第52話 六人で、空を見上げた
誰も、すぐには動かなかった。
急ぐ理由が、もうどこにもなかった。
モンスターはいない。LVRの減衰もない。消去フェイズの通知も来ない。
ただ草原に風が吹き、青い空の下に、六人が立っていた。
聖夜は少し周囲を見た。
草原は広かった。遠くの山が、また別の形に見えた。さっき見た時より、山の手前に何かある気がした。建物のようなものが、霞んで見えた。街か、集落か、何かがある。
「……あそこに何かある」と聖夜は言った。
全員が同じ方向を見た。
「……街だと思います」とユリアが言った。
「知っているか」
「……確認しなければわかりません。でも、方角と山の形から、おそらく」
「おそらく、何だ」
ユリアが少し間を置いた。
「……後で話します。今は」
「今は、何だ」
ユリアが、聖夜を見た。氷色の瞳が、真っ直ぐこちらを向いていた。
「今は、ここにいたいです」
「そうか」
「……ここにいても、いいですか」
「ずっといろと言っただろ」
「……はい」
◆
ここなが草の上に座り込んだ。
膝を抱えて、空を見上げた。
「……きれいだ」と呟いた。外向きの「あーし」でも内向きの「うち」でもない、ただの声だった。
「きれいだな」と聖夜も言った。
「聖夜も空見てたの」
「ああ」
「現実の空と違う?」
「違う。もっと深い色だ」
「深い色、か」とここなが繰り返した。「……うちも、そう思う。深い」
ラヴィニアが草の上に腰を下ろした。
「……歌いたい気分ね」
「歌えばいい」と聖夜は言った。
「今は歌わない。この空を、先に見たい」
「そうか」
「空を見た後で、歌う。それが順番よ」
「お前が決めることだ」
ラヴィニアが少し口の端を上げた。
「そうね」
美羽が空を見上げた。
「……妹も、どこかで空を見ているといいですね」
「見ているかもしれない」と聖夜は言った。
「現実で、今頃何をしているかと思います。心配しているかもしれない。でも……妹は強い子なので、大丈夫だと思います」
「そうだな」
「……そう思うことにします」と美羽は言った。「そう思わないと、前を向けないので」
「それでいい」
美羽が少し頷いた。
「……はい。それでいきます」
◆
イリヤーナが聖夜の隣に立っていた。
空を見ていた。
「……きれいですね」
「ああ」
「聖夜さんと同じ空を見ています」
「そうだな」
「……それが、うれしいです」
「そうか」
「うれしい、と言っていいですか」
「言ってくれ」と聖夜は言った。
「うれしいです」とイリヤーナは言った。二度繰り返した。一度目より、二度目が少し力があった。
ヴェルナが少し離れた場所に立っていた。
シルエットのまま、空を見上げていた。
「ヴェルナ」とここなが呼んだ。
『何だ』
「空、どう見える」
『……私には、あなたたちと同じように見えるかどうかわからない。でも、見えている』
「同じように見えなくてもいい」とここなは言った。「見えてるなら、同じ空を見てる」
ヴェルナが少し止まった。
『……そうかもしれない』
「そうだよ」
ヴェルナが空を向いた。
黒いシルエットが、深い青の空を見上げていた。
◆
しばらく、全員が空を見ていた。
誰も話さなかった。話す必要がなかった。
風が来た。草が揺れた。遠くで鳥のような生き物が鳴いた。空の雲が流れた。
聖夜は空を見ながら、兄のことを思った。
兄が見ていた空は、どんな空だったか。東京の空は、深い青ではなかった。もっと薄くて、建物の間に切り取られた空だった。でも、兄もどこかで空を見ていたはずだった。
「……お前が弟でよかった」
言われた言葉が、また来た。
今回は、痛くなかった。
言えた言葉が、その痛みを少し引いていた。
返せなかった言葉を言えた。それが全てではないが、それが一つあった。
「兄貴」と聖夜は小さく言った。誰にも聞こえない声で言った。「着いた」
空の雲が、一つだけ動いた。
他の雲より速く、横に動いた。それだけだった。
◆
ユリアが聖夜の方を向いた。
「……聖夜」
「ああ」
「空を見ていましたか」
「ああ」
「何を考えていましたか」
「兄のことを考えていた」
「……言えましたね。第五層で」
「ああ」
「……よかったです」とユリアは静かに言った。「あなたが言えて、よかった」
聖夜はユリアを見た。
「お前は何を考えていた」
「……ここが、どこかを考えていました。でも、それより先に」
「先に?」
「……あなたが隣にいることを、考えていました。ここに着いた時、あなたと目が合った。それが、最初に確かめたいことでした」
「俺が最初に確かめたいことも、それだった」
ユリアが少し止まった。
「……そうですか」
「ああ」
「……では、同じでしたね」
「同じだったな」
ユリアが空を見た。
深い青の空を、少し上を向いて見た。銀白の髪が風に揺れた。
「……きれいですね」とユリアは言った。
「そうだな」
「現実の空より深い」
「ああ」
「でも……」とユリアは続けた。「悪くないと思います」
「そうだな」と聖夜は言った。
◆
ここなが立ち上がった。
草を払って、立って、全員を見た。
「……みんな、ここにいる」
「ああ」と聖夜は言った。
「全員生きてる」
「ああ」
「……それだけで、今日はいい」
「そうだな」
ここなが空を見た。
珊瑚色の髪が風に揺れた。大きな丸目が、深い青を映していた。
「……行こっか」
「どこに」
「あの街」とここなは言った。遠くに見えた霞んだ建物の方向を指した。「何があるかわからないけど、行ってみよう」
「そうだな」と聖夜は言った。
「怖い?」
「怖い」
「でも行く」
「ああ」
ここなが笑った。
外向きのギャルの笑顔でも、内向きの「うち」の笑顔でも、どちらでもない、両方が混ざった笑顔だった。
「それが聖夜っぽい」
六度目だった。
「そうか」
「うん」
全員が立ち上がった。
六人と一つのシルエットが、草原に立った。
遠くの街に向かって、歩き始める前に、ここなが言った。
「最後にもう一回だけ、空見ようよ」
誰も反対しなかった。
全員が上を向いた。
深い青の空が、全員の上にあった。雲が流れていた。風が来た。草が揺れた。
ユリアの銀白が揺れた。ここなの珊瑚色が揺れた。ラヴィニアのワインレッドが揺れた。美羽の黒が揺れた。イリヤーナの漆黒が揺れた。ヴェルナのシルエットが、風の中で少し揺れた。
聖夜は空を見ながら、思った。
ここから先が、始まる。
このゲームが終わって、別の何かが始まる。何があるかはわからない。でも、隣に誰かがいることが当たり前になった。それは変わらない。
「……行くぞ」
聖夜が言った。
全員が頷いた。
誰も止まらなかった。
六人と一つのシルエットが、草原を歩き始めた。
深い青の空の下で、遠くの街に向かって。
【LVR:聖夜 175、ユリア 114、美羽 99、ここな 127、ラヴィニア 107、イリヤーナ 133】
【世界B:浮遊島 移動開始】
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