第22話 第三層・氷結神殿が感情を試す
光が消えた時、空気が変わった。
冷たかった。
廃都市の冷気とは違う。これは自然の冷たさだ。澄んでいる。口から吸い込むと、肺の中が洗われるような感覚がある。
聖夜は目を開けた。
石の廊下だった。
幅は五メートルほど。天井が高い。両側に壁があり、その壁に、薄く発光する紋様が刻まれていた。
【HP:68/100】【LVR:87】
転送の間に少し削れた。でも、第三層に来た。
「……神殿、ですね」
美羽が廊下を見渡して言った。
「石の構造が精巧です。廃都市の廃墟と違って、崩れていない。意図的に維持されています」
「誰が維持してる」
「……わかりません。でも、生きている建物という感じがします」
ユリアが壁の紋様に触れた。
指先が触れた瞬間、紋様がわずかに輝いた。すぐに消えた。
「……感情に反応します」
「感情?」
「私が触れた時に輝きました。紋様は、感情の温度を感知しているかもしれません」
「感情の温度」
「強さ、というより温度。計算では反応しない種類の感知です」
聖夜は廊下の先を見た。
一定の距離ごとに、扉がある。石造りの扉が、廊下を区切るように設置されていた。
「……あの扉、どうやって開く」
「試してみます」
◆
最初の扉に近づいた。
扉の中央に、大きな紋様が刻まれていた。廊下の壁と同じ種類の紋様だ。
聖夜が手を当てた。
何も起きなかった。
ユリアが手を当てた。
わずかに光った。でも、開かなかった。
「……感情の量が足りないか、種類が違うか」
「ここなは」
ここなが前に出た。手を当てた。
光った。今度はより強く。でも、まだ足りない。
「……何が必要なんだ」
美羽が扉を観察していた。
「……紋様の構造を見ると、中央から外側に向かって広がる形をしています。一つの感情ではなく、複数の感情が重なった時に開く設計かもしれません」
「複数の、というのは」
「……複数の人間が同時に触れることで、それぞれの感情が重なる」
聖夜はそれを聞いた。
「全員で触れるか」
「試してみましょう」
四人が同時に扉に手を当てた。
光が走った。
一人ずつの時とは違う光の広がり方だった。中央から外側に向かって波紋のように広がり、紋様の全体が輝いた。
扉が、ゆっくりと開いた。
「……複数の感情が重なることで開く扉、ということですね」
美羽が静かに言った。
「第三層のテーマだな。感情が繋がることで、道が開く」
◆
神殿の内部を進んだ。
廊下ごとに扉があった。
最初は四人が同時に触れれば開いた。でも、二つ目の扉は開かなかった。
「……同じことをしても開かない」
「感情の種類が変わっているかもしれません」
美羽が扉の紋様を丁寧に観察した。
眼鏡を外して、近くで見た。指で紋様のラインをなぞる。
「……この紋様、最初の扉と中心の形が違います。最初は放射状でしたが、これは内側に向かって収束する形です」
「内側に向かう感情、か」
「……拒絶、もしくは防衛に近い感情かもしれません。外に向かうのではなく、内側に閉じる方向の感情」
ここなが扉の前に立って、目を閉じた。
「……この扉、何か怖がってる感じがする。怖い、というか、拒否してる?」
「扉が拒否している?」
「紋様の中に、閉じた靄がある。外の感情を拒絶するような感じ。なんか、傷ついた人間の心みたいな。誰かに開けてほしくて、でも開けられるのが怖いみたいな」
聖夜は少し考えた。
「……傷ついた状態の扉を開くには、何が必要だ」
「傷を認めること、かもしれない」
ユリアが静かに言った。
「……私が試してみます」
ユリアが扉に手を当てた。
目を閉じた。
廊下が静かになった。他の三人も、口を閉じた。
「……私の中にも、怖いものがあります」
ユリアが声に出して言った。
扉に向かって言っていた。外に向かって言うのではなく、扉の向こうに届けるように。
「記憶がないこと。何者かわからないこと。あなたを守れなかった時のことを、想像する時。あなたが消えてしまうかもしれないという感覚が、私の中にはあります。それが怖い。消えてほしくない。でも、守れないかもしれない。その怖さが、ずっとあります」
最後は、聖夜に言っていた。
扉に向かっていたのに、いつの間にか聖夜に向いていた。
光が走った。
扉が開いた。
ここなが、小さく息を呑んだ。
「……ユリア、すごい」
「……そうでしょうか」
「怖いことを、ちゃんと言えた。うちには、まだ難しいかもしれない」
「あなたは昨夜、聖夜に正直に話しました。それと同じことです」
「……同じかな」
「同じです。怖いことを怖いと言える。それが、この神殿の鍵だと思います」
◆
三つ目の扉で、また変わった。
今度は、扉の紋様が赤みを帯びていた。
「……怒りに近い感情に反応する設計かもしれません」
美羽が観察した。
「怒りか」
「……あなたは、怒りを持っていますか」
聖夜は少し考えた。
「ある」
「何に対して」
「……このゲームを設計した何かに対して。俺たちを娯楽にしていることに対して。兄貴を死なせたことに対して」
言いながら、それが本物だと気づいた。
今まで意識して出したことがなかった怒りが、そこにあった。
「兄貴を死なせた」という怒りが、誰に向いているのかも、今まで考えなかった。
ゲームに入ってから、目の前の生存に集中しすぎて、その前にあった感情を後回しにしていた。
「……兄貴は、どうして死んだんですか」
美羽が静かに聞いた。
「事故だ。俺が家を出る少し前に、トラックに轢かれた。なんでもない道で、なんでもない日に」
「……それは、誰のせいでもない」
「そうだ。でも、怒りは残る。誰のせいでもない怒りが、一番厄介だ。行き場がない」
「……その行き場のない怒りを、今ここで使っているんですね」
「使えるなら使う。それだけだ」
美羽が少し間を置いた。
「……わたくしには、まだそういう怒りがありません。でも、あなたのそれは、本物だと思います」
扉に手を当てた。
赤い光が走った。
扉が、荒々しく開いた。
「……本物だ」
ここなが言った。
「ああ」
「……うちも、怒りがある。リアルで友達を守れなかった時のこと。それを思い出した」
「それでいい。このゲームは、そういう感情も使う」
「……怒りって、悪いことじゃないんだね」
「悪くはない。でも、行き場がないと腐る。ここで使えたなら、少し楽になるかもしれない」
◆
神殿の奥に進むほど、扉の要求が複雑になっていった。
四つ目は、後悔だった。
五つ目は、感謝だった。
六つ目は、誰かへの「言えなかった言葉」だった。
六つ目の扉の前で、聖夜は少し止まった。
「言えなかった言葉、か」
「……思い当たるものがありますか」
美羽が聞いた。
「ある」
「何ですか」
「……兄貴に。最後に会った時、言えなかったことがある」
「……何を言いたかったんですか」
聖夜は少し黙った。
「……ありがとう、と。俺の人生で一番世話になったのに、一度もちゃんと言えなかった」
扉に手を当てた。
「……ありがとう。死ぬ前に言えばよかった」
光が走った。
今日の中で、一番強い光だった。
扉が、ゆっくりと開いた。
廊下の先に、広い部屋が見えた。
神殿の中枢部らしき空間だった。
ここなが聖夜の隣に立った。
「……聖夜、大丈夫?」
「大丈夫だ」
「……泣きそうな顔してたよ」
「そうか」
「……うちには、そういう人、いない。言えなかったままの人が」
「それは、まだ間に合うということだ」
ここなが、少し黙った。
「……帰ったら言う。リアルで、ちゃんと言えなかったことを言う」
「言え」
「……うん」
――何かが、微かに笑った気がした。
◆◆◆
【第三層 1日目 午前】
【HP:68/100】【LVR:82】
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