第25話 指名制発動・黒い手が引き離す
第三層三日目の朝、声が来た。
神殿の廊下に、あの声が響いた。
頭の中に直接落ちてくる声。今回は、第二層の審判より少し早い介入だった。
『おはよう。第三層、順調そうだね』
五人が立ち止まった。
「……また来たか」
『嫌そうな顔しないでよ。今日は提案があって来たんだから』
「提案、か」
『提案というか、新しいルールの告知かな。第三層から、このルールが追加される』
神殿の壁に、光の文字が浮かんだ。
【指名制:本フェイズより、一日に一度「指名」が発動する。指名されたプレイヤーは、二十四時間、指定されたパートナーと行動しなければならない。拒否した場合、LVRが三十差し引かれる】
廊下が静まり返った。
「……強制パートナー交換か」
『そう。これまで自分で選んできたパートナーから、引き離すシステムだよ。楽しみにしてたんだよね、これ』
「誰が指名するんだ」
『私が決める。何を基準にするかは、内緒』
聖夜はユリアを見た。
ユリアが静かに返した。
「……想定していました。第三層で来ると、なんとなくわかっていました」
「なぜ」
「第一層で感情の基礎を作り、第二層で繋がりを作った。第三層では、その繋がりを引き裂くことが娯楽になる。そういう設計だと思っていました」
ラヴィニアが静かに言った。
「……正確な分析ね」
「分析というより、このゲームを設計した何かへの信頼です。残酷に見えても、一貫した論理がある」
「信頼という言葉が、この文脈で出てくるのは面白いわね」
◆
指名が来たのは、その日の昼だった。
光の通知が全員に届いた。
【本日の指名:神酒聖夜→ペア指定:ラヴィニア・ルクレツィア ユリア・ヴァルシュタイン→ペア指定:天羽ここな 真壁美羽→ペア指定:松本】
三組が強制的に組み替えられた。
聖夜とユリアが引き離された。
「……行きます」
ユリアが静かに言った。聖夜を見ていた。
「……ここなとの行動なら、問題ない」
「問題があるかどうかより、俺はお前と一緒にいたい」
「わかっています。でも、今日は別々です」
「ここなを頼む」
「頼まれなくても、します」
ユリアがここなの方に向かった。
ここなが聖夜を見た。
「……ユリアと一緒にいていい?」
「当然だ。ユリアと一緒にいてくれ」
「……うん。ちゃんと守る」
「守られるなよ」
「……守るって言ったのに」
「お前がユリアを守るんじゃなく、お互いを助け合えってことだ」
ここなが少し考えて、頷いた。
「……わかった」
◆
聖夜はラヴィニアと、神殿の東側を探索した。
最初はほとんど喋らなかった。
ラヴィニアが前を歩き、聖夜が後ろを確認する。役割分担は自然に決まった。
ラヴィニアのヒールが石畳に当たる音がする。
第三層の神殿に、なぜかその音が合っていた。
「……歌わないのか、今日は」
聖夜が言うと、ラヴィニアが少し振り向いた。
「扉のない場所で歌う必要はないでしょ」
「扉のためだけに歌うのか」
「……必要な時に歌う。それだけよ」
「歌いたいと思うことはないのか」
ラヴィニアが少し止まった。
「……ある」
「でも歌わない」
「……誰かに聴かせる必要のない時に歌っても、意味がないと思ってた。ずっと」
「意味って何だ」
「……歌は、誰かに届けるものだと思っていた。届ける相手がいない時は、歌う意味がないと」
「それは誰かに言われたのか」
ラヴィニアが少し間を置いた。
「……言われた、というより、そういう環境だった。歌は評価されるものだったから。評価される場面以外で歌う習慣がなかった」
「……それは、しんどそうだな」
「しんどいと思ったことはなかったわ。それが普通だったから」
「今は?」
「……今は、少し違う気がする」
ラヴィニアが歩き始めた。
「あなたたちと神殿を歩いてから、誰かに届けるために歌うのではなく、歌いたいから歌うという感覚が、少し生まれてきた気がする」
「それでいいんじゃないか」
「……そう言えるのは、あなたが単純だからよ」
「単純か」
「褒めてるわよ。複雑に考えすぎると、感情が計算に変わる。あなたは複雑に考えない」
「考えてないわけじゃないが」
「考えてても、感情の方が先に出る。それが単純、という意味」
◆
午後、一つの扉に来た。
紋様が、今まで見た中で一番複雑だった。
外側から内側に向かう流れと、内側から外側に向かう流れが、同時に刻まれていた。
「……矛盾した設計ね」
「矛盾じゃないかもしれない」
「どういう意味?」
「引き裂かれそうになっても繋がっている感情、ということかもしれない。この指名制で、引き離されながらも繋がっているという感情を出せれば開くんじゃないか」
ラヴィニアが紋様を見た。
「……意味がわかった気がする」
「試せるか」
「……あなたは今、ユリアと引き離されている」
「ああ」
「その感情は今、どうなってる」
聖夜は少し考えた。
「……嫌だ。でも、ユリアがここなと一緒にいることを知っているから、信じている。引き離されていても、信頼は切れていない」
「それが、この扉の要求だと思う」
ラヴィニアが手を当てた。
聖夜も当てた。
光が走った。
矛盾した二つの流れが、ぶつかり合いながら輝いた。
扉が開いた。
「……開いたわ」
「ああ」
「……あなた、引き離されてもユリアを信じてるのね」
「信じてる」
「……それは、弱くないの? 信じることが、裏切られた時に傷になる」
「そうかもしれない。でも信じないよりいい」
「なぜ」
「信じなければ、繋がれない。繋がれなければ、このゲームは生き残れない」
ラヴィニアが少し黙った。
「……それは、計算?」
「最初は計算だったかもしれない。今は違う」
「何が違うの」
「……信じたいから信じている。それだけだ」
ラヴィニアが、少し顔を背けた。
「……嫌いじゃない答えね」
◆
夕方、ユリアとここなと合流した。
二人が先に拠点に戻っていた。
松本も別の方向から戻ってきた。美羽を連れていた。
「……美羽、どうだった」
聖夜が聞くと、美羽が眼鏡を押し上げた。
「……松本さんのスキルで、神殿の東側に未踏のエリアがあることがわかりました。明日、全員で向かう価値があります」
「美羽とはどうだった」
松本に聞いた。
「……正直、最初は困った。喋らないし、感情が読めないし、何を考えてるかわからない。でも、建物の分析が的確すぎて、途中からこっちが質問しまくってた」
「役に立ったか」
「めちゃくちゃ役に立った。あの分析力は異常だよ。どこで習ったんですか、って聞いたら、独学ですって言ってた」
美羽が少し俯いた。
「……索敵系のスキルと、わたくしの分析が組み合わさると、精度が上がりました。一人ではできないことが、二人でできました」
「それが大事だ」
「……はい。今日、少しわかりました。わたくしは計算が得意ですが、実際に動いて確かめることが苦手です。松本さんは動くことが得意です。互いに補い合えました」
松本が少し驚いた顔をした。
「……美羽さん、そんなこと思ってたんですか」
「思っていました」
「言ってくれればよかったのに」
「……言い方がわからなかったので」
「十分伝わってますよ」
美羽が少し間を置いた。
「……ありがとうございます」
聖夜が聞くと、ユリアが静かに答えた。
「ここなさんと、いくつかのことを話しました」
「何を」
「……私の覚醒のことを、少し話しました。記憶が戻るにつれて、何かが変わってくると思います。その時、陣営の皆が動揺しないようにしておきたかった」
「ここなに話した理由は」
「……ここなさんは感情を直接読みます。隠してもわかる。ならば正直に話した方がいいと判断しました」
ここなが頷いた。
「……ユリアから聞いた。氷の女王の記憶が戻ると、ユリア自身が変わるかもしれないって」
「怖かったか」
「……最初は少し。でも、ユリアの靄を読んだら、変わっても芯は同じだってわかった。だから大丈夫」
ユリアが、ここなを見た。
「ありがとうございます」
「……うち、ユリアのこと、読んでいいか聞くの忘れてた」
「構いません。読んでもらえる方が、伝わりやすい」
「……ユリアって、優しいんだね」
「優しくはありません」
「優しいよ」
ユリアが少し黙った。
「……そうかもしれません」
ラヴィニアが、二人の会話を少し離れた場所から見ていた。
聖夜がラヴィニアの隣に立った。
「……どう見てる」
「……嫌いじゃない関係ね」
「今日一日、どうだった」
「……悪くなかった。あなたは話しやすい人だった」
「話しやすい、か」
「嘘をつかないから。嘘をつかない人と話すのは、楽なの」
「……お前は、嘘をつくのか」
「よくつく。必要な嘘と、守るための嘘と、見せたくないものを隠すための嘘。全部つく」
「このゲームでは、嘘は計算と同じで効果が薄い」
「……わかってる。だから、少しずつやめようとしてる」
聖夜は少し考えた。
「……ラヴィニア、今日一日ありがとう」
「何が」
「一緒に歩いてくれた。扉も開けてくれた」
「利害が一致しただけよ」
「そうかもしれない。でも、それでも礼を言う」
ラヴィニアが少し視線を外した。
「……褒めても何も出ないわよ」
「礼を言っている。褒めてない」
「……嫌いじゃない人ね、本当に」
――何かが、微かに笑った気がした。
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