# 第4話 相棒、クリックを覚える
# 第4話 前書き
クリック。
たったそれだけの動作ですが、今のユウにとっては革命です。
今回は研究部を離れ、相棒同士の能力検証回。
果たしてクリックは成功するのでしょうか。
そしてコロンのデスクトップは整理されるのでしょうか。
たぶんされません。
# 第4話 相棒、クリックを覚える
結論から言うと、AI研究部で俺がその場で選択肢をクリックすることはなかった。
できなかった、ではない。
しなかった。
この違いは大きい。
あの部室には、謎の通知を一瞬で見抜く黒瀬部長と、人の照れを拾う七瀬先輩と、ログを取ろうとする白石レンがいた。
そんな三人の前で、俺が自力クリックなんてしたらどうなるか。
答えは簡単だ。
調査対象になる。
いや、すでになりかけている。
だから俺はじっとしていた。
カーソルも動かさず、ただのノートパソコンのふりをした。
転生してから一番まともそうで、一番意味不明な努力だった。
部会が終わるころには、夕方の光が部室の窓から斜めに入っていた。
「星宮、今日のテーマは悪くない。次回までに、相棒の定義を三つに分類してくるように」
「はい」
「それと、そのパソコンの不明な通知については」
「はい」
コロンの返事が、少し硬くなる。
やめて部長。
その話題に戻らないで。
「無理に調べない。ただし、変なアプリを入れていないかは確認しておけ」
「わかりました」
よかった。
それならまだ普通の注意だ。
普通の注意が、こんなにありがたいとは。
「コロンちゃん、相棒ガード固かったねえ」
七瀬先輩がにやにやしながら言った。
「ガードではないです。大事なので」
コロンは真面目に答えた。
やめて。
またそういうことを言う。
俺の内部温度が上がる。
ファンが唸ったら、黒瀬部長に「熱も記録すべきだ」と言われる。
「いいねえ。青春だねえ」
「パソコンとの青春とは」
黒瀬部長が首をかしげる。
「部長、そこは考えすぎると戻ってこられなくなるよ」
「AIと人間の関係性を考える上では重要な問いだ」
「戻ってこられなくなってる」
この研究部、帰り際まで濃い。
レンは黙って俺の画面をちらりと見た。
「……通知が出たら、スクショだけでも」
「だめです」
コロンが即答した。
二回目の即答。
レンは少し肩を落とした。
「わかりました」
その落ち込み方、研究対象を逃した研究者のそれだった。
俺は魚拓ではない。
「じゃあ、お疲れさまでした」
コロンは俺をそっと閉じた。
視界が暗くなる直前、七瀬先輩の声が聞こえた。
「コロンちゃん、相棒によろしくね」
「はい」
はい、じゃない。
俺によろしくされても返せない。
今はまだ。
画面が閉じる。
世界が暗くなる。
カバンの中へ。
またこの移動である。
帰り道の揺れは、朝より少し穏やかだった。
コロンが走っていないからだ。
人類の移動手段として、歩行は偉大である。
カバンの中は暗い。
だが、朝ほど不安ではなかった。
一度外へ出て、部室を見て、三人の部員を知って。
俺の世界は、確かに少し広がった。
閉じられた画面の外で、コロンが小さく話しかけてくる。
「ユウ、今日はごめんね。びっくりしたよね」
びっくりしました。
通知が勝手に出るし、レンくんには見られるし、部長には調子を疑われるし、七瀬先輩には青春扱いされるし。
情報量が多い。
「レンくん、悪い子じゃないんだけど、気になると止まらないんだ」
わかります。
技術者にはよくある症状です。
「部長も、ちょっと変だけど、ちゃんと考えてくれる人で」
ちょっと?
「ミオ先輩は、いつもからかうけど、優しいです」
それもわかる。
あの人は軽く見えて、コロンの逃げ道を作ってくれた。
「だから、研究部は好き」
コロンの声が、少しだけ柔らかくなった。
「でも今日は、ユウを連れていったから……いつもより、どきどきした」
俺もです。
主に正体バレの方向で。
「ユウがじっとしててくれて、助かった」
それはもう、全力でじっとしていました。
全身全霊の静止。
「ありがとう」
不意に、コロンが言った。
その声が、カバンの布越しに、妙に近く聞こえた。
ありがとう。
でも、俺の中のどこかにまっすぐ届いた。
俺は何か返したかった。
守ってくれてありがとう、とか。
けれど画面は閉じていて、カーソルもない。
クリックもできない。
俺はただ暗闇の中で、存在しない喉を詰まらせることしかできなかった。
照れている。
認めたくないが、たぶん照れている。
感情の逃げ場がなさすぎる。
顔の代わりにファンが回るの、本当にやめたい。
「……あれ、ちょっと温かい?」
コロンがカバンの外からつぶやいた。
やめて。
観察しないで。
俺は全力で平常運転を装った。
平常運転の装い方はわからない。
部屋に戻ると、コロンはまずカバンを机に置いた。
「ただいま、ユウ」
ファスナーが開く。
画面が持ち上がる。
視界が戻った。
夕方の部屋。朝に見たカーテン。少し散らかった机。夜空の壁紙。
妙に帰ってきた感じがした。
俺はカーソルを上下に動かした。
ただいま。
「ふふ。ただいまって言った?」
言いました。
たぶん。
コロンは椅子に座り、俺の画面を見つめた。
「じゃあ、今日の反省会をします」
反省会。
聞きすぎた単語だ。
俺は少し身構えた。
「まず、部室で通知が出たら、びっくりします」
はい。
同意です。
「次に、レンくんに見られると、たぶん危ないです」
はい。
白石レン、危険人物認定。
悪い子ではないが、ログを取ろうとする。
「あと、ユウがクリックできたの、すごいです」
そこだけ、コロンの声が明るくなった。
俺はカーソルを少し揺らした。
そう。
俺はクリックできた。
通知を閉じただけ。
それだけ。
だが、俺にとっては大事件だった。
カーソル移動しかできなかった世界に、初めて「押す」という行為が追加されたのだ。
「ちゃんと試してみてもいい?」
コロンの目が輝いている。
怖がらない。
むしろ検証したがる。
この子、本当にAI研究部だ。
俺はカーソルを上下に動かした。
YES。
「ありがとう。じゃあ、危なくない実験にします」
危なくない実験。
いい響きだ。
コロンはメモ帳を開いた。
`Click Lv1 検証`
タイトルを打つ。
その下に、
`1 通知を閉じる`
`2 ボタンを押す`
`3 ファイルを開く`
`4 変なことはしない`
と入力した。
四番。
四番が一番大事かもしれない。
「まずは、ボタンを押せるか試そう」
コロンは確認ウィンドウを表示するため、メモ帳を閉じようとした。
確認が出る。
`保存しますか?`
ボタンは三つ。
`保存する`
`保存しない`
`キャンセル`
「ユウ、保存する、押せる?」
俺はカーソルを動かした。
ゆっくり。
慎重に。
目標は`保存する`。
さっき部室で一回成功した。
感覚は残っている。
カーソルを合わせる。
そして、クリック。
カチッ。
ウィンドウが消えた。
メモ帳が保存される。
「できた!」
コロンが両手を小さく上げた。
俺も内心で両手を上げた。
手はない。
だが、心の中では万歳である。
できた。
ちゃんと押せた。
「すごい、ユウ。すごいよ」
やめて。
そんなにまっすぐ褒めないで。
ファンが回る。
回るな。
「じゃあ、次。ファイルを開けるか」
コロンはデスクトップに、さっき保存した`Click Lv1 検証.txt`を置いた。
「これ、ダブルクリックは難しいかな」
ダブルクリック。
来た。
シングルクリックを覚えたばかりの俺に、いきなり二連打。
運転免許を取った直後に峠を走れと言われている気分だ。
「無理だったら、ぐるぐるしてね」
コロンは優しい。
だが、その優しさに甘えていては成長できない。
俺はファイルアイコンにカーソルを合わせた。
一回目。
カチッ。
アイコンが選択状態になる。
二回目。
カチッ。
……少し遅かった。
開かない。
ただ、アイコンが選択されたまま沈黙している。
部屋も沈黙した。
「……選んだね」
はい。
選びました。
開いてはいません。
「選ぶのも大事」
コロンが真面目な顔で言った。
慰めが優しい。
だが、地味に刺さる。
俺は抗議のためにカーソルを小さく横に振った。
「違う? もう一回?」
YES。
今度こそ。
俺は集中した。
カチッ。
カチッ。
今度は速かった。
だが、カーソルがほんの少しズレていた。
隣のフォルダが開いた。
`課題_本当の最新版`
やってしまった。
「わっ」
コロンが声を上げる。
画面には、さらに大量のファイルが並んでいた。
`提出用`
`提出用_修正`
`提出用_修正2`
`提出用_今度こそ`
`提出用_これ`
`提出用_これ_本物`
俺は固まった。
怖い。
何が怖いって、このフォルダ構造が怖い。
見てはいけない深淵を見た気がする。
「そこは見ないで」
コロンが慌てて画面に手を伸ばした。
見えてます。
すでに見えてます。
「違うの。課題はちゃんと出したの。たぶん」
たぶん?
コロン、たぶんは危険です。
提出物におけるたぶんは危険です。
俺はカーソルをフォルダの閉じるボタンへ動かした。
ここは俺が閉じる。
カチッ。
閉じた。
「ありがとう……」
コロンが小さく言った。
その声が、少し恥ずかしそうだった。
俺はカーソルを画面端に逃がした。
「また逃げた」
逃げました。
今のありがとうは不意打ちです。
「ユウ、照れ屋さんだね」
違います。
いや、違わないかもしれない。
でも、今のは仕方ない。
ありがとう、と言われるたびに、俺の中の何かが変な挙動をする。
前世で感謝されることはあった。
でも、コロンの「ありがとう」は、もう少し近い。
画面越しなのに、近い。
近いのは顔だけにしてほしい。いや、顔も困る。
「次は、選択肢をクリックする実験にしよう」
コロンは気を取り直して、ブラウザで簡単なアンケートフォームのような画面を作った。
`今日のユウの気分は?`
選択肢が三つ並ぶ。
`うれしい`
`つかれた`
`おなかすいた`
待て。
三番。
おなかはない。
「おなかすいた?」
俺は即座に`おなかすいた`から離れた。
「そっか。おなかないもんね」
言い方。
事実だけど、改めて言われると切ない。
俺は`つかれた`へ向かった。
今日は部室で神経を使った。カバンで揺れた。クリックも練習した。
疲れた。
だが、途中でコロンの顔を見た。
期待している顔。
少し心配している顔。
俺は迷った。
`つかれた`と`うれしい`の間でカーソルがふらふらする。
「あ、迷ってる」
第2話でも聞いた言葉だ。
「どっちも?」
そう。
疲れた。
でも、うれしい。
俺は二つの選択肢の間を小さく行き来した。
コロンは少し考えて、選択肢を増やした。
`つかれたけどうれしい`
それです。
俺はそこへカーソルを合わせた。
クリック。
カチッ。
選択肢が選ばれる。
「つかれたけどうれしい」
コロンが読み上げて、ふわっと笑った。
「わたしも」
その一言で、俺は動けなくなった。
わたしも。
コロンも、疲れていたのか。
そりゃそうだ。
朝から未知の相棒を部室に連れていき、通知を誤魔化し、発表テーマを話し、帰ってきて検証までしている。
俺ばかり大変なわけではない。
コロンも、一緒に無理ゲーを攻略している。
「でも、今日は楽しかった」
コロンは画面に向かって言った。
「ユウがいてくれたから、部室でちょっと心強かった」
心強い。
俺が?
部室でじっとしていただけのノートパソコンが?
いや、でも。
彼女がそう感じたなら、少しは役に立てたのかもしれない。
俺はカーソルを`うれしい`の上に移動した。
そしてクリックした。
カチッ。
「うれしい、なんだ」
コロンの声がやわらかくなる。
俺はカーソルを小さく上下に動かした。
うれしいです。
かなり。
「そっか」
コロンは目を伏せて笑った。
夕方の光が、彼女の横顔に当たっている。
部室での外向きの顔とも、朝の寝起きの顔とも違う。
少し疲れていて。
でも、安心している顔。
俺は思った。
この表情を見られるのは、相棒の特権なのかもしれない。
いや、調子に乗るな天城ユウ。
クリック成功率はまだ怪しい。
「最後に、通知を閉じる練習をしよう」
コロンはそう言って、わざと小さな通知を表示した。
`検証用通知です。`
「これを閉じられたら、今日の実験は成功」
よし。
これは部室でやった。
同じことならできるはずだ。
俺はカーソルを通知へ動かした。
右上のバツ。
小さい。
相変わらず小さい。
開発者はなぜ、こういうボタンを小さくしたがるのか。
クリックする側が魂なら、小さいボタンはつらい。
魂でクリックするユーザーを想定しろ。
無理か。
カーソルがバツに重なる。
カチッ。
通知が消えた。
「成功!」
コロンが拍手した。
ぱちぱち、と小さな音が部屋に響く。
俺はカーソルをぐるぐる回した。
喜びの表現である。
「困ってるときだけじゃなくて、うれしいときもぐるぐるするんだ」
コロンがメモ帳に書く。
`ぐるぐる:困る、うれしい、照れる可能性`
待て。
最後。
照れる可能性って何。
俺はカーソルを横に振った。
「違う?」
違います。
「じゃあ、照れてない?」
俺は止まった。
しまった。
NOに行くべきか。
YESに行くべきか。
いや、照れていると認めたら負けだ。
だがNOに行くと嘘になる気もする。
カーソルが中途半端な位置で震える。
「迷ってる」
コロンが笑った。
「じゃあ、照れてるかは保留」
やめて。
俺の感情ステータスを保留にしないで。
彼女はメモ帳に、
`照れ:保留`
と書いた。
俺は抗議のために、保存ボタンへカーソルを動かした。
そしてクリック。
カチッ。
メモ帳が保存された。
「あ、保存した」
コロンが目を丸くする。
しまった。
抗議のつもりだったのに、証拠を残してしまった。
`照れ:保留`
保存済み。
最悪だ。
恥ずかしいログを自分で保存したようなものだ。
「ユウ、自分で保存できるんだね」
コロンは感心したように言った。
そこ?
もっと見るべき点がありますよね。
俺の尊厳とか。
「すごい。これなら、これから少しずつできることが増えるかも」
コロンの声が、少し弾んだ。
「でも、無理はしないでね」
その言葉で、俺のカーソルが止まった。
「今日、いっぱい頑張ってくれたから」
コロンは画面の端を、そっと撫でた。
あの妙な感覚が走る。
触れられたような、温かいような。
「ありがとう、ユウ」
二回目のありがとう。
俺は今度こそ、逃げなかった。
カーソルをゆっくり動かす。
メモ帳の空白へ。
文字は打てない。
まだ、テキスト入力はできない。
だから、代わりに画面の上で小さな円を描いた。
不格好な円。
第1話で、必死にSOSを伝えようとして描いた、あのぐるぐるに似ていた。
でも今度は、焦りではなかった。
ありがとう。
そう返したつもりだった。
コロンはじっと見て、やがて微笑んだ。
「どういたしまして、ってことにするね」
違う。
いや、近い。
近い。
この子は、俺のぐるぐるを読むのがうまい。
俺たちの会話は、まだ不便だ。
YESとNO。
カーソル移動。
小さなクリック。
ぐるぐる。
それだけ。
でも、それだけで今日、ずいぶん話せた気がした。
コロンはメモ帳の最後に、新しい行を追加した。
`今日できたこと`
`・ボタンを押せた`
`・通知を閉じられた`
`・ファイルを選べた`
`・隣のフォルダを開いた`
最後。
最後は失敗です。
「失敗も大事」
コロンが真面目に言う。
それはそうだが、`課題_本当の最新版`を開いた事故は残さないでほしい。
彼女はさらに一行、そっと書いた。
`・ユウと少し話せた`
俺は動けなかった。
話せた。
そうか。
これも、会話なのか。
声はない。
文字もまだ打てない。
それでもコロンは、話せたと言ってくれる。
俺は、もう一度カーソルを小さく上下に動かした。
はい。
話せました。
画面の右下に、黒い小さな通知が浮かんだのは、その直後だった。
またか。
俺とコロンは同時にそちらを見た。
白い文字。
`Click Lv1:正式解放`
`連続クリック精度:低`
`次候補:Drag Lv1 / Text Input Lv1`
ドラッグ。
テキスト入力。
俺は固まった。
できることが、また増えるかもしれない。
ファイルを動かせる。
文字を打てる。
いつか俺は、自分の言葉でコロンに返事ができるかもしれない。
コロンも通知を見つめていた。
「テキスト、入力……」
その声は、小さく震えていた。
怖さではない。
期待の震えだった。
俺も同じだった。
だが、通知の最後にもう一行が表示される。
`解放条件:未達成`
ですよね。
そんなに簡単にはいかない。
「未達成だって」
コロンは少し残念そうに笑った。
「じゃあ、今日はここまでかな」
俺はYESへカーソルを動かし、クリックした。
カチッ。
それは今日覚えたばかりの、小さな返事だった。
コロンは満足そうにうなずき、俺の画面を閉じる前に、そっと言った。
「おつかれさま、ユウ。明日もよろしくね」
俺はカーソルを動かした。
上へ。
下へ。
そして最後に、小さく一度だけクリックした。
カチッ。
意味なんてない。
ただのクリック音。
でもコロンは、ふふ、と笑った。
「うん。聞こえた」
画面が閉じる。
光が細くなる。
暗闇の中で、俺は思った。
カーソルだけだった俺は、今日、クリックを覚えた。
世界はまだ狭い。
できることも小さい。
でも、その小さなカチッという音だけで、彼女に少し近づけた気がした。
# 第4話 あとがき
第4話を読んでいただきありがとうございました。
クリック成功率はまだまだですが、ユウは確実に成長しています。
そしてコロンのフォルダ管理能力には、今後も期待できそうにありません。
次回は新たな目標。
文字入力です。
たった一文字でも打てれば、二人の世界は大きく変わります。
※提出用_これ_本物 は本当に本物なのでしょうか。




