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『音魔法はゴミ? いいえ、研究したら文明を揺るがす最強魔法でした』  作者: 白月 鎖
王都編

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第96話「覚醒」


 二日目の夜に来た。三日待たなかった。



 その日の午後は穏やかだった。


 エルデ教官の講義を受け、訓練場でアルトと軽く組手をし、セラと振動治療の精度を確認した。ノーラは女子棟で雷の自律制御の訓練を続けている。


 夕方。四人で学院の食堂で夕食を取った。


「ヴァンに連絡は取れたの?」


「ああ。学院の伝言板に手紙を残した。ヴァンは休暇中、実家に帰ってるはずだが——あいつなら、面白い話には乗ってくる」


「リオとガルドは?」


「リオは学院にいる。講義に出てる。ガルドも。——明日、二人に話す」


 普通の会話。普通の夕食。


 食堂を出て、中庭を歩いている時だった。


 日が沈みかけている。空が橙から紫に変わる時間。中庭の噴水が夕日を反射してきらめいている。


 俺はノーラとセラの女子棟を見送るために、中庭を横切っていた。アルトは先に男子棟に戻っている。


 ノーラが女子棟の入口で手を振った。セラが「おやすみなさい」と小さく頭を下げた。二人が女子棟の扉を開けた。


 その時——


 俺の耳が捉えた。


 中庭の植え込みの裏。心拍が三つ。いや四つ。五つ。


 全て安静時心拍五十台。訓練された人間。


 いつからいた? 反響定位は切っていた。音紋標識は中庭に仕掛けていない——学院の中は安全だと思っていたから。


 ——油断した。


 五つの心拍が、同時に「加速」した。五十から百へ。安静から戦闘態勢への切り替え。筋肉が動き始める振動。武器を抜く金属音——五つ同時に。


「伏せろ!!」


 叫んだ。


 だが遅い。


 植え込みの影から、暗器が飛んだ。五方向から。俺、ノーラ、セラに向かって。


 反射的に逆相障壁を展開——一本の暗器の軌道を逸らす。だが同時に五本来ている。一本しか消せない。


 ノーラが雷を纏って横に跳んだ。暗器が一本、ノーラの髪を掠めて壁に刺さる。


 セラが——


 防壁を展開しようとした。杖を構えた。だが間に合わない。暗器が二本、セラに向かっている。一本は杖で弾いた。もう一本が——


 セラの右肩に刺さった。


 短い悲鳴。杖が手から落ちた。膝が折れる。


「セラ!!」


 走った。セラの横に滑り込む。暗器を抜く——刃先が紫色に変色している。呪毒。


「呪毒だ! セラ、自分に浄化を——」


「やって……います……っ」


 セラの右手が光っている。浄化の光が傷口を包んでいる。だが呪毒の浸入が速い。傷口の周囲の皮膚が黒ずんでいく。


 振動治療。俺の振動でセラの浄化を底上げする。左手をセラの肩に当て、振動を流し込む。浄化の光が強くなる。黒ずみの拡大が止まった。


 だが——敵はまだいる。


 五つの心拍。植え込みから飛び出してきた。黒い装束。顔を布で覆っている。短剣を手にしている。


 暗殺者。五人。学院の中庭に。


 一人が俺に向かって走ってくる。二人がノーラに。二人がセラに。——回復役を先に潰す。暗殺の定石。


「ノーラ! 右と左から二人来る!」


「見えてる!」


 ノーラの雷鎖が走る。右の暗殺者に巻きつく。だが左の暗殺者が雷鎖をくぐり抜けて接近する。短剣が閃く。ノーラが後退する。


 セラに向かう二人。セラは右肩を押さえて膝をついている。防壁を張る余裕がない。


 ——俺しかいない。



 体の中で、何かが切り替わった。


 カチ、と。回路が閉じるように。


 今まで「研究」だった。「調査」だった。「情報収集」だった。敵を追い、情報を集め、糸を辿り、作戦を立てる。頭脳の仕事。


 だが今——セラの肩から血が出ている。呪毒が浸入している。ノーラが短剣をかわしながら後退している。


 仲間が傷ついている。


 ——もう待たない。探さない。


 **狩る。**


 全技術を同時に起動した。


 反響定位——中庭全体を完全把握。五人の暗殺者の位置、速度、武器、心拍。そして学院の建物から出てくる人間がいないことも確認。この中庭に、味方はノーラとセラと俺だけ。


 音の結界——俺とセラの周囲五歩に展開。この中の音は外に漏れない。外の音は聴こえる。


 耳掛け通信でノーラに。


 ——ノーラ、右の一人は雷鎖で拘束済み。左の一人は任せた。殺すな、止めろ。


「わかってるわよ!」


 ノーラの落雷が左の暗殺者の足元を打つ。地面が弾け、暗殺者が体勢を崩す。


 残り三人。セラに向かう二人と、俺に向かう一人。


 俺に向かう一人——無視する。


 先にセラを守る。


 セラに迫る二人に向けて、筋弛緩波を放った。喉の魔孔から超低周波を生成、二人の全身に向けて放射——


 一人目の体が崩れた。膝が折れ、短剣が手から落ちる。声が出ない。


 だが二人目が——筋弛緩波の範囲の外にいた。走る角度が違う。セラに対して挟み撃ちの位置に展開している。プロの配置だ。


 二人目がセラに迫る。短剣が振り下ろされる。


 ——指向性衝撃波。


 右手の指先から、目に見えない音の針を射出した。空気を裂く振動。暗殺者の短剣を持つ右手の手首に命中。


 手首の腱が衝撃で痺れ、短剣がすっぽ抜けた。


「なっ——!」


 暗殺者が驚愕する。何が起きたかわからない。手首に外傷はない。だが短剣が握れない。


 二発目。指向性衝撃波。今度は暗殺者の右膝に。膝の腱が痺れ、脚が折れる。地面に崩れ落ちた。


 残り一人。俺に向かっていた暗殺者。


 振り返る。暗殺者が三歩先にいる。短剣が俺の喉を狙って突き出されている。速い。プロの突き。


 だが——「見えている」。


 共鳴探知で暗殺者の腕の筋肉の動きを聴いている。短剣を突き出す瞬間の、筋繊維の収縮パターン。軌道が「聴こえる」。


 半歩横にずれた。短剣が俺の首の横を通過する。風圧が頬を撫でる。


 暗殺者の驚愕の心拍——百七十。


 俺の掌が暗殺者の胸に触れた。


 震孔掌——の、弱い版。胸の浅い位置にある魔力の出口を振動で押す。全身の力が抜ける。膝が折れ、地面に崩れ落ちる。意識はある。だが体が動かない。


 三人、倒した。


 ノーラが左の暗殺者を雷鎖で拘束し終えた。右の暗殺者は最初の雷鎖で既に拘束済み。


 五人。全員倒した。


 最初の暗器が飛んでから——約三十秒。



 セラの治療を急いだ。


 呪毒の暗器を抜いた傷口に、振動治療を施す。セラの浄化と俺の振動を重ねて、呪毒を内側から押し出す。


「セラ、痛みは」


「大丈夫……です。浄化が間に合っています。呪毒は……深くまでは入っていない」


 黒ずみが薄れていく。浄化が勝っている。間に合った。


 だが——間に合わなかった可能性が、頭の中を走り抜けた。暗器があと三寸ずれていたら、首に刺さっていた。セラは死んでいたかもしれない。


 右肩の傷口を布で押さえながら、セラが俺を見上げた。


「セレンさん。——あなたの目が、変わっています」


「……何が」


「さっきまでの目と違います。研究者の目じゃない。——でも、怖い目でもありません。ただ——」


 セラが言葉を探した。


「覚悟を決めた人の目です」



 暗殺者五人を拘束した。ノーラの雷鎖で全員を縛り、中庭の隅に並べた。学院の教官に引き渡す前に——情報を取る。


 五人の暗殺者の喉に、振動読みを向けた。


 声は出させない。筋弛緩波で喉の筋肉を弛緩させてある。だが喉の声帯は——「話そうとする」だけで動く。


 一人目の喉の振動。


 (任務失敗だ。五人で同時に仕掛けて、一人も仕留められなかった。あの少年——何が起きた? 暗器が逸れた。筋肉が動かなくなった。目に見えない何かで手首を打たれた。——音だ。音で全てをやった。報告しなければ。だがどうやって。体が動かない)


 二人目。


 (“先生”に報告できない。失敗した。“蝕”では失敗は——死を意味する。殺してくれ。この子供に殺される方がまだいい。“先生”に始末されるよりは)


 三人目。


 (噂は本当だった。“音の狩人”。闇の中でも見える。隠れても聴こえる。暗器を消し、筋肉を止め、一秒で制圧する。——人間じゃない。こんな相手と戦えるわけがない)


 四人目。


 (指示は”先生”から直接来た。「学院の中庭で仕掛けろ。拠点の外なら油断している」。——油断していなかった。五人同時攻撃を三十秒で返された)


 五人目。


 (……あの子供の目を見た。短剣をかわした瞬間の目。怒っていなかった。冷静だった。冷静に——俺たちを「処理」していた。暗殺者を、暗殺者より冷静に処理する子供。……恐ろしい)


 十分だ。


 五人全員の思考を読み取った。得られた情報——ディルクが直接指示を出した。「学院の中庭で仕掛けろ」と。三日の猶予を待たず、二日目で報復を仕掛けてきた。


 そして暗殺者たちの心に残ったもの。恐怖。「音の狩人」への恐怖。


 ——この恐怖が、「蝕」の中に広がる。この五人がギルドに「帰れた」として(帰れないかもしれないが)、彼らが語る恐怖が、末端から中間層に伝染する。


 音の狩人。五人の暗殺者を三十秒で制圧した子供。



 ヴィルマ教官が駆けつけた。


 中庭の騒ぎを聴きつけたのか、それとも——最初から見ていたのか。元Aランク冒険者の表情は読めない。


「暗殺者か」


「五人。全員拘束しました」


「セラの怪我は」


「右肩に呪毒の暗器。浄化で対処済みです。深くは入っていません」


 ヴィルマがセラの傷を確認した。浄化の光が傷口を覆っている。出血は止まっている。


「……よく対処した。——だがセラ。お前、前に出ただろう」


「はい。防壁を張ろうとしましたが、間に合いませんでした」


「前に出なければ、暗器は届かなかった。後方にいれば」


「後方にいたら——セレンさんに暗器が当たっていました」


 セラの声が静かだった。


 ヴィルマが黙った。長い沈黙。


「……お前の判断は正しい。前に出て味方を庇う判断は、回復術者としては間違いだ。だが——人間としては正しい」


 ヴィルマの声に、かすかな温かさがあった。


「聖盾を完成させろ、セラ。お前の”守る”は、もう聖典の枠に収まらない。枠を超えた”守り”を——お前自身の手で定義しろ」



 夜。男子棟の自室で、研究ノートを開いた。


 手が震えている。


 三十秒の戦闘で五人を倒した。指向性衝撃波を実戦で初使用した。振動読みで敵の思考を読んだ。全て冷静にやった。


 だが——今になって震えている。


 セラが刺された。右肩に暗器が刺さった。血が出た。セラが膝をついた。


 あと三寸で首だった。


 俺がもう少し早く心拍の変化に気づいていれば。中庭に音紋標識を仕掛けていれば。油断しなければ。


 ——もう二度と、仲間を傷つけさせない。


 研究ノートに書く。手が震えている。だが字は書ける。


 《十二日目。ディルクの報復。学院の中庭に暗殺者五名。

 セラが右肩に呪毒の暗器を受けた。浄化で対処。命に別状なし。

 五名を三十秒で制圧。新技「指向性衝撃波」を実戦使用。

 振動読みで暗殺者の思考を聴取。ディルクが直接指示を出していた。

 

 ——セラが傷ついた。

 

 もう待たない。守るだけでは足りない。

 「蝕」を壊す。

 

 学院の中庭にも音紋標識を仕掛ける。もう死角は作らない。

 

 明日から本格的に動く。ディルクの三日の猶予を待たない。

 こちらから仕掛ける。こちらのペースで。こちらの土俵で。

 

 俺は狩人だ。

 暗殺者を狩る者だ。》


 ペンを置いた。手の震えが止まった。


 窓を開けて、耳掛けに囁いた。


 ——セラ、肩の調子はどうだ。


 数秒後。防壁の光が灯った。いつもの一瞬ではなく、長く、穏やかに光り続けた。


 「大丈夫です」の意味だと——今度は勝手な解釈ではなく、確信を持って受け取った。


 ——おやすみ。明日から忙しくなる。


 窓枠を叩く音。二回。ノーラの「聞こえた」。


 そしてもう一回。力強い一回。


 ——何の合図だろう。今までの暗号にない一回叩き。


 だが意味はわかった。


 「行こう」だ。

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