84話 三枝姉弟の受難2
懇親会が終わり、学級委員たちが去った後の三枝家個室――。
「はぁぁぁぁぁぁ…………っ」
メイド達を下がらせ、弟の玲於と2人きりになった室内で、『女帝』こと三枝玲華は深いため息とともに豪奢な椅子へと身体を預ける。
「お疲れさまです、玲華お姉さま……」
弟の玲於が心配そうに声をかけてくる。
「さきほど報告が届きました。アレの学級委員就任が決まったのは、今朝だったようです……」
アレとは、人間社会で『三枝理奈』と呼ばれている存在のことだ。
玲華は弟と2人の時は、アレという言葉を使っていた。
アレを人間の名で呼ぶことに、どうしようもないほどの嫌悪感があったからだ。
「そう……ある程度の情報の遅れは仕方がないわ。監視を強化してアレの不興を買うことになったら本末転倒だもの。それなら、アレが何をしても対応できる体制を整えるほうが確実だわ」
アレについての動向は毎日報告を受けていた。ただし、緊急時以外は放課後に1日の動向をまとめて報告を受ける、という緩い形でだ。
結果、アレの学級委員就任は緊急事態と判断されず、報告が遅れた。
しかし玲華は、監視を強化してアレの不興を買うより、あらゆる事態に対処可能な体制を整えるという判断をした。
「しかし、アレが学級委員に就任するのは、想定外だったわ」
世事には関心がなさそうに見えたアレが、学級委員になるとは完全に想定外だった。
おかげで、会議室ではアレの前で無様な姿を見せてしまった。
会議室に入った時、最初はアレの存在に気づけなかった。
だが、一度気づいてしまえば、人に非ざる異様な美の抗えぬ力で視線が惹きつけられてしまう。
外見の美だけ見ている分には大丈夫。ただアレに魅了されるだけだ。
だが、絶対にアレと視線を合わせてはいけない。その先にあるのは、心を蝕むような形容し難き暗い恐怖と、自我を失いアレの傀儡に成り下がる末路……。
玲華は軽く頭を振り、思考を強制的に中断した。
「玲華お姉さま?」
玲華の異常を感じた玲於が声をかける。
「いい? 玲於。普通の人が相手にしてはならない存在であるアレと、私たち三枝本家の者は一生付き合っていかなければならないわ」
「はい、玲華お姉さま」
「三枝グループを守る者として、自我を失いアレの傀儡に成り下がるのだけは防がなければならない。だから、絶対にアレの目を見てはダメよ」
「……はい」
「アレの目的は達成できたはずだから、しばらくは大人しくしているとは思うけれど……」
「アレの『目的』ですか?」
「ええ。アレが代表委員会に出席したのは、何か目的があるのか、ただの気まぐれなのか判断がつかなかったけれど、さっきの懇親会でアレの目的が分かったわ……」
玲華は当初、いつもの代表委員会のように、新しく学級委員に就任した中等部1年に接触し、役に立ちそうであれば三枝グループのコネクションへ取り込むつもりだった。
だが、アレの出現で全ての予定が狂った。
最優先事項は、アレの不興を買わないこと。後のことは全て二の次だ。
アレに何らかの目的があるのかさえ分からなかったが、とにかく不興を買わずに懇親会を終えること――それが最優先であると判断した。
三枝家の個室で、アレが三宅寿々と橘菫に視線を送るまでは……。
「アレは、自分の正体が露見する可能性を潰しに来たのよ。三宅寿々と橘菫は知っているわね?」
「はい、今日、アレに侍っていた2人ですね。大手地方銀行・三宅銀行本家の令嬢と、新興の大手商社・橘トレーディングの社長令嬢です。玲華お姉さまにも臆することなく意見する、芯の通った優秀な者達でした……」
アレに見る影もなく骨抜きにされてしまいましたが……と続くはずの言葉を、玲於は飲み込んだ。
「あの2人が、どうして特別クラスに送られてきたかは知ってるわね?」
「三宅寿々の方は、父親に連れられて出席した役員会議で問題を起こしたという理由です。橘菫の方は、海外企業との大型契約の会談に父親と同席し、問題を起こしたのが理由ですね」
「玲於、表面的な情報だけを覚えていても何の意味もないわ。いい? 13歳の三宅寿々は、三宅銀行の役員会議に父の付き添いで出席し、会議室の隅でずっと役員達を観察していたの……」
教育の一環として、仕事現場に子供を同行させることは珍しくない。
三宅銀行本家の令嬢である三宅寿々も、頭取である父親に同行して役員会議を見学していた。
「会議の最後に、彼女はずば抜けた観察眼で『この人は裏で他行へ情報を流しています』『この人は3番目の報告で嘘をついていました』『この人は融資で不正をしています』と指摘しはじめたの。そして、それはすべて事実だった。役員会は大混乱し、銀行の信用問題に発展しかけて、三宅家は慌てて彼女を特別クラスに転入させたのよ」
「そんなことが……」
「橘菫の方も、事の発端は教育の一環として海外企業との大型契約の商談に父親と同席したことよ。彼女は、その商談の間、並外れた観察眼と洞察力で商談相手の怪しい点を探っていたわ……」
玲華はティーカップを手に取り、唇を湿らせる。
「商談相手について徹底的に調べ上げた彼女は、次の商談時、『あなたは裏で別の会社と交渉していますね』『この数字は虚偽です』『契約を破棄するつもりなのでしょう?』と、交渉相手の『本音』を次々と暴露していったの。結果、海外企業側が激怒し、契約は破談寸前。橘家は政治的圧力を避けるため、彼女を特別クラスに転入させたの」
そこまで話すと、玲華は玲於へ視線を向ける。
「どういうことか、分かるわね?」
「はい、2人とも、ずば抜けた観察眼と洞察力を持っている、ということですね。アレは、自分の正体を看破しうる人物……三宅寿々と橘菫への対処のために代表委員会に出席したのですね」
2人の共通点は並外れた観察眼と洞察力だ。
提示した情報を玲於が的確に理解・分析したことに、玲華は満足する。
「そうよ。表面だけの情報なんて、いくら覚えても意味がないわ。情報の本質を理解して、初めて情報は力になるのよ。三枝本家の人間として覚えておきなさい」
「はい、玲華お姉さま」
「アレは、疑われることなくあの2人と接触できる機会を窺っていたのでしょう。そして懇親会が始まり、頃合いだと判断したアレは、何らかの方法で2人を近くへ呼び寄せた……」
「2人の方から、アレに近づいていったように見えましたが……」
「アレにはそういう事ができるって、知っているでしょう?」
「……………………」
「あの2人は、三枝の助言者になりうる人材として私が見込んでいた者達です。助けられるならばと様子を窺っていたのですが……邪魔をするなとアレに視線で制されたわ」
それは玲於も見ていたはずだ。
弟の玲於が、いつもアレを視線で追っているのは分かっていた。そして、アレに視線を向けられた途端、恐怖に身体を震わせていたことも……。
「あなたがアレに惹かれてるのは分かっているけど、よく考えなさい! 自我を失い、アレの傀儡に成り下がることが、本当にあなたの望みなのですか?」
「っ……申し訳ありません」
「おそらく、アレが本気になれば抵抗は意味がないわ。三枝を管理する人間が必要なので、私たちのことは、あえて見逃しているのでしょう……」
「………………」
「逆に言えば、アレにも私たちが必要だということです。だからこそ、あなたがアレの傀儡に堕すことは許しません! 三枝本家の人間の誇りをもって生きなさい!」
それは弟の玲於への言葉であると同時に、諦観という虚無に囚われそうになる玲華自身への叱咤激励であった。
「そうよ、私たちは絶対にアレに屈しない。三枝本家の人間としての矜持を示すのよ! そのために、もっともっと力を蓄え、三枝をさらに巨大にしてみせるわ!」
「はい、玲華お姉さま!」
玲華と玲於は新たな(そして的外れな)決意を胸に、立ち上がるのであった。
自室へ戻るすがら通ったレストラン――。
アレと、傀儡に堕した者達が楽しげに笑う声を聴きながら、ふと、『傀儡に堕してしまえば、あのように幸せそうに笑えるのだろうか?』と思ってしまったことは、誰にも言えない玲華の秘密である――。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
懇親会が無事(?)終了し、三枝姉弟を残して他のメンバーは解散となった。
如才ない東雲くんは、何人かのメンバーと仲良くなったらしく、談笑しながら黒服の男達が並ぶ通路を歩いている。
「澪っ!」
黒服の男達に開けてもらった扉を通ってレストランへ出ると、すぐに心配そうな顔のミアが走ってくる!
わたしのことを心配して、ずっと待っていてくれたのだろう。
ちょっと感動である!
「ミアお姉ちゃ……」
ミアに応えようとすると、後ろから付いてきていた寿々さんと菫さんが、わたしを守るようにサッとミアの前へ立ち塞がる。
「理奈さまへの無礼は、親衛隊として許せませんわ!」
「まったくです! 天使ちゃんは、わたし達・親衛隊がお護りいたします!」
寿々さんと菫さん――この2人、ろくに会話していないはずなのに、すっかり意気投合して、わたしの『親衛隊』を名乗っているという謎状況……。
「なによ親衛隊って!? あんた達、澪をイジめるつもりなら、あたしが許さないわよ!」
頼もしきミアお姉ちゃんも、押しかけ親衛隊の先輩2人に負けていない!
ツインテールを逆立てて、2人の先輩に食って掛かっている……って、コレってかなりマズくない!?
「寿々さんも、菫さんも、ミアお姉ちゃんと喧嘩しちゃダメです! ミアお姉ちゃんも、この2人はわたしのお友達だから! イジメられてないから!」
とりあえず、これ以上面倒くさいことは御免被りたい。
などと思っていると、スマホに着信!
さりげなーく見ると、東雲くんからで『助けが必要であれば、顎に手を当ててください。何とかします』というメッセージ!
レストランを見渡すと、さっきまで話していた先輩方と別れ、1人目立たない場所に立ってコッチを見ている東雲くんを発見!
東雲くんは気遣いのできる最高の友人だよ!
さっきは『東雲くんとの関係は、考えなおしたほうがいいかも』とか思っちゃってごめんね!
東雲くんとは、ずっ友だよ!
わたしが原因で、多分わたししか解決できない感じなので、東雲くんの心遣いに心の中で手を合わせながら、『ありがとう! 大丈夫だから戻ってて!』と返信する。
ちょうどここはレストラン。4人でお茶でもしながら話し合うか――。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「なるほど……それは大変失礼いたしました。ミアさまは、理奈……澪さまと義姉妹の契りを結んだお方なのですね。なんて妬ま……んんっ……澪さまの義姉として恥ずかしくないよう、行動してくださいませ」
寿々さんは少し悔しそうな表情ながらも、ミアのことを認めてくれたようだ。
「天使ちゃ……澪さんが、お認めになったのでしたら、しかたありませんね。義姉という立場に甘えることなく、しっかり澪さんのお世話をするのですよ? ねえ、寿々さん?」
菫さんも不満そうな表情ながら、ミアのことをわたしの義姉として認めてくれたようだ。
2人には学園の決まり通り『澪』と呼んでと頼んだので、『澪』呼びになっている。まだぎこちないけど。
「そうですわね。でも確かに、ミアさまの澪さまを思う気持ちは、わたくし達に負けない純粋なもののようですわ?」
「そのようですね……。悔しいですけど、ミアさんの純粋な思いは認めざるをえません。親衛隊としては、ミアさんを澪さまの義姉として認めてさしあげましょう!」
寿々さんも菫さんも、かなーり上から目線でマウント取りに行っている感じではあるが、ミアの真心(?)が通じたようで、わたしの義姉として認めてもらえることになった、ようなのだが……。
「ふふふ! あんた達、今さら澪の魅力に気づいたニワカのくせに生意気ね! でも、あんた達が澪の魅力に気づいたのは褒めてあげる! 澪の義姉として、特別にあんた達を澪の親衛隊と認めてあげるわ!」
ミアは負けずに、高等部の先輩方2人に対して謎の上から目線でマウントを取り返した!
高度な寝技の応酬である!
「「「………………………………」」」
寝技の応酬の果てに膠着した状況で、謎の睨み合いが発生!
どうすんのよコレ……!?
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「――――ってことで、あたしと澪はVチューバ―デビューが決まっているの! 澪とあたしで歌を披露する予定なのよ!」
「ああ、なんと妬ま……羨ましい! わたくしも澪さまと一緒に歌を歌ってみたいですわ……」
「澪さんとデュエット、澪さんとデュエット、澪さんとデュエット……ああ、うらやまけしからんです!」
心配していたのがバカらしくなるほど、3人はあっという間に打ち解けてしまった!
Vチューバ―デビューは正式に決まったわけではないのだが……口を挟んでもしょうがないので、わたしはコーヒーとチーズケーキをもちもち頂きながら、置物になって聞いている。
「よく澪とカラオケにいくの! 良かったら、あんた達も一緒に来る?」
「「いくーーっ!!」」
まあ、カラオケくらいいいけどね。
と、そんなこんなで、わたしは、寿々さんと菫さんという、2人の親衛隊(?)を獲得したのであった――。
ちなみに、2人の学園での偽名は、三宅寿々さんの偽名が、天城香奈さん。
橘菫さんの方の偽名が、相馬華音さんとのこと。
2人とも面倒くさいので、本名でいいって言われたけど、一応ね。
・橘 菫(本名)/相馬 華音(偽名)
黒紫ストレートロングを左側で編み込んだ髪、紫紺色の瞳、優しいお姉さんタイプ
新興の大手商社・橘トレーディングの社長令嬢
・三宅 寿々(本名)/天城 香奈(偽名)
淡い茶色のセミロングの髪、杏色の瞳、目つきが鋭い娘
大手地方銀行・三宅銀行の本家の令嬢
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