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『音魔法はゴミ? いいえ、研究したら文明を揺るがす最強魔法でした』  作者: 白月 鎖
王都編

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第95話「宣戦布告」


 朝日が学院の尖塔を染めている。


 食堂。四人で朝食を取っていた。アルトが買ってきた焼き立てのパンと、温かい豆の汁物。いつもと同じ朝の光景。


 だがいつもと違うのは——俺の耳に、音石通信の耳掛けがあること。そしてもう一つの石が、王都の西区にある煉瓦造りの二階建ての、ある男の枕元に置かれていること。


 ノーラが向かいの席から俺を見ている。金色の瞳が鋭い。


「いつ来るの」


「そろそろだ。ディルクの起床時間は午前六時。今——」


 耳掛けの翡翠が、微かに振動した。


 来た。


 アルトのパンを齧る音が止まった。セラの手が杖を握った。ノーラの指先に青白い火花が一瞬灯り、すぐに消えた。


「食べてろ。普通にしてろ。——俺が話す」


 耳の翡翠に手を触れた。振動が伝わってくる。通信の向こうで——ディルクが枕元の石に触れた。持ち上げた。


 沈黙。


 そして——声が響いた。低く、穏やかで、だが底に氷を敷いたような声。


「……誰だ」


 ディルクの声。


 俺はパンを一口齧った。咀嚼して、飲み込んでから答えた。


「おはよう、ディルク。よく眠れたか?」


 石の向こうで、心拍が変わった。


 ディルクの安静時心拍は六十拍。制御された、穏やかな脈動。暗殺者としての訓練で、どんな状況でも心拍を乱さない男。


 だが今——七十。八十。九十。


 上がっている。


「……お前は、誰だ」


「セレン=アルディス。音属性。冒険者Cランク。十歳。——昨夜、お前の部屋にいた者だ」


 百。百十。


 ディルクの心拍が制御を失い始めている。


「お前の胸の上にある短剣は、お前が枕の下に隠していたものだ。刃を首に向けて置いた。——意味はわかるだろう。お前たちの作法だ」


 百二十。


「お前の机にあった組織図は、俺が全頁読んだ。末端から”指”までの指揮系統。全部頭に入っている。壁に刻んだお前の経歴は——元B級冒険者、登録番号七四二〇。十五年前のベルグ・ダンジョンの一件まで知っている」


 百三十。


「お前の拠点には護衛が一人いた。俺はその護衛の横を、手が触れる距離で通り過ぎた。気づかれなかった。お前の部屋には鍵がかかっていなかった。俺はお前の枕元に立って、お前の首に手を置いた。——そして何もしなかった」


 百四十。


「殺せた。殺さなかった。——その意味を、お前に考えてほしい」


 ディルクの呼吸が荒くなっている。石越しに聴こえる。制御された穏やかな呼吸が崩れている。


 そして——ディルクの声が返ってきた。震えていない。声だけは、まだ制御している。


「……何が望みだ」


「ミーシャを返せ」


 沈黙。三秒。五秒。


「ミーシャは……“蝕”の駒だ。返すという概念がない」


「なら概念を変えろ。ミーシャは人間だ。お前の道具じゃない」


「——お前に何がわかる。ミーシャを育てたのは俺だ。孤児院から引き取り、飯を食わせ、技を教え——」


「そしてスパイにした。学院に送り込んで、俺たちの情報を集めさせた。——“育てた”と”利用した”は違う言葉だ、ディルク」


 ディルクの心拍が——百五十を超えた。もはや制御できていない。


 だが声は、まだ穏やかだった。暗殺者の訓練は声の制御を最後まで保つ。心臓は嘘をつけないが、声は嘘をつける。


「……少年。お前は自分が何をしたか、わかっているのか。“蝕”の拠点に単独で侵入し、指揮者の寝室に立ち、宣戦布告をした。——これは戦争の開始だ」


「知ってる」


「お前の仲間も。お前の学院も。お前の故郷も。全てが標的になる」


「それも知ってる。だから先に言っておく」


 パンの最後の一口を食べた。汁物を一口飲んだ。


「ミーシャを返さないなら——次はお前の”指”全員の枕元に立つ。同じ夜に。同時に。五人の寝室に、同じ夜に入れることは——昨夜の時点で証明した」


 嘘だ。五人同時は不可能だ。カイラの拠点しか特定していないし、他の「指」の場所すら知らない。だが——ディルクにはそれがわからない。昨夜、護衛のいる拠点に無音で侵入し、指揮者の枕元に立てた人間が「五人同時にやる」と言えば、ディルクは否定できない。


 ハッタリ。だがハッタリが効く根拠を、昨夜の侵入で作った。


「返事は三日以内にこの石で。——俺は聴いている。いつでも。どこでも」


 通信を切った。


 食堂が静まり返っている。


 アルトが目を丸くして、手に持ったパンを噛んだまま固まっていた。


「お前……今の、全部聞こえてたんだが」


「聞こえていい。隠すつもりはない」


「いやそうじゃなくて——パン食いながら暗殺ギルドのボスに宣戦布告する奴がいるか」


「食事は大事だろ」


「そういう問題じゃねぇよ!」


 ノーラが腕を組んでいた。笑っていなかった。だが——目が光っている。戦う者の目。


「三日以内。——三日後に何が起きても対応できるように、準備するわ」


 セラが静かに言った。


「セレンさん。あの人の声は——穏やかでしたね。怒っている人の声ではなかった」


「ああ。暗殺者は声を制御する訓練を受けている。心臓は嘘をつけないが、声は嘘をつける。——だから俺は声ではなく心拍を聴いた。百五十拍を超えていた。恐慌状態だ」


「声が穏やかなのに、心臓が叫んでいる……。それは——とても、苦しいことですね」


 セラの言葉に、少し胸が痛んだ。ディルクの苦しみを想像してしまったから。


 だが——ミーシャの方がもっと苦しい。



 食堂を出て、中庭を歩いている時。


 背後から声がかかった。


「セレン君」


 振り返ると、エルデ教官が研究室から顔を出していた。手招きしている。


「来てくれ。——レイナから、急ぎの伝言が届いている」


 研究室に入ると、机の上に封書が置かれていた。宮廷魔法局の封印。レイナの筆跡。


 エルデが封を切って中を読み、顔色を変えた。


「まずいな」


「何が」


「宮廷魔法局の上層部が、練武祭の”逆相障壁”と”共鳴制御”の報告に基づき、セレン=アルディスの技術を”国防関連技術”に指定する動議を提出した。——可決されれば、君の全技術が宮廷の管理下に置かれる」


「レイナが警告してくれていた通りだ」


「レイナはこの動議に反対票を入れた。だが上層部の多数派は賛成に回りそうだ、と書いてある。——猶予は二週間。二週間以内に動議が可決されたら、君は宮廷に”召喚”される」


 二週間。


 ディルクへの返事の期限が三日。「蝕」との決着をつける前に、宮廷が横から手を出してくる。


 前門の虎、後門の狼。暗殺ギルドと宮廷。二つの力が同時に俺に迫っている。


「エルデ教官。二週間で”蝕”との決着をつけます。宮廷に召喚される前に」


「無茶だ。二週間で暗殺ギルドを——」


「無茶じゃない。もう九割の情報は揃っている。ディルクの拠点も、カイラの拠点も、組織の構造も。——あとは動くだけだ」


 エルデが俺の顔を見つめた。長い沈黙。


「……君は変わったな、セレン君。入学した時の君は、研究ノートを開く時の目が一番輝いていた。今の君は——」


 エルデが言葉を切った。


「——今の君は、研究者の目ではなく、将の目をしている」


「将?」


「戦場の指揮官だ。全てを見渡し、全てを計算し、誰よりも冷静に——誰よりも危険な判断を下す者の目。——君はまだ十歳だ。その目をするには早すぎる」


 エルデの声に、悲しみがあった。


「……すみません。でも今は——研究者ではいられない」


「わかっている。——だが約束してくれ。これが終わったら、研究室に戻ってくると。君と私の音響魔法学は、まだ始まったばかりだ」


「約束します」



 午後。仲間を集めて、今後の方針を伝えた。


 音の結界の中。中庭の隅。


「三日間の猶予を与えた。だがディルクが素直にミーシャを返すとは思えない。三日後に来るのは——報復だ」


「報復って、暗殺者が来るってことか」


「ああ。俺だけじゃなく、お前たちも標的になる可能性がある。学院にいる間は比較的安全だが、外に出る時は必ず二人以上で行動しろ」


「学院の中は安全なの?」


「完全には言い切れない。だが学院には教官がいる。ヴィルマ教官は元Aランクだ。暗殺者が学院に正面から踏み込む可能性は低い」


「三日後。——それまでに何をする?」


「準備だ。三つある」


 一つ目。音紋標識をさらに増やす。百個を目指す。王都全域に死角をなくす。


 二つ目。味方を増やす。ヴァンとリオとガルドに連絡を取る。練武祭で共に戦った仲間。


 三つ目。ミーシャへの連絡手段を確立する。昨夜、ミーシャの風の暗号で繋がった。この回線を維持し、ミーシャに「中から動ける」態勢を作らせる。


「あと一つ。宮廷魔法局が俺の技術を”国防関連技術”に指定しようとしている。二週間の猶予。それまでに全てを終わらせる」


 アルトが呻いた。


「暗殺ギルドと宮廷が同時に来るのかよ」


「ああ。——だから急ぐ」


 ノーラが立ち上がった。


「ミーシャに伝えて。“迎えに行くから待ってて”って。——私の声で」


「お前の声で?」


「矢文で届けられるんでしょ。私の声をそのまま。ミーシャに聞かせて」


 できる。矢文はセレンの声しか届けられない——と思っていた。だが声紋偽装がある。ノーラの声帯振動パターンを再現し、ノーラの声で矢文を飛ばすことは、理論上は可能だ。


「……やってみる」


 ノーラの声を聴く。共鳴探知で声帯の振動パターンを精密に記録する。


「何か言ってくれ」


「何でもいいの?」


「何でもいい。十秒くらい」


 ノーラが少し考えて——言った。


「ミーシャ。嘘つかなくていいから。帰っておいで」


 声帯振動パターンを完全に記録した。ノーラの声。低くて、鋭くて、だが芯に温かさがある声。


「……今の、届けるよ。今夜。ミーシャに」


 ノーラが頷いた。目が濡れていた。また。だが涙は流さない。ノーラは泣かない。



 夜。リッカの廃屋から、ディルクの拠点の方向に向けて超微弱音波を飛ばした。


 ミーシャの部屋の窓だけに届く指向性。声紋偽装を起動し、ノーラの声帯パターンで——


「ミーシャ。嘘つかなくていいから。帰っておいで」


 数秒の沈黙。


 風が返ってきた。ミーシャの風の暗号。短い風が連続する。速い。震えている。


 長。長。短短短。長短。


 ——「まってる」


 二文字。たった二文字。


 だがその二文字に、ミーシャの全てがあった。

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