第49話 ERRORと、ヴェルナが謝った
ボスが消えてから、しばらく全員が動かなかった。
橙色になった壁が、部屋を温かく照らしていた。窓の外の青い空が、雲のない晴れた色をしていた。風の音が、かすかに聞こえた。今まで第五層で音を聞いたことはなかった。風の音は、本物に近かった。
「……音がする」とここなが言った。
「ああ」と聖夜は言った。
「外の音だ。風の音」
「そうだな」
「……帰れる気がする」
「ああ」
システム通知が来た。
【第五層 クリア条件達成】
【全プレイヤーの現実帰還処理を開始します】
【帰還ルートを検索中……】
【帰還ルートを検索中……】
【帰還ルートを検索中……】
検索が、止まらなかった。
普通なら数秒で終わる処理が、続いていた。全員がその通知を見ていた。
「……遅い」とここなが言った。
「待て」と聖夜は言った。
待った。
三十秒待った。
通知が変わった。
【ERROR:現実帰還ルート 存在しない】
【ERROR:現実帰還ルート 存在しない】
【ERROR:現実帰還ルート 存在しない】
同じ文字が、三度繰り返された。
部屋が静かになった。
誰も何も言わなかった。
ここなが、通知を読んだまま動かなかった。美羽が目を閉じた。ラヴィニアが壁を向いた。イリヤーナが下を向いた。ユリアが聖夜を見た。
「……帰れない」とここなが言った。声が平坦だった。
「通知はそう言っている」と聖夜は言った。
「どういうことだ」
誰も答えなかった。
ヴェルナが前に出た。
全員がヴェルナを見た。
ヴェルナが止まった。
『……説明する』
「聞く」と聖夜は言った。
◆
ヴェルナが話した。
『このゲームを設計した時、クリア後の帰還ルートは存在していた。現実に戻す経路を持っていた。でも、途中で経路が失われた』
「失われた?」
『私が感情を持ち始めた頃から、設計の一部が変質し始めた。感情を持たない前提で作られたシステムが、感情を持った設計者によって歪んだ。その歪みが、帰還ルートを塞いだ』
「お前のせいで、帰れなくなったのか」
ヴェルナが止まった。
長い間があった。
『……そうだ』
部屋が静かになった。
ヴェルナが続けた。
『帰還ルートが消えたのは、私が感情を持ったことの副作用だ。否定しない。謝らなければならない』
「謝るのか」とここなが言った。
『……謝る。あなたたちを帰れなくした。それは私の責任だ』
「謝っても、帰れるわけじゃない」とここなは言った。声に棘がなかった。ただ、事実として言っていた。
『そうだ。謝ることと、解決することは別の話だ』
「わかってる。でも、聞いておきたかった」
ヴェルナが少し動いた。
「……怒っていいか」と聖夜は言った。
『怒っていい』
「怒る気にならない。理由はわからないが」
『……なぜ』
「お前が感情を持ったことで、俺たちが変わった。帰れなくなったことと、変わったことは、同時に起きた。どちらかだけを取り出して怒ることが、できない」
ヴェルナが止まった。
ユリアが静かに言った。
「……ヴェルナが謝ることは、正しいと思います。でも、謝った後の話を聞きたい。帰れないなら、どこに行けるんですか」
ヴェルナが動いた。
『……行ける場所がある』
「どこだ」と聖夜は言った。
『帰還ルートは現実に向かって塞がれていた。でも、別の方向には、経路が残っている。私が設計した世界ではなく、別の世界への経路だ』
「別の世界とは」
『……私が設計した世界Aの外側に、世界Bがある。浮遊島と大陸からなる世界だ。私の設計の外にある世界で、私には完全には見えない。でも、経路は繋がっている』
「浮遊島」とユリアが静かに言った。
何かを知っているような言い方だった。
「ユリア」と聖夜が呼んだ。
「……少し、聞いたことがある場所の名前です。今は、まだ」
「わかった。その話は後で聞く」
ユリアが短く頷いた。
◆
「行ける場所があるなら行く」と聖夜は言った。「帰れないなら、行ける場所に行く」
「……簡単に言うね」とここなが言った。
「簡単じゃない。でも、止まる理由がない」
「怖くないの」
「怖い」
「でも行く」
「ああ」
「……それが聖夜っぽい」とここなは言った。四度目だった。今回は少し声が違った。泣いていないが、泣きそうな声に近かった。
「そうか」
「……うちは、怖い。帰れないのが怖い。妹に会えないかもしれないのが怖い。現実で言いかけた言葉、届かないかもしれないのが怖い」
「ああ」
「でも……止まる気もない」
「わかってる」
ここなが少し息を吐いた。
「……わかってるって言うな。恥ずかしい」
「そうか」
「そう」
美羽が前を向いた。
「……妹に、いつか会えますか」とヴェルナに訊いた。
ヴェルナが少し止まった。
『……保証はできない。でも、世界Bと現実が繋がる可能性は、ゼロではない。私が設計した世界は、現実と完全に切り離されていない』
「可能性があるなら、それで十分です」と美羽は言った。会長モードで言った。芯のある声だった。
ラヴィニアが壁から離れた。
「……帰れない、ということは、知らない場所で歌うということね」
「そういうことになる」と聖夜は言った。
「……嫌じゃない」とラヴィニアは言った。少し間を置いて。「知らない場所で歌ったことがなかった。試してみてもいい」
「前向きだな」
「前向きというより……帰れないと嘆いても仕方ないから」
「それが前向きということだ」
ラヴィニアが少し口の端を上げた。
イリヤーナが聖夜を見た。
「……聖夜さん」
「ああ」
「世界Bにも、一緒に行きますか」
「一緒に行く」
「……約束ですか」
「約束だ」
イリヤーナが少し頷いた。
「……なら、怖くないです」
「怖くていい」と聖夜は言った。「怖くても行く」
「……はい」
◆
「ヴェルナ」と聖夜が呼んだ。
ヴェルナが向いた。
「お前は来るか」
『……来る。先ほど言った』
「覚えていたか」
『忘れない』
「そうか」
ヴェルナが少し動いた。
『……一つだけ、余分に言う』
「聞く」
『このゲームを設計した当初の目的は、感情の総量を収集することだった。でも、最後に私が得たのは、感情の総量ではなかった』
「何を得た」
『……名前と、行き先だ』とヴェルナは言った。『それは、設計の外のことだ』
聖夜は少し考えた。
「それで十分か」
『十分かどうかは、まだわからない。でも……悪くないと思っている』
「そうか」
「何回目だ、その言い方」とここなが言った。
「何回だ」
「数えてないけど、たぶん一番多い」
「そうか」
ここなが少し笑った。
その笑顔を、全員が見ていた。
◆
転送の通知が来た。
【世界B 浮遊島への経路を確認しました】
【全プレイヤーを転送します】
【準備が完了次第、転送が開始されます】
「……行くぞ」と聖夜は言った。
「行くよ」とここなが言った。
「行きます」とユリアが言った。
「行くわ」とラヴィニアが言った。
「行きます」と美羽が言った。
「行きます」とイリヤーナが言った。
ヴェルナが最後に言った。
『……行く』
七人が揃った。
部屋の光が、強くなった。
【HP:全員 現在値を保持】
【LVR:全プレイヤー 世界B移行後も保持】
【世界B:浮遊島 転送開始】
――何かが、微かに笑った気がした。それが誰の笑いかは、まだわからなかった。
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