表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『音魔法はゴミ? いいえ、研究したら文明を揺るがす最強魔法でした』  作者: 白月 鎖
王都編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

97/117

第88話「王都の裏側」

三日間、何もしなかった。


 正確に言えば、何もできなかった。暗殺者の襲撃。フィンの闇。ミーシャの「ごめんなさい」。二人が月に向かって消えていった窓。——あの夜から三日間、俺はベッドの上で研究ノートを開いては閉じ、閉じては開いていた。


 壊れた壁は修繕された。割れた窓硝子は入れ替わった。生徒たちは講義に戻った。フィンとミーシャの失踪は「家庭の事情による退学」として処理され、暗殺者の侵入は「訓練用魔獣の暴走」として公表された。


 嘘だ。全部嘘だ。だが学院はその嘘を選んだ。世間向けの嘘と、俺たちだけが知っている本当のこと。その隙間に、三日間、俺は座り込んでいた。


 四日目の朝。アルトが窓際の椅子に座って剣を磨いていた。


「セレン」


「何だ」


「いつまでそうしてるつもりだ」


 アルトの声に怒りはなかった。ただ、待っていた人間の声だった。三日間、何も言わずに俺が動くのを待っていた。


 研究ノートを閉じた。


「決まってる。ミーシャを取り戻す」


「そうだろうな。——で、どうやって」


 アルトの目が光った。「やっとだ」と言いたそうな目。


「学院から出ないで動く方法を考えていた。寮には門限がある。夜間外出は禁止。巡回の教官もいる」


「スパイ狩りの夜みたいに窓から出るのは?」


「一晩なら誤魔化せる。だが暗殺ギルドを追うなら、何日も、何週間も夜に動く必要がある。毎晩窓から出入りして——いつかバレる」


「つまり」


「学院に住みながら、夜だけ別の場所に拠点がいる」


 窓の外を見た。男子棟の三階。中庭の噴水が朝日を弾いている。その向こうに女子棟。さらにその向こうに——王都の街並みが広がっている。


 大通りの屋根瓦。商店の旗。貴族街の白い塔。宮廷魔法局の尖塔。


 そして大通りの裏。建物が密に立ち並び、光の届かない一角。路地が入り組み、地図に載らない道が枝分かれしている。


 スラム街。


 数週間前に学院に入って以来、俺たちが見てきた王都は「表」だけだ。大通りの商店で買い物をし、冒険者ギルド支部で依頼を受け、学院の食堂で飯を食う。学生として暮らすぶんにはそれで十分だった。


 だがミーシャは「裏」に連れ去られた。


「ノーラとセラに話す。耳掛けで呼ぶ」


 翡翠のイヤリングに触れて、小声で囁いた。


 ——放課後、中庭に集合。四人で話がある。


 数秒後。窓枠を二回叩く音。ノーラの「聞こえた」。同時に、防壁の光が一瞬灯る。セラの返事。


 声を出して返さない。いつも通りだ。耳掛け型の音石通信ができてから、ノーラもセラも声で返事ができるようになった。だがノーラは窓枠を叩く。セラは光を灯す。三人の間にできた最初のやり取りの形を、変えようとしない。


 俺もそれが好きだった。理由は——うまく言えない。



 放課後。中庭の噴水の前。


 音の結界を張った。四人を包む薄い膜。この中の声は外に漏れない。


「これから王都の裏側に入る。暗殺ギルド"蝕"を追う」


 三人の目がこちらを向く。アルトは既に聞いている。ノーラとセラは、この三日間、俺が黙っている間もずっと待っていた顔をしている。


「やることは三つ。一つ目、王都全域に音紋標識を仕掛けて"音の地図"を作る。モルヴァの時と同じだが、規模が違う。二つ目、スラム街に夜の拠点を確保する。三つ目、学院にいた工作員の足音パターンを追跡して"蝕"の末端を辿る」


「暗殺ギルドに喧嘩を売る、ってことだろ」


「そうだ」


「学院を襲ってきた連中の本拠地に突っ込む」


「そうだ。——だからお前たちに覚悟を聞く。ここから先、付き合ってくれるか」


 アルトが立ち上がった。呆れた顔で。


「三日も待たせといてそれかよ。聞くまでもねぇだろ」


 ノーラが腕を組んだ。金色の瞳が据わっている。


「ミーシャを取り戻すって決めたのは私。今さら引くわけないでしょ」


 セラが静かに頷いた。


「守るべき人が増えました」


 短い言葉。だが一番重い。セラの「守る」は祈りと同じ重さがある。


「よし。——今日から動く。まず俺が一人で王都を歩いて、音紋標識を仕掛ける。三人は学院で普段通りに」


「お前だけ行くのか」


「音紋標識を仕掛けるのは俺にしかできない。それに一人の方が聴きやすい。仲間の足音や心拍が近いと、遠くの音が紛れるんだ」


 アルトは不満そうだった。だが理屈は通っている。



 午後。正門を出た。


 学院は王都の東区にある。正門から大通りに出ると、西に商業区、北に貴族街、南にスラム街。


 大通りの音を聴きながら歩いた。反響定位は使わない。使わなくても十分に聴こえる。


 果物売りの掛け声。鍛冶師の金槌。馬の蹄鉄が石畳を叩く音。子供の笑い声。荷車が軋む音。全てが同時に鳴っている。モルヴァの十倍の情報量だ。


 耳を澄ませるだけで、断片的な会話が飛び込んでくる。


「——北港の魚が安いぞ」

「——宮廷魔法局の新しい局長がどうのって」

「——スラムでまた一人消えたらしい」


 行方不明者。三つ目の声が引っかかった。スラム街で人が消えている。暗殺ギルドの仕業か、それとも——。


 音紋標識を仕掛けていく。大通りの交差点の石柱。商業区への分岐路の壁。貴族街との境界の門柱。目立たない場所に、微弱な振動の印を刻む。


 一つ仕掛けるたびに、頭の中の「地図」に耳が一つ増える。


 大通りを外れた。


 空気が変わった。光が減り、建物の隙間が狭くなる。見上げると空が細い筋になっている。洗濯物が路地の上を横切り、水溜まりが石畳の窪みに溜まっている。


 スラム街の入口。


 足音の質が変わる。革靴が減って、草鞋が増える。さらに奥に入ると裸足の足音が混じる。子供の足音。犬が寝転がっている。痩せた猫が路地の角から俺を見ている。


 反響定位を軽く使って構造を把握した。廃屋が多い。壁が崩れかけた建物。屋根に穴が開いた二階建て。人の気配は少ないが——奥から酒場の喧騒が聴こえる。


 ぼろぼろの酒場があった。看板の文字が半分消えている。中から笑い声と、骰子が転がる乾いた音。


 入らない。今日はまだ入らない。外から聴く。


 反響定位を壁に当てる。中の構造が「見える」。手前が酒場。奥に扉。その奥に小部屋。三人の人間。一人が椅子に座り、二人が立っている。立っている二人は武装。腰に短剣の金属の振動。


 三人の安静時心拍を聴く。五十五、五十七、六十。


 低い。全員が訓練された人間だ。一般人の安静時心拍は七十前後。五十台は——日常的に体を鍛え、命のやり取りに慣れている者の脈動。


 研究ノートに記録した。


 《王都・一日目》

 音紋標識:六つ。大通り三、貴族街境界一、スラム街入口一、酒場前一。

 要注意地点:スラム街奥の酒場。奥の部屋に訓練された三名。心拍55〜60。

 スラム街の廃屋がいくつかある。夜間拠点の候補になりうる。



 学院に戻ったのは夕暮れ時だった。


 男子棟の自室。ベッドに座って、耳掛けの音石通信を起動した。


 翡翠のイヤリングに意識を集中し、振動を送る。相手はモルヴァのミロ。王都から八里。音石通信3号の通信距離は十里。届くはずだ。


 ノイズ。砂嵐のような雑音の向こうに——


「——レン? セレン?」


 ミロの声だ。遠い。割れている。だが聞こえる。


「聞こえる、ミロ」


「やった! すごい、八里だよ!? 聞こえるよ!」


 ミロの興奮が声を歪ませている。だがその歪みが懐かしい。変わらない、元気な声。


「モルヴァで変わったことは?」


「あるよ。リディアさんと一緒に調べた。学院を辞めた雑用係の男、覚えてるよね。あの人が王都の南区に向かったことが宿場の記録でわかった。十日前に」


「南区。スラム街だ」


「あと一つ。最近モルヴァに見慣れない人間が出入りしてる。商人を装ってるけど、足運びが軍人っぽいって——リディアさんが言ってた」


 軍人の足運び。商人を装った兵士。「蝕」がモルヴァにも手を伸ばしているのか。それとも——別の組織?


「ミロ。気をつけろ。危ないと思ったらグリスに相談しろ」


「わかった。——セレン。約束覚えてる?」


「覚えてる」


「笑って報告してね。絶対に」


「ああ。——絶対に」


 通信が切れた。ノイズが消え、静寂が戻る。


 八里。声が超えた。


 アルトが隣のベッドで寝息を立てていた。もう眠っている。昼間の訓練の疲れだ。こいつは寝つきがいい。どんな時でも横になれば三十秒で落ちる。傭兵時代の習慣だと本人は言う。


 窓の外に月が出ている。中庭越しに女子棟の窓が見える。


 耳掛けで囁いた。


 ——おやすみ。明日からスラム街の拠点を探す。


 沈黙。


 いつもなら窓枠の音がすぐに返ってくる。今夜は——来ない。


 五秒。十秒。


 起きているはずだ。耳掛けが受信の振動を微かに返している。ノーラの石に届いた証拠。なのに返事がない。


 三十秒後。ようやく窓枠を叩く音。二回。「聞こえた」。


 遅かった。いつもより三十秒遅い。


 寝かけていたのか。それとも——何か考え事をしていたのか。ノーラの心拍を聴こうとしたが、中庭越しではさすがに遠い。耳掛けの通信は声だけで、心拍までは拾わない。


 防壁の光が灯って消えた。セラの返事。セラはいつも即座に返す。


 仲間がいる。声が届く。


 三日間、止まっていた歯車が回り始めた。


 ——ここから始まる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ