奴ら。ここでの扱いに耐えられなくて出ていった奴もいるぞ」


 黒崎は眉を寄せた。


「でも、以前エリートだったなら、ここでも活躍できるんじゃないですか? そういうのも評価されるんですよね?」


「必要な能力ならな。でも、昔の肩書そのものに価値があるわけじゃない」


 先輩は台車を押しながら笑った。


「弁護士とかコンサルとか、営業でバリバリ稼いでた奴なんかもいたらしいぞ。もちろん、法務ができる奴も交渉ができる奴も必要だ。でも全員が以前と同じ扱いをされるわけじゃない。外で年収何千万だったとか、部下が何十人いたとか言われても、ここじゃそれだけでBやCにはならないからな」


「ああ……なるほど」


「昨日まで先生だの部長だの呼ばれてた人間が、今日はD区やE区画で知らない奴と並んで飯食って、物資運べって言われる。そういう生活にどうしても耐えられない奴もいるらしい。まあ、気持ちがまったく分からんとは言わないけどな」


 先輩はそこで一度言葉を切り、台車に積まれた荷物を見た。


「ただ、今こんな状況で、プライドもクソもないと思うけど。まあ、人それぞれだ」


「出ていった人って、また戻れるんですか?」


「戻ること自体は禁止されてない。ただ、出ていったからって席を残してくれるわけじゃないぞ。戻ってきた時に受け入れられるかは、その時の状況次第だろうな」


「そりゃそうですよね……」


 黒崎が納得しながら前を向くと、ちょうど通路の先から、大きなリュックを背負った三人家族が歩いてきた。父親らしい男と妻、それに十代半ばほどの少年で、三人とも施設内で普段見かける服装とは違い、厚手の防寒着を身につけている。荷物も明らかに区画を移るだけの量ではなかった。


 その横には施設職員が一人付き添っていた。


「現在の外気温はマイナス三十一度です。目的地までは約十二キロあります。移動手段と経路について、もう一度確認させてください」


「車があります。兄たちが途中まで迎えに来てくれることになってます。さっき連絡も取れました」


「途中で合流できなかった場合は、必ず指定された退避地点へ向かってください。そのまま徒歩で目的地を目指すのは危険です」


「分かってます」


 男は迷う様子もなく答えた。


 職員もそれ以上引き止めることはせず、手元の端末を確認しながら三人を先へ案内していく。


 すれ違った家族を黒崎が振り返ると、先輩が顎をしゃくった。


「ほら、言ったそばからいただろ」


「……本当に出ていくんですね」


「家族が見つかったんじゃないか? 今の話だと」


「でも、ここにいれば少なくとも安全なのに……」


「安全だからって、外にいる家族を放っておける奴ばかりじゃないだろ」


「……そうですね」


 黒崎は遠ざかっていく三人の背中を見つめた。


 自分ならどうするだろう、と一瞬だけ考えたが、答えはすぐに出た。もし外にいるのが、ここまで一緒に生き延びてきた仲間たちなら、おそらく自分も同じ選択をする。


 危険だからここに残る。


 それが正しいと分かっていても、それだけで割り切れるものばかりではない。


「ま、出るのも自由、残るのも自由だ。自分で決めたなら、あとは本人の責任だよ」


 先輩はそう言うと、再び台車を押し始めた。


 その時だった。


 前方から歩いてきた十人ほどの集団を見て、黒崎の足がわずかに止まった。


 全員が同じ濃色の制服を着ていた。施設職員とは明らかに違う。防寒装備こそしていないが、身体には防護具があり、腰にもいくつかの装備が下げられている。そして何より、胸の前には黒崎でも一目で分かるものがあった。


「……銃?」


「ああ」


 隣を歩いていた先輩は、ほとんど気にも留めなかった。


「そのうち慣れるさ。定期的に施設の中を回ってる」


「あれ、自衛隊ですか?」


「いや、違うらしいぞ」


「違う?」


 先輩は少し声を落とした。


「《国家非常事態保安隊》っていう、この施設を守るための部隊らしい。こういう状況を想定して、昔から秘密裏に組織されてたんだと」


「……なんでそんなことまで知ってるんですか?」


「前にB区へ配給に行ったとき、おしゃべりな爺さんがいてな。昔からこの施設に関係してたとかなんとかで、聞いてもないのに色々教えてくれた」


「へぇ……」


「あ」


 先輩が足を止めた。


「そういや、これ周りには言わない方がいいって言われたんだった」


「今さらですか」


「お前もベラベラ他人に話すなよ」


「先輩が言います?」


「だからお前で止めろって」


 黒崎は呆れながら、遠ざかっていく部隊をもう一度見る。銃を持った人間が地下施設の中を巡回しているという光景は、まだどうしても日常のものには見えなかった。


「でも……銃まで必要なんですか?」


「必要だろ。これだけの人数がいるんだぞ。中で暴動でも起きたら、下手すりゃ施設そのものが終わる」


 先輩の声から、さっきまでの軽さが少し消えた。


「俺がここに入って間もない頃にも一回あったぞ。飯だったか配給だったかで揉めて、それがどんどん大きくなってな。何十人か集まって職員に詰め寄って、物資区画に入ろうとした」


「……どうなったんです?」


「鎮圧された」


「警察みたいに…… 逮捕とか取り調べとか?」


「そんな悠長なことするか」


先輩は前を向いたまま言った。


「警告されても暴れ続けたら撃つ。あの時も何人か撃たれた。ここじゃ一人の暴動を放っておいて、一万人、十万人巻き込む方がまずいからな」


 黒崎は何も言えず、もう見えなくなった部隊の方をもう一度振り返った。


 先輩はそれを見て、笑いながら再び台車を押し始めた。


 黒崎もその後を追ったが、地上で暮らしていた頃なら、銃を持った人間が日常的に巡回している光景など想像もしなかった。それが今では、食事を運ぶ台車と同じ通路を当たり前のように行き交っている。


 世界が変わったということを、黒崎はこの数日で何度も実感していた。


 それからしばらくして、午前の搬送を終えた二人が物流区画へ戻っている途中だった。


 前方の通路で、十数人ほどの男女が職員に誘導されて歩いていた。


 年齢はばらばらだった。高齢者もいれば、黒崎とそれほど変わらない年齢の男もいる。それぞれバッグやリュックを持ち、中には毛布を抱えている者もいた。先ほど聞いた話が頭に残っていた黒崎は、何となくその一団を眺めた。


「……あの人たちも、出ていくんですかね」


「ん?」


 先輩も視線を向ける。


「いや……出口はあっちじゃないぞ」


「じゃあ、別の居住区に移るとか?」


「かもな」


 二人が歩いている間にも、一団は職員に案内されて別の通路へ入っていく。泣いている者も、抵抗している者もいない。職員の態度もごく普通で、何か問題が起きているようには見えなかった。


 ただ、その近くを通り過ぎた時、黒崎は壁際に置かれた案内表示に目を止めた。


《収容人口適正化に伴う再配置対象者 集合場所》


「……再配置?」


 黒崎が思わず読み上げると、先輩も表示を見た。


「ああ、それか」


「知ってるんですか?」


「いや、名前だけだな。たまに見るぞ。別の区画か、ほかの保護施設にでも移るんじゃないか?」


「へぇ……」


 黒崎はもう一度、一団が消えていった通路へ目を向けた。


 先ほど、自分の意思でここを出ていく人間もいると聞いたばかりだった。


 ならば、あの人たちはそれとは違うのだろう。


 ただ、それだけのことだった。


 黒崎は深く考えることもなく、先輩とともに物流区画へ戻っていった。


 その日の仕事は、まだ半分以上残っている、黒崎はもう何も考えず作業を続けた。



──────────────────


Day 67


電力 ▲

ガス ×

水道 ×

通信 ▲

降雪 微弱


生存確認者 87人


【朝霧の日記】


 食料が減れば、配る量を減らすしかない。

 それは分かる。


 でも昨日まで「仕方ない」と言っていた人たちが、

 今日は自分の番になって怒る。


 たぶん、誰だってそうなんだと思う。


 私も含めて。


──────────────────


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