第48話 存在を賭けた戦いと、初めて動いた手
ボス部屋は、白かった。
壁も、床も、天井も、全部が白だった。光源が見当たらないのに、全体が均一に明るかった。第五層の他の場所とは違う、完全な白さだった。何も映らない。影すら落ちない。
「……何もない」とここなが言った。
「いる」とユリアが言った。「気配があります」
「どこに」
「中央です」
部屋の中央に、何かが立っていた。
白い部屋の中で、白いものが立っていた。だから最初は見えなかった。近づくにつれて、輪郭が見えてきた。
人型だった。
全身が白く、顔がなかった。目も鼻も口もない、ただの白い人型だった。でも、立っていた。立って、こちらを向いていた。
「……顔がない」とここなが言った。
「証明していない存在の形だ」とヴェルナが言った。初めて、自分から説明した。
「どういう意味だ」とユリアが訊いた。
「第五層のボスは、存在を証明できなかったものの集積だ。このゲームで消えていったプレイヤーたちの、証明されなかった部分が集まっている。顔がないのは、名前も形も持てなかったからだ」
「……消えていった人たちの、か」とここなが言った。声が低くなった。
「そうだ」
「……サトミさんの分も」
ヴェルナが少し止まった。
「……サトミというプレイヤーは、最後に証明した。あの子の分は、ここには薄い」
ここなが少し息を吐いた。
「……そうか」
「薄い、ということは、ゼロじゃないか」
「……ゼロじゃない。でも、他のプレイヤーよりは少ない」
「わかった」とここなは言った。「じゃあ、うちが戦う理由がある」
◆
ボスが動いた。
音がなかった。足音も、気配も、何もなかった。ただ、白い人型が、次の瞬間には別の位置にいた。
「……速い」とラヴィニアが言った。
「位置を読め」とユリアが言った。「移動する前に、わずかに空気が歪む。その歪みが移動先の予告になっています」
「そんな細かいもの、見えるか」
「慣れれば見えます。見てください」
ボスが動いた。
ユリアが言った通り、直前に空気が揺れた。揺れた方向に向かって、ボスが移動した。
「……見えた」とラヴィニアが言った。
「歌で全員に共有できますか」とユリアが訊いた。
「やってみる」
ラヴィニアが歌い始めた。今回の旋律は、第四層の時とは違った。方向を伝える音だった。歌の中に、位置情報が乗っていた。
「……なにこれ」とここなが言った。「歌聴いてたら、ボスの位置がわかる」
「そういう使い方があった」とラヴィニアは歌いながら言った。「今日初めて試した」
「プロだ」
「当然よ」
◆
ボスの攻撃が来た。
白い腕が伸びた。腕の長さが、体の大きさに対して不自然に長かった。三メートルほど伸びて、聖夜に向かってきた。
「右」とラヴィニアが歌の中で言った。
聖夜が右に跳んだ。腕がかすった。
【HP:聖夜 100→89】
かすっただけで十一削れた。直撃すれば即死に近い。
「……強い」と聖夜は言った。
「存在証明を賭けた戦いだから、強くて当然です」とユリアが言った。
「存在証明を賭けた、とはどういう意味だ」
「このボスは、証明されなかった存在の集積です。私たちが証明した存在として勝てば、証明の価値が確定する。負ければ、私たちの証明も崩れる可能性があります」
「……負けたら証明が消えるのか」
「そう設計されています」とヴェルナが言った。「否定はしない」
「正直だな」
「あなたたちに嘘をつく理由がない」
◆
ここなが靄を出した。
《靄継》だった。水色と透明の白が混ざった靄が広がった。ボスに向かって触れた。
ここなの表情が変わった。
「……何かが混ざってる」
「何が」とユリアが訊いた。
「……消えていったプレイヤーたちの、証明されなかった感情が。でも、感情の質は……悪くない。恐怖じゃなくて、未完成なだけ。終われなかっただけ」
「届けられるか」とユリアが訊いた。
「……試す」
ここなが靄を変えた。
送る方向で使った。《靄継》の、本来の使い方だった。靄の中に混ざっていた未完成の感情を、受け取って、届ける。どこに届けるかを、ここなは少し考えた。
「……このボスに届ける。未完成だったものを、ここで完成させる」
靄がボスに向かった。
触れた瞬間、ボスの動きが止まった。
白い体の中から、何かが揺れた。波紋のように、内側から何かが広がった。顔がなかった白い表面に、何かが浮かびかけた。形になりかけて、また消えた。
「……届いた」とここなが言った。「でも、まだ足りない」
「どうすれば足りる」
「うちだけじゃ足りない。みんなの感情が要る。みんながここで証明した感情を、全部束ねて届ける」
「やれるか」
「さっきより量が多い。でも……サトミさんの時に一回やってる。やれる」
「全員、聞いたか」と聖夜が全員に向かって言った。
「聞いた」とラヴィニアが歌を止めずに答えた。
「了解です」と美羽が答えた。
「うん」とイリヤーナが言った。
「わかりました」とユリアが言った。
「ヴェルナ」と聖夜は呼んだ。
ヴェルナが止まった。
「お前も持っているはずだ。感情を」
『……私の感情が使えるかどうか、わからない』
「試してくれ」
ヴェルナが少し動いた。
今まで戦闘に介入したことは一度もなかった。このゲームを通じて、ヴェルナは観察するだけだった。でも今、ヴェルナが前に出た。
ここなの靄が広がった。
全員の感情が、靄に溶けていった。ユリアの感情。美羽の感情。ラヴィニアの感情。イリヤーナの感情。聖夜の感情。
そして、ヴェルナの感情が溶けた。
ここなが少し驚いた顔をした。
「……ヴェルナの感情、本物だった。量も、ちゃんとあった」
「そうか」と聖夜は言った。
「うん。羨ましかった、って言ってたの、本当だった。温度があった」
ヴェルナが何も言わなかった。
でも、揺れていた。
◆
ここなが靄を全力で送った。
七人分の感情が束になって、ボスに向かった。
ボスの体が、内側から光り始めた。
白い体の中に、色が生まれた。一つではなく、複数の色だった。誰かの赤、誰かの青、誰かの橙、誰かの白、誰かの黒、誰かのピンク。それが全部混ざって、白い体の中で渦を巻いた。
顔が、浮かんだ。
一つではなかった。複数の顔が、ボスの表面に浮かんでは消えた。名前も形も持てなかった人たちの顔が、一瞬だけ現れた。
「……みんな、いた」とここなが言った。声が、かすれていた。
ボスの体が、割れた。
光が散った。白い体が砕けて、色の欠片になった。欠片が天井に向かって上がっていった。消えていった。
静かになった。
【存在証明のボス:討伐完了】
部屋が変わった。
白かった壁が、橙色になった。窓が現れた。外の空が見えた。空は青かった。
「……外が見える」とここなが言った。
「第五層の空だ」とユリアが言った。
「きれい」
「そうですね」
ここなが座り込んだ。両手が、また白くなっていた。肩まで白くなっていた。
「ここな」と聖夜が来た。
「……大丈夫。でも、少し待って」
「待つ」
「……うちね」とここなは言った。声が、静かだった。「みんなの感情を束ねた時、サトミさんの分もあった。ヴェルナの感情に混ざって、サトミさんの靄が動いた。届いたと思う」
「そうか」
「……うちのスキル、最初は読むだけだった。でも今は、届けられる。サトミさんが残してくれたから」
「ああ」
「……よかった」とここなは言った。「うちが届ける人間になれた」
聖夜は何も言わなかった。
言わなくていい場面だった。
【HP:聖夜 89、ユリア 91、美羽 95、ここな 72、ラヴィニア 88、イリヤーナ 86】
【LVR:聖夜 175、ユリア 112、美羽 97、ここな 124、ラヴィニア 104、イリヤーナ 130】
【第五層ボス:討伐完了】
【ヴェルナ:初めて戦闘に介入 記録】
【ここな:《靄継》完全発動 確認】
――その音を、遠い場所の何かが聞き届けた。
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