第7話 審判前フェイズ・黒い声が来た
指定エリアは、森の中の開けた場所だった。
直径五十メートルほどの円形の広場。地面に光る線が走っている。幾何学的な紋様が刻まれ、薄く発光している。その中心に、台座のような石が一つ置かれていた。
六十一人のプレイヤーが、その中に集められていた。
誰も喋らなかった。
みんなが同じ顔をしていた。何が起きるかわからない、でも逃げられない、という顔。逃げようとしたプレイヤーが一人いた。広場の外に出た瞬間、見えない壁に弾かれて戻ってきた。
聖夜は四人で広場の端に立った。
【HP:74/100】【LVR:40】
LVRが40に近づいている。警告まで十だ。
(……ここで何かされたら)
考えていると、声が来た。
上から、だった。
いや、上というより、空間そのものから響くように来た。方向がない。耳から入るのではなく、頭の中に直接落ちてくるような声だった。
『やあ、みんな。お疲れ様』
聖夜の全身の毛が、一瞬で逆立った。
声は明るかった。軽かった。まるで久しぶりの友人に話しかけるような、無造作な明るさだった。
その明るさが余計に怖かった。
『三日間、よく生き残ったね。百三十九人が消えた中で。すごいすごい』
広場が一気に騒いだ。
「何だ、誰が喋ってる」
「システムの声じゃない。違う」
「上か?どこから来てる」
「姿が見えない、どこにいる」
聖夜は声のした方向を探した。
どこにもいない。でも、何かがいる。気配がある。
広場の中心の上空、霧の中に、影があった。
人の形をしているが、輪郭が揺れている。靄のように、定まらない。
『さて、第一層のクリア条件を教えてあげよう』
声が続いた。
聞いているうちに気づいた。笑っているような声だった。笑いの中に、刃が混じっているような。
『条件は簡単。LVRを消費して、この広場の中央にある「鍵」を起動すること。必要なLVRは、全員分の合計で一万』
広場が静まり返った。
一万。
聖夜は即座に計算した。六十一人。平均LVRが今どれくらいかを見渡す。消耗しきった顔の者が多い。平均五十として、合計三千百。全然足りない。
「一万って無理だろ」
「どうやって上げるんだ、今から」
「あと何時間ある」
騒ぎが広がった。声が重なって、広場がざわめきの渦になった。
『安心して。増やし方がある』
声が、少し低くなった。
ざわめきが吸い込まれるように止まった。
『今夜、一晩だけ時間をあげる。本物の感情を積み上げることができる時間。計算でやっても少ししか増えないよ。本物なら、倍率がかかる』
聖夜は奥歯を噛んだ。
知っている。そのシステムは身をもって知っている。
でも、知っていても、「本物の感情」を一晩で作れるのかという問題がある。
『あと、一つ教えてあげよう』
声のトーンが、また変わった。
今度は、楽しそうだった。本当に楽しそうな、悪い意味で。
『あなたたちの中に、特別なプレイヤーがいる。「本物の感情」を最も多く持っているプレイヤーが一人。そのプレイヤーの動きが、今夜の鍵になる』
広場全体の視線が動いた。
互いを見渡した。誰だ、という目で。
『楽しみにしてるよ。特に、あの子の動きを』
最後の一言は、明らかに特定の方向を向いていた。
聖夜のいる方向だった。
声が消えた。
◆
広場が一気に騒然とした。
「一万って絶対無理だろ」
「本物の感情って何だよ、計算じゃ駄目ってどういうことだ」
「特別なプレイヤーって誰だ、名乗り出ろ」
名乗り出ろ、という声が広がった。
聖夜は動かなかった。
隣でユリアが静かに言った。
「名乗り出ないほうがいいです」
「わかってる」
「名乗り出た瞬間に、標的になります」
「わかってる」
美羽が眼鏡を押し上げた。
「……わたくしも、あなたが名乗り出ないほうがいいと思います。あの声は、プレイヤーを対立させようとしています。名乗り出れば、全員の注目と敵意があなたに集中します」
「……分析が早いな」
「勉強はできますので」
桐島が、周囲の気配を読んでいた。
「……何人か、こちらを見ています。特定してる人間がいます」
「特定されたか」
「……たぶん」
◆
案の定だった。
三十分もしないうちに、男が来た。
第一層でも見かけた顔だ。がっしりした体格、剣系スキルの使い手。
「お前だろ。特別なプレイヤー」
声に敵意はなかった。でも、油断できない目だった。
「なぜそう思う」
「あの声が、お前の方向を向いて言った。見てた。それに、お前の陣営のLVRの動き方がおかしい。普通の稼ぎ方じゃない」
鋭い観察だった。
「……それで?」
「協力してほしい。お前の力でLVRを引き上げてくれ。全員のために」
聖夜は少し黙った。
「俺にそれができるとして、見返りは」
「お前を守る。今夜、お前を狙うやつが出たら対処する」
「……申し出はありがたい。でも、俺の感情は俺のものだ。全員のために使えるものじゃない」
男の目が細くなった。
「それが全体のLVRを左右するなら、個人の感情でも関係ない話だろ」
「個人の感情を強制できると思うか」
「強制じゃない、お願いだ」
「同じことだ」
男が黙った。
怒りと、それを抑える理性が顔に出ている。
「……わかった。引き下がる。でも、もし気が変わったら言ってくれ」
男が去った。
ユリアが静かに言った。
「……正しい選択だったと思います」
「正しいかどうかわからない。でも、感情を取引にはできない」
「はい」
◆
夕方になった。
広場のあちこちで、プレイヤーたちが動いていた。
キスをしているペアがいた。手を握り合っているグループがいた。誰かに向かって必死に何かを話しているプレイヤーがいた。
中央の石の台座が、薄く光り始めていた。
プレイヤーたちのLVRが少しずつ積み上がるごとに、光が強くなっていく。
でも、まだ弱い。
「……あの台座、今どれくらいだと思います?」
美羽が言った。
「二千いくかどうか、くらいじゃないか」
「……一万まで遠いですね」
「そうだな」
「どうするんですか」
「俺にできることはやる。お前たちもやれることをやれ。それ以上でも以下でもない」
美羽が静かに頷いた。
「……わかりました。ところで、一つ聞いていいですか」
「何を」
「あなたは、さっき『感情は取引にできない』と言いました」
「言った」
「……それは、どこから来る考え方ですか」
聖夜は少し考えた。
「……計算で感情を出したものは、本物じゃない。そういうものは、倍率がかからない。それは身をもって知ってる」
「経験から?」
「ユリアとの契約で。俺は計算なしで動いた。だから倍率がかかった。逆に言えば、計算して動いたら、その分だけ意味が薄くなる」
美羽が眼鏡の奥で、アメジストの瞳を揺らした。
「……あなたは、本物の感情を持てる人間なんですね」
「お前も同じだと思う」
「わたくしは、感情を表に出すのが苦手です」
「出し方が苦手なだけで、中にあるのは本物だろ。廃墟の陰で一人でいた時、怖かったんじゃないか」
「……怖かったです」
「それが本物だ。計算で怖がれない」
美羽が、少し長い間黙った。
「……あなたと話していると、自分の中に何かあるんだという気がしてきます」
「あるだろ」
「…………ありがとうございます」
それだけ言って、前を向いた。
◆
夜になった。
広場に残った六十一人が、それぞれの方法で感情を積み上げていた。
台座の光が、少し強くなっていた。でも、まだ足りない。
聖夜はユリアの隣に座っていた。
【LVR:38】
警告まで八だ。時間が経てば消える。
「……ユリア」
「はい」
「お前に頼むのは情けないかもしれない」
「情けなくありません」
「俺のLVRのために、お前の感情を使うことになる」
「使う、という言葉が間違っています」
ユリアが聖夜を向いた。薄暗い広場の中で、アイスブルーの瞳が静かに光っていた。
「私はあなたのために動いています。LVRのためではなく、あなたのために。その結果としてLVRが上がることはありますが、目的が逆です」
「……同じじゃないのか」
「全く違います」
断言だった。迷いがなかった。
「……お前は、なんでそんなに確信がある」
「あなたと出会ってから、自分の感情がどこから来るかが少しずつわかってきているからです。私の記憶が戻るにつれて、なぜ私がここにいるかがわかってきている。でも、それがどんな答えであっても、今あなたの隣にいたいという気持ちだけは、変わりません」
聖夜は何も言えなかった。
「……明日、審判本番が来ます。あの声が何をしてくるかわかりません」
ユリアが続けた。
「だから今夜、確かめておきたいことがあります」
「何を」
「……私はあなたを選んでいます。これは変わりません。どんな条件が来ても、どんな審判が来ても、私の選択は変わりません。あなたに、それを知っておいてほしいです」
聖夜は、ユリアの手を取った。
「……俺も言う」
「聞きます」
「俺はお前に守られてばかりだ。スキルも、戦闘も、全部お前に頼ってる。それでも、お前がいなかったら最初の夜に消えてた。だから」
聖夜は少し間を置いた。
「……ありがとう。それだけだ」
ユリアが、短い沈黙を置いた。
「礼は不要です」
「俺が言いたいから言ってる」
「……では、受け取ります」
ユリアが握り返した。
【LVR:38 → 51】
数字が跳ねた。
台座の光が、一段強くなった。
広場のどこかで、誰かが泣いていた。
どこかで、誰かが笑っていた。
どこかで、誰かが誰かの名前を呼んでいた。
六十一人分の感情が、少しずつ積み上がっていった。
――何かが、微かに笑った気がした。
◆◆◆
【4日目 夜】
【HP:74/100】【LVR:51】
【台座の光:推定LVR合計・七千台】
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