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『音魔法はゴミ? いいえ、研究したら文明を揺るがす最強魔法でした』  作者: 白月 鎖
王都編

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第89話「二つの訪問者」


 翌朝、エルデ教官の研究室に呼び出された。


「客が来ている。——セレン君、慎重に対応してほしい」


 エルデの声がいつもと違う。興奮ではなく、緊張。


 研究室の扉を開けると、見知らぬ女性が本の山に囲まれた椅子に座っていた。


 長い金髪を三つ編みにまとめ、眼鏡をかけた知的な美女。宮廷魔法局の制服——白地に金の刺繍——を着崩しており、腰にフラスコと羽根ペンがぶら下がっている。三十代半ば。


「レイナ=ヴェルシュタイン。宮廷魔法局第三研究室の主任研究員よ。——エルデの学生時代の同期」


「セレン=アルディス。音属性。冒険者Cランク」


「知ってるわ。練武祭の報告書を読んだもの。"闇属性の魔法を共鳴制御で消した少年"。"Lv20で祝福技が降りなかった少年"。——随分と話題になってるわよ、宮廷の中で」


 エルデが咳払いした。


「レイナ。彼はまだ十歳だ。宮廷の政治に巻き込むな」


「巻き込みに来たんじゃないわ。警告に来たの」


 レイナが眼鏡を押し上げた。目が鋭い。エルデのような学者の目——だがもっと硬い。体制の中で生き延びてきた人間の目。


「セレン君。練武祭の報告書は、宮廷魔法局の局長の元に届いている。特に注目されたのは二点。一つ、"逆位相で他者の魔法を無効化する技術"。二つ、"共鳴制御で他者の属性技を停止させる技術"。——どちらも、軍事利用すれば戦場の形が変わる」


「……知ってます。ヴァンにも言われました」


「ヴァン君は頭がいい子ね。彼の警告は正しいわ。宮廷はあなたの技術に興味を持っている。"興味"の段階よ。まだ"命令"にはなっていない。だから今のうちに言いに来た」


 レイナが身を乗り出した。


「あなたの技術を宮廷に"見せるな"。見せた瞬間、"軍事利用の研究対象"に指定される。指定されたら——あなたの研究はあなたのものではなくなる。宮廷のものになる」


 重い言葉だ。


「俺の研究を取り上げる、ということですか」


「取り上げるとは言わないわ。"保護"と呼ぶの。"国家の安全のために、音響魔法学の研究を宮廷魔法局の管理下に置く"。名目は立派でしょう?」


「……エルデ教官の魔脈理論が二十年前に却下されたのも、同じ理由ですか」


 レイナとエルデが同時に黙った。二人の心拍が微かに変わった。俺の質問が——核心に近い。


 エルデが答えた。


「……当時の審査委員会は、魔脈理論を"異端"として却下した。だが本当の理由は別だ。魔脈理論が正しければ、属性間の優劣が崩壊する。属性の"格"で序列が決まる貴族社会が揺らぐ。——そんな理論を認めるわけにはいかなかった」


「つまり、理論が正しいからこそ潰された」


「そういうことだ」


 レイナが立ち上がった。


「セレン君。私はエルデほど強くなかった。体制の外に出る勇気がなかった。宮廷の中に残って、中から変える道を選んだ。——でも中にいると、中に食われる。私の研究は宮廷のものになった。私が何を研究するか、宮廷が決める」


「だから俺に——中に入るなと」


「入ったら出られないのよ。あなたの音石通信。あれが宮廷に知られたら、即座に軍事機密に指定されるわ。遠距離通信技術なんて、この世界にはない。軍がどれほど欲しがるか——」


 レイナの声が震えた。警告なのか懇願なのか。


「今日はこれだけ。——エルデ、彼を守ってあげて。あなたが守れなかったら、私が中から守るけれど……中からの守りには、限界がある」


 レイナが去った。研究室に、エルデと二人が残った。


「エルデ教官。レイナさんは——味方ですか」


「味方だ。だが宮廷の人間でもある。その二つが矛盾する日が来るかもしれない。——気をつけろ、セレン君。世界は、味方と敵の二色では塗れない」



 午後。気持ちを切り替えて、スラム街に出た。


 昨日仕掛けた音紋標識のうち、スラム街の酒場前のものが反応している。新しい足音が通過した記録。追跡するかどうかを判断するために、まずスラム街全体の構造をもっと把握する必要がある。


 だがスラム街は俺にとって未知の領域だ。路地の構造は反響定位で読めるが、「誰がどの路地を仕切っているか」「どの建物が安全でどこが危険か」は音では読めない。


 土地勘のある案内人が要る。


 商業区とスラム街の境界の市場で食料を買い出している時——懐の銅貨の袋が消えた。


 切られたのではない。「抜かれた」。腰の袋の紐が解かれ、中身だけが抜き取られ、袋は元通りに閉じられている。紐を解く振動には気づいていた。だが「荷物をぶつけた通行人の振動」だと処理してしまった。


 ——やられた。


 共鳴探知で直前に俺の腰に触れた人間の振動パターンを思い出す。小柄。体重は俺より軽い。指先の動きが異常に速い。そして——足音がなかった。裸足。


 裸足の小柄な人間。スラムの子供だ。


 昨日仕掛けた音紋標識に意識を向ける。市場からスラム街に走り去った裸足の足音が——標識を一つ、二つと通過している。追跡できる。


 足音の残響も追える。石畳に残る微かな振動の痕跡。足を引きずるように走る癖がある。左足がやや内側に入る。


 追いかけた。ノイズキャンセリングで足音を消して。


 足音はスラム街の北端にある廃屋に入っていた。壁が半分崩れた二階建て。屋根に穴が開いている。反響定位で中を聴く。一人。二階。窓際に座っている。


 表口から入った。階段を上がる。


 二階に——少女がいた。


 黒い髪を無造作に束ねた痩せた少女。十四歳くらい。膝を抱えて窓際に座り、俺の銅貨の袋を開けて中身を数えている。


「十五枚。……三日分の飯にはなるか」


 俺が入口に立った時、少女の体が弾けるように動いた。窓に向かって飛ぶ。


「待て。金は返さなくていい」


 少女が窓枠に手をかけたまま止まった。振り返る。鋭い目。鼠のような警戒心。


「……返さなくていい?」


「その代わり、仕事を頼みたい」


「仕事?」


「案内だ。スラム街の裏路地を案内してほしい。どの道が安全で、どの道が危険で、誰がどの縄張りを持っているか。——あと、夜に使える安全な場所を探してる」


 少女の目が細くなった。値踏みしている。


「あんた、冒険者でしょ。学院の制服見えてる。——子供のCランクって珍しいね」


「引き受けるか?」


「日当は?」


「銅貨五枚」


「安い。十枚」


「七枚」


「八枚。それ以下なら窓から飛ぶ」


「八枚でいい」


 少女が窓枠から手を離した。まだ警戒しているが、金額には納得したらしい。


「名前は?」


「リッカ」


「俺はセレン」


「知ってるよ。"音で何でも聴ける変な子供がギルドに来た"って噂。スラムの情報は速いの。——あんたの荷物を狙う奴は少ないだろうね。でも私は狙った。聴こえるかどうか試したくて」


「……結果は」


「聴こえてたけど抜けた。私の勝ち」


 生意気だが度胸がある。そして技術がある。俺の共鳴探知を知った上で盗みに来た。荷物をぶつけた通行人の振動に紛れ込ませて、俺の処理をすり抜けた。


「リッカ。お前、ここに住んでるのか」


「住んでるって言うか、寝てる。ここは私の場所。誰も来ない」


 廃屋を見回した。壁が半分崩れているが、二階は雨がしのげる。窓から風が入るが、布を張れば防げる。広さは二部屋分。四人が寝るには十分。


「リッカ。この廃屋を借りたい。夜の拠点として使う。家賃は——」


「家賃? ここ私の持ち物じゃないけど」


「お前が使ってる場所だ。お前に払う。日当とは別に、銅貨三枚を毎日」


 リッカの目が丸くなった。


「……あんた、変な人だね。廃屋に家賃払う奴、初めて見た」


「お前の場所を借りるんだから当然だ」


 リッカが俺の顔を見つめた。何かを考えている。三秒。五秒。


「いいよ。貸してあげる。——でも散らかすなよ。ここ、私が掃除してるんだから」



 リッカに案内されて、スラム街を歩いた。


 リッカの知識は正確だった。この路地は酔っ払いの溜まり場で夜は危険。この建物は闇賭場で元締めは「鉄のモルグ」という大男。この角を曲がると闇市場の入口。この壁の穴を通ると南区に抜けられる。


 音紋標識を要所に仕掛けていく。スラム街だけで七つ。


 歩きながら聞いた。


「リッカ。"蝕"という名前を聞いたことは?」


 リッカの足が一瞬止まった。心拍が跳ねた。知っている。


「……なんであんたがその名前を知ってるの」


「理由は言えない。だが情報が欲しい」


「"蝕"はスラムの誰もが知ってるけど、誰も口にしない名前。口にした奴が消えるから。——あんた、あの連中と敵対するつもり?」


「する」


「馬鹿だよ。あんた死ぬよ」


「死なない。——仲間を取り返すためにここにいる」


 リッカの目が変わった。


「仲間を……取り返す?」


「ああ。"蝕"に攫われた仲間がいる。取り返す」


 リッカが黙った。しばらく歩いた。二つの路地を曲がり、廃井戸の前を通り過ぎた。


「……あんた馬鹿だよ。友達一人のためにあんな連中と敵対するなんて」


「馬鹿だよ。でも——仲間を見捨てたら、俺は俺じゃなくなる」


「……ふうん」


 それだけ。だが心拍が、ほんの少し変わった。柔らかい何か。


 「仲間」という言葉を、この少女は生まれて初めて魅力的に感じたのかもしれない。



 学院に戻ったのは夕方。男子棟の自室で研究ノートを開く。


 《二日目》

 朝:宮廷魔法局のレイナ=ヴェルシュタインが訪問。エルデの旧友。

 → 練武祭の報告が宮廷に届いている。逆相障壁と共鳴制御が「軍事利用の対象」になりうる

 → 音石通信が知られたら即座に軍事機密指定

 → レイナは味方——だが宮廷の人間でもある。「中に入ったら出られない」

 → 技術を宮廷に「見せるな」。見せた瞬間、俺の研究は俺のものではなくなる


 午後:スラム街の案内人リッカを雇用。日当銅貨8枚。

 → リッカの廃屋を夜間拠点として借用。家賃銅貨3枚/日

 → 学院の寮=日中拠点。リッカの廃屋=夜間拠点。二拠点体制を確立

 → 音紋標識を追加設置。合計13個


 「蝕」への接近:リッカが闇市場の情報屋モルグの存在を教えてくれた。明日以降接触する。


 エルデ教官の言葉が残っている。「世界は、味方と敵の二色では塗れない」。


 宮廷。暗殺ギルド。学院。スラム。——全てが複雑に絡み合っている。その中を、音だけを頼りに進む。


 ペンを置いて、窓の外を見た。中庭越しに女子棟。矢文を送る。


 ——今日、宮廷魔法局の人間が来た。味方だが注意が必要。明日詳しく話す。夜間拠点も見つけた。


 窓枠を叩く音。四回。ノーラの「話がある」の合図。


 ——明日、全部話す。おやすみ。


 二回。「聞こえた」。


 光が灯って消えた。セラ。


 学院の寮の夜。すぐそこにスラム街がある。すぐそこに宮廷がある。すぐそこに暗殺ギルドがある。


 全部、同じ王都の中に。

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