第11話 廃都市の奥・見えない敵の匂い
桐島がいない。
それを実感したのは、翌朝最初の一歩を踏み出した時だった。
建物の外に出る。霧が漂っている。前方に廃墟が広がっている。いつもなら桐島が両手を広げて「今は静かです」と言っていた。今は誰も言わない。
聖夜は自分の五感を研ぎ澄ませた。
耳を澄ます。風の向きを読む。地面の感触を確かめる。
(……桐島がどれだけ俺たちの目になっていたか)
今更わかっても遅い。でも、わかった以上、次に活かすしかない。
「三人で動きます」
ユリアが言った。声は平静だった。でも、いつもより周囲への注意が増していた。視線の動き方が違う。
美羽が地図を広げた。昨日の夜のうちに、廃都市の地形を紙に書き起こしていた。
「……地盤が安定しているルートを確認しました。ここからここを通り、西側に回ります。東はモンスターの巣がある可能性が高いので避けます」
「よくまとめた」
「……勉強をしていると、こういう作業に慣れます」
「お前の勉強は、こういう場所で生きるな」
美羽が少し間を置いた。
「……ありがとうございます。でも、もっと役に立てることがあるはずです」
「たとえば」
「……廃都市の建物の構造から、内部のモンスターの密度を推測できるかもしれません。開口部の多い建物は視覚タイプが潜みやすく、閉じた構造の建物は振動タイプが好む傾向があると思います。第一層の腐食の森番が振動感知だったように」
「それは使える。動きながら分析を続けてくれ」
「はい」
◆
午前中、西側のエリアを探索した。
美羽の分析が機能した。
開口部の少ない石造りの建物は避けた。理由は説明できない。ただ、何かがいる気配がある。
開口部の多い建物の周辺を通過した。中に何かがいたが、こちらに気づかなかった。
「……正解でした」
美羽が言った。
「どうやって判断した」
「あの建物の外壁に、爪の跡がありませんでした。爪の跡がないということは、外に出る習性がない。つまり内部に閉じこもるタイプです。そういうタイプは、外の振動に鈍感な可能性があります」
「……なるほど」
「仮説ですが。今後も検証できます」
ユリアが静かに言った。
「美羽さんの観察が、桐島さんの感知の代わりになる部分があります。完全ではありませんが、補完できます」
「そう言ってもらえると助かります」
◆
昼頃、見知らぬプレイヤーが一人、向こうから歩いてきた。
二十代前半の男。清潔感がある。装備が整っている。消耗が少ない。
(……昨日断った男とは別人だ。でも、似た雰囲気がある)
「……ちょっといいか」
「何を」
「一人になってしまった。合流させてほしい」
聖夜は男を見た。
「スキルは」
「索敵系だ」
聖夜は少し間を置いた。
「……昨日、同じことを言った男が来た。断った」
「俺は別人だ」
「わかってる。でも、索敵系の一人が昨日来て、今日も索敵系の一人が来た。偶然にしては重なりすぎる」
「……俺が何かしたか」
「していない。でも、今は受け入れられない」
男が少し考えた。
「……判断基準を教えてくれ。何があれば受け入れる?」
聖夜は、その質問が気に入った。
追い返そうとせず、条件を聞いた。素直な反応だった。
「……今夜、一緒に食事をしろ。それだけだ」
「食事?」
「食事の間、話を聞く。それで判断する」
男が少し間を置いた。
「……わかった」
◆
夜、男が来た。
話を聞いた。
出身地、このゲームに入ることになった経緯、第一層をどう過ごしたか。
矛盾がなかった。
第一層での話に、細かいリアリティがあった。特定のモンスターの臭いの話、地面の湿り具合の話。経験した人間しか知らない種類の細部だった。
「……お前、本物のプレイヤーだな」
「当たり前だろ」
「当たり前じゃない場合があるから確認した」
男が少し顔色を変えた。
「……サクラがいるのか」
「いる可能性がある」
「……怖いな」
「そうだ。だから慎重にしている」
男が少し黙った。
「……俺、合格か」
「合格だ。ただし、何かおかしいと感じたら即座に教えてくれ。索敵系スキルなら、普通じゃない動きを察知できるはずだ」
「わかった」
五人になった。
◆
その夜遅く、拠点に別の情報が入ってきた。
足を怪我した男のグループから、女が一人来た。三十代、落ち着いた顔をしていた。
「……相談がある」
「聞く」
「うちらのグループに、昨日から新しい男が一人加わった。聖夜たちが断った男だ」
「知ってる」
「……あの男が来てから、グループの空気が変わった。誰かが誰かを疑い始めている。昨夜、小さな口論があった」
「何が原因だった」
「……あの男が、何気ない会話の中で、プレイヤー同士の信頼を少しずつ崩すようなことを言っていた。直接的な嘘ではない。でも、受け取り方によって疑惑になる言葉を使う」
聖夜はそれを聞いた。
(……巧みだ。直接嘘をつかない。解釈の余地を残した言葉で、じわじわと空気を変える)
「……お前は、なぜ俺たちに話しに来た?」
「あなたたちがあの男を断った理由を知りたかった。そして、あなたたちの判断が正しかったかどうか確かめたかった」
「正しかったと思う。ただ、証拠はない」
「……それだけでも十分だ」
女が立ち上がった。
「……うちのグループに戻る。みんなに伝える」
「気をつけろ。あの男は、仲間を疑いにくい形で動く。明確な証拠を出させるのが難しい」
「……わかった」
◆
女が去ってから、ここなが言った。
「……ねえ」
「何を」
「うち、あの男の動き方、知ってる。リアルでも同じタイプが学校にいた」
「どんなタイプだ」
「……直接何もしないの。でも、少しずつ空気を変えて、最終的に誰かを追い詰める。一番たちが悪いタイプだよ」
「経験があるのか」
「うちじゃなくて、友達が。クラスで孤立させられた。誰が何をしたってわからないまま、自然に弾かれていく感じ」
ここなの声が、少し低くなった。
「うちはその時、止められなかった。何もできなかった。だから、今回は止めたい」
「止める方法はあるか」
「……あの男が何を目的にしているかを、先に明確にすること。曖昧なまま動かせない状況に追い込む」
聖夜は少し考えた。
「……お前、リアルでも同じことを考えていたんじゃないか」
「考えてたよ。でも、できなかった。あの時は、うちにはそんな力がなかった」
「今はあるか」
ここなが少し間を置いた。
「……うちのスキルは、感情を読む。あの男が計算で動いているなら、感情の本物と嘘の境目が読めるかもしれない」
「試せるか」
「試してみる。失敗するかもしれないけど」
「失敗してもいい。やってみろ」
ここなが少し驚いた顔をした。
「……失敗していいの?」
「失敗したら次の方法を考える。それだけだ」
「……うち、そういうこと言ってもらったの初めてかも」
「陽キャはそういうのを言わないのか」
「陽キャは失敗を許さない空気があるんだよ。なんかいつも明るくうまくやらなきゃいけないっていう」
「……それは、きつそうだな」
「きついよ」
ここなが、少し笑った。今日は目も笑っていた。
――何かが、微かに笑った気がした。
◆◆◆
【第二層 4日目 深夜】
【HP:74/100】【LVR:61】
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