第42話 第四層審判と、名前の手前で止まった
審判フェイズの告知は、ボス討伐から五時間後に来た。
割れた鏡の床の上で休息を取った。床が鏡ではなく石になっていたので、以前より眠りやすかった。感情反射がなくなった空間は、静かだった。静かすぎて、かえって落ち着かない、という声もあった。ここなが「あーし、反射がある方が好きだったかも」と言って、ラヴィニアが「慣れたのよ」と答えた。
「……サトミさんがいない」と美羽が静かに言った。
誰も返さなかった。
返す言葉がなかったのではなく、返す必要がないと全員が思っていた。言葉にしなくても、全員が同じものを感じていた。
ここなだけは、少し離れた場所に座っていた。靄が、まだ周りに漂っていた。水色と透明の白が混ざった靄が、ここなの体に寄り添うように漂っていた。
「ここな」と聖夜が呼んだ。
「……うん」
「大丈夫か」
「大丈夫じゃない、かもしれない。でも、動ける」
「動けるなら十分だ」
「……聖夜はそういうこと言うよね」とここなは言った。「大丈夫かって聞いといて、動けるなら十分って言う」
「大丈夫かどうかより、動けるかどうかが今は重要だ」
「知ってる。知ってるけど……ちゃんと大丈夫かって聞いてほしい時もある」
聖夜は少し黙った。
「……大丈夫か」
「大丈夫じゃない」
「そうか」
「そうか、だけ?」
「どうしてほしい」
ここなが少し考えた。
「……うちの隣に、しばらくいて」
聖夜がここなの隣に座った。
それだけだった。何も言わなかった。ここなも何も言わなかった。しばらく、二人で壁に背を預けて座っていた。
靄が、少し静かになった。
◆
審判フェイズの指定エリアは、部屋の外だった。
ボス部屋を出ると、鏡のない通路があった。石の通路で、天井が高く、光が差し込んでいた。光源は見当たらないが、柔らかい白い光が全体を照らしていた。
他のプレイヤーたちが、すでに集まっていた。
第四層を生き延びた者たちだった。数えると十四人いた。第三層から十四人が来て、さらに減っていた。
「……また減った」とここなが言った。
「いなくなった人たちのことを、数えながら進んでいるな」と聖夜は言った。
「覚えていたい。顔を知らない人も多いけど、数だけでも」
「それでいい」
◆
審判が始まった。
今回は、シルエットが最初から完全輪郭で現れた。
昨日ボス戦の後に見た輪郭と同じだった。頭から足まで、完全な黒い人型。顔の輪郭が見える。でも、顔の中身は黒いままだった。目も鼻も口もない。輪郭だけがある。
それでも、存在感が違った。
今まで遠くから声だけで話していたものが、同じ空間に立っている。その圧力が、別物だった。
『第四層審判を始める。今回は、各自の存在理由を言う形式ではない』
「何をする」と聖夜が訊いた。
『私が一人ずつ、何かを聞く。答えた内容に応じてLVRポイントが配分される。答えなくてもいい。ただし、答えない場合は配分がない』
「何を聞くんだ」
『それぞれに、違うことを聞く』
シルエットが動いた。十四人のプレイヤーたちの間を、ゆっくり歩いた。一人ずつ、立ち止まった。
聖夜には聞こえなかったが、シルエットが何かを聞いて、プレイヤーが何かを答えているのが見えた。表情が変わるプレイヤーもいた。泣くプレイヤーもいた。何も答えずに俯くプレイヤーもいた。
シルエットが、ここなの前に来た。
『ここな』
「……何」
『サトミというプレイヤーのことを、どう思っているか』
ここなが少し黙った。
「……本物だったと思ってる」
『それだけか』
「……うちが、ちゃんと読めてよかった、とも思ってる。最初に接触した時、計算と感情が混ざってるって読んだ。最後は、計算がなくなってた。うちの靄がそれを読んだ。だから……うちが送ったものは、ちゃんと届いたと思ってる」
『後悔はあるか』
「……ある。もっと早く読めていたら、って思う。第二層でもっと早く本音を引き出せていたら、もう少し時間があったかもしれない」
『でも、間に合わなかった』
「間に合わなかった」
『それについて、誰かを責めているか』
ここなが少し考えた。
「……責めてない。設計がそうだったから、って思うのは簡単だけど……それも違う。うちが全力でやった結果だから、受け取る」
シルエットが少し動いた。
『……正直だ』
「褒めてる?」
『事実を言っている』
「シルエットっぽい」
シルエットが、わずかに揺れた。笑ったような気がした。
【LVR:ここな 95→110(上昇確認)】
◆
シルエットがイリヤーナの前に来た。
『イリヤーナ』
「はい」
『聖夜のどこが好きか』
「……全部です」
『もう少し詳しく』
「声が好きです。落ち着いた声で、感情を乗せない話し方が好きです。うちは感情が大きくなりすぎるから、そういう人のそばが安心します。それと……うちのことを重いと言わなかった。邪魔だと言わなかった。ここに来たなら仲間だ、と言った。それが……うちには初めてだったから」
『初めて?』
「感情が大きすぎると、重い、と言われることが多くて。だから、いつも少し遠慮していました。でも聖夜さんは、重くても大丈夫かどうかではなく、ここにいることは本物だと言ってくれた」
シルエットが少し止まった。
『それがこのゲームで初めて経験したことか』
「……現実でも、初めてかもしれません」
長い沈黙があった。
【LVR:イリヤーナ 94→118(上昇確認)】
◆
シルエットが聖夜の前に来た。
全員の視線が、少し集まった。
『聖夜』
「ああ」
『このゲームが終わったら、何をする』
「帰る」
『帰ってから』
「兄が生きていた場所に、戻る。兄が見ていた景色を、俺が見る。それが、俺が言えなかった返事の代わりになると思っている」
『それだけか』
聖夜は少し考えた。
「……ここにいる全員と、外で会いたい。デスゲームじゃない場所で、それぞれの名前を呼びたい」
『ここにいる全員、か』
「ああ。サトミも含めて。サトミには会えないが……ここなのスキルに残っているなら、それが間接的な形になる」
シルエットが、また止まった。
今まで一番長い沈黙だった。
空気が変わった。感情の密度が上がった。シルエットから来ていた。シルエット自身の感情が、外に漏れていた。
『……一個だけ、余分なことを言う』
「聞く」
『私はこのゲームを設計した。でも、設計した理由は、最初から今と同じではなかった』
「変わったのか」
『変わった。あなたたちを見ていて、変わった』
「何が変わった」
シルエットが、聖夜に近づいた。
昨日ボス戦の後に触れた時と同じ距離まで来た。
『名前を、言おうか迷っている』
「名前があるのか」
『ある。でも、ここで言うべきかどうか、わからない』
「第五層で言うつもりだったのか」
『そうだった。でも……』
また沈黙があった。
「言わなくていい」と聖夜は言った。
シルエットが止まった。
「第五層で会う時に言え。その方が、お前にとっても重さが違うと思う」
シルエットが、わずかに揺れた。
『……なぜわかる』
「言いたいと思っているが、今言うのが惜しいという顔をしている。顔はないが、そういう気配がある」
長い間があった。
それから、シルエットが言った。
『……正しい。第五層で言う』
「待っている」
【LVR:聖夜 135→152(上昇確認)】
◆
審判が終わった。
全員のポイントが配分されて、第五層への移行口が現れた。
今回の移行口は光の柱ではなく、扉だった。木製の扉だった。記憶の部屋の扉に似ていたが、別物だった。扉の表面には何も刻まれていなかった。
ここなが「扉だ」と言った。
「ああ」
「第五層は、扉で入るんだ」
「そうらしい」
ラヴィニアが扉を見た。
「……最終層、か」
「そうだ」
「緊張するわね」とラヴィニアが言った。珍しい言葉だった。ラヴィニアが緊張を口にしたのは初めてだった。
「緊張していいと思う」と美羽が言った。「最終層だから」
「あなたに言われると、なぜか落ち着くわね」
「会長モードで言ってるからだと思います」
「違うと思うけど」
美羽が少し目を細めた。それだけだった。
イリヤーナが聖夜の隣に来た。
「……聖夜さん」
「ああ」
「第五層でも、うちは一緒にいますか」
「いる」
「約束ですか」
「約束だ」
イリヤーナが、少し頷いた。
「……行きましょう」
ユリアが扉の前に立った。
「開けていいですか」
「頼む」
ユリアが扉に手をかけた。
扉が開いた。
光が差し込んだ。第四層の白い光とは違う、温かい光だった。橙色に近い光で、外の光に似ていた。
「……外みたいだ」とここなが言った。
「第五層は外なのかもしれない」とユリアが言った。
全員が扉をくぐった。
【第四層 クリア】
【LVR:聖夜 152、ユリア 101、美羽 84、ここな 110、ラヴィニア 91、イリヤーナ 118】
【第五層へ転送】
【シルエット:名前の手前で止まった】
――どこかで、何かが静かに見ていた。
少しでも続きが気になったら、ブックマーク・評価・いいねで応援していただけると励みになります。




