第17話 廃都市ボス決戦・感情が武器になる
第二層四日目の朝、二十二人で建物に突入した。
建物の扉を開けた瞬間、空気が変わった。
湿気がなかった。廃都市の外は湿った空気だったのに、建物の内部は乾いていた。
温度が違う。外より少し寒い。でも、氷のような寒さではない。空白のような冷たさだった。
「……何かいます」
ここなが小声で言った。
「感情は読めるか」
「……読めない。靄がない。あれには感情がない」
それが、今日一番の問題だった。
ここなのスキルは感情に反応する。感情がない存在には、効かない。
建物の内部は三層構造だった。
各層に回廊が走っていて、中央に吹き抜けがある。吹き抜けの底に、それはいた。
人型だった。
白い霧のような体。顔がない。
黒いラインが無数に走っていて、脈打つように光っていた。
「……LVRの低い存在です」
ユリアが静かに言った。
「感情がないから、LVRが低い。それがボスとして設置されている理由だと思います。第二層のテーマが「繋がることの意味」なら、繋がることができない存在がボスになる」
「倒し方は」
「……まだわかりません。感情から来る攻撃が効くかどうか、試してみます」
◆
ユリアが先頭で動いた。
凍結を放った。
白い体に当たった。ほんの少し、表面が固まった。でもすぐに回復した。
「……通りにくいですが、完全には弾かれていません。ゆっくりですが、ダメージになります」
「時間がかかりすぎる」
ボスが動いた。
白い体が浮遊した。最初のターゲットは、大グループの端にいたプレイヤーだった。
接触した。
「……LVRが削れてる!」
叫び声が上がった。
「離れろ! 接触したらLVRが削れる。触れるな!」
聖夜が叫んだ。
二十二人が後退した。ボスが空中をゆっくりと漂っている。感情がないから急がない。焦りがない。ただ、淡々と次のターゲットを探している。
美羽が聖夜の隣に来た。
「……考えたことがあります」
「言え」
「……感情がないボスに、感情から来る攻撃が通りにくいということは、逆に考えれば、感情を「入れる」ことで弱体化させられるかもしれません」
「感情を入れる、とはどういうことだ」
「……感情がないから均質な存在です。もし感情が入れば、均質ではなくなる。均質でなくなれば、弱点が生まれるかもしれない」
「それができるのは」
ここなが、聖夜を見た。
「……うちのスキルだと思う。感情を読むのではなく、送る方向で使ったら、どうなるか」
「試したことはあるか」
「……ない。でも、読む方向の逆をやるだけだから、原理的にはできるはずだ」
「やれるか」
「……やれるかどうかわからない。でも、やってみる」
◆
ここなが前に出た。
目を閉じた。
今まで「読む」時にやってきたことを思い出した。
靄を感じ取る。流れを感じる。どこから来ているかを辿る。
それを逆にする。
こちらから、靄を出す。
何の感情を出すか、考えた。
計算で出した感情では倍率が低い。本物じゃないと届かない。
廃墟の陰で一人でいた夜を思い出した。
あの孤独。誰の声も聞こえない夜。LVRが少しずつ削れていく恐怖。
聖夜が声をかけてくれた瞬間を思い出した。
「来い」とだけ言った。あの一言の重さを。
桐島が去っていく後ろ姿を思い出した。
言いたかったのに言えなかった言葉を。
全部が本物だった。
全部が、今ここにある感情だった。
それを、ボスに向かって放った。
◆
ボスが止まった。
白い体に、かすかな揺れが生まれた。
「……靄が出た! 薄いけど、感じ取れる!」
ここなが叫んだ。
「動きは読めるか」
「……来る方向がわかる! 次、右!」
ユリアが右に走った。
先回りして待ち構えた。ボスが来た瞬間、凍結を集中させた。
さっきより深く通った。
白い体に、凍結の跡が残った。
「……感情が入ると、通じる!」
「ここな、感情を送り続けろ!」
「わかった!」
◆
ペア体制が機能した。
ここなが感情を送り続ける間、ユリアが凍結を叩き込む。
他のプレイヤーたちが囮になってボスの注意を分散させる。
美羽がボスの動きを建物の構造から予測して声で知らせる。
松本の索敵で上層に来る動きを察知する。
五人がそれぞれの役割を自然に分担した。
でも、時間が経つほど消耗した。
ここなの顔が青ざめてきた。感情を送り続けることは、体力とは別の何かを消耗させた。
「……もう少し。もう少しだけ頼む」
「……わかった。やる」
ここなの手が震えていた。でも、目は死んでいなかった。
ユリアの凍結が、ボスの中心部に届いた。
白い体の内側で、黒いラインが乱れた。
脈打つリズムが、乱れた。
そして止まった。
ボスが、内側から崩れた。
白い霧が散った。
黒いラインが消えた。
静寂が来た。
◆
戦闘後、全員が広場に出た。
二十二人全員が、生き残っていた。
誰も消えていなかった。
ここなが膝をついた。
「……消耗した。でも、生きてる」
「お前のスキルが、今日一番機能した」
「……本物の感情を出し続けることが、こんなに疲れると思わなかった」
「それが本物の証だ。計算なら疲れない」
ここなが少し笑った。
「……うち、自分のスキルのこと、今日初めてちゃんとわかった気がする」
「何がわかった」
「……感情を読むだけじゃなくて、送ることもできる。一方通行じゃなくて、双方向だったんだ」
「それがお前のスキルの本来の形かもしれない」
「……もっと早く知りたかった」
「使いながら覚える。それしかない」
◆
周囲から拍手が起きた。
大グループのリーダーが言った。
「……今日の戦闘で、あなたたちのグループの力がわかった。特に感情を読める人間の力が」
「機能したのは全員のおかげだ」
「でも、方針を決めたのはあなただった。戦闘中の判断も、今日の結果につながった」
ここなが聖夜の袖を引いた。
「……あんた、褒められると照れるじゃん」
「照れてない」
「顔が少し赤い」
「気温が低いからだ」
「……嘘つき」
周囲が少し和んだ。
その空気の変化を、田中が見ていた。
「……報告があります」
田中が来た。声が少し低かった。
「例の青年が、戦闘中に動いた。別のプレイヤーをボスの方向に誘導していた。意図的かどうかは証明できないが、接触されたのはその誘導に乗ったプレイヤーだった」
「そのプレイヤーのLVRは」
「……だいぶ削れた。でも、消えていない」
「明日の審判フェイズで、白黒をつける」
「……そうします」
◆
その夜、戦闘後の広場で、ここながユリアに話しかけた。
聖夜は少し離れて、でも聞こえる場所にいた。
「……ユリア、話していいですか」
「はい」
「……うち、聖夜のことが好き。正式に言いたかった」
「……聞いています」
「断られたら諦める。でも、言わないといられなかった」
「断りません」
「……え」
「あなたが本物の感情を持っているのは、今日の戦闘で見ました。あの感情が本物なら、あなたがそれを向ける相手を私が否定する理由がありません」
「……それって、承認してくれるってこと?」
「正式な承認は、もう少し話してから。でも、拒否はしません」
ここなが、少し泣きそうな顔をした。
「……うち、緊張した。断られると思ってた」
「私は嘘をつきません。本物なら受け取ります」
「……ユリアって、本当に、すごい人だね」
「……あなたも、すごい人です。今日、見ていました」
――何かが、微かに笑った気がした。
◆◆◆
【第二層 4日目 夕刻】
【HP:64/100】【LVR:68】
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