第25話 この人のためなら、自分など何だと言うのか
身体が動かない。
レンの身体に覆い被さったまま、全身の力が抜けていく。
「エリンさん……逃げましょう……エリンさんってばぁ……。」
レンの涙に濡れた声が聞こえる。
ごめんね、レン。
せめて、貴女だけは守るから。
「フェンリル・テネブラ」という巨大な魔物が近づいてくる。
私達に手を向けているのが見えた。
「嫌だぁ……エリンさんを守るんだ……。」
……こんな状況になっても、レンは私の身を案じている。なのに私の身体は動かない。まるで呪いにあったかのように。
「……暴露≪リヴィール≫!」
レンが唱えた。
あれほど苦しんでいた魔法を使うことを、躊躇いなく解放した。
フェンリル・テネブラの右手が光る。
「メ、タトロン」
「応報!」
大地を揺るがすほどの強力な攻撃魔法に対し、レンはカウンターの魔法を返そうと右手を天に伸ばす。
だが……。
「うぐぅぅ!」
あまりの魔力に全て吸収しきれず、レンの右手が震えている。
「うぁ……!?だ、め……!」
「レ、ン……?」
私はかろうじて瞼を開いた。
「わああぁぁぁ!!」
レンの右腕がバキバキと音を立てて捻じれた。
折れた関節から血が噴き出し、破壊された腕は力なく地面に落ちた……。
「レン……!ああ……。」
「ううぅ……い、嫌だ……エ、リンさん……」
「レ、レン姐さん!この野郎が!」
ボーンズが槍を構えた。槍先は金色の光を放っている。
「サリー!全力で頼む!審判≪ジャッジメント≫!」
槍先から放たれた光がフェンリル・テネブラを直撃した。
しかし、微動だにしない。
「くそっ!くそぉっ!」
ボーンズは再度槍を構えるが、フェンリル・テネブラが腕を払うと、地面が割れ、岩が降ってきた。
「ぐぁぁ!」
「ボーンズ、さん……!サリーさん……!」
虚ろな目で荒い呼吸を繰り返すレンを見て、私の頭にまた声が響く。
お前は決して幸福になれない。
フェンリル・テネブラが残酷にも手を伸ばす。
レンが左手を天に伸ばした。
「だめ……レン。お願い。」
どうして?
私の身体は壊れても治る。
でも、貴女は違う。
どうして私を守ろうとするの?
私の腕の中で壊れていくなんて、そんなの絶対にあってはならないのに。
「メタ、トロン」
「迅雷≪イル・スパイラル≫!」
レンの左手から放たれた、らせん状の魔力の渦がフェンリル・テネブラに向かっていく。
しかし、威力の差は歴然だった。
メタトロンとぶつかり、迅雷≪イル・スパイラル≫は押し戻される。
「うううぅぅぅ……!」
「レン、お願いだから……やめて。」
メタトロンが眼前まで近づく。
その圧力に、私の身体は瞑れてしまいそうだった。
「消えて!」
レンが左手を薙ぐと、らせん状の魔力がメタトロンを包み、軌道をずらした。
二度も魔法の直撃を避けたのだ。
私が立つことができれば逃げられたかもしれないのに。
でも……。
「……う、う……」
レンの左腕は、メタトロンの圧力でひしゃげていた。
指先や肘が折れ曲がり、地面に力なく付した。
見たくない。
大切なレンが、私の大切な人が壊れていく。
私の、私のせいで。
お前は大切なものを手に入れることはできない。
「エリン……さん……。」
激痛に耐えながら、レンが身体を震わせる。
お前は永遠に一人。
レンと間近で目が合う。美しい瞳には弱弱しい光が浮かんでいた。
愛する人は消える。
「ごめん……なさい。」
どうして謝るの?
「ま、守ってあげ、られなくて……。」
レンはぽろぽろと涙を流した。身体から力が抜けていく。
「レン……ッ!」
命を懸けるということは、どういうことなのか。
私なんかを助けるために、この少女は命を捧げ、守れないと涙まで流す。
この人のためなら、自分など何だと言うのか。
お前は全てを失うべき。
「があああああ!!」
悪夢を振り払うように、心臓の奥から叫び声を上げる。
「エ、リンさん……。」
悪夢など、使命など、運命など。
世界で、この世に生まれた全ての中で、たった一人の私の大切な人の前では、何と小さなことか。
「レン!ごめんね!ごめんねぇ!」
涙が両頬を伝い、レンの頬に落ちる。
「エリン、さん……良かった。逃げて……。」
キラーバッドを持って、立ち上がる。
身体中にマナが宿る感覚があった。
「あれ……?」
レンが虚ろな目で呟いた。
「エリンさん、光ってる……?」
許せない。許せない。
魔物も、弱い私も、こんな運命を与えた神も。
レンを傷つける奴ら全て。
その能力を本能的に察した。
何が起こるかは分からない。だが、「使い方」は分かっていた。
「メタ、ト、ロン」
隕石でも降るような、凄まじい魔力が空から落ちてくる。
「逃げて……エリンさん……」
「エリン、姐さん……!」
逃げないよ。
大地が揺れ、私達のいた斜面は辺り一帯が吹き飛んだ。
星が落ちたような巨大なクレーターが生まれ、周辺一帯の岩は全て砂に還った。
そこに生きている者はいない。
……はずだった。
「あ、あれ?」
ボーンズは辺りを見回す。
見覚えのある場所だった。フェンリル・テネブラが「出現した場所」だ。
今はフェンリル・テネブラの後ろにいる。
「う……エリンさん、どこ……?」
岩陰でレンが薄ら目を開ける。
私はぎゅっとレンを抱きしめて耳元でささやいた。
「治癒魔法、使える?腕を治せる?」
レンがこくりと頷く。
「もう大丈夫だから。……本当に大好き。」
安心させるために頬を手で撫でる。
レンが泣きながら笑った。
私はレンを寝かせ、フェンリル・テネブラに向かって飛び出した。
「なるほど。鑑定≪アプレイズ≫」
冷静に、私自身の能力を見る。
○エリン
・職業:アタッカー
・レベル:4
・物理:6005
・防御:5
・体力:5
・魔力:0
・速度:5
・特殊能力:不死
― 死ぬことがない。肉体がどれだけ破壊されても回復する
草鑑
― 草の種類・性質・味などを見分けることができる
破綻感覚
― 脆い箇所や壊れそうなものを見抜くことができる
鑑定≪アプレイズ≫
― 対象の能力を調べることができる。
回帰≪リグレッション≫←NEW
― 対象を過去の場所や状態に戻す。戻す時点は選択可能。
ただし生物を過去の状態には戻せない。片付けなどに便利。
「ははっ。ここに来て、また大した能力じゃないとか。よっぽど神様は意地悪だよ。」
私は「竜脈草」を煎じたお湯を一気に飲み干した。通常の人間なら臓器への負担が大きくて即死するくらいの量だ。
でも、私の場合はそうはならない。
身体中が熱を持ち、心臓が脈を打つが、死ぬことはない。
フェンリル・テネブラが振り返る。
突然眼前から消え、後方から現れるなんて思ってもいないだろう。
急激に高められた身体能力により、フェンリル・テネブラの真下まで一気に詰める。
そのままキラーバッドを振るい、斬りつける。
しかし、あまりダメージは大きくない。
「そうか。そうだよね。」
フェンリル・テネブラが叫び声を上げて、私に手を向ける。
「そうはさせるか!」
このまま魔法を使われては、レン達が巻き込まれる可能性がある。
私は「回帰≪リグレッション≫」で、フェンリル・テネブラの後方、メタトロンで砕かれたポイントに「戻った」。
私はキラーバッドを撫でた。
「戻るよ。「あの時」に。」
アルテマとサリサを救った時。レンが魔力を解放してくれたキラーバッドの真の力を。
あの瞬間に。
「いけええええ!」
キラーバッドから強大な魔力が放たれる。
そのまま猛スピードで飛び上がった。
フェンリル・テネブラが私に手を向けて魔法を放とうとする。
しかし、その瞬間、地面に衝撃が走り、態勢が傾いた。
「へっ!図体でかけりゃいいってもんじゃねえっスよ!」
ボーンズの魔槍術が、フェンリル・テネブラの足元を崩していた。
手に集まっていた魔力が離散する。
私は一気に距離を詰めた。
何故逆らう。愚かな者よ。
頭の中に響く声も、今は聞こえない。
「邪魔だ!」
振りかぶったキラーバッドを思い切り振り下ろす。
巨大な光が、フェンリル・テネブラを両断した。
「コオオオオ、ォォォォ……」
唸り声をあげ、その形を失っていく。
天まで届く巨大な魔物は崩れ去り、割れた地面に消えていった。
「や、やった!エリン姐さん。すげえ……!」
ボーンズが槍を支えにして立ち上がった。
「レン!」
私は岩陰にいるレンの元に走った。
「良かった……エリンさん、ご無事で……。」
弱弱しくも、柔らかい声が聞こえた。
薄らとレンの身体を治癒魔法の優しい光が包んでいる。砕かれた両腕は、徐々に回復しつつあった。
「ごめんね、ほんとにごめんねぇ……。私が、弱かったせいで……。」
あまりに痛々しいレンの姿を見て涙が溢れた。
レンは首を横に振った。
「エリンさんが助けてくれたんです。」
「違うよ、レン……あいつはきっと、私に向けられた魔物なんだよ。」
強くなりたいと思ったこと、その瞬間頭の中に声が響いたこと、私を追い詰めるようなことを言い、そして、あの魔物が現れたこと。
それをレンとボーンズに話した。
「これまで私の頭に響く声は前世の記憶だと思っていた。でも、今日は違う。おそらく、神のようなものだった。」
「それって、姐さんの使命とやらに関係してんスかね。」
「分からない。「罪を償え」と言っていた。その後、急に身体中の力を失ったんだ。」
「どうして、そんなことを……。」
「多分、大切な物を奪おうとしたんだ。」
レンを真っ直ぐに見つめる。
「私が、前世で何かをしたのか、その贖罪のために大切な人を奪おうとした。私を無力化してレンを……。」
そこまで言って気づいた。このまま私と居るとレンに危険が及ぶ可能性があるということに。
「ごめんね……レン。私……。」
「エリンさん。」
レンの右手がそっと私の頬に添えられた。
「右手……。」
「もう治りました。」
にこっと笑って見せる。まだまだ辛いはずなのに。胸が締め付けられるように痛い。
「ほら、私、ちょっと魔法がうまくなりましたよ。」
「全然ちょっとじゃないっスよ~!あのバケモンの魔法2回も防いだんスから!」
ボーンズも笑っている。
二人とも、傷だらけなのに。
「私、幸せです。」
「レン……。」
「エリンさんと一緒に居ることができて、本当に幸せなんです。」
「そうそう。きっと、エリン姐さんは人を惹きつける力があるんスよ。」
大切な仲間だ。
「ありがとう……。」
涙が溢れる。
「ボーンズ、サリーさんも、助かったよ。」
「いやあ、魔槍術が全く効かないから、ああするくらいしか出来なかったってのが本音っスけど。でも助けになってよかったっス。サリーは落ち込んじゃってますけどね。」
サリーはちょっと自信を失ったようでシュンとした仕草をした。
その姿に何だか救われた気持ちになった。
「ありがとう、皆。」
そして、あらためてレンと向き合う。
「私、どんな運命か分からないけど、絶対負けないよ。」
「はい、エリンさんなら大丈夫です!」
「だから、レン、ずっと傍にいて。」
レンの身体を抱きかかえた。
「わあ……。」
目と鼻の先にレンの顔がある。
視線が合った。
「ずっと大切にするから。」
「エリンさん……。」
「絶対守るから……。今日みたいな事があっても、次は絶対守って見せるから。」
あんな苦しそうなレンを見るのは、もう二度となくていい。
レンの人生に、あんな瞬間二度となくていい。
「だから、一緒にいて。」
レンの頬に、自分の頬を寄せる。
伝わる熱が何よりの誓いだった。
「私の方がずっと、ずっとエリンさんのこと大好きです……。」
レンがぽつりと呟いた。
「一緒にいたいです。ずっと……。」
ぎゅうっとレンがしがみついてくれた。
「うん。離さない。」
レンの身体を強く抱きしめた。
もう躊躇いはない。
私は運命になんて負けない。レンと一緒にずっと楽しく生きてやるんだ。
「なんか良いっスね。サリー。」
ボーンズとサリーは微笑みながら、二人を見守っていた。




