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偽りの聖女

3人の交わりの翌日から、計画はすぐに準備が始まった。



隠れ家での一週間は、聖女という幻想が剥がれ落ち、代わりに底なしの悪意が充填されていく過程だった。



特筆すべきは、エレナの資質だ。



これまでカナン王国が崇めてきた「聖なる力」など、彼女には端から存在しなかったのだ。


彼女は名門という家系に生まれ、代替わりで聖女の座を押し付けられただけの空虚な器だった。



民衆が奇跡だと信じていた光は、ただの舞台装置に過ぎず、彼女自身、空っぽの胸の内に祈りを捧げても、そこには冷たい真空があるだけだと知っていた。




だがレイラが教え込む黒魔術は、彼女にとってかつてないほどの快楽だった。



光を注ぎ込んでも弾かれていたその空虚な魂は、負の感情や呪詛という名の泥を、驚くほど貪欲に、そして完璧に吸収した。



彼女は元来、光の中に立つ聖女よりも、闇を操る魔女の素質を色濃く持っていたのだ。



昼間は破壊の術式を叩き込まれ、夜はセリアとレイラの情事の中で、人間としての尊厳を砕かれる。




一週間後、エレナはかつての聖女の面影を完全に消し去り、ただ主人の言葉にだけ反応する、美しくも禍々しい「牙」へと変貌していた。




そして計画実施の日はすぐに訪れる。



空がどす黒い雲に覆われたような錯覚を覚えたのは、午後二時のことだった。



 カナン王国の上空、陽光を遮るように現れたのは、巨大な翼竜の影だった。




伝説の生物が実在したという驚愕が広がる暇もなく、街には翼竜の咆哮が響き渡る。




その背に跨がっていたのは、漆黒のドレスを纏ったエレナだった。




かつての純白の衣装は見る影もなく、彼女の纏う魔力は見る者に生理的な嫌悪と恐怖を突きつける。



翼竜が口から吐き出す灼熱の炎が、王都の目抜き通りを瞬時に焼き払った。




石造りの建物が悲鳴を上げ、崩れ落ちる。




「……エレナ様……なのか?」




逃げ惑う群衆の中に、呆然と立ち尽くす兵士がいた。



彼らは空を見上げ、震える声でつぶやく。



かつて祈りを捧げた聖女が、今や国を滅ぼす魔女として降臨している。



信仰が崩壊する音、それはガラスが砕けるよりも鋭く、人々の心に突き刺さった。




 エレナは無慈悲だった。



杖を軽く一振りするたび、空から紫電の閃光が降り注ぎ、逃げ惑う人々の頭上で爆ぜる。




悲鳴と怒号、そして焼ける臭いが王都を支配した。



彼女は障害物を排除するように街の半分を焦土に変えると、その猛進を止めることなく城の奥深く、国王の玉座の間へと突撃した。




血生臭い玉座の間で、エレナは迷いなく杖を振るった。




国王、そして彼女を聖女の座に押し上げた両親。



彼らが「娘よ、助けてくれ」と許しを乞う間もなく、黒魔術の刃が彼らの首を綺麗に刈り取った。





三つの首が床を転がる。




恐怖と失望に染まりきった三人の顔を、エレナは無表情で見下ろす。



その瞳には、かつての自分を信頼していた者たちへの微かな哀れみすら無かった。




エレナは三つの首を髪の毛で掴み、再び広場へと舞い降りた。




群衆が、兵士たちが、凍りついたように沈黙する。




その時、レイラが遠方から念を送り、エレナに掛けていた精神支配の楔をパチン、と解いた。




 一瞬の空白の後、エレナの瞳に「正気」が戻る。





視界に飛び込んできたのは、自分の右手に無造作にぶら下がる、血塗られた家族と王の首だった。





「……あ、あぁ……あぁぁぁああぁっ!!」





自分が行った惨劇の記憶が、濁流のように脳内に流れ込む。





自分が愛していたはずの親を殺し、国を焼いた。



聖女としての誇りも、人間としての理性も、何もかもが崩壊した。



エレナは半狂乱となり、血の涙を流しながら地面をのたうち回る。




 そこへセリアが現れた。





戦火を背負い、まるで王国の救世主のような立ち姿で。






「皆、恐れることはない!」





セリアの叫び声が、広場に響く。彼は手際よくエレナを組み伏せ、手錠をかけた。



「この女こそが、カナンを食い荒らしてきた黒幕、魔女エレナだ! 聖女の皮を被り、この国を闇に陥れた元凶を、今ここで俺が制圧した!」



 広場に歓喜の声が爆発した。





英雄セリアの帰還と、災厄の討伐。



民衆は自分たちの聖女を惨殺した女への怒りを燃やし、その矛先をエレナに向けて罵声を浴びせる。


彼らは気づかない。自分たちの家族を焼き、王を殺したその手が、まさに今、自分たちが「英雄」と崇める男の計画によって動かされていたことに。




城の屋上で、その光景を一人で見下ろしていたレイラは、あまりの滑稽さに腹を抱えて笑い出した。




「あははははっ! 最高よ、セリア! 貴方は本当に最高よ!」





レイラは涙が出るほど笑いながら、独りごちた。




自分たちが信仰していた聖女を、自らの手で呪い、処刑へと追い込む群衆。



そして、国を滅ぼした男を英雄として崇める愚かさ。





「なんて傑作な復讐劇なの。カナンはもう、内側から完全に腐りきっているわ。貴方、本当に天才ね」




レイラの笑い声は、王国の崩壊を祝う鐘の音のように、誰にも聞かれることなく闇に溶けていった。

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