第33話 反照の迷宮と、一つだけの理由
第四層の移行口は、扉ではなかった。
光の柱だった。
第三層の広場の床に、直径二メートルほどの光の輪が現れた。白ではなく、紫がかった白だ。その内側に立つと、足元から何かに引かれる感覚がある。重力の方向が変わるような、引力と浮力が同時にかかるような、奇妙な感覚。
ユリアが先に入った。消えた。
「……先に行ったか」と聖夜は言った。
「ユリアらしい」とここなが言って、その後に続いた。美羽が「順番通りに行きます」と言って入った。ラヴィニアが少し足を止めて、光の柱を見た。それから静かに入った。
サトミが最後だった。
光の縁に足を踏み入れる前に、サトミが聖夜を見た。
「……行きます」
「ああ」
サトミが入った。聖夜が最後に続いた。
◆
落ちた、という感覚はなかった。
ただ、気づいたら床に立っていた。
第四層は、全てが鏡だった。
床が鏡だった。壁が鏡だった。天井も鏡だった。鏡と鏡の間に細い通路が走っていて、どこを向いても自分の姿が映っている。鏡の表面は完全な鏡ではなく、少し歪んでいる。歪んだ映り方が、全員の姿を少しずつ変えて返してくる。
「……不快な層だ」とラヴィニアが言った。
「うちも苦手。自分がいっぱいいる」とここなが言った。
「何を映している」と聖夜は言った。
ユリアが壁に近づいた。氷色の瞳が、鏡の表面を読むように動いた。
「……感情を映しています」とユリアが言った。「見てください。私の映り方と、聖夜の映り方が違う」
確かに違った。ユリアの鏡像は、ユリア自身よりも少しだけ輪郭が明確だった。感情が外に出ているから、そのまま映す、ということか。
聖夜の鏡像は、顔の表情が少し違った。無表情のはずなのに、鏡の中では眉間に何かが刻まれている。
「……外側に出ていない感情を映すのか」と聖夜は言った。
「そう思います。感情を抑えているほど、鏡の方が正直になる」
【第四層:反照の迷宮 突入確認】
【フィールド効果:感情反射 発動中】
【HP:聖夜 100/100(回復済み)、ユリア 100、美羽 100、ここな 100、ラヴィニア 100、サトミ 100】
【LVR:聖夜 100、ユリア 79、美羽 57、ここな 54、ラヴィニア 68、サトミ 41】
「……LVRが第三層より高い状態で始まった」と聖夜は言った。「審判でポイント配分があったはずだ」
「サトミさんのLVRは」とここなが訊いた。
サトミが確認した。「41です」
ここなが少し黙った。41は低い。特に第四層がどんな仕掛けを持っているか、まだわからない状態での数値としては。
「わかった。進む」と聖夜は言った。
◆
鏡の通路を歩いた。
右に折れ、左に折れ、また右に。構造が迷宮になっている。天井の高さは第三層の神殿より低く、圧迫感があった。それでいて視野は広い。どこまでも続く鏡の反射が、空間を実際より広く見せている。
十分ほど歩いたところで、ここなが止まった。
「……靄が感知した。前方に誰かいる」
「味方か敵か」
「……モンスターじゃない。プレイヤーだと思う。ただ、靄の形が変わってる。今まで読んだことない密度で、感情が固まってる」
「どんな感情だ」
ここなが少し考えた。
「……一方向にだけ向いてる感情。しかも、ものすごく純粋。計算が混じってない。こういう靄は初めて読んだ」
「行く」
前方の通路を進んだ。鏡の反射が増えて、どこかで誰かが立っているのが見えた。鏡像が増えていく中で、実像を探す。
いた。
通路の突き当たり、鏡に背を向けて座っていた。
小柄な女だった。157センチほどの、細い体。黒い修道服を着ている。漆黒の髪が地雷系のハーフツインに結ばれていて、毛先にかけてワインレッドの色が混じっている。顔が下を向いていて、表情は見えない。ロザリオを両手で握って、静かに何かを呟いていた。
祈っているのだと、聖夜は思った。
近づいた。足音に気づいたのか、女が顔を上げた。
瞳が、濃いピンクから紅色のマーブルをしていた。タレ目気味の丸みのある目だった。目が合った瞬間、その瞳が一瞬だけ揺れた。
女が立ち上がった。
立ち上がった瞬間に、口元が動いた。
「……聖夜さん」
名前を知っていた。
「……知っているのか」と聖夜は言った。
「聖夜さんのことを、ずっと探していました」と女は言った。
声が低かった。でも、通る声だった。おっとりしているように聞こえるが、その奥に何か別のものが圧縮されているような感触があった。
「俺を、探していた?」
「はい。第一層から、ずっと」
「会ったことはない」
「会いに行けなかったんです。LVRが足りなくて、一人では動けないことが多くて。でも……第四層に来たら会えると思っていました」
「なぜ第四層で」
女が少し首をかしげた。
「……不思議ですよね。でも、そう思っていました。根拠はないんですけど」
ここなが聖夜の隣に来た。少し警戒した目をしている。靄を読んでいるのだろう。
「……名前を聞く」
「イリヤーナ、です。イリヤーナ・ネメシエル」
イリヤーナが、また聖夜を見た。
濃いピンクの瞳が、真っ直ぐこちらを向いていた。逸らさない。計算している目ではなかった。読んでいる目でもなかった。ただ、向いていた。それだけだった。
「……一個だけ聞いていいですか」とイリヤーナは言った。
「何だ」
「一緒にいていいですか」
聖夜は少し間を置いた。
「理由を聞く」
「聖夜さんだけが理由です」
短かった。補足がなかった。説明もなかった。ただそれだけだった。
ここなが聖夜の袖を引いた。小声で「靄、読んだ。計算ゼロ。全部本物」と言った。
「……わかった」と聖夜は言った。「一緒に来い」
イリヤーナの口元が、わずかに緩んだ。笑顔ではなかった。ただ、何かが解けたような顔だった。
「……ありがとうございます」
「礼はいらない。動ける状態か」
「はい」
「HP・LVRを確認しろ」
イリヤーナが確認した。
「HP:88。LVR:76」
「76か」
「……一人でいた時間が長かったので、LVRは高めに保ってきました。方法は、自分なりのやり方で」
「方法は聞かない」
「……聞かなくていいですよ」とイリヤーナは静かに言った。「でも、聖夜さんが聞きたければいつでも答えます」
◆
七人になった。
鏡の通路を進みながら、聖夜はイリヤーナの動き方を観察した。静かだった。音を立てない。前後の警戒を自然にやっている。一人で長く行動してきた人間の動き方だった。
ユリアが聖夜の隣に来た。
「……あの子の感情が、鏡に映っています」
「どう映っている」
「……鏡像が、あなたの方向だけを向いています。他の方向を向いていない」
聖夜は少し考えた。
「一方向だけの感情、か」
「はい。私はそれを、良いとも悪いとも言えません。ただ、事実として」
「わかった」
鏡の通路が、また曲がった。
角を曲がった瞬間、全員の足が止まった。
通路の先に、広い空間があった。そこだけ鏡が一枚もなかった。床が石になっていた。天井が高くなっていた。そして空間の中央に、何かが立っていた。
モンスターではなかった。
光だった。
上から降ってくる光の柱が、床に落ちている。その光の中に、何かが浮いていた。形のないもの。靄のようで、でも靄ではない。感情の集積が可視化されたもの、とユリアが後で言った。
「……何だ、あれは」とサトミが言った。
「第四層の仕掛けの、核になる部分だと思います」とユリアが答えた。
「近づくか」とここなが聖夜を見た。
聖夜は少し光の柱を見た。
イリヤーナが、静かに聖夜の隣に来た。
「……怖くないんですか」とイリヤーナが言った。
「怖い」と聖夜は言った。
「でも、行くんですね」
「ああ」
「……なぜですか」
「行かなければ前に進めない。それだけだ」
イリヤーナが少し頷いた。
「……やっぱり、聖夜さんだけが理由だと思いました」
何が「やっぱり」なのか、聖夜にはわからなかった。
でも、訊かなかった。
「行くぞ」
全員が、光の柱に向かって歩き始めた。
【LVR:聖夜 100、ユリア 79、美羽 57、ここな 54、ラヴィニア 68、サトミ 41、イリヤーナ 76】
【反照の迷宮:中枢エリアを感知】
――どこかで、何かが静かに見ていた。
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