第50話 光の中で、最後に言ったこと
転送が始まった瞬間、体が消えた。
消えた、というより、体の輪郭が曖昧になった。手を見ると、指の先から光に溶けていくように透けていた。足元の床が見えなくなった。周囲の壁が消えた。橙色の部屋が、白い光に溶けた。
浮いていた。
立っているのでも、座っているのでもなかった。ただ、光の中にいた。
「……ここな」と聖夜は呼んだ。
「いる」とここなの声が返ってきた。姿は見えなかったが、声ははっきりしていた。
「ユリア」
「います」
「美羽」
「います」
「ラヴィニア」
「いるわ」
「イリヤーナ」
「います」
「ヴェルナ」
少し間があった。
『……いる』
全員の声が聞こえた。姿は見えない。光の中に、声だけがあった。
「どれくらいかかる」と聖夜はヴェルナに訊いた。
『わからない。設計の外への転送だから、時間の感覚が通常と違う可能性がある』
「長いか」
『短いかもしれないし、長いかもしれない』
「わかった」
光の中は静かだった。
◆
しばらく、誰も話さなかった。
それぞれが、それぞれの内側で何かを整理しているような沈黙だった。急ぐ必要がない。どこかに向かっている途中で、止まれない。だから、この光の中の時間は、止まれない中で唯一の間隙だった。
最初に話したのは、美羽だった。
「……聖夜さん」
「ああ」
「……うちは、このゲームに入れられてよかったと思っています。ひどいことを言っているかもしれないけど、本当のことだから言います」
「ひどくない」と聖夜は言った。
「入れられなければ、聖夜さんに会えなかった。ここなさんにも、ユリアさんにも、ラヴィニアさんにも、イリヤーナさんにも。会えなかったことが正しかったとは言えない。でも、会えてよかったと思っています」
「俺もそう思っている」
「……そう言ってくれると、少し楽になります」
「美羽」
「はい」
「妹に、よろしく言ってくれ」
美羽が少し間を置いた。
「……会えた時に、言います」
「ああ」
◆
ラヴィニアの声が来た。
「……一つ聞いていい?」
「何だ」
「世界Bで歌うとしたら、誰かに聞いてもらえると思う?」
「俺には分からない。でも」
「でも?」
「ラヴィニアが歌えば、誰かが聞く」と聖夜は言った。「それはここまで見てきて、確かだと思っている」
「……確信があるの?」
「ない。でも、そう思っている」
「確信がないのに言うの?」
「お前の歌を聞いてきた。確信がなくても言える」
しばらく間があった。
「……嫌いじゃない、その言い方」とラヴィニアは言った。今回の声は、今まで一番柔らかかった。「嫌いじゃない、ばっかり言ってきたけど……好きよ」
「そうか」
「そう。言えた」
「ああ」
「……第一層から言えなかった。やっと言えた」
「遅くない」と聖夜は言った。
「そうかしら」
「言えた時が、言い時だ」
ラヴィニアが少し笑ったような気がした。
声だけの世界でも、笑いの気配はわかった。
◆
イリヤーナの声が来た。
「……聖夜さん」
「ああ」
「世界Bで、うちは聖夜さんのそばにいていいですか」
「いていいと言った」
「もう一度聞きたかった」
「いていい」
「……ありがとうございます」
少し間があった。
「イリヤーナ」と聖夜は呼んだ。
「はい」
「お前は変わった。第四層で言った。自分のためでもある、と言えた。それは大きい変化だ」
「……聖夜さんが言ってくれなければ、気づかなかったと思います」
「気づいたのはお前だ」
「でも」
「気づいたのは、お前だ」
イリヤーナが少し黙った。
「……そうですね」と静かに言った。「うちが、気づいた」
「ああ」
「……うちが、気づいた。うちの変化だ」
「そうだ」
イリヤーナの声が、少し変わった。柔らかくて、少し温度があった。
「……ありがとうございます。本当に」
◆
ここなの声が来た。
「……聖夜」
「ああ」
「うちさ、第二層で初めてあーしじゃなくてうちで話した時、聖夜だったんだよね」
「そうだったか」
「うん。あの時、靄で読んで、聖夜が計算で動いてないのがわかった。だから、うちでも大丈夫だと思った」
「そうか」
「……それが、うちの変化の最初だった」
聖夜は少し考えた。
「お前に読まれていたのか」
「ずっと読んでた」
「それは知らなかった」
「知ってた方がよかった?」
「知らなくていい。読んでいてくれてよかった」
ここなが少し笑ったような気がした。
「……うちもそう思う。読んでてよかった。そのおかげで、届けられるようになった」
「サトミへの感謝を、どこかで形にしろ」
「……する。絶対する」
「ああ」
「聖夜」
「何だ」
「……ありがとう。うちを、うちのまま見てくれて」
聖夜は少し黙った。
「お前がそうだったから、そう見えた」
「同じことだよ」とここなは言った。「でも……うれしかった」
◆
ユリアの声が来た。
聖夜の隣から来た。光の中でも、ユリアは隣にいた。
「……聖夜」
「ああ」
「帰ってから、という言葉を何度も聞きました。でも、私には帰る場所が、世界Bしかない」
「知っている」
「世界Bが、私の現実です。あなたにとっては、違う場所に行くことになる」
「そうなるかもしれない」
「……でも、今は同じ場所に向かっています」
「ああ」
「それで、十分です」とユリアは言った。「今は、それで十分だと思っています」
「今は、ということは、いつかは十分じゃなくなるかもしれないということか」
ユリアが少し間を置いた。
「……かもしれません。でも、その時はその時に言います」
「言ってくれ」
「……はい」
少し間があった。
「聖夜」
「ああ」
「隣にいていいですか」
「ずっといろ」と聖夜は言った。
ユリアが少し黙った。
「……ずっと、ですか」
「ずっとだ」
長い沈黙があった。光の中の、柔らかい沈黙だった。
「……わかりました」とユリアは言った。声が、いつもより少し低かった。感情が出た時の声だった。「ずっといます」
◆
ヴェルナの声が来た。
「ヴェルナ」と聖夜が先に呼んだ。
『……何だ』
「世界Bに着いたら、どうする」
『……わからない。行ったことがない場所だ』
「一緒に考える」
ヴェルナが止まった。
『……一緒に、か』
「七人で考える。お前も含めて」
また長い間があった。
今まで聞いてきた中で、一番柔らかい間だった。感情の混ざった、静かな間だった。
『……そうする』とヴェルナは言った。
それだけだった。
でも、それで十分だった。
光が、少し変わった。
白い光の中に、橙色が混ざってきた。転送の終わりが近い、という感触があった。
「……着く」とここなが言った。
「ああ」と聖夜は言った。
「怖い?」
「怖い」
「でも行く」
「ああ」
「……それが聖夜っぽい」とここなは言った。五度目だった。
「そうか」
「うん。ずっとそうだった。これからもそうだと思う」
「そうだな」と聖夜は言った。
光が、強くなった。
【転送完了まで:間もなく】
【LVR:聖夜 175、ユリア 114、美羽 99、ここな 127、ラヴィニア 107、イリヤーナ 133】
【世界B:浮遊島 着地点を確認中】
――どこかで、何かが静かに見ていた。
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