第27話 ユリア覚醒・氷の女王の記憶
第三層五日目の朝、ユリアが目を覚ました時、何かが違った。
聖夜は起きていた。
ユリアの様子が変わったことに、最初に気づいた。
彼女は普段通りに起き上がった。普段通りに周囲を確認した。でも、目の色が違った。
アイスブルーの瞳の中に、別の何かが混じっていた。
銀白に近い光が、瞳の奥から射していた。
「……ユリア」
「はい」
「何かあったか」
ユリアが少し間を置いた。
「……夢を見ました」
「どんな夢だ」
「……氷の玉座の夢でした。高い場所に置かれた玉座に、誰かが座っていました。その誰かは私で、でも今の私ではなかった。記憶の中の私でした」
「記憶が戻ったか」
「……全部ではありません。でも、片鱗が来ました」
◆
神殿の廊下を歩きながら、ユリアが話した。
他の三人は少し離れて歩かせた。二人で話す必要があると、聖夜が判断した。
「……魔王の娘、ということは、前から少しわかっていました」
「ああ」
「でも今朝の夢で、それが具体的になりました。私の父は、あの世界の均衡を崩そうとした存在で、私はその力を受け継いでいます」
「均衡を崩す力、というのは」
「……氷は、熱を奪います。熱がなければ、感情も動かない。感情が動かなければ、LVRは上がらない。私の力が完全に覚醒した時、このゲーム全体に影響が出るかもしれません」
「それはお前の意志で制御できるのか」
「……今は、できます。でも、覚醒が深まれば深まるほど、制御が難しくなる可能性があります」
聖夜は少し黙った。
「……お前は、覚醒することを怖がっているか」
「怖いです。でも、それより」
「それより?」
「……覚醒することで、あなたとの関係が変わってしまうことが、より怖いです」
「変わるとは」
「私が氷の女王として完全に機能し始めた時、私の感情が人間のものから離れていく可能性があります。今あなたに感じていることが、別のものに変わるかもしれない」
「変わらないと思う」
「根拠は?」
「お前は第一層からずっと、変わっていない。記憶が戻るたびに少しずつ自分を知っていくだけで、お前の芯は変わっていない」
ユリアが少し間を置いた。
「……あなたには、そう見えますか」
「そう見える」
「……信じます」
◆
神殿の奥のエリアで、扉の前に立った時、それが来た。
扉の紋様が、今まで見た中で一番強く輝いていた。
氷の結晶に似た形の紋様だった。
でも、今まで見た紋様とは根本的に違う点があった。
紋様が、動いていた。
ゆっくりと、氷の結晶が成長するように、外側に向かって広がり続けていた。
廊下の壁にまで、紋様が延びていく。
「……ここは、私が開けます」
ユリアが静かに言った。
他の四人が後退した。
聖夜だけが、後退しなかった。
「……下がってください」
「嫌だ」
「危険です」
「お前が危険なら、俺もいる」
ユリアが少し間を置いた。
「……わかりました。でも、何があっても離れないでください」
「離れない」
ユリアが扉に手を当てた。
光が走った。
今まで見た光とは違った。
青白い光ではなく、銀白の光だった。
ユリアの手から扉に流れ込むのではなく、扉からユリアの方に流れ込んできた。
ユリアが、少し足を踏ん張った。
引き込まれそうになっているのが見えた。
「ユリア」
「……大丈夫です」
声が変わり始めていた。今まで聞いたことのない、低く、でも澄んだ声だった。
氷の感触が、廊下全体に広がった。聖夜の肌に鳥肌が立った。
美羽が思わず一歩後退した。ここなが「やばい」と小声で言った。
ユリアの瞳が変わった。
アイスブルーの中の銀白の光が、強くなった。
彼女の銀白の髪が、わずかに浮き上がった。
聖夜はユリアの手を掴んだ。
「……今、俺はここにいる」
ユリアが、一瞬振り向いた。
普段と違う目だった。記憶の奥から来た目だった。
でも、聖夜を見た瞬間に、何かが戻ってきた。
「……わかっています。あなたがいる」
「……誰かが来ます」
ユリアが言った。元の声に、少し戻っていた。
扉が開いた。
向こうに、別の空間があった。
神殿の廊下ではなく、広い氷の空間だった。
聖夜はその空間に入った。
ユリアが隣に来た。
氷の空間の中央に、玉座があった。
ユリアが夢で見た、氷の玉座だった。
「……これが、お前の場所か」
「……違います」
ユリアが言った。声は元に戻っていた。
「今の私の場所は、あなたの隣です。玉座は過去のものです」
「でも、記憶の中にある」
「あります。でも、選択は今する。私は今を選びます」
玉座が、ゆっくりと光を放った。
それから、消えた。
氷の空間が、霧散した。
また神殿の廊下に戻っていた。
「……何が起きたんですか」
美羽が聞いた。
「……ユリアの記憶が、一つ完了した。たぶん」
ユリアが静かに言った。
「選択を求められていました。過去の役割を引き受けるか、今の選択を優先するか。私は今を選びました。それで、その記憶は過去になりました」
「……過去にすることができるのか」
「完全には消えません。でも、今を優先することで、過去に置いておけます」
ここなが、ユリアに近づいた。
「……ユリア、靄が変わった」
「どう変わりましたか」
「……前より大きくなった。でも、温かくなった。寒い靄だったのに、少し温かくなってる」
ユリアが、少し目を伏せた。
「……それは、あなたのせいかもしれません」
「うちの?」
「昨日、あなたが「ユリアは優しい」と言いました。それが、私の中で何かを変えたかもしれません」
ここなが少し笑った。
「……うち、いいこと言ったんだ」
「はい」
◆
夜、ラヴィニアが聖夜に話しかけた。
「……今日のユリアを見て、思ったことがある」
「何を」
「あなたは、ユリアが変わっても怖くないの?」
「怖くない」
「なぜ?」
「お前もさっき見てただろ。ユリアは玉座を選ばなかった。俺を選んだ。それで十分だ」
「……それが信頼ってこと?」
「そうだ」
ラヴィニアが少し黙った。
「……私、人を信頼したことが、あんまりない。歌で人を動かすことはできても、その人を信頼することは別だと思ってた」
「今も別だと思うか」
「……今は、少し違う気がしてる。あなたたちといると、信頼することと感情で動くことが、同じ向きに動く気がする」
「それが、このゲームの設計だと思う」
「……感情で動く人間だけが生き残れる設計」
「そうだ」
「……残酷ね」
「最悪だ。でも、生き延びた後に何かが残る」
「何が残るの?」
聖夜は少し考えた。
「……わからない。でも、俺は帰った後、兄貴に言えなかった「ありがとう」を言えた気がした。それが残ると思う」
ラヴィニアが少し間を置いた。
「……私も、何か残るかな」
「残る」
「根拠は?」
「今日、ユリアの覚醒を見て、お前は何かを感じた。その感情は本物だった。本物の感情は、どこかに残る」
ラヴィニアが、少し視線を外した。
「……嫌いじゃない答えね」
――その音を、遠い場所の何かが聞き届けた。
◆◆◆
【第三層 5日目 夜】
【HP:68/100】【LVR:79】
【ユリア覚醒:第一段階完了】
【玉座の選択:今を選ぶ】
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