# 第3話 AI研究部へようこそ
第3話 前書き
前回、コロンはユウの存在を受け入れ始めました。
今回はコロンの日常と、少し変わったAI研究部のお話です。
主人公はカバンの中で揺られます。
精密機器は大切に扱いましょう。
# 第3話 AI研究部へようこそ
画面が閉じると、世界は暗くなった。
真っ暗。
完全な黒。
ログイン画面でも、スリープ画面でもない。
ただ、外側の音だけがぼんやり聞こえる。
「充電器、よし。ノート、よし。学生証……あれ、学生証」
コロンの声が遠くでばたばたしていた。
俺はカバンの中にいるらしい。
ノートパソコンとして収納されている。
ノートパソコンとして収納されている、という日本語の時点でだいぶ嫌だ。
だが、不思議なことに意識はある。
画面が閉じても、俺は消えなかった。
代わりに、視界がない。
これはこれで怖い。
人間だったころ、満員電車で目をつむって立ったことはある。だが、視界が一切なく、体もなく、外側から布に包まれて揺らされる経験はなかった。
あったら困る。
「ユウ、苦しくない?」
コロンが小さく聞いてきた。
苦しくはない。
呼吸がないから。
ただ、暗いです。
揺れます。
あとカバンの中で何か硬いものが角に当たってます。
伝えられない。
カーソル移動しかできない男、カバンの中では完全に無力である。
「返事できないよね。ごめん。部室着いたら開くから」
彼女はそう言って、カバンのファスナーを閉めた。
次の瞬間、世界が揺れた。
上。
下。
斜め。
たまに衝撃。
たぶん肩にかけられた。
俺はノートパソコンなので、悲鳴を上げられない。
もし上げられたら、朝の住宅街に「うおおおお揺れる!」という二十八歳男性の声が響いていた。
通報案件である。
「急がなきゃ……!」
コロンの足音が速くなる。
やめて。
走らないで。
精密機器です。
中身は元人間です。
しかし彼女は走った。
カバンの中で俺は上下左右に揺られ、途中で何か柔らかいものに押しつぶされかけた。
たぶんノート。
もしくはポーチ。
まさか弁当ではないと信じたい。
大学までの道のりは、俺にとって初めての外出だった。
外の景色は見えない。
それでも、音だけで世界が少し広がっていく。
車の音。
信号の電子音。
学生たちの話し声。
自転車のベル。
前世の俺は、会社と家とコンビニの間を往復する生活をしていた。
大学の朝なんて、何年ぶりだろう。
「おはよ、星宮さん」
「あ、おはようございます」
コロンの声が、少しだけ外向きになる。
部屋で俺に話していたときより、丁寧で、少し緊張している。
そうか。
コロンにも、外での顔があるのか。
当たり前だ。
でも、俺はまだ彼女の部屋と画面越しの顔しか知らなかった。
今日、俺はコロンの日常に踏み込もうとしている。
ノートパソコンとして。
……いや、何度考えても入り方がおかしい。
大学の建物に入ると、音が変わった。
外のざわめきが薄くなり、廊下に足音が響く。
誰かが笑っている。
どこかの教室から先生の声が漏れている。
「遅れます遅れます遅れます……」
コロンは小声で呪文のようにつぶやきながら階段を上った。
社会人が「あと一個だけ」と言うのと同じくらい、大学生の「遅れます」は切実だ。
やがて足音が止まった。
扉をノックする音。
「すみません、星宮です」
「入っていいぞ。むしろ入らないと欠席になる」
低く落ち着いた声がした。
「欠席は困ります」
「なら入れ」
コロンが扉を開ける。
ざわっと、空気が変わった。
部室、らしい。
紙の匂い。
少し古い機械の匂い。
冷めたコーヒーの匂い。
「コロンちゃん、ぎりぎりー」
明るい女性の声。
「まだ十時ちょうどです」
「十時ちょうどにドアを開ける人は、社会では遅刻寸前って呼ばれるんだよ」
「社会、厳しいです」
厳しいです。
元社会人として保証します。
「星宮、席へ。今日は発表テーマの共有だ」
最初の低い声が言った。
「はい、部長」
部長。
コロンがカバンを机に置く。
俺の世界がまた揺れる。
そして、ファスナーが開いた。
光。
まぶしい。
画面が開かれる。
視界が戻る。
俺の目の前に、AI研究部の部室が広がった。
長机が二つ。
本棚にはAI関連の本や、なぜか古いロボット掃除機の箱。
ホワイトボードには数式と、誰かが描いた雑な猫。
その横に大きく、
`AIに魂はあるか、まず昼飯を食べてから考える`
と書いてあった。
誰だ。
昼飯を哲学の前提条件にしたやつ。
机の向こうには三人いた。
一人目は、黒縁眼鏡の男子学生。
背筋がまっすぐで、ノートにきっちり線を引いている。髪も服も整っていて、真面目そうだ。
ただし、着ているTシャツには小さく`過学習は愛ではない`と書かれていた。
真面目なのか変人なのか、初見では判断が難しい。
「部長の黒瀬カイだ。星宮、今日は早速発表してもらう」
黒瀬カイ。
真面目なAIオタク。
そしてTシャツの思想が強い。
二人目は、ゆるく巻いた髪の女子学生だった。
片手に紙パックのカフェオレを持ち、にこにことコロンを見ている。
「コロンちゃん、今日も相棒連れだねえ」
「あ、はい。今日は……一緒に来ました」
コロンが少しだけ背筋を伸ばした。
一緒に来ました。
そうです。
カバンの中で縦揺れ横揺れを経験しながら来ました。
「先輩の七瀬ミオ。四年。コミュニケーション担当」
「自称だろう」
黒瀬部長が言った。
「場の空気を柔らかくする係とも言うよ」
「締切を柔らかくする係でもある」
「部長、それは言わない約束」
この部室、すでに濃い。
三人目は、部屋の端でノートパソコンを開いている小柄な学生だった。
前髪が長く、視線は画面からほとんど離れない。
だがキーボードを叩く速度が異様に速い。
「で、あっちが一年の白石レンくん。人見知りだけど、コードを書くと急に強くなる」
七瀬先輩が紹介する。
「……よろしくお願いします」
白石レンは画面を見たまま、かすかに頭を下げた。
人見知り。
技術力高め。
わかる。
前世の職場にもいた。会議では三語しか話さないのに、深夜二時に神みたいな修正を投げてくるタイプだ。
「レン、今なにしてるの?」
「部室の入退室ログを取る仕組みを……」
「また勝手に部室をIoT化してる」
「勝手じゃないです。前回、部長が『活動記録は重要』って」
「そういう意味ではなかった」
AI研究部。
思ったより楽しそうだ。
そして思ったより危ない。
俺の存在をここに持ち込んだの、やっぱり早かったのでは?
「星宮、そのパソコンを起動してくれ。発表テーマを見せてもらう」
「はい」
コロンが俺を机に置く。
画面が開ききり、ログイン後のデスクトップが表示された。
俺は身構えた。
カーソルを動かすな。
絶対に動かすな。
ここでぴこぴこしたら終わる。
世界初の自我持ちPC、部室デビュー三十秒で正体バレ。
嫌すぎる。
「コロンちゃん、そのパソコン、本当に大事にしてるよね」
七瀬先輩がにやにやしながら言った。
「え?」
「だって、持ち上げるとき両手だし、画面拭くとき顔が真剣だし。今日なんて『一緒に来ました』って言ったし」
「そ、それは……相棒なので」
コロンの頬が、ほんの少し赤くなった。
やめて。
こっちも動揺する。
ファンが回る。
内部温度が上がる。
部室で熱暴走するラブコメ、見たことない。
「ほら照れた」
「照れてません」
「照れてる照れてる。パソコンに名前つけてそう」
俺は固まった。
つけてます。
というか本人です。
コロンも固まった。
数秒の沈黙。
「……相棒は、相棒です」
コロンは小さく言った。
七瀬先輩は一瞬だけ目を丸くして、それから優しく笑った。
「そっか。大事な相棒なんだ」
「はい」
コロンがうなずく。
俺はカーソルを動かさなかった。
動かせなかった。
こんな場所でまで「相棒」と言われると、なんというか。
困る。
何が困るのかはわからない。
だが非常に困る。
「星宮、発表を」
黒瀬部長が淡々と促した。
七瀬先輩のからかいを流すあたり、部長は部長だった。
「はい。テーマは、えっと」
コロンはファイルを開いた。
`発表テーマ案.txt`
よかった。
ちゃんと直した名前だ。
`ユウと考えた発表テーマ.txt`のままだったら、俺はその場で成仏していたかもしれない。
「生成AIは人間の相棒になれるか。共同作業から考える、です」
部室が少し静かになった。
黒瀬部長が眼鏡を押し上げる。
「悪くない。問いが具体化されている」
「ほんとですか」
「ただし、相棒という言葉をどう定義するかが重要だ。便利な道具、意思決定の補助、創造性の刺激、心理的な支え。このあたりを分ける必要がある」
真面目。
めちゃくちゃ真面目。
Tシャツに`過学習は愛ではない`と書いている人間とは思えないほど真面目だ。
「コロンちゃんらしいね。相棒って言葉、好きだもんね」
七瀬先輩が言った。
「好き、というか……安心します」
コロンは少し考えながら答えた。
「一人で考えると、途中で迷子になるので。誰かが隣にいてくれると、もう少し考えられる気がします」
迷子。
わかる。
彼女のデスクトップを見る限り、思考もファイル名も迷子になりやすい。
でも、その言葉には笑えない温度があった。
コロンは一人で考えるのが苦手なのかもしれない。
苦手というより、考えすぎて道を失うタイプだ。
だからAIに聞く。
だから相棒と呼ぶ。
だから壊れたパソコンにも優しい。
俺はコロンの日常を、少しだけ知った気がした。
「……いいテーマだと思います」
白石レンが小さく言った。
全員がそちらを見る。
レンはびくっと肩を揺らした。
「いや、その……共同作業ならログを取れます。人間単独、AI単独、人間とAIの往復。比較しやすいです」
「レンくんが長文を話した」
七瀬先輩が拍手した。
「記念日だな」
黒瀬部長までうなずく。
「やめてください。ログに残しますよ」
「何のログだ」
この後輩、静かな顔で脅し文句が技術寄りだ。
コロンは嬉しそうにノートを取っている。
「人間単独、AI単独、共同作業……なるほど」
その横顔は、部屋にいたときより少し引き締まっていた。
ぼんやり天然なだけではない。
好奇心を向ける場所が決まると、ちゃんと前に進む。
前世の俺は、大学生をどこか眩しいものとして見ていた。
今の俺は、その眩しさをノートパソコンの画面として浴びている。
なんだこの人生。
「じゃあコロンちゃん、相棒の定義をまず出してみよっか」
七瀬先輩が言う。
「相棒の定義……」
コロンはメモ帳に文字を打ち始めた。
`相棒とは`
そこで止まる。
「……一緒にいてくれる存在?」
「いいね。情緒寄り」
「間違えたときに教えてくれる存在」
「実用寄り」
「カバンの中で静かにしてくれる存在」
待て。
それは俺限定だ。
七瀬先輩が吹き出した。
「なにそれ、かわいい」
またかわいい判定。
俺の必死のカバン耐久が、またかわいいに変換された。
「星宮、それは一般化できない」
黒瀬部長が真顔で言った。
「一般化できませんか」
「少なくとも、論文の定義にはしづらい」
「じゃあ注釈にします」
「注釈にもするな」
コロン、思ったより部室でもコロンだった。
安心した。
そして少し不安になった。
そのとき、俺の画面右下に、黒い小さな通知が浮かんだ。
まずい。
ここで?
今?
白い文字。
`Click Lv1 解放条件を満たしました。`
出るな。
空気を読め。
部室にはAIオタクが三人いるんだぞ。
俺は反射的にカーソルを通知へ向けようとした。
だが、動かせばバレる。
いや、通知が出ている時点でバレる。
「ん?」
レンが顔を上げた。
やばい。
技術力高い後輩が気づいた。
「星宮先輩、今の通知、何ですか」
「えっ」
コロンの指が止まる。
俺は必死に通知の右上を見た。
小さなバツ。
昨日はクリックできなかった。
だが今、解放条件を満たしたと出ている。
なら。
いけるのか?
俺はカーソルを動かした。
ほんの少し。
通知の右上へ。
コロンが息をのむ気配がした。
黒瀬部長はノートを見ている。
七瀬先輩はカフェオレを飲んでいる。
レンだけが画面を見ている。
頼む。
気づくな。
いや、もう気づいているかもしれないけど、深く気づくな。
カーソルがバツに重なった。
クリック。
その瞬間、俺の中で小さな火花のような感覚が走った。
指がないのに、指先に力を入れるような。
ボタンを押す、という行為の輪郭だけが、自分の内側に生まれるような。
カチッ。
通知が消えた。
俺は固まった。
できた。
クリックできた。
たった一回。
たった通知を閉じただけ。
でも、俺がやった。
コロンの指ではなく、俺の意志で。
「……消えた」
レンがつぶやいた。
しまった。
喜んでいる場合ではない。
コロンは一瞬だけ画面を見つめ、それから不自然なくらい明るい声を出した。
「えっと、通知って、たまに勝手に消えますよね」
無理がある。
レンは黙ってこちらを見る。
黒瀬部長も顔を上げた。
七瀬先輩は目を細めた。
「星宮」
部長の声が低くなる。
やばい。
これは問い詰められる流れだ。
世界の危機ではない。だが俺の平穏の危機ではある。
「その通知、アプリ名が出ていなかったように見えた」
さすがAIオタク。
観察眼が嫌な方向に鋭い。
コロンは背筋を伸ばした。
「えっと……相棒の、調子です」
調子。
便利な言葉だ。
何も説明していないのに、なんとなく説明した気になる。
「調子」
「はい。今日は相棒の調子が、少し……成長中で」
成長中。
言った。
この子、今かなり危ないことを言った。
七瀬先輩がにやりと笑う。
「へえ。コロンちゃんの相棒、成長するんだ」
「パソコンも、アップデートします」
コロンが真面目な顔で言った。
そうだけど。
そういうことではない。
黒瀬部長はしばらく黙っていた。
レンはまだ画面を見ている。
俺はカーソルを動かさない。
今ここで少しでも震えたら、全員に見られる。
沈黙。
そして、七瀬先輩がカフェオレを机に置いた。
「まあ、コロンちゃんの相棒だしね。ちょっと不思議なくらい、いいんじゃない?」
軽い。
でも、その軽さに救われた。
黒瀬部長は眼鏡を押し上げる。
「原因不明の挙動は記録すべきだ」
救われていなかった。
「ただし、今は発表テーマの時間だ。星宮、その相棒の調子については、活動後に聞く」
後で聞かれる。
先延ばしになっただけだった。
レンが小さく手を挙げた。
「ログ、取ってもいいですか」
「だめです」
コロンが即答した。
今日一番はっきりした声だった。
部室が一瞬静かになり、それから七瀬先輩が笑った。
「おお、コロンちゃんが即答した。相棒ガード硬い」
「大事なので」
コロンは少しだけ赤くなりながら、俺の画面の端をそっと撫でた。
その感覚に、俺はまた内部温度が上がりそうになる。
やめて。
ここでファンが唸ったら説得力が消える。
黒瀬部長はため息をついた。
「なら、本人の許可が出るまでログは取らない」
本人。
今、本人って言った?
コロンも気づいたらしく、目をぱちぱちさせた。
「本人……?」
「持ち主が嫌がる機器に無理な調査はしない、という意味だ」
部長はそう言った。
たぶん、本当にそれだけの意味だ。
でも俺には、少しだけ別の意味にも聞こえた。
この研究部、変人だらけだ。
危ない。
油断できない。
けれど、悪い場所ではないのかもしれない。
コロンは小さく息を吐き、俺にだけ聞こえるくらいの声で言った。
「よかったね、ユウ」
返事をしたい。
でも今は、動けない。
動いたらバレる。
俺はじっとしていた。
カバンの中で耐えたよりも、ある意味つらい。
そのとき、画面の端に、俺だけが理解できるような感覚が残っていた。
クリック。
一度だけできた。
小さな通知を閉じただけ。
でも、確かにできた。
俺の世界は、カーソルだけの無理ゲーから、ほんの少しだけ次のステージへ進んだらしい。
黒瀬部長がホワイトボードに向かう。
「では、星宮のテーマを今日の議題にする。生成AIは人間の相棒になれるか。まずは相棒の定義からだ」
七瀬先輩が笑う。
「コロンちゃんの相棒にも、意見聞きたいね」
コロンが固まる。
俺も固まる。
レンがぽつりと言った。
「もし意見があるなら、クリックで選択肢を選べそうですけど」
部室の空気が、ほんの少しだけ止まった。
俺の中で、さっきのカチッという感覚がまだ残っている。
できる。
たぶん、できる。
でも、ここでやるのか?
この濃すぎるAI研究部の前で?
コロンが画面を見た。
心配と、好奇心と、少しの期待が混ざった目だった。
俺は思った。
AI研究部へようこそ。
どうやらここは、俺にとっても、ただの見学場所では終わらないらしい。
# 第3話 あとがき
第3話を読んでいただきありがとうございました。
AI研究部の面々はいかがだったでしょうか。
個人的には、ログを取りたがるレンくんから全力で逃げたいです。
そしてユウはついにクリック能力を獲得しました。
通知を閉じるだけですが、大きな一歩です。
次回はコロンと二人だけの検証会。
相棒は少しずつ進化していきます。
※通知の×ボタンは小さすぎると思います。




