第9話 絶望の底・次の世界が待っている
光が消えた時、聖夜は見知らぬ場所に立っていた。
廃墟だった。
かつて都市だったらしい建物の残骸が、霧の中に広がっている。石造りの壁、崩れた柱、蔓草に覆われた瓦礫。足元は石畳で、その間から雑草が生えていた。
空は、やはり赤黒かった。
本物の空じゃない。
【HP:74/100】【LVR:87】
転送の間にLVRが少し削れた。89が87になっていた。
周囲を確認した。ユリアがいる。美羽がいる。桐島がいる。四人全員が転送されていた。
「……第二層ですか」
美羽が呟いた。眼鏡が霧で曇っている。
「たぶん」
「……廃都市、ですね」
「見ての通りだ」
少し離れたところで、別のプレイヤーたちも立ち上がっていた。
第一層を生き延びた六十一人が、それぞれに廃都市の中に転送されていた。
機械音声が響いた。
『第二層へようこそ。生存者は六十一名です。本層の特性として、LVRの時間減衰速度が全プレイヤー一時間あたり七に変更されます』
(上がった)
一時間で七。聖夜は倍速だから一時間で十四になる。
「……ペースが上がりました」
ユリアが静かに言った。
「わかってる」
「さらに、第二層では追加ルールがあります」
機械音声が続いた。
『本層クリアの追加条件として、四十八時間以内に全プレイヤーが誰かへの告白を完了すること。未達成の場合、全プレイヤーのLVRが三十差し引かれます』
廃都市の中に、うめき声が広がった。
「告白……また恋愛ショーか」
「四十八時間って短すぎだろ」
「誰にでも言えばいいのか?」
◆
聖夜は黙っていた。
(感情が本物かどうか、システムは見ている)
計算の告白では効果が薄い。それは第一層で嫌というほど見てきた。
あのキスのペアが+5で終わった理由を、今は完全に理解している。
「作れる」のではなく、「すでにある」ものが問われる。
「……桐島」
「はい」
「四十八時間で誰かに告白しなければならない。心当たりはあるか」
桐島が少し黙った。
膝を抱えて、廃都市の瓦礫を見ていた。
「……わかりません。でも、一つだけ」
「聞く」
「……聖夜さんに、感謝を伝えたいと思っています。告白というのとは違うかもしれませんが、お礼を言いたい、という感情は本物です」
「感謝を伝えることが、システム的に有効かどうかはわからない」
「……わかっています。でも、有効かどうかより、言いたいから言いたいです」
聖夜は少し黙った。
「……お前らしい答えだ」
「そうですか」
「第二層が終わったら言え。今は言うな」
「なぜですか」
「今言うと、そこで終わる。言うタイミングがある」
桐島が首を傾けた。
「……よくわかりませんが、わかりました」
◆
廃都市を歩き始めた。
建物の陰に隠れながら、周囲の構造を把握していく。
第一層の森と違って、視界は開けている。でも、それはモンスターからも見えることを意味する。
桐島が両手を広げた。
「……中に、いくつか気配があります。建物の中に潜んでいるタイプです。動きが速い。第一層の獣とは違います」
「どう違う」
「……第一層のは、振動と音で動いていた。こっちは視覚と嗅覚で動いている気がします。動き方が全然違う。素早くて、判断が速い」
「隠れながら動ければいいのか」
「……隠れるより、匂いを消す方法があれば」
「そんな方法はないな」
「……ですよね」
美羽が静かに言った。
「動体視力型なら、静止していれば認識されにくいかもしれません。視覚で捉えるということは、動いている物体を追う設計のはずです」
「……なぜそれを」
「勉強をしていると、視覚の仕組みを学ぶ機会があります。VRのモンスターが生物の設計を踏襲しているなら、という仮説ですが」
ユリアが静かに頷いた。
「試す価値があります。いざとなれば静止する。それを全員で共有しておきます」
四人で廃都市に入った。
◆
一時間ほど歩いて、廃墟の一角に文字を見つけた。
壁に、荒く書かれた文字があった。
『誰も信じるな』
その下に、別の字で。
『助けを求めるな 罠だ』
さらに下に。
『〇〇は仕込みだ』
名前の部分は、消されていた。塗りつぶされていた。
「……誰かが消した」
桐島が呟いた。
「ああ」
「……仕込み、というのは」
「サクラだ。ゲームの中に、最初から運営側の人間が紛れ込んでいる可能性がある。プレイヤーに見えて、その実、ゲームを荒らす役割を持つやつが」
美羽が文字を見つめていた。
「……わたくしも、疑われますか」
「疑わない」
「でも、可能性はゼロじゃないですよね」
「廃墟の陰で一人で震えていたやつが、仕込みである必要はない。仕込みなら、もっとうまく動く」
美羽が少し黙った。
「……それは、わたくしが不器用だということですね」
「そうだ」
「……褒められてないですね」
「褒めてない」
美羽が、眼鏡の奥で少し表情を動かした。
笑ったわけではない。でも、顔の固さが少し溶けた。
「……信じてくれて、ありがとうございます」
「お礼を言うのは第二層が終わってからにしろ」
「……なぜですか」
「縁起が悪い」
◆
夜になった。
廃都市の建物の一角に身を潜めた。
屋根のない石の部屋。でも壁があるだけで風が遮られる。
四人が壁に背を預けて座った。
聖夜はLVRを確認した。
【LVR:72】
第二層に入って数時間。減衰が速くなった分、思ったより削れている。
桐島のLVRは六十一。美羽は五十二。ユリアは高い。
(……四十八時間以内に全員が告白を完了しなければ、全体−30)
計算していた。でも計算すればするほど、気持ちが重くなった。
告白は計算でするものじゃない。でも、時間制限がある。
「……変なゲームだな」
思わず声に出た。
「何がですか」
美羽が聞いた。
「感情は計算でできないのに、時間制限がある。計算しろということなのか、本物を出せということなのか、どちらかわからない」
「……どちらもだと思います」
「どういう意味だ」
「計算では届かないと知りながら、それでも時間内に本物を出せるかどうかを試している。余裕がある状態では出せない感情を、プレッシャーで引き出そうとしているんだと思います」
聖夜は少し考えた。
「……それは理にかなってる」
「あのゲームマスターは、残酷ですが頭がいいと思います」
「同意する」
ユリアが静かに言った。
「感情は追い詰められた時に本物が出る。それを設計の中に組み込んでいます。あの声は、ゲームを楽しんでいますが、感情の仕組みを深く理解しています」
「……怖いな」
「はい。でも」
ユリアが聖夜を見た。
「理解していても、制御できない感情があります。それが、あなたにはある」
「俺に?」
「はい。あなたが誰かを守ろうとする衝動は、あの声にも制御できないと思います。だから『面白い』と言ったんだと思います」
聖夜は黙った。
◆
深夜、廃都市の向こうで声がした。
獣のものではない。人の声に似ていた。
桐島が耳を澄ませた。
両手を広げて、音の方向を読んでいる。
「……別のグループが、何かに追われています。東の方向。建物の中です」
「近づいてるか」
「……向こうが向かってきています。逃げながら、こちらに」
聖夜は立ち上がりかけた。
ユリアの手が、腕に触れた。
止めたのではない。確認するように触れた。
「……行くか、行かないか」
「……」
聖夜は、声がしている方向を見た。
(行けば戦力が分散する。廃都市のモンスターを引き連れてくるかもしれない。四人の安全が崩れる)
(でも)
「桐島、向こうの人数は」
「……四人か五人だと思います。一人、動けない人間がいるようです。引きずられている感じがします」
聖夜は判断した。
「迎えに行く。追われているモンスターを先にユリアが処理する。桐島は後方の感知を続けろ。美羽は俺の横にいろ」
「……わかりました」
四人で動いた。
三分後、別のグループと合流した。
五人組だった。一人が足を引きずっている。建物の陰で追い詰められていた。
ユリアが前に出た。
追ってきていたモンスター二頭を、素早く凍結で処理した。
別のグループのリーダーらしき男が、息を荒らしながら言った。
「……助かった。お前らか、さっきの審判で動いてたのは」
「そうだ」
「……借りができた」
「借りはいらない。ただ、この廃都市を知ってる情報があれば教えてくれ」
男が頷いた。
「北に、無傷の建物が一棟ある。壁も屋根も完全な状態だ。そこが今のところ一番安全な場所だと思う」
「わかった。一緒に来るか」
「……ああ」
六人が増えて、十人になった。
◆
北の建物に辿り着いた頃、夜が深まっていた。
屋根がある。壁が完全だ。第二層に入って初めて、雨風を完全に遮れる場所だった。
十人が思い思いに壁に寄りかかった。
聖夜はLVRを確認した。
【LVR:68】
今日だけで19削れた。減衰速度が上がっているから、明日も同じペースで消える。
告白タイムまで残り約四十時間。
(……ユリアとのことは、何度でも言う。計算じゃないから、何度でも本物が出る)
それはわかっている。
でも、桐島と美羽はどうするか。
聖夜はユリアを見た。
ユリアは目を閉じていた。でも、眠っていない。聖夜の視線に気づいて、少し目を開けた。
「……考えすぎています」
「そうか」
「今日は生き延びました。それで十分です」
「十分じゃない。明日のことを考えなければ」
「明日は明日考えます」
「……お前、意外と今日を生きるタイプだな」
「記憶がないので、先を考える材料がありません」
聖夜は少し笑った。
久しぶりに、本当に笑った気がした。
「……そうか」
ユリアが、ほんの少し口角を上げた。
笑顔、と呼ぶには控えめだったが、確かにそれだった。
桐島が目を閉じたまま言った。
「……今日、助けに行って、よかったと思います」
「なぜ」
「……あの五人が、また誰かを助けるかもしれないから。連鎖するかもしれないから」
「計算か」
「……半分計算で、半分は、一人で震えていたわたくしが助けてもらったから、という気持ちです」
美羽が静かに言った。
桐島ではなく、美羽が言った。
「……わたくしも、誰かを助けたいという気持ちが、少しあります。それが本物かどうか、まだわかりませんが」
「本物だ」
「どうしてわかるんですか」
「本物かどうかわからないと言いながら言ってる時点で、本物だ。計算なら、わからないとは言わない」
美羽が黙った。
廃都市の夜が、静かに更けていった。
――その音を、遠い場所の何かが聞き届けた。
◆◆◆
【第二層 1日目 深夜】
【HP:74/100】【LVR:68】
【告白タイム残り:約38時間】
【仮拠点:北の完全建物】【行動人数:10名】
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