第1話 LVRカウントダウン、氷の騎士と俺
地面が、湿っていた。
顔を上げると、木々が空を覆っていた。
赤黒い靄が天井のように広がり、光がほとんど届かない。
腐葉土の匂い。
遠くで何かが動く音。
獣の唸り声。
《第1層「死の森」》
《制限時間:11:59:41》
《LVR:97 減少速度:−10/時間》
《LVR0まで:9時間42分》
時間が、減っていた。
転送されてから二十秒も経っていないのに、すでに97になっていた。
(本当に減っていく)
俺は立ち上がった。
体の感覚があった。
地面の硬さ、空気の湿り気、腕についた泥の感触。
VRなのに、全部本物だった。
遠くで悲鳴が聞こえた。
次の瞬間、悲鳴が止まった。
(死んだ)
理屈じゃなく、わかった。
◆
装備を確認した。
《HP:100/100》
《LVR:96》
《装備:なし》
《武器:なし》
《スキル:エンプティ・リンク Lv.1 未発動》
武器がない。
防具がない。
スキルは使い方もわからない。
(どうする)
制限時間は約12時間。
でも俺のLVRは9時間42分でゼロになる。
ボスを倒してセーフゾーンに入っても、LVRがマイナスになれば即死だ。
(接触しなければ死ぬ。でも周りには誰もいない)
茂みが揺れた。
木の陰から、黒い影が現れた。
全身が黒い毛に覆われた四足の獣。
鋭い牙を剥き出しにして、こちらを見ていた。
《牙狼 Lv.4》
《HP:320/320》
(やばい)
俺は走った。
足場が悪い。躓く、転ぶ、木の根に引っかかる。
後ろから牙狼が追いかけてくる足音。
速い。
明らかに人間より速い。
「っ……!」
背中に熱い痛みが走った。
爪で引っかかれた。
《HP:100 → 78》
本物の痛みだった。
走りながら思った。
(これで死んだら、現実でも死ぬんだ)
◆
その時、刃が閃いた。
横から飛び込んできた氷の突きが、牙狼を一撃で仕留めた。
砕けた獣が、粒子になって消えた。
銀白の髪が、風に揺れていた。
少女だった。
肩まで届く銀白の髪。
アイスブルーの瞳。
黒ベースのロングコートに、腰の直刀。
背筋が伸びた、騎士のような立ち姿。
彼女は俺を見下ろした。
「……立てるか」
短い言葉だった。
「……ああ」
手を差し伸べてくれた。
引き上げられた。力強い手だった。
「名前は」
「聖夜。神酒聖夜」
「……ユリア。今はそれだけでいい」
ユリアは周囲を見回した。
「パーティは」
「一人だ」
「……スキルは」
俺は少し間を置いた。
「《エンプティ・リンク》。異性との接触でLVRが上がる」
ユリアが少し黙った。
「……LVRの減少速度は」
「−10/時間。他の倍だ」
「……今のLVRは」
《LVR:91》
「91」
ユリアは少し考えた。
「……9時間で死ぬ」
「そうだ」
「……わかった。一緒に来い」
「なんで」
「……見捨てる理由がない」
それだけだった。
◆
ユリアと並んで、森を進んだ。
彼女は無駄な動きがなかった。
足音を立てず、視線を絶えず動かし、危険を素早く察知する。
一方、俺はただついていくだけだった。
「お前は強いな」
「……そこそこだ」
「スキルは何だ」
「……教える必要があるか」
「ない。でも聞いた」
ユリアが少し間を置いた。
「氷系。それだけ言う」
俺は自分のステータスを見た。
《LVR:89》
じわじわと減っている。
「ユリア、一つ聞いていいか」
「なんだ」
「……お前のLVRはいくつだ」
《LVR:ユリア 94》
「94だ」
「減少速度は」
「……−5/時間。通常だ」
「……お前はどうやってここまで来た」
「……気づいたら、この層にいた。記憶が、途中からない」
俺は少し驚いた。
「記憶がない?」
「……名前はわかる。ユリア・ヴァルシュタイン。それだけだ。あとは——何もわからない」
ユリアは淡々と言った。
感情が見えなかった。
でも、その手が少しだけ剣の柄を強く握った。
◆
茂みの向こうで、光の柱が上がった。
次の瞬間、音が消えた。
俺たちは足を止めた。
光の柱が消えた場所に、誰かが倒れていた。
男のプレイヤーだった。
動いていない。
《HP:0》
その場所に、何も残っていなかった。
「……モンスターにやられたのか」
「……違う」
ユリアが静かに言った。
「……LVRが尽きた。だから消えた」
俺は数秒、その場所を見ていた。
さっきまで人間がいた場所だ。
今は何もない。
《LVR:87》
数字が、また減っていた。
「……行くぞ」
ユリアが前を向いた。
「ああ」
俺たちは前に進んだ。
◆
二時間後。
セーフゾーンに到達した。
古代神殿を模した石造りの建物。
扉をくぐると、すでに百人以上のプレイヤーが押し込まれていた。
扉が重く閉じられた。
《セーフゾーン到達者:163名》
《開始時プレイヤー数:200名》
二時間で、三十七人が消えた。
「……三十七人」
《LVR:聖夜 79》
《LVR:ユリア 84》
LVRが下がっていた。
でも、二時間前よりずっと減りが遅い。
(ユリアと一緒にいることで、何か変わった?)
スキルの詳細を確認した。
《エンプティ・リンク》
共闘者との感情的な交流によりLVR減少速度が軽減される
接触の深度によりLVRが直接上昇する
「……共闘だけでも減りが遅くなるのか」
「……どういうことだ」
「お前と一緒にいるだけで、俺のLVRの減りが遅くなってる」
ユリアが自分のステータスを見た。
「……私も同じだ」
二人で顔を見合わせた。
{コメント:共闘でLVR減少が遅くなるの知らなかった}
{コメント:ユリアさんとの相性良すぎる}
{コメント:でも79はまだ危ない}
{コメント:37人死んだのか……}
◆
壇上にスクリーンが現れた。
《SYSTEM:審判について説明します》
『各層のボスを撃破し、セーフゾーンに全員が集まった後
審判イベントを開始します』
『審判では、プレイヤー同士が「視聴価値の低い者」を選びます』
『最も選ばれた者が排除されます』
『審判の形式は毎回変わります』
「……視聴価値って何だ」
「……誰かが見ている、ということだ」
ユリアが静かに言った。
「この世界には、俺たちを見ている誰かがいる。そいつが俺たちを評価する。それが審判だ」
「……誰が見てるんだ」
「……わからない。でも」
ユリアが俺を見た。
「……確かに、いる」
◆
その夜、俺は眠れなかった。
《LVR:74》
石の床に座って、カウントを見ていた。
(三十七人死んだ。俺はまだ生きている)
(あと何人、消えていくんだ)
ユリアが俺の隣に座った。
「……眠れないのか」
「ああ」
「……私も眠れない」
二人で、何も言わずに壁にもたれた。
《LVR:聖夜 73》
《LVR:ユリア 83》
「……ユリア」
「なんだ」
「……記憶がないのは、怖くないか」
ユリアは少し間を置いた。
「……怖い。わからないことが怖い」
「そうか」
「……お前は怖いか」
「怖い。でも……今夜は、ここが安全だ。それだけ考える」
ユリアが少し息を吐いた。
「……お前は、変な言い方をする」
「そうか」
「……でも、嫌いじゃない」
《LVR:聖夜 73 → 76》
《LVR:ユリア 83 → 85》
少し上がった。
「……上がった」
「……そうか」
「感情的な交流でも上がるのか」
「……言葉が、接触と同じ働きをするのかもしれない」
俺は天井を見た。
(言葉だけで上がるなら、まだ戦える)
どこかで獣の声がした。
制限時間のカウントが、静かに刻まれていた。
《制限時間:09:14:22》
《LVR:76》
《LVR0まで:7時間36分》
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