第44話 二枚目の扉と、もっと深い問い
翌朝、残りの六枚に向かった。
木造の廊下は、夜のあいだも温かかった。石の床で寝るより、体への負担が少なかった。全員が比較的よく眠れた、と言った。ラヴィニアだけ「寝付けなかった」と言ったが、表情は悪くなかった。
「何を考えていたんだ」と聖夜が訊いた。
「次の扉のことよ。昨日の扉は『自分が何者か』だった。次は何を聞かれるかと思って」
「考えても、来てみないとわからない」
「わかってる。でも考えてしまう」とラヴィニアは言った。「それが私の癖」
「悪い癖じゃない」
「……珍しいことを言うわね」
「事実だ」
ラヴィニアが少し口の端を上げた。
「嫌いじゃない、その言い方」と言った。今回は少し温度が違った。
◆
二枚目の扉は、昨日より重かった。
物理的な重さではなく、扉の前に立った時の感触が重かった。何かを要求している圧力が、昨日より強い。全員がそれを感じた。
「……昨日より難しい問いが来る」とここなが言った。靄で読んでいた。「扉の向こうの空気が違う。昨日は『自分が何者か』だった。今日は……もっと先のことを聞いてくる」
「先のこと、とは」
「……何のために生きるか、みたいな感じ。うちの靄で読める範囲では、そういう質感」
「それは、答えられるか答えられないかわからない問いだ」とラヴィニアが言った。
「だから難しいの」
ユリアが扉の前に立った。
昨日と同じように、最初に試す。
扉の取っ手に手をかけた。
長い沈黙があった。昨日は数秒で言葉が出た。今日は違った。ユリアが考えている。何かを選んでいる。
「……何のために生きるか」とユリアは言った。自分に言い聞かせるような声で。「私は……聖夜のためだけに生きている、と言いたい。でもそれは、半分だけ本当で、半分は嘘かもしれない」
扉が動かなかった。
「……自分のためにも生きたい」とユリアが続けた。「私が何を望んでいるかを、知りたい。聖夜と一緒にいる中で、私が何を感じているかを、ちゃんと見たい。それが、私が生きる理由の、もう半分だと思う」
扉が光った。
開いた。
ユリアが少し息を吐いた。
「……難しかったです」
「嘘をついた時に気づいたな」と聖夜は言った。
「……聖夜のためだけ、と言いかけた時に、扉が動かなかった。それが答えでした」
「正直に言えた」
「……言えました。少し、怖かったですが」
「なぜ怖い」
ユリアが少し間を置いた。
「……自分のためにも生きたい、と言うことが、あなたへの気持ちを否定するように聞こえる気がして」
「否定じゃない」と聖夜は言った。「お前が自分のために生きようとすることと、俺のそばにいることは、矛盾しない」
ユリアが聖夜を見た。氷色の瞳が、少し揺れた。
「……そう、ですね」
「そうだ」
◆
ここなが二枚目に立った。
「何のために生きるか……うちは、伝えるために生きたい。誰かの感情を、別の誰かに届けるために。靄スキルがそういう方向に変わってきてるのは、たぶん、うちがそういう人間だからだと思う。サトミさんの靄を引き継いで、それが確信になった」
扉が、すぐに開いた。
「……今日は早かった」とここなが言った。
「昨日より迷わなかったからだと思います」とユリアが言った。
「昨日一晩で、整理できてた」
「そうかもしれません」
ラヴィニアが前に出た。
「何のために生きるか。歌うために生きる。それだけよ。シンプルだけど、本当のこと」
扉が即座に開いた。
「……一番早かった」とここなが言った。
「迷う余地がないから」とラヴィニアは言った。「歌が理由だと、第三層でわかった。それ以来、ブレていない」
美羽が進み出た。
「……何のために生きるか」と美羽は静かに言った。「妹のために、と言いたいです。でも、それだけではない気がします」
扉が動かなかった。
「……自分が、誰かの役に立てると証明するためにも、生きたいと思っています。現実で、うちは誰かを守れる人間だったか、ずっと自信がなかった。でもここで、少し、できると思えました。帰って、それを続けたいと思っています。妹のためでもあるし、うち自身のためでもあります」
扉が光った。開いた。
美羽が少し目を閉じた。それから「……言えました」と言った。
「言えたな」
「……最初に妹のためだけと言いかけた時、ユリアさんと同じでした」
「扉が止まった」
「止まりました。自分のためでもある、と言った時に開いた。……少し、恥ずかしかったです」
「なぜ恥ずかしい」
「……自分のために生きたいと言うことが、わがままに聞こえる気がして」
「わがままじゃない」とここなが言った。「それが一番正直なことだから、扉が開いたんじゃないの」
美羽が少し目を細めた。
「……そうですね」
◆
イリヤーナが扉の前に立った。
「……何のために生きるか」とイリヤーナは言った。静かな声だった。考えていない声だった。すでに答えが出ている声だった。「聖夜さんのそばにいるために生きる。それが全部です」
扉が動かなかった。
イリヤーナが少し止まった。
「……嘘、ですか」
扉が答えるわけではない。でも、動かないことが答えだった。
「……うちは、聖夜さんのためだけに生きている、と思っていました。でも」
イリヤーナが少し考えた。
「……うちが、重いと言われてきたのは、感情が大きすぎるからだと思っていました。でも今は……感情が大きいことは、悪いことじゃないと思えています。それを教えてくれたのは聖夜さんだけど……それを受け取ったのは、うちです。うちが変わったのは、うちが変わろうとしたからでもある」
扉が光った。開いた。
イリヤーナが少し目を見開いた。
「……開いた」
「開いたな」
「……うちも、自分のためだったんですね」
「聖夜のことが理由であることと、自分が変わったことは別の話じゃない」とここなが言った。「両方本物だから、両方言えた時に開いたんじゃないかな」
イリヤーナが少し頷いた。
それから聖夜を見た。
「……うち、もう少し、自分のことも考えてみます」
「そうしろ」と聖夜は言った。
◆
聖夜が最後に残った。
扉の前に立った。
昨日より静かな気持ちだった。昨日は「自分が何者か」を整理しながら言った。今日は「何のために生きるか」だ。
「……帰るために生きている」と聖夜は言った。
扉が動かなかった。
「兄に返せなかった言葉を返すために、帰る。それが理由だ」
動かなかった。
嘘ではない。でも、全部ではない、と扉が言っていた。
聖夜は少し考えた。
帰る理由。兄への言葉。それは本当だ。でも、それだけか。
「……隣にいる奴らが、帰ってからも生きているのを見たい」と聖夜は言った。「デスゲームじゃない場所で、それぞれが何をするかを見たい。ユリアが何を望むかを見たい。ここなが誰かに何を届けるかを見たい。美羽が妹と話すところを見たい。ラヴィニアが歌うところを、外で聞きたい。イリヤーナが、重くないと言われる場所に立つのを見たい」
扉が光り始めた。
「それを見るために、生きている。兄への言葉と、それが両方だ」
扉が開いた。
今日も、少し時間がかかった。
「……また時間かかった」とここなが言った。
「言葉が多かった」
「多い方が、聖夜っぽい」
「そうか」
「そうだよ。普段は少ないのに、こういう時だけ多い」
ユリアが聖夜の隣に来た。
「……全員の名前を言いましたね」
「言った」
「……うちの名前も」
「言った」
ユリアが少し黙った。それから「ありがとうございます」と言った。平坦な声だったが、いつもより少し低かった。
◆
十二枚の扉が、全部開いた。
廊下の奥に、新しい扉が現れた。
今まで見えなかった扉だ。廊下の突き当たりに、大きな木製の扉が一枚ある。両開きで、取っ手が二つある。
「……奥の扉だ」とここなが言った。
「全員が証明を終えた時に現れる扉だと思います」とユリアが言った。
「開けるか」
「今日は休みましょう」と美羽が言った。会長モードで、はっきりと言った。「全員、精神的に消耗しています。奥の扉は明日にします」
「賛成」とここなが即座に言った。
「……そうしましょう」とユリアも言った。
「異議なし」とラヴィニアが言った。
イリヤーナが「うちも」と言った。
聖夜は奥の扉を見た。
明日、あの扉を開ける。その先に何があるかはわからない。でも、行かなければ前に進めない。
「……わかった。今日はここまでだ」
全員が壁際に座った。
木造の廊下が、また軋んだ。
【HP:全員100/100】
【LVR:聖夜 152、ユリア 103、美羽 87、ここな 113、ラヴィニア 94、イリヤーナ 121】
【第五層:存在証明の間 第二フェイズ 完了】
【奥の扉:出現確認】
――その音を、遠い場所の何かが聞き届けた。
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