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『音魔法はゴミ? いいえ、研究したら文明を揺るがす最強魔法でした』  作者: 白月 鎖
王都編

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第97話「狩りの夜」

翌日から、夜の王都が変わった。



 昼間は変わらない。学院の講義に出る。エルデ教官と羊皮紙の解読を進める。訓練場でアルトと組手をする。ノーラとセラは昼間の偵察を続けている。


 だが夜——門限後に男子棟の窓を出た瞬間から、俺は「狩人」になる。


 耳掛けに囁く。女子棟へ。


 ——出る。


 窓枠。一回。ノーラの「行こう」。


 昨夜から暗号に加わった一回叩き。力強い音。覚悟の音。



 十三日目の夜。最初の狩り。


 音紋標識のネットワークが王都全域を覆っている。五十八個。「蝕」の末端の足音パターンを七つ記録済み。その七人が今夜、どこにいるかが全て「聴こえる」。


 一人目。スラム街の南端、賭場の裏口に立っている男。学院の酒場組の一人。今夜は一人で行動している。


 リッカの廃屋から出て、スラム街を南に走る。ノイズキャンセリングで完全無音。月明かりの路地を影だけが滑っていく。


 賭場の裏口。男が壁にもたれて煙草を吸っている。心拍七十。油断している。


 五歩後方に立った。完全消音。男は気づかない。煙草の煙が立ち昇っている。


 男の腰に短剣。右の袖口に暗器が一本。左の靴底に——薄い革片。暗号表だ。間諜は暗号表を靴底に仕込む。


 まず暗号表を回収する必要がある。靴底の暗号表は、「蝕」の暗号体系を解読するための鍵になる。


 筋弛緩波。背後から、喉と四肢に向けて超低周波を放射。


 男の体が崩れた。煙草が地面に落ちた。声が出ない。手足が動かない。


 膝をつき、男の靴を脱がせた。靴底の内側に薄い革片。引き剥がす。暗号表。文字が細かいが——振動読みで革の表面の凹凸を聴けば、暗闘の中でも読める。


 次に短剣と暗器を抜き取る。武装解除。


 そして——学院のスパイ狩りの夜と同じ「間諜の作法」。


 男の胸の上に短剣を置く。刃を首に向けて。暗号表の革片を横に広げる。


 だが今回は一つ追加した。


 男の額に、指先で小さな文字を刻んだ。震破の精密版で、皮膚の表面に浅い——血が出ない程度の——傷。


 「聴」。


 一文字。音を聴く者が来た、という印。


 筋弛緩波を解除する前に、もう一つ。


 共鳴探知で男の全身の振動パターンを記録する。「音の指紋」。これで今後、どこにいても追跡できる。


 立ち上がり、離れる。完全消音のまま路地を抜ける。


 ——一人目。所要時間、約二分。



 二人目。商業区の南端の宿屋。学院の元雑用係。あの男。


 宿屋の二階。共鳴解錠で窓の鍵を開け、外壁を登って窓から入った。


 男は眠っている。心拍五十五。深い眠り。


 この男は学院で一度排除した。逃げた後、「蝕」に戻っていた。——二度目はない。


 筋弛緩波で意識が覚めないようにさらに深い眠りに沈める。靴底から暗号表を回収。武装解除。短剣を胸の上に。暗号表を横に。


 額に「聴」の一文字。


 さらに——枕元に紙片を置いた。


 「二度目だ。三度目はない」


 窓から出て、外壁を降りる。所要時間、約三分。



 三人目。北区。カイラの拠点への連絡役。


 この男は「蝕」の中間層だ。末端より一段上。カイラと末端を繋ぐ役割を持っている。


 北区の安宿に宿泊中。共鳴解錠で表口の錠前を開け、廊下を無音で歩き、男の部屋に入った。


 この男は——起きていた。


 心拍八十。椅子に座って、暗号文を書いている。机の上に蝋燭。振り返れば俺が見える。


 だが振り返らない。俺の完全消音が全ての存在の音を消しているから、「部屋に誰かがいる」ことに気づいていない。


 男の背後に立った。距離一歩。蝋燭の灯りで、男が書いている暗号文の内容が見える。


 ——「学院襲撃部隊、帰還せず。五名全員未帰還。“音の狩人”による制圧と推測」


 昨夜の五人は帰っていない。学院の教官に引き渡され、王国騎士団に拘束されたはずだ。「蝕」は五人の消息を把握できていない。


 男がペンを置き、首を回した。凝りをほぐしている。


 ——今だ。


 筋弛緩波。男の体が椅子ごと崩れた。蝋燭が倒れる——俺が手で受け止めた。火事になったら困る。


 暗号文を回収。暗号表を靴底から回収。武装解除。短剣を胸の上に。暗号表を横に。


 額に「聴」。


 そして——男が書いていた暗号文の横に、俺が一行書き加えた。男の暗号表を使って、「蝕」の暗号体系で。


 「五名は生きている。王国騎士団が拘束中。——“聴”」


 「蝕」の暗号で書いた。読めるのは「蝕」の人間だけ。暗号を解読できていることの証明。


 所要時間、約四分。



 四人目と五人目はスラム街の東区にいた。二人組で行動していた。連絡拠点の洗濯屋の近く。


 二人同時は初めてだが——問題ない。


 路地の暗闘の中で、幻惑音響を使った。偽の足音を路地の反対側に生成する。二人が同時に振り返った。


 その隙に、筋弛緩波を一人目に。崩れる。二人目が異変に気づいて振り返る——だが俺はもう二人目の背後に回り込んでいる。完全消音で移動したから。


 二人目に筋弛緩波。崩れる。


 二人の処理を並行して行う。暗号表の回収。武装解除。配置。額に「聴」。


 所要時間、約三分。



 一晩で五人。


 学院に戻ったのは午前三時。門限破りにも慣れた。


 耳掛けに囁く。


 ——戻った。五人。


 窓枠。二回。ノーラの「聞こえた」。


 三回。「ありがとう」。


 一回。「行こう」。——明日も。


 明日も行く。



 十四日目の夜。さらに三人。


 十五日目の夜。二人。


 合計十人を三晩で排除した。殺していない。全員、武装解除と暗号表の回収と「配置」を残して去った。額には「聴」の一文字。


 十人全員に共通する体験——暗闇の中で、突然体が動かなくなった。声が出ない。何も見えない。何も聞こえない。そして意識が戻った時、胸の上に自分の短剣が置かれていた。


 誰にやられたかわからない。どんな魔法を使われたかもわからない。ただ一つ——額に「聴」の文字がある。


 「蝕」の内部で、恐怖が伝染し始めた。



 十五日目の昼。リッカがスラム街の情報を持ってきた。


「“蝕”の末端がパニックになってる。三晩で十人がやられた。全員同じ手口。暗闇で突然倒れて、目が覚めたら胸の上に短剣が置いてあって、額に”聴”って刻まれてる。——誰も犯人を見ていない。誰も声を聞いていない。何が起きたかわからない」


「噂はどこまで広がってる?」


「スラム全体。もう隠しようがない。末端の何人かが逃げ始めてる。“蝕”の指示を無視して、王都を出た奴もいるって」


「いい流れだ」


「あんたね……“いい流れ”って。スラム中が”音の狩人”の話で持ちきりだよ。“足音を聴き、心臓を聴き、嘘を聴く。闇に潜んでも無駄。隠形を使っても無駄。音は消せない”って。もう都市伝説になりかけてる」


「都市伝説?」


「うん。“音の狩人に狙われたら終わりだ。逃げろ。逃げられないなら——祈れ。聞こえないはずの声で”って。詩みたいだよね。誰が最初に言ったのかは知らないけど」


 暗殺者が暗殺者を恐れている。それがカタルシスの頂点だ——とは思わなかった。ただ、仲間を守るために必要なことをしているだけだ。



 十五日目の夕方。ミーシャから風の暗号が届いた。


 リッカの廃屋の窓辺で、微かな風の脈動を聴く。長い風と短い風のパターン。ミーシャの暗号は回を重ねるごとに長くなっている。最初は「きこえてる?」の五文字だった。今は——


 ——「ディルク怒ってる。末端がやられてるの知ってる。あんたの仕業だってわかってる。でもどうやってるのかがわからなくて混乱してる。対策が立てられないって。カイラが来た。拠点に。作戦会議してる」


 長い。ミーシャの風属性の制御が上がっている。風の暗号の精度が日に日に良くなっている。学院でセレンの矢文を聴いていた経験が、ミーシャの中で「風の矢文」として開花しつつある。


 返事を矢文で送る。超微弱音波。ミーシャの部屋の窓だけに届くように。


 ——ミーシャ。情報をありがとう。カイラの作戦会議の内容を聴けるか?


 風の返事。


 ——「壁が厚い。でもがんばる」


 ミーシャが内部から情報を送ってくれている。閉じ込められた部屋から、風を使って。「蝕」の駒として育てられた技術を——今度は「蝕」の情報を外に漏らすために使っている。


 皮肉だ。ディルクがミーシャに教えた技術が、ディルクを追い詰めるために使われている。



 夜。耳掛けでノーラに報告する前に、もう一つ。


 ノーラの声紋偽装で、ミーシャに声を届ける。昨日録音したノーラの新しい言葉。


「ミーシャ。あんたが送ってくれた情報、全部役に立ってる。——もう少しだけ待ってて。必ず迎えに行くから」


 風の返事。短い風が連続する。震えている。


 ——「ノーラさんの声だ。ノーラさんだ。ノーラさん」


 名前を三回繰り返している。泣いている。風が震えているから。



 十六日目。学院の中庭で、リオとガルドに話をした。


 音の結界の中。


「暗殺ギルド”蝕”と戦っている。仲間が攫われた。取り戻すために動いている」


 リオが黙って聞いていた。無表情だった顔に——微かな光がある。練武祭で「楽しい」を知った目。


「それは……戦えるということ?」


「戦える。力を貸してほしい」


「いいよ。——私も探していたんだ。“楽しい”の続きを」


 ガルドが腕を組んだ。


「規則を守る人間として言う。暗殺ギルドとの私闘は、本来なら王国騎士団に任せるべきだ」


「ガルド。騎士団に任せたら、ミーシャが——」


「最後まで聞け。——本来なら騎士団に任せるべきだ。だがお前たちの仲間は、今まさに囚われている。騎士団が動くまでに何日かかるかわからない。正式な手続きを踏んでいたら間に合わない」


 ガルドが腕を解いた。


「規則は人を守るためにある。規則が人を守れない時——規則を超える判断をするのも、正義だ。アルトに教わったよ」


 アルトが驚いた顔をした。


「俺が? いつ?」


「練武祭の時だ。お前は壁の弱い場所を”規則の外”で見つけた。土に聞く、という規則にない方法で。——正義の形は一つじゃない」


 七人。セレン、アルト、ノーラ、セラ、リオ、ガルド。そしてモルヴァのミロが音石通信で繋がっている。


 あとは——


「ヴァンは?」


「まだ返事がない。でもあいつのことだ。面白い匂いを嗅ぎつけたら、勝手に来る」



 夜。男子棟の自室で研究ノートを開いた。


 《十六日目》

 三晩で末端十人を排除。全員無傷。武装解除+暗号表回収+「聴」の刻印。

 「蝕」の内部に恐怖が伝染中。末端の逃走が始まっている。

 

 ミーシャからの情報:ディルクが混乱。カイラが拠点に来て作戦会議中。

 

 リオとガルドが参戦。七人体制に。ヴァンは未合流。

 暗号表の解析が進行中。三層構造。末端用はほぼ解読。

 

 宮廷の動議まで残り十日。ディルクへの猶予は明日で切れる。

 全てが加速している。


 ペンを置いた。


 耳掛けに囁く。今夜の報告。


 ——十人目を排除した。リオとガルドも参戦してくれた。七人になった。


 窓枠が鳴った。


 ——だが、いつもの二回ではなかった。


 ダダダダダ。


 連打。五回以上。数えられない。力は強いが叩き方が荒い。怒りの叩き方とも違う。


「……ノーラ? 怒ってるか?」


 耳掛けから声が返ってきた。


『怒ってない。——別に』


「いつもの二回じゃなかっただろ。何かあったのか」


『何もない。手が滑っただけ』


「五回以上滑ったぞ」


『……うるさい。おやすみ』


 ぶつりと通信が切れた。


 何だったんだ。


 共鳴探知でノーラの心拍を聴こうとしたが、女子棟までは遠すぎる。耳掛けの通信で声は届くが、心拍までは拾えない。


 考えた。連打が始まったタイミング。「リオとガルドが参戦してくれた」の直後。


 リオ。水属性。女。ガルド。土属性。男。


 リオが女であることと連打に関連があるだろうか。——考えにくい。リオとは共鳴探知の実験で魔脈を調べた程度だ。ノーラとリオに面識はほとんどない。


 ガルドが参戦したことへの不満? だがガルドは真面目で信頼できる男だ。ノーラがガルドに反感を持つ理由がない。


 ……わからない。


 研究ノートを開き直して、末尾に一行書き加えた。


 《追記。ノーラの窓枠連打。原因不明。共鳴探知で心拍を聴けず分析不能。

 「リオとガルドが参戦」の報告直後に発生。因果関係は不明。

 連打の叩き方は怒りのパターンとは異なる。もっと——名前のつけにくい感情。

 要継続観察》


 ペンを置いた。


 「蝕」の暗号は三層構造で、末端用はもう読める。中間用も六割まで解読した。幹部用にもいずれ手が届く。


 だがノーラの窓枠連打だけは——暗号表がない。


 なぜ女子の感情は、暗殺ギルドの暗号より解読が難しいのだろう。

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